第14話


 朝。私は一人食事を終えてヒナイヂドリと戯れる。小屋にいる鶏の元には3羽の色とりどりの小鳥が飛んできていてぴーぴーひよひよと合唱しているよう。マックスからのオーダーは二人の監視。そもそも昨日二人が車に乗った段階から監視はしている。(中谷里)つるつるぎが呼んできた人間だし、と思っていたがなんかあからさま過ぎて逆に心配になるくらいには挙動不審だった。

 監視と言われているが、特に何をしろともいわれていないし、必要なら案内でもと言われたけど、案内する必要あるかな。蒸留所はダメ。キャンピングカーのある北部の住宅街もダメ。持ち出しくらいなら堂々と取り立てられるからと家財道具を持ち出そうとするのであれば見逃せ。電気設備は危険だから触らないだろう。マックスからいろいろ言われたけど特に何もしなくていいかな。少なくともあの二人が起きるまでは。

 ヒナイヂドリはヒヨコから鶏へ成長中。手乗りサイズが両手で抱えるくらいの大きさになっている。ヒナイヂドリ可愛い。未だにぴよぴよ言ってる。多分この子がぴよぴよ言わなくなったら私はこの子を可愛がれないと思う。あ、卵ありがとうは言うようになるかな?

 愛美が連れてきた鶏はこの後小屋の周囲に出す予定だ。天敵は猫とかキツネらしいけど、今まで見たことないけど見たら狩れって言われたなあ。家の周りにフェンスあるけど、穴掘りするんだっけ? 飼えないかなあ、キツネ。なんか危ない菌を持ってるからダメって言われたけど、ゾンビより危険らしい。ゾンビとどっちが危険って聞いたら狐の方が危険って言ってた。そういうのもあるんだ。


 正直、私はあまり頭が良くない。中学生の時にパンデミックにあって、次に勉強する機会が与えられたのは4年後。群狼が研究所に所属して、マックスが警備部門から研究助手として少し離れている時間が増えたタイミングだった。つるは高校でも優等生だったらしいから時間があるときに少しずつ教えてもらってた。マックスが本格的に研究室を持った時は私も何故か助手としてマックスと一緒にいる機会が増えた。久間先生久間楠ツツジにいろんなこと教えてもらいながら、手伝いくらいはできるようになったし、難しい文字や言葉も覚えた。


 部屋に戻って装備を整える。大小二振りのナイフ。私の相棒。これでたくさんのゾンビを斬ってきた。

 私は感染者、らしい。パンデミックが起こって避難して、そのあたりまでは覚えてるけど、それ以降はつるやマックスといたことしか覚えていない。錦はブランドと仲が良かったけど、はたから見たらオタクを煽ててる陽キャみたいな感じですごく居た堪れなかった。他の人は気にしてなかったけど私だけかな? ドクターはひたすら気持ち悪かった。血が好きなのか返り血で真っ赤になったマックスに興奮して返り討ちにされてたこともあったっけ。度し難い変態女だった。テンション低い時はマックスと難しい話してるのに何で私には赤ちゃん言葉を使うのか。思い出したらムカついてきた。

 感染者仲間はマックスがいて、瞳さんがやってきて。私はマックスが薬を使ったとか言ってた。助かってからも何度か薬を飲まされたけど、誰にも言うなと言われたから誰にも言ってない。マックスは何かとちって噛まれてたとか言ってたけど、あんまり想像できない。変なことしてたんじゃないだろうか。

 瞳さんは結構悲惨。元々タチカワの避難地にいたらしい瞳さんは、避難民で構成された独立(しようとした)集団にいた婚約者だった男性に、ゾンビの中に突き飛ばされたらしい。それを目撃した愛美が、瞳さんに集ろうとしていたゾンビ殺して匿っていたら、マックスに見つかったんだって。タチカワなら確かに何度か連絡要員として行ったから覚えてる。今はもうないけど。そう言えばあの辺りにいた天然の抗体保持者だった人、今何してるんだろ。

 マックスも瞳さんも私も普通の人よりちょっと、いや、やや? 身体能力が高い。個人差があってマックスが強化率高め。瞳さんと私が同じくらいだけど私は速度特化、つまり中身。瞳さんは耐久度特化、つまりガワ。それぞれ強化されているらしい。マックスは強度保存性がどうとか言ってた。まあ私は体を動かす方が得意なので。

 腰に二刀を提げて行動する。マックスには悪いけど私はとてもあの二人を信用することはできない。マックスやつるは嫌いな相手でも笑顔で対応するけど、私はそういうのが出来ない。自分に嘘ついてるような変な居心地の悪さを感じる。だから切り分けた。

 研究所時代に知らない大人相手に応対するために年相応の応対力を身につけないと、とつるに言われたから。出来るようになったけど、どっちかといえば群狼でやってたモード切替みたいな感じだった。マックスの計画で上手くいくのだから、それだけをする機械になればいいのだ。それと同じだ。


 ニッカワの拠点に男女それぞれ別の部屋を用意した。片平兄と無礼な妹。背の低さは年齢の低さじゃない。顔の幼さは年齢の幼さじゃない。車の中で出会った時のような舐めた口きいたら朝ご飯は水だけにしてやる。

 それぞれの部屋をノックして起きているか確認。気配はあるからいるし、起きている可能性あり。すっと手を背中に回してナイフの柄に触れてハッとする。こんな癖あったのかと自分自身に苦笑する。

 もぞもぞと衣擦れの音は妹のいる部屋から。これくらいでいいか。私は私で何か飲み物でも飲もう。

 この家はそのほとんどをマックスと錦が整えた。資材として使えそうなものは錦が用意していたが普通に使えるとは思わないじゃん。太陽光パネルの増設によって家の中の家電は一部を除いて使用可能。どこからかひろってきたLED灯や冷蔵庫も追加している。詳しいことはよくわからない。こういう部分では無力感。

 錦は悪いやつではないから、機械類は任せろなんて安請け合いするけど、基本的にはアホだ。アイツは機械類に強いからエンジニアと呼ばれてるんじゃなくて、それ以外が出来ないからエンジニアって呼ばれてるのに気づいてない。馬鹿にしてるわけじゃないけど、移動するたび滅茶苦茶疲れてて、マックスが入れる休憩は実質錦のための休憩みたいなものだった。

 外の建屋、薪のあったスペースに貯水タンクが置いてある。そこから必要な分の水を小さいタンクに入れて運ぶ方式。キッチンにはケーブルで充電できる小型ポンプ。釣具屋跡で見つけたんだっけ? 大きい貯水タンクに水を入れるのはマックスがやっているみたい。リヤカー使って運んでるとか言ってたけど本当? やっぱゴリラじゃん。今日の分はすでに誰かがやってくれたみたい。多分マックスか瞳さん。

 ヤカンに水を入れIHの調理台へ。私のタンブラーは白い塗装がされているものだ。ドリッパーをセットしてコーヒーを淹れる。瞳さんお手製のタンポポコーヒー。昔飲んだ古いコーヒーよりいい香り。瞳さんはあんまり美味しくないって言ってたけど、研究所で出してた泥水よりも全然美味しい。

 廊下を抜けて妹が起きてきた。あんまり眠くなさそう。


「ここから近い川ってどこです? 顔洗いたくって」

「ポンプから水出るから。無駄遣いしないように」


 くすんだプラスチックの桶もある。キッチンのシンクだけどマックスはあんまり使ってないみたい。でもポンプやせっけんを置いている辺りここで水使えってことだろうし。因みに洗面台は遠いからって言って水を常備していないようで、私も最初は間違えた。小屋姉妹のアジトが悪い。水は出るし、印東は電気湯沸かし器用意するし。一番お風呂がいい部屋をお風呂部屋にして、みんなで入るお風呂はちょっと楽しい。

 固まって動かない妹を置いてタオルを持って戻る。蛇口ひねってるけど、ポンプを知らない? ああ、まあ小さいやつだし、私もあんまり知らないんだけど。


「そこの黒くなってるとこに手を翳して」


 そうして出てきた水に驚く妹。桶使って。貯めるなりしてから顔洗って。


「ハイテクですね!」


 なんだろう、この。え、なに、これ。まあさっき川に行こうとしてたし、なんていうか随分アレな生活してきたんだなあ。

 朝の支度が終わるまで居間でコーヒーを啜る。既に日は上っていて朝というには少し遅い時間。廊下の奥から妹の声。すごくよく響くそれの後にドアを開く音。ああ、兄の分もやっておいてくれるんだ。

 ややあって二人分の足音。キッチンに来て自動で水が出るとかなんとか言っている。随分田舎暮らしが長かったようだ。

 そもそも狩猟を生業にしているにしては随分身ぎれいなのが気になる。兄妹揃って本当に田舎から都会に出てきたような印象を受ける。というか多少は警戒していたんだろうが、なんというか甘いというか雑というか。

 兄の口数は多くない。余計なことを口にしないためだろうか。妹の方は演技力優先かな? 口を出さない兄は口下手、嘘下手な部分があるのかもしれない。で妹が出てきてマックスと話してたけど、結局マックスはこいつらを使うみたい。これで使えるのかな?

 兄が洗顔している後ろで妹が騒いでるけど、まあ私にはあんまり関係ないかな。マックスも私に情報抜けとか言わないし。まあ今日だけだしね、面倒見るのも。私もキッチンに言って食事の準備をしよう。


「朝から肉だけどいいよね」


 返事は聞いてない。マックスが鹿を狩って肉を保存しておいてくれていた。一人じゃ消費しきれないから残ってるときはみんな遠慮なく食べるようにと言われている。

 マックスは一部を燻製にして蒸留酒を取りに来た奴ら、個人で飲む分を取りに来た呑兵衛どもから情報を抜いている。つるから化粧道具借りて髭描いただけって言ってたけど、服の中に何か入れているのかスラッとした瘦身が下腹の出た赤ら顔の壮年のようになっていた。そんなことできたんだ、すごい。マックスじゃないみたいだった。

 冷蔵庫の肉塊を適当に薄く切る。昨日食べた時は適当な味付けでも下処理がいいからかあんまり臭みは感じなかった。


「手伝いますよ」

「いい。そっちで待ってて」


 食事は基本的にマックスと摂るようにしてた。普通に食べているようだったのに、マックスは食べちゃいけないものは食べない。群狼時代からマックスはそうだった。鼻がいいと言っていたけど、私も瞳さんもそんなことできない。どんな世界なんだろう。目も鼻も力も強い。聞いたことないけど耳もいいと思う。

 鹿肉は弱火でじっくり。塩だけでいいか。私は肉はあんまり好きじゃない。食べられないほど嫌いじゃないが。私は一人だけ卵かけご飯を食べよう。マックスはサルモネラ菌がーって言ってたけど食べるなとは言ってなかった。じゃあ多分大丈夫。食べられないものは渡さないから。

 ご飯は冷ましたものが容器に入れられて冷蔵庫に保存されている分がある。電子レンジに入れて適当にスイッチオン。汁物はパス。市街地で買える食料もあるけど、鰹節は滅多に手に入らない。昆布は運悪く品切れ。小屋姉妹のアジトでは野菜くずを使ったもので瞳さんがスープをつくってくれている。気持ち薄味だけどほっとする味で私個人は好きな味だ。

 食事の用意を完了させて提供した私は片平兄妹から離れて様子見。どちらも右利き。どちらも胡坐。今はご飯の話をしている。お米はマックスが交換で手に入れたものらしいけど、どこからかは聞かなかったそう。深入りしすぎない方がキャラクター作れるからって言ってたけど運び屋のためになるような情報には関心を持たないように気を配ったと思う。小屋姉妹との関連性を切りたいのだろう。会話で探られるようなことはしないという事だろうか。

 なんだろう。こちらを見てる。


「それ、なんです?」

TKG卵かけご飯ですけど」


 塩を使っているから物足りないという事はない。物足りなくは無いが、やっぱり醤油が欲しい。愛美が言うには日本酒や醤油は極少数のみの生産に限られているらしく、こちらが手に入れるのはかなり厳しいと言っていた。マックスは将来的にできないことでは無いと言っていたけど、それなら鶏ガラや鶏脂チーユを生産する方が早いと言っていた。それを聞いた錦はラーメン食べたいとか言っていたけど、町で見れる麺類なんて蕎麦くらいだ。マックスが珍しく苦笑いしていたから覚えている。否定も肯定もしなかったから、多分出来るけど面倒なんだと思う。

 食べ終わった食器を回収し、桶に入れて水洗い。コーヒーを淹れて私も居間へ。


「人少ないですけど、皆さんどちらへ?」

「仕事」

「えっと、僕らはどうすれば」

「あまり離れなければ何してもいい」

「あのー、ぽぽの分のごはんってありますか?」

「……何食べるの?」

「えっと、さっきのお肉とかはぁ?」

「それならいい。生?」

「いえ、焼いたもので」

「どのくらい?」

「えっと、一枚くらい、かな?」


 適当な厚みに切りだし確認。鹿肉のステーキを焼く。


「味付けはいらないんだっけ?」

「はい」


 鹿肉のステーキを用意している間に離れている兄の気配を探るが、犬の声がしたのでそちらに行っているのだろう。というかあの犬で大丈夫かな? 私が起きた時も起きてこなかったし、猟犬にしてはなんか気が抜けてない?

 さっと焼いたものを皿に乗せ、妹に渡すとぱたぱたと駆けてゆく。

 監視だから情報を抜く必要はないんだけど、何かやってみたくはある。錦は機械で、つるは聞き込み、小屋姉妹はコミュニケーション、見たことないけどマックスは多分拷問のような何か。コイツからは無理でしょっていう相手でも簡単に口を割らせる。何をしてるのかは教えてくれなかったけど、誰も気にしてなかった。

 外から犬が吠える声が聞こえる。鹿肉は美味いか。食べるものが少ないとはいえ、肉ばっかり食べていたら体調崩すのは人も犬も同じだ。健康管理を万全にしたいのなら自分で稼いでもらわないと。


 本当にやることが無い。私ってこんなに何もない人間だっけ。ああ、行きたかったな、演習場。私の得意なことはゾンビを始末することくらいなのに。

 みんな、今何してるんだろう。




 いやあ、ゾンビが大量にいますね。そして物資も沢山だ。

 元々ナノマシンインターフェースの回収を目論んでいたが、隊舎や庁舎等が意外と充実しており、コンビニの様なものもあった。一人だと特に何か気にする必要もないのですごく楽だ。ついでと言っては何だが少しだけ魔法の実験。成果はまずまず。

 探知の魔法を定期的にとばしつつ隊舎内のゾンビを風の魔法で斬り飛ばす。このマップは庁舎から入り、入り口をふさがれた隊舎の2階へ。そこから3階のゾンビの1体が持っているキーを取得し、隊舎1階のギミックを解除して地下の極秘研究所へ向かう必要がある。

 ここが戦闘マップという事もあり、不自然に配置されているアイテムなどには手を付けないようにしつつ、フレーバーとなるようなアイテムや明らかにオブジェクトとして配置されているアイテムを物色してゆく。個室などにある私物のいくつかのアイテムが何故か効果のある不思議なアクセサリーなのはともかく、刀などは本当になぜこんなところにあるのか。日本好きの隊員が所有していた、なんてフレーバーもあった気がするが、これ結構性能良いんだよなあ。

 俺が回収するのはタブレットの類。適当に回収してバックパックに放り込む。そのバックパックすらここで拾ったものだ。オブジェクトとして配置されているケーブル類のいくつかはもらっておいた方がいいか。流石にテレビはいらん。モニターとして使おうと思っているのがタブレットなわけだし。

 インターフェースとの連携はタブレットでも出来たはず。トウキョウの研究所では高価なPCを使っていたので気付かなかったが、効率とか変わるんだろうか。まあいいや、どちらにしてもこのマップで拾うのはリスクが高いし。困ったときの印東錦だ。


 階段を上がって隊舎の3階へ。奥の少し大きい個室にいるであろうゾンビが持っているのだが、俺は即座に階下へ飛び降りた。すぐに聞こえる銃撃音に深呼吸。小銃の引き金を引き続けているのか破裂音の様なものが連続して聞こえて、カチカチと空撃ちする音がする。即座に飛び出し左フック。小銃を持ってふらふらしていたゾンビは廊下のガラスを突き破って窓の外へ飛び出していった。

 視界内の目標地点に強制的に攻撃をヒットさせる必中追尾という魔法がある。印を付けた場所に紐づけた追尾というものだが、この魔法は仕様が違う。文字通り自分の攻撃を強制的にヒットさせることが出来るのはそうだが、アンカーを打つ必要が無い魔法だ。元々重いものを運んだりするのに使用していた念動力サイコキネシスを暴発させる方法なのだが、視線で誘導しそこに念動力を適当にぶっ放すという適当さで使える。念動力は割と最初のほうに開発したものだがこれまでずっと制御に苦労したもので、こういう時には使いやすい魔法だ。ほとんど制御していないので威力も方向もその時々によってまちまちになるが、今のようにとっさに使うと大抵力を入れ過ぎて暴発するようになってしまう。

 さて、今のは完全に俺のミスだ。隊舎の1階のギミックを解除するときに時折発生するレアアイテムを落とすゾンビが、先ほどの銃持ちのゾンビだ。残念ながら落ちていなかった。ドロップするのは換金アイテムでいい金策になる。売れれば、だが。

 個室は一体のゾンビがいるが、捜索イベントを挟まないと出てこない。俺はクローゼットを蹴って無理矢理ゾンビを起こす。出てきたゾンビを切り捨ててキーを回収した。このキーの返し場所も考える必要があるけど、まずはさっさと地下研究所へ行かないとな。念願のナノマシンインターフェースはもう少しだ。


 隊舎1階のギミックは何故かある演習場模型と、その台座の周囲に取り付けられたプレートの文字合わせ。向かって左側は【CASTLE】、中央は【TEMPLE】、右側は【1958】だ。

 カードをはめる場所にキーを挿入して、ほい、サクッとクリア。台座が下の床板ごと持ち上がり奥へずれてゆく。一応小銃は持っているが今は手を翳して魔法の発動を待機させている。正直言えば外にいる3人は結構暇してる可能性がある。演習場内には小さいながら市街地戦を想定した建物があり、その周辺は開けているためうまくひっかければただただゾンビと鬼ごっこをするだけという状況になっているはずだ。

 ここは螺旋階段になっているのだがゾンビが落ちてくる可能性がないとは言い切れない。という訳で苦手な制御を頑張りつつ蓋を閉めるようにして模型の位置を戻しながら階段を下りてゆく。光源を生み出す魔法もあるがここは暗視のほうが安全だろう。音もたてず階段を降り、徐々に視界が開ける。足元の非常灯だけがついている。階段は通路の端にあり、まっすぐ伸びている。途中の交差路から延びる場所にはゲームアイテムがいくつか置いてあるが、俺には特に必要のないものなのでスルーしよう。

 研究員の日記や観察過程といった研究資料をそれぞれの部屋で回収するのがストーリーラインだが、まあ俺には関係ない。知っている話だ。

 廊下をまっすぐ進む。探知の魔法に反応はない。いや、なかった。反応が生まれたのは背後。いや、振り返っても何もいない。反応は上だ。隊舎1階のギミックのあたりだろうか。今のが敵がポップするという現象か。え、この距離で起こるのか。

 振り返り真正面へ視線を戻す。最後の研究室への扉。目の前の扉を開けると研究のためのコンソールと強化ガラスで隔てられた処置室がある。ナノマシンインターフェースがあるのは処置室だ。嫌な予感がとまらない。これは、ボスクラスのゾンビが出そうだ。もしくは上で待っているのが主人公の倒すべきゾンビなのかもしれない。


 まずい。何がまずいって俺が倒した場合、主人公がボスゾンビとの戦闘経験を得られず、強化薬実験に対する印象がマイナスにならない。つまりは上層部への不審がうわべだけのものになる可能性がある。そうするとトウキョウへ戻る機会が減り、トウキョウの研究所での強化薬の臨床試験対象にならない。主人公がいなければトウキョウで暴れている特異覚醒個体を抑える人間がいなくなり、トウキョウが終わる可能性が出てくる。

 俺が倒さなかった場合。というか今だが外の3人がやばい。特異個体をまともに相手できるのは千聖と条件付きで中谷里と小屋姉。千聖は動物型の特異個体以外なら問題ない。中谷里は足が遅い相手なら引き撃ちで蜂巣状態にする。決め手に欠ける小屋姉は武器が持つ限りという条件だ。守りが強いのは主に外皮の話で普通に力負けすると思う。

 一先ずアンカーを足元に撃って、俺は処置室へ飛び込む。処置室中央の施術台の脇で倒れている研究員の遺体から、手のひらと手の甲が空いた指だけのグローブを回収する。これが操作用のインターフェース。その死体のそばに転がっていたゴーグルが動作観察モニター。

 絶えず飛ばしている探知は何の反応も返さない。上のゾンビも動いていない。そして最後に金属製のガントレットのようなものが、ナノマシン注入用のポッドと針が内蔵された薬注ポンプとなる。

 よし全部回収した。ゾンビは発生していない。上のゾンビは、動いていない? 処置室から出て研究室から出ても何も起こらない。取り越し苦労か? そうして俺が螺旋階段の入り口を塞ぐ台座を下から押し返そうとして、全く動かなかった。上にいたゾンビは既に移動を開始しているが、隊舎内を右に左にふらふらと動いている。

 少しだけ開けて狙い撃つしかないか。そう思ってもう一度力を籠めるが全く上がらない。あれ? ちょっと待て。念動力を制御し押し上げる。上がらない。

 え、マジか。あのゾンビ、台座のギミックのロック掛け直しやがった! ここにきてシステム的メタな動きしてんじゃねえよ! 普通は勝手に開くもんだろうがよ!


 主人公たちは処置室には入らず、資料を回収しコンソールからデータの吸出しをして緊急システムに引っ掛かる。アラートに反応して集まったゾンビのうちの一体がボスゾンビで、どこから来たのかいつの間にか隊舎入り口にいるのだ。あれか、あの緊急アラートって脱出用に段階的に処置室から隔壁が下りてロックされるタイプなのか? 何故かギミックの螺旋階段入り口が口を開けていたのは脱出口の確保のためなのか? ボスゾンビが来たのは習性としてアラートに対応するためなのか?

 いや、こんなことを考えている場合じゃない。すぐに脱出するべきだ。この演習場内でアンカーポイントを設置している場所は地下以外にない。転移は出来ない。単純に座標をミスすれば普通に死ぬ。アンカーポイントは言ってしまえば電話番号だ。指定された場所へと導くガイドでもある。狙った場所へ跳ぶためにはこのアンカーを撃った場所でなければ空間を。そもそもショートジャンプと呼ばれる短距離転移とは仕様が違うのだ。

 ショートジャンプは3次元空間で観測した場所への距離という概念を0にする魔法。性質上は直線移動で視覚を頼りに飛ぶから途中に障害物があればそこで止まるし、逆に到着地点が少しでも見えていれば移動できる。因みにガラス越しは無理だが、アンカーを打って普通に転移する分には可能だ。

 転移は自分のいる空間ごと座標を置換する魔法だ。転移用のマーカーは基本的に観測の魔法を合わせて観測したうえできっちりスペースを確保した場所にアンカーを打っている。もしくは開けた場所だ。俺が転移を渋る理由は、転移の魔法の性質上の問題、つまりは置換するという性質を勘違いしていたことが大きい。

 置換という現象でファンタジーといえばチェンジリング、取替え子があるが、チェンジリングは正確には身代わりだ。そして重要なのが、置換元が自分を含む一定範囲の空間で、置換先には何もない空間だった場合、置換現象に測定できない不確定要素が混ざるのだ。俺が妖精のいたずらと言っているモノだ。

 アンカー対象を真として俺のいる空間を偽とした場合、俺がアンカー先の身代わりとなる。であるならアンカー先を安全地帯に設定すれば安全に移動できるのではないかと思ったのだが、置換現象自体がいたずらという曖昧なものが大本にあるせいか事故が起こるのだ。何が起こるかはわからない。転移先のズレ、座標の左右上下反転なら分かりやすい方。真偽両方が消失したこともある。これは転移実験を行ったときに気が付いた。

 石や木材、衣類に機械類、車、建物。これらの実験対象が試験を突破し、いざゾンビで実験をとなって派手に失敗した。フィラデルフィア実験、それをもとにしたオカルト話のようになったといえば分かるだろうか。次元航行してタイムスリップして瞬間移動したりしているあのフィラデルフィア実験だ。ついでに言えばゾンビが悪魔合体した。見た瞬間に自分史上最高速の反応速度で最大火力の風の魔法をぶち込んだことで大変なことになったが。廃ビルの1フロアが真っ赤に染まったくらいだ。風の魔法が部屋の壁ごとぶち抜いて危うく倒壊させるところだったが。あれは本当に危なかった。

 ここまで数秒。ようやく落ち着いた。そろそろ現実逃避はやめようか。


 でもこれもう祈るしかないんじゃなかろうか? ギミック付きの台座にアンカー打ち込んで転移で丸ごとぶち壊すしかないんじゃないか? 重要オブジェクトだし元に戻るよね? いや、事前に誰かが入って行ったなんていうのがばれたら、小屋妹が作ったアリバイが逆効果になる。わざわざこの辺りで北を集荷拠点にしているスカベンジャーたちに嫌がらせしたのも意味がなくなる。

 ふと思い返す。この演習場には市街地戦を想定した建物が再現されており、そこには地下下水道まであったはずだ。壊すなら上じゃなくて下の方がいいのでは? なんなら破壊したのをこの演習場で作られた強化変異ゾンビのせいに偽装した方がばれにくいのでは?

 どうせ破壊するなら悪あがきするか。俺はライトをつけてショートジャンプで飛び降り、施設内の壁を手当たり次第に魔法で攻撃してゆく。人の手が届く範囲で念動力を暴発させてゆく。正直隊舎からではそれなりに距離があるが実は掘削用の魔法が存在していたりする。

 元々は単純な落とし穴の魔法で、敵に無理矢理隙を作る魔法として地味に有用だった魔法を改変したものだ。ニッカワに来る前の俺は事前の想定で燃料確保のために採掘すら必要になるかもしれないと考えていた。山でひっそりと隠棲することもあるかもしれないと。研究所に所属する際、群狼を解体しようとして上手くいかなかったのでその時にはご破算となったが。

 手当たり次第に破壊したコンクリート壁から先に土の層が見える。さあ、採掘の魔法の出番だ。コンクリートなんかの人工物には著しく効率が落ちる採掘の魔法だが俺一人が余裕をもって通れるくらいの穴は簡単に開けられる。徐々に穴を伸ばしてゆく。頼むから通じてくれよ?

 ギミック装置にキーを挿しっぱなしなのを忘れて、解錠の魔法が使えるかもしれないというのも忘れて、俺は逃げるように穴を掘っていった。




「なんだ?」

『長くないっ!? ちょっと信じらんないくらいゾンビ増えてきたんだけど!?』

「すまんな、少し調べ物してた。今どこだ?」

『演習場! 軍用車とか資材になりそうな武器庫とかあるのに見れないんだけど!?』

「分かった。俺今演習場地下の下水道にいるからこっちに誘導してくれていいぞ」

『どこよそこっ!』


 無事開通。俺は勝利した。僅差だろうが実質負けだろうが勝ちは勝ち。不自然であっても変に怪しまれなければいい。明らかに異常な結果であってもその原因は大抵ゾンビのせいにされるだろうが、此処に別の要因が絡むと小屋姉妹から辿られて俺にまでたどり着く可能性がある。正直逃げるだけなら出来るが、今更あいつらを放って逃げるというのは無理だろう。どうしたって罪悪感や後悔に苛まれるのがわかり切っている。

 今回は派手にやらかしましたので、俺がお詫び代わりにしっかり働かねばなるまいて。


「適当に市街地っぽいとこに集めてくれりゃ後は俺がやるわ」

『ピックしろって言ってませんでしたぁ?』

「資材回収のために引きつけようと思ったけどいらないか。じゃあ」

『さっすがぁ』


 うわ。猫なで声で言うなよ、落差に変な汗かいたぞ。


「じゃ適当に走っててくれ。出れるタイミングで出るわ」

『はぁい、がんばってねー』


 流石に軍用車ばらしたりはしないだろ。どうせ機銃と弾薬回収するくらいで。さあて、がんばりますか。

 



 演習場を走り回っていたトラックの荷台に乗ってクロスボウをちまちま撃っていた。いつもは回収するからそれほどじゃないけど今回はボルト全部吐き出すことになるのかな、なんて考えていたら通り過ぎたマンホールのふたが2mくらい飛び上がった。即座に構えるが飛び出してきた人影に思わず声を上げる。


「リーダー!」


 その声にちらりと視線を向け、いつもの不敵な笑みを浮かべたリーダーは、私にとっては彼のトレードマークのゴーグルを下ろしてゾンビの群れに向かって行った。敷地内のどこにそんなにいたのか100体以上いるんだけど大丈夫かな、なんて思いながら、さほど心配していない自分に気付く。

 リーダーは小銃をばら撒きながら演習場内に建てられた3階建ての建物へ向かいながら走ってゆく。ほんのわずかにこちらに向かっていたゾンビの足を打ち抜いて、私は車内に向かって話しかける。


「リーダーピックする話はどうなってるの?」

「資材回収していいってさ!」


 まなちゃんが嬉しそうに叫んだ。という事は目的のものはもう手に入れたのかな? というかなんで下水道から上がってきたんだろ。庁舎の地下施設と下水道が繋がってたのかな? ま、いいや。いつもは弾薬の関係上ほとんど使ってなかったけど、もしかしたら官給品の残りが拾えるかもしれないしね。

 まなちゃんは勢いそのままに車両が並ぶ一角、シャッターの閉じた大型のガレージへ。瞳さんが飛び出し通用口を防火斧で派手に破壊すると背中に背負った小銃を構えて突撃する。続いてまなちゃん。私は基本後方警戒。ちらりと中を見て思わず見入ってしまった。


「コブラーっ!」


 あれ、攻撃ヘリじゃない? え、それ、どうするの、まなちゃん。まさかバラすとは言わないよね? 流石に無理だよね? ヘリコプターに飛びつこうとしたまなちゃんは瞳さんが首根っこを掴んで止めた。よかった、さすがにそれはダメだよ。いろんな意味で。

 ただそんなまなちゃんもいくつかの車両を見てから、ただし少しだけ不思議そうな表情で戻ってきたのを見て思わず声をかける。


「どうしたの? 欲しいの無かった?」

「正直全部ほしいけど、何か知らないのがちらほらあって」

「見てみたらアメリカ軍の物みたいだった」

「ああ、なるほど」


 官給品の横流しというのはセンダイでは時折見かけるし、小屋姉妹はセンダイの西にある検問を担当する軍の一部から官給品を譲り受けることもある。私にしても元群狼の面々はトウキョウの防衛隊との共同作戦に従事したこともあるし兵装については多少知っていた。一目見ただけでわかるというほどでは無いが、見たことが無いものは知らないと言えるだけの記憶はある。小屋姉妹が不思議そうにしていたのは榴弾砲らしい。確かに見たことが無い。

 そう言えばここはアメリカ軍が演習で使うこともあるんだっけ。じゃあその兵装か。


「リーダーは何て?」

「特には、っと」

「噂をすれば、だね。どうしたのリーダー」

『終わったぞ。どこにいる』

「もう終わったの?」

「え、はっや。100体くらいいなかった?」

「こっちは車両区画にいるよ」

『ヘリバラすなよ。ヘリの武装はいいけど』


 一人、普段とは違う様子で迅速に動き出した。


「あ、瞳さんがヘリに」

『ミニガンだろ? バラされてるならいいけど、車に乗せんなよ?』

「なんで?」

『対戦車ライフルクラスの機関砲なんて出所一発でバレるだろ。流石につかまるぞ』


 聞こえていただろう瞳さんは手をとめない。とはいえ流石にダメかな? いいとは言ってもそこがギリギリってことだろうし。


「だってさー?」

「砲身だけ、砲身だけでも……!」

『好きにさせろ。いつか使う時まで大事に仕舞っとくなら何も言わねえよ』


 そっか。まあそれならいいのかな。


「リーダーは? ナノマシンの機械は手に入れたんでしょ?」

『俺はいいや。あ、クロスボウのボルト使えそうなやつは拾っといたぞ』

「ありがと。うーん、他には?」

「あ、ねえ、ちょっと聞きたいんだけどー?」


 私の隣で話を聞いていたまなちゃんが口を挟む。来たはいいけど、何故かここでは解体作業をしていない。


『小屋妹か? なんて?』

「ここ軍の演習場でしょ? なんでアメリカ軍の装備があるの?」

『俺の方に演習予定表があった。パンデミックの時期にアメリカ軍の実弾演習があったみたいだな』

「なるほどね。運がいいのか悪いのか」

『まあ、あからさまだよな』

「何? 何かあるの?」

『さあな。ただアメリカでは日本より先にパンデミックが起きてたし、備えは多かっただろうなってことだ』

「少なくとも日本にいたアメリカ軍は抗戦するはずだったのに、何でこんなにあるんだろうなって」


 言われてみれば確かに。というか実弾演習しても良かったのかな? 今後の備えだっただろうに。


『そこまであるってことはセンダイの連中はまだここに来てないんだろ? 状況次第じゃ潰しに来られるぞ』

「これもしかして早めに切り上げて別のところで資材回収した方が良かったりする?」

『話が早いな。アリバイ作りたいならそれがベストだな』

「そうしよっか。お姉ちゃん、いこ」

「……はぁーい」


 撤収開始、と。車両区画を出れば市街地区画からこちらに向かってきていたリーダーと合流する。背負ったバックパックはここで拾ったものだろう。瞳さんは機関砲諦めるんだね。機銃あればいいじゃないですか、とは言わない。以前それで大分絡まれた。ロマン砲の概念は私にはちょっと難しい。


「お疲れ、リーダー」

「そっちもな。ボルト」

「ありがと」

「小屋妹、燃料はどうだ?」

「全然大丈夫。ヨシオカ地区から4号使って戻る感じでいい?」

「任せる」

「おっけー」


 なんだろ? リーダーが狙っていたアイテムを回収したのにあんまり嬉しそうじゃないなあ。何かあったのか、これから何かがあるのか。とはいえこれでまた一つ段階が進んだかな。出来ることが増えたっていうのもある。それにやっぱりチームで動くのは良い。八木さんも悪い人じゃないと思うけど、気心知れた仲間と一緒の方がずっと楽だ。


 後始末を終えて車に乗り込む。リーダーは回収してきた機材を検めている。3つあるけど、普段使用するのは二つだけで、タブレットは間に合わせらしい。性能がいいのがあれば売ってもいいとの事で、その時は私がもらっちゃおう。

 少しだけ懐かしい気分。トウキョウで活動していた時は私とリーダーは別行動が多かった。別行動といっても現場で活動する人員としては錦と一緒に後方支援役。どちらかといえばリーダーの隣は千聖ちゃんの印象が強い。千聖ちゃんはつるっていうけど。

 トウキョウでスカベンジャー集団として隠れ家に集まっていた時。確かに私の席はリーダーの右だった。リーダーの左にドクター、テーブルを挟んで向かって右にエンジニア、左にブランド。千聖ちゃんはリーダーの後ろにいた。そんなことを考えたせいか、昔を思い出してしまった。


 私はみんなが思っているより正しくないし、どちらかといえば流されがち。学生時代、生徒会副会長であった時のような正しくあることはもうやめた。自分に何ができるかなんて考えるのは時間の無駄だ。そういう正しさが正しいだけであることに気付くのには十分すぎる時間が過ぎている。

 会長が好きで牧田リーダーは嫌いだった。良く言えば独立独歩、悪く言えば協調性のないあの一匹狼は口うるさい私には何の興味も示さず、でも会長はそんな牧田を頼りにしていて。パンデミック後に思い知った。正しくないはずなのに、もたらされる結果がすべてと言わんばかりに自己中心的に物事を解決する術を提示する。

 会長が学校に残ると言ったとき、私には離れるように言った。その判断は正しかった。牧田は心底どうでも良さそうだった。でも牧田が間違えないと会長は知っていた。会長は恐らく死んでいる。そして牧田はそれを予言していた。どんな死に様だったのだろう。まともじゃなかったのかもしれない。牧田は何も言わなかった。

 学校を離れて人気を避けて、混乱が続く街をすり抜けて、私は生まれた町に帰ってきた。知っている者は誰もいなかった。いや、一人だけいた。牧田は河鹿に変わっていた。間違えたくなかったから、リーダーと呼び名を変えた。

 彼はきっとこれからも正しくない。でも間違えない。私はただ間違えたくないだけ。分からないことは間違えない人に任せればいい。

 見慣れた横顔の彼はきっとこれからも正しくはないのだろう。正しくあろうと考えてもいないだろう。それを私は正しいと思う。私にとっての正しさはリーダーの正しさであり、唯一その正しさに貢献できるのは何かを狙い撃つことだけ。

 私は中谷里剣。槍も剣も扱えないけど、持って名前に無いはずの弓は上手いとよく言われる、一人の女のなれの果てだ。





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