第9話
目指したニッカワの村落は山に囲まれたほぼ一面の田園地帯の跡だった。緑の一面に東西を横切る道路沿いに疎らに家々が並ぶ過疎地帯。今では無人のようだがパンデミック前から過疎化が深刻になっていたであろう光景だ。村落の南側、神社を囲む山林の間から抜け出た俺たちは一先ずわかりやすい場所を合流地点とするべく田んぼの中にあるフェンスとネットに囲まれた学校跡地に向けてハンドルを切った。
サクナミ小学校ニッカワ分校は1階建てに体育館とグラウンドを備えたとても小さな学校だ。俺は校舎内を東から。千聖は体育館のある西側から。今は体育館のピッキングに勤しんでいる頃ではないだろうか。
校舎内はガラスのスライドドアで各所を仕切られていて児童用の学習机などは角に整えられた状態で置かれていた。通用口に当たる部分では農耕器具が置かれているがビニール紐で囲われ使用禁止の札が下りていた。他にも綺麗に整えられたこの学校はパンデミック前から入る人がいなかった施設となっていたことを察する。
特徴的な三角屋根をそのまま生かしたこの学校跡には特別教室もしっかりと存在していて、工作室の万力が据え付けられたテーブル等、まだまだ使用に耐えるものが多い。意外な掘り出し物ににやにやと笑みを浮かべながら、封鎖された教室を覗き込む。何故かキャンプ道具やリヤカーなどもあり、閉校後はイベント施設となっていたことがうかがえた。
図書室であろう部屋にはブラインドが下がっており、腰の高さ程度のボックスに詰められた本が並んでいる。他のテーブルでは雑誌も置いてある。更には管理用のデスクであろう場所のすぐそばにはありきたりなファンヒーターも置かれていた。廃坑後はほとんど手を入れずに利用していたのだろう。使えそうなものがたくさんあってうれしい限りだ。
一通り校舎内を見て体育館へ向かえば通信機が呼び出し音を鳴らした。思ったより早い連絡だ。
「俺だ」
『私』
言葉少なに、しかしその凛とした声色を随分懐かしく思う。
「小屋姉か。何だ」
『もうすぐニッカワの蒸留所』
「蒸留所脇を通ってニッカワの村落に入ってこい。小学校跡地にいる」
『わかった。じゃあ後でね』
「おう」
端的な連絡だが非常にスマートで何より。小屋姉妹はどちらも対照的な性格だが、姉は特に静かで激しい。一度鹵獲品の銃器を与えたらえらく興奮していたことを思い出す。共同作戦で隊員の隊員証といくつかの資材を持ち帰り、運びきれなかった銃器類をひそかに小屋姉妹に流したことがある。官給品の機銃やらを抱いて寝ていたと言ったのは小屋妹だったかアーチャーか。一応治療した身としては元気そうで何よりと言ったところだ。
一度切り上げようと体育館へ向かえば、随分と懐かしい音が響いてきた。所々つっかえながら、しかし曲だと分かる程度に鳴り響くピアノの音に少しだけ呆れるが、俺もこの辺りには気配を感じないとか言ってしまったしな。
締め切られた体育館のドアを開ければ予想通り、ピアノを弾いていた千聖の姿。扉が鳴らした重い音に顔を上げた千聖と視線が絡み合う。一度視線を切って、もう一度俺を見て演奏を止めた。
「もう少しで到着だとさ」
「はーい」
ピアノ弾けたのかとか、習い事をしていたのか、なんてことは聞かない。そもそも元群狼で過去を知る者は学友であったアーチャーしかいない。他のメンバーについてもお互いの過去を掘り返したり相談したりしていたやつはいない。特にこだわりが無いという事もあるが、脛に傷を持つのは一人ではない。俺自身も気にしたことはないし、なんなら俺に対し不都合なことをしそうであれば、その都度俺と他数名により処分が下されていた。その気はなかったが群狼という組織、いや集団は随分と俺が強権を振るっていたのだと思える。当時はそんなことを考えられないくらいには幼かったのだろう。余裕もなかったが、よく見るこの世に絶望したような人間たちに比べれば、きっと随分余裕のありそうな表情をしていたのだろう。
何度か辛くないか、大変ではないか、なんて聞かれた記憶もあるがそのたびにこう返していた気がする。大変なのはこれからだ、と。後の群狼の拡大の仕方を見るに随分良い受け取られ方をしていたようだ。
体育館はバスケットボールのコートがぎりぎり1面取れるような少しこじんまりとしたサイズだった。角にはピアノがあり、逆のサイドにはキャリアーに収まったパイプ椅子が一塊ほど。2階の高さにある暗幕はそれぞれまとめられ光が差し込んできている。開け放たれた倉庫にはマットや跳び箱、いくつかのボール類にバドミントンやバレーボール用のネットにそのポールなどもある。
千聖は丁寧にピアノを片付けていた。演奏の腕はまだまだだが、ここでならある程度好きに弾けそうだ。そんな言葉を胸にしまい込んだまま、俺は体育館を後にした。
「千聖~」
青いツナギにショートにまとめた髪が快活さ引き立てていて、今千聖に駆け寄って行ったのが小屋姉妹の妹の方、愛美だ。
「久しぶり、リーダー」
「また派手に暴れていたようで」
スキニージーンズにブーツ、ブラウスにジャケットと綺麗めな格好なのに担いだ狙撃銃がやたら物騒な女性がアーチャー、学生時代の同級生でもある
「……匂いが新しい。掃除した?」
「ただの後始末だな。まあよくあることだ」
「アンタのよくあることは俺らの非常識なんだが」
元ゾンビ症患者の小屋姉妹の姉、瞳は身体能力、感覚器の鋭敏化が顕著で俺の匂いで何をしてきたのか察したようだった。顔を顰めているあたり相当匂っていそうだが他の二人は首を傾げている。
「リーダー拠点ってどうするの?」
「俺はこっちにつくるがお前らは町の方がいいだろ」
「え、田舎で一人暮らしすんの? 物資とかどうすんの?」
「しばらくはこの辺りにある素材売って何とかする」
「何とかするとは?」
「俺が持ってるマザー細胞の操作にナノマシンユニットがあれば、クローンをつくる手間の半分以上はカットできる。時間はかかるがな」
そもそもあの魔法生物は魔法でざっくりとした操作ができる。なんなら植物を成長させる魔法なんていうのも使える。ナノマシンユニットが必要な理由は言語による操作が可能な点が最大の利点となる。
そもそも俺が言っているナノマシンユニットとはアメリカで生産されている変異結晶の感応現象を利用した操作ユニットだ。現状ではごく一部の研究機関でしか使われていないが、それは使用した変異結晶の種類が少なかったからだ。
変異結晶の感応現象とは、変異結晶が発する呪いの種類ごとによってゾンビ症の罹患者が特異化するのと同じように、生存への渇望、不安の解消、破壊衝動などに反応しやすい作用を利用したもので、それぞれの得意な方向へのナノマシンの組み込みが必要となっている。
過去に製造されたナノマシンユニットは使用した変異結晶の種類が少なくて動作不良が多く、また変異結晶の情報を隠蔽していたため評判はガタガタだった。バージョンアップしたもの、実用に耐えうるものは既に数年前に製造発売されているのは知っている。
極小の変異結晶であれば人体での症状はなく、発症までは長い時間がかかるという結果が出ている。つまりは変異結晶を取り込むことでゾンビ化は始まるのだ。ただしその感応現象について打ち消し合う変異結晶を取り込むことで一時的に変異結晶の肥大化のプロセスを抑制、阻害できる。これがゾンビ化の抑制薬の正体だ。
さて俺がそんな変異結晶をもちいたナノマシンユニットを欲しがる理由だが、俺にとっては変異結晶を取り込むことによるゾンビ化を魔法で無視できるという手段があることが大きな理由だ。極少量を取りこみかつ体内に蓄積させても魔法で呪いを解除することで変異結晶の生成、肥大化プロセスそのものを無効化できる。
ナノマシンユニットを使ってゲノム編集を行い、クローンを培養する。変異結晶をもつマザー細胞によって生み出されたクローンは変異結晶の製造プロセスを持つが俺でもマザー細胞でもいいが呪いを解除すれば、あとはそのままクローンを製造するだけだ。その後は別の個体のクローンを培養してもいいし、広い敷地を使って農地や放牧地などにしてもいい。そのための実験施設の代用地として人目につかない場所でもある蒸留所を選んだのだ。
ざっくりと俺のプランを話すと二人とも苦笑いを浮かべる。
「気の長い話ね」
「でも長い目で見れば必要なのは理解できる」
「海側を選ばなかったのは何で?」
「海側に行く理由がないからな」
「そう? 行こうと思えば行けるんじゃない?」
「今回はあくまでセンダイへの異動に無理なく組み込めるプランを選んだ。お前ら狙われてるって忘れてないか?」
「ああ、そういえば」
「あの紫爺まだ生きてんのかよ」
紫爺というのはトウキョウにある都市防衛隊という組織の中でも、中央防衛隊の参謀役を担っている壮年の男性のことだ。なぜか紫色のスーツを好んで着ていることからそう呼ばれている。そして長年俺たちを狙っている因縁の相手でもある。
防衛隊、俺たちは総じて軍と呼んでいるが、その原因がこの男にある。元々防衛政策局にいたのはわかっている。そこから何故かゾンビ対策本部の防衛政策局局長として対策本部作戦参謀として参加。中央防衛隊の作戦参謀として前時代的な作戦を唱えることが多いらしく、また政府とのパイプ役を担っている。
まあ残念ながら本人は前線に出たこともなく、また政府の犬と化していることから軍の前線勤務の連中には頗る評判が悪い。元々アウトローな存在として見られていた群狼も最初はあまりいい目で見られていなかったが、命を懸けた戦場で信用できるのは相応の強さと同じ敵を持つことだろう。
群狼としての活動を終えてから、俺たちが研究所所属になってからも何故か研究所の警備部隊を指名してきていた辺り相当鼻についたというか、目障りだったのだろう。研究所や軍の一部から目の敵にされる可能性は考えていたが、政府の一部から目を付けられるほどうまくいくとは思っていなかった。
とはいえ、原因は非常にわかりやすい。土地の権利、排除した組織や獲得した物資など。逆にそこから辿れば誰がこちらを狙っているか調べられるくらいには情報網は築いていた。
紫爺こと
真栄城周辺の情報を漁っていたときに浮かび上がってきた
国内の製薬会社によるゾンビの抑制薬が出回り始めてから活動が活発化し、生泉の顧客には大臣職を務めているものまでいる。扱っているのは人間、ゾンビ、抑制薬等で、時折伝手を求めて貢物となるものを探すため都外の組織と繋がっているという情報を掴んでいる。
ちなみにそのうちの約3割、都内の組織は俺たちが潰している。それに腹を立てた生泉が俺たちに敵対している大本の人物となる。ただし取引量から考えると個人でやるには多すぎるので組織として動いていると予想しているが、身代わりを差し出されて損切りされる可能性もあったため今まで反撃せずにいたのだ。
とはいえ、さすがに長きにわたる取引とその量はなかなか隠せるものではなく、壊滅させた組織から出てきた抑制薬のロットナンバー、律儀に残していた取引の証明書。ある程度の取引の証拠は既にエンジニアが用意しているので、事態の大きさが明らかになる、注目度の高い状況になった時にたった一度反撃をしようと考えている。
「それに関しては任せるが、今は時期が悪い」
「拠点ないから?」
「それもあるけど、ミヤギは空が強い。ドローンの哨戒機あるんだろ?」
「それな。図面はゲットしたから対策は出来るはずだけど、対策したらしたでね」
「ゾンビのせいには出来ないか?」
「無理じゃない? ていうか哨戒機こっちに来るかな?」
「来るだろうな」
そのための魔法も用意してあるが、正直実証実験が不足していることもあり、効果は不明だ。
その名も結界だが、結界というものもいまいち構築が面倒というか厄介だ。既存のものがあれば踏襲するし流用したいところであるが、効果のほどに不安がある。最初に思い付くのは魔を退けるというもの、内と外を隔てるもの、領域を指定するというもの。ドローンの観測、測定方法によって必要なものが変わるので、図面があるなら完成度は上がるはずだ。本当に効果があるかどうかは試してみないと分からないが。
「そもそも、センダイは平野部の開発が至上命題だ。海側の土地を開発するだけで生活しやすさが大きく変わる」
「開発完了する頃にはゾンビいなくなってそうじゃね?」
「そうなりゃきっと海から来るよ。生物兵器ゾンビとか使ってな」
「……そんなことあるかな?」
「隣の芝生が青いのは世界共通だろうからな。今あるものを良くするより、既にある良いものを奪う方が手っ取り早い」
まあ実際そうなるかは別として、そういった計画が存在していたのが前作、『ZOMBIE×ZOMBIE Ⅱ』の世界にあった真実だ。つまりはこの世界にもそんな可能性が存在していたことになる。ただし、ゾンビを増やして敵対国にぶつけようという大雑把なものだったのに対して、日本で複雑なことし過ぎなんだよパブリッシャーめ。
壁批判はここまでにしておき、今後の立ち回り方をそれぞれに説明しておく必要がある。これまでは原作外のことで何が起こるか分からなかった部分もあるが、此処からならある程度情勢の変移が予想できる。戯れていた小屋妹と千聖を呼びこれからのことを説明する。
「ここで拠点を立てるが、俺は蒸留所の確認をしたい。マザー細胞の培養からのクローン技術の起点にする予定だ」
「クローン? つくれるの?」
「実験用のマウスでは成功した。あとは植物や魚類も可能のはず」
「お肉食べられる?」
「クローン元の鶏が必要になるな。牛豚馬なんかの実績があるやつでもいい」
「センダイにいたはず。養鶏場の鶏だけど、警備も値段もそこそこヤバいわよ?」
「金で黙るならそれがベスト。野生の鳥も考慮だな。足がつくことは避けたい」
「他にも探しとく」
小屋姉妹は肉が食べたいらしい。随分いい生活してるな。まあ腕のいい運び屋はどこに行っても重宝される。特に二人は20代後半で貫禄と共に垢抜けた印象を持つ姉妹だ。依頼者のハートもがっちりつかんでいるのだろう。
「頼む。魚はどうだ? 川魚の養殖は可能なはずだが、可食部少なめの魚を数増やす方向で考えるか?」
「あーそういうのもあるのか。海水じゃなくても育つ?」
「あー、どうだろうな。要実験だが不可能じゃないはずだ。鮭とか鰻なら話は早いんだが」
「天然物の鰻! 探そう探そう!」
「楽しそうだな」
訂正。小屋姉妹食いしん坊だった。
「私達はどう? 何かすることある?」
「好きにしてもらっていいが……逆に何がしたいとかあるか?」
「お風呂!」
「温泉近かったよね? 源泉から引いてこれないかな?」
「じゃあタスクとして追加しとけ」
「はいはい策定は俺がやりゃあ良いんでしょ」
元群狼は水回り、と。ここはたしかセンダイの生存圏へ配水している浄水設備の一部範囲内だったはずだ。災害用配水設備や緊急時の給水所の場所を調べておく必要もあるか。川沿いだから時間的には少し余裕がある。排水用の設備もマザーを使って濾過することは出来そうだが、こっちは要実験。
「錦は何かあるか?」
「機械いじりが出来れば。あとは工場とかあればベスト」
「ちと離れるがあることはある」
「何か問題ありそうじゃん」
「電源、距離、資材、後は血臭」
「最後のが特段嫌すぎる」
安心しろ。恐らく無事だ。というか普通の自動車工場の設備かもしれんが、どうやらスポーツ用のチューンアップも出来る工場だったらしく、もしかしたらこれまで見たことないようなパーツだってある可能性がある。驚くと良いさ。
「私達は?」
「これまで通りで。拠点あるんだろ?」
「あるけどさあ」
「聞きたいことがある。ここで生活基盤を築くのは良い。でもそれだけじゃないでしょ? どこか含みがあるように感じたけど」
小屋姉の質問は当然と言えば当然か。とはいえこれからは特に隠す必要もないか。外部協力者のつもりだったがすっかり仲間みたいになってるな。特に勧誘したり、強請った記憶は、まああると言えばあるんだが。
まあ多分姉を心配する妹の気持ちを尊重した姉の判断、だろうなあ。
「ここでの生活が出来るようになれば、恐らくどこにでも行けるだろ。生活を始めるにあたって必要な技術のノウハウの蓄積、これが主目的だ」
「え、更に移動するってこと?」
「そうなってもいいように、スタートの仕方を経験するための場所と機会だと考えてくれ。居場所にこだわる必要はない。生活を大事にし過ぎて土地と共に死ぬ、なんてことをするつもりはない。ここがダメになったら次に行く。それだけだ」
「わかった」
「了解」
「オゥケー」
長い関係性だからだろうか。群狼からの付き合いがある3人はすぐさま返事を返す。
「マジ? みんな覚悟決まりすぎじゃない?」
「私もいいよ」
「え、おねえちゃん?」
小屋姉もか。まあ賛成多数で押し流したいんだろうな。仲間がいることの重要性を理解しているのだろう。特に自分ではなく、妹に。
「定住先探してんのか? 政府の管轄地ならそれなりの暮らしできるだろ」
「じゃあなんでそうしないのよ」
「お尋ね者だからだが?」
「だが? じゃないわよ! なんでみんなは平気なの?」
前半と後半のテンションが違いすぎる。これ別に怒ってるとかじゃなく、俺に対する元群狼の3人の信用が気になってるだけだな。
「リーダーは間違えたことないから」
「多分マックスが最強」
「それな」
最強とは。千聖と錦は後で訓練でもしようか? 最強が教えてやるぞ? ん?
中谷里はまあ、パンデミック後からずっと一緒だから。話をするようになったのもパンデミック発生後からだが、同郷、同級生、同い年など。共通項が多いと共感しやすいのか、それともこの10年で築き上げた信頼が為せるものか。流石に間違えたことが無いは言いすぎだと思うが。
「こいつらをここまで連れてきた時点で契約は一先ず完了だ。これから先は別々の道を行く、でもいいぞ?」
「あそっか。対価は」
「官給品の機銃」
「そうだった……」
「最近はあれで殴るのがマイブーム」
「壊れるからやめとけ。弾ねえだろ? 一応少しなら持ってるぞ」
「ください!」
回収してきた弾丸の残りがあることを伝えた瞬間、小屋姉のテンションがぶちあがった。この豹変っぷりはたしかにちょっと心配になるな。
軽自動車を指させば小屋姉がびゅんと音を立てる勢いで移動し、荷台を漁り始める。
「あーんー」
「まなちゃん、リーダーとの取引ってそんなにまずかった?」
「えー? いや、まあ確かに美味しいと言えば美味しいんだけどー」
「何が欲しいか言ってみろ」
小屋妹なりに何かの懸念があるからこそこの態度なのだろうし、それぐらいは聞くさ。
「欲しいってわけじゃないけど、これからはゆっくりできるかなーって考えてたから、まだこんな生活が続くのかって思うと、いろいろと思うところがあるわけでして」
「車の運転だるいとか?」
「燃料費とBDF売りのおっさん見るたびに嫌な気分になるけどそうじゃない」
「BDF売りのおっさんは羽振りがいいから女性限定サービスしてる」
「サービスするのが逆ってことか」
「それよ」
「ちなみに電気自動車は?」
「まだ無理」
「まだ?」
「変圧所のバッテリー載せたらすげえのできるんじゃね? って構想がある」
ああ、センダイ西の変電所の蓄電池か。え、それマジでいってんのか? というか作るのか?
「理論上は可能。ただパーツがないからそこから着手する必要がある。そこが難しい」
「問題は変圧器と充電方法ね。出来なくはないけど充電にいちいち時間がかかるようなのはしたくないなあって」
「南の変電所の蓄電池使おうとしてる?」
「そうだけど?」
「そうだけどじゃねーよ。あーでもここを離れることになった時までに技術確立しておけば便利にはなる、か?」
「でしょ?」
「何でセンダイに打撃与えようとしてんだ」
「BDF売りのおっさん」
「恨みが深すぎる」
確かに便利にはなると思う。主に正体の偽装。更には主人公達防衛隊の誘導。
正直今持っている道具で蓄電池を確保できるかはわからないが、一つ失った程度で電力供給に問題が出るとは思えん。一時的に停電はするとは思うが。
とはいえ流石に冗談らしい。因みに電気自動車と専用スタンドがあれば後は配線し必要に応じて変圧器を噛ませることで何とかなるかも、とのこと。
「電力自体はどうする? 蒸留所に関しては一部自前の火力発電装置なり、元々備蓄してあるだろう燃料もあるはずだが」
「ソーラーパネルあるんだろ? ある程度の大きさのバッテリーがあれば家の生活で賄う分は問題ないはず。自家消費型の家に住むより、倉庫改造してソーラーパネルとインバーター、バッテリーつなげてコンセントなりで配線すれば、一応整えることはできる。チャージコントローラー、トランスあんならそのへんのパネルぶっこ抜いて並べて使えるようにするぜ?」
この辺はエンジニアの領域だ。情報系だけかと思っていたが電気工事に関する知識や技術も勉強していたようで、頼もしいな。
「マ?」
「家の電気、エアコン、パソコンとかは問題なく使える」
「お風呂は?」
「ポンプと配管、それから湯沸かし器はちょっと考える必要ある。電気給湯器って実物見たことないんだよな」
「温泉ひくことを考えるか?」
「若しくは源泉近くに入浴施設を整えるか、だな。過去のオカルト系雑誌に秘湯マップがあった時はちょっと目を疑ったけど、一応いくつか源泉はあるらしい」
「それお湯以外にもでるやつじゃん」
「そうだな。でもゾンビよりマシだろ?」
「ゾンビの方がマシ!」
まあ得体のしれないものって確かに怖いよな。むしろそういう存在が出るならちょっと魔法を試してみたくもある。ゾンビよりマシ派であるからして。
「まあこのくらいでいいだろ。悪いがまだ村内を詳しく見ていない。地図じゃなんともな」
「橋はあそこだけ?」
「恐らくな」
村内での拠点も必要だろう。俺としては奥まった場所がいいかと思ったが、村の最奥にはセンダイ、ヤマガタ間をつなぐ鉄道の駅がある。正確にはあった。現状はわからないが場合によってはその線路沿いから見えない位置にするか、逆に対ゾンビ用のトラップなり忌避剤なりの設置をする必要があるだろう。もちろん魔法でもいい。
川を隔てた北側には幾つか飛び地ともいえる土地があり、川のうねりに合わせて橋の架かった飛び地とかかっていない森に囲まれた地区などいろんな条件の地区が存在している。
国道に繋がる村落の中央を東西に横断するメインの道路を、途中の斜面にある森林地帯で封鎖すれば比較的近い場所に土地を確保できる。いろんな使い方が出来るが、どうしたものか。
一先ずは橋よりの土地、西側の奥まった土地、この学校周辺と3手に別れて探索することにする。俺は奥側だ。
戦闘可能要員として2名を端に近い側に置く。ここは千聖と中谷里だ。学校は一番物資がある場所と仮定して印東と小屋姉に。そして件の西側を俺と小屋妹で回ることにした。緊急時の運転要員として中谷里が運転技術を習得していたらしく、ピックアップトラックの運転席に乗り込む姿は様になっていた。
西側は基本的に北側に森林を見ながら向かうことになる。柵に囲まれた木々を見て何の種類かを予想したり、ビニールハウスの骨組みだけが残る畑の後を見て何か作物がないかを探したり。
「あ、結構立派なお屋敷」
「いかにも田舎の豪農みたいな家だな」
「それならいろんなもんありそうじゃない?」
「調べるか」
思った以上に綺麗な状態で残った和室を味わおうとした小屋妹を窘めつつ、屋敷に風を通したり。今この時だけはゾンビ溢れる世界というのを忘れそうになるのどかな平穏を味わっていた。
広い土地にぽつんと立つプレハブ小屋の傍には薪が置かれた小屋が立っていたり。ニッカワの蒸留所の倉庫と思しき場所を見つけてフェンスをよじ登ろうとする小屋妹を押さえつけたり。なによりソーラーパネルを備え付けたログハウス風の家を見つけた小屋妹の欣喜雀躍っぷりは20代後半の女性とは思えないような微笑ましいものだった。使えるかはどうかは別として比較的綺麗な状態で残っていたクレーン車や乗り合いバスも残っていたりと、意外なほど物資や資材が充実していた。
西の端では砂利道の奥に高架をはしる線路があった。ここが恐らくセンダイ、ヤマガタ間をはしる線路なのだろうが、どうするか。ニッカワ側に来る可能性を考えた場合、処理用のトラップではなく探知用のトラップと道中で時間を稼ぐ方向で考えるべきか。
こんなところに人やゾンビが来るのかという疑問を持った小屋妹には悪いが、そういった可能性すら潰す用意があるのとないのでは生活しやすさが違う。何より俺個人の能力に頼らない、既存のシステムが構築できれば全員がすぐに対応できるだろう。元群狼のメンバーはもちろん、小屋姉も直感に近い感覚器の精度があるので気にし過ぎと言えばそうなのだが。
「こんな感じかなー? お腹空いたー。お昼食べたーい」
「何か持ってきたのか?」
「レーションとかもあるけど私カレー食べたい」
「具無しのカレースープとか?」
「魚肉ソーセージとか水煮缶とかはたくさんあるんだけどねー」
主食となるものは手に入りにくいらしいが、それでも手に入れることはできるらしい。何故かと問えばホッカイドウや海外、特にアメリカの存在が大きいらしい。収穫量は少なくとも米や小麦は一応入ってきているとの事。軍と仲良くするとそういう事もあるといった小屋妹のいたずらな表情は、きっと俺が思ったより多くの経験を積んできたことを覆い隠すほどの屈託のないものだった。
一度学校跡に集結し、食事をしながら情報の共有を行う。どうやらこの学校跡にもソーラーパネルが設置してあるようだが動作していないようで印東がチェックしていたらしい。東側では比較的新しい家が多いらしく、その車庫からバイクやトラクターを見つけたとの事。
燃料が貴重なこの世の中でガソリン車の需要は低い。燃料の高騰もあるが何より原油産出国のゾンビ被害が深刻で、その影響で原油の産出や運搬に支障が出ているのだ。パンデミック後数年は特にひどく、今となっては比較的安定してはいるがそもそもそれどころではない状況になっている国が多いのだ。
日本でも現状取引量は僅かで原油は燃料よりも石油化学製品に回されることが多い。つまりはプラスチックや合成ゴム、化学繊維や塗料などだ。ガソリン車は前時代のものとなってはいるが、だからこそ再利用すべき大量の資源として注目されている。特にそのまま流用できるバッテリーやタイヤにシートはわかりやすく売れる。売り先は限られるが車体やそれに付随するガラスなども売却できる。マフラーをつなげてダクトや煙突に利用していた人もいたらしい。専門知識は必要になるがエンジンやラジエーター、エアコンシステムはコンプレッサーだけでも売ることが出来る。
車というだけでは廃資材だがバラバラにすることで多くの資材となる宝の山なのだ。そう力説する印東を隣に、荷台に中谷里を置いて北側へ向かう。
ニッカワには国道に近い側のニッカワ川の南にある山中の土地と、その西にニッカワ川を挟んでもう一つ山中にある住宅地がある。俺たちが向かうのは橋を越えた先にある土地だ。もう一つの方には残りの3名が向かっている。
閑静な住宅地というには少し野性味あふれるというか、鬱蒼とし過ぎているというか。橋を渡った先にある広場も木々に遮られていて、家と家の間にある空き地も草木が繁茂している。とはいえ山の斜面にあるためかコンクリートの道は日が差しているからか比較的明るい印象がある。
家々も疎らながら既に廃墟かと思えるような家から、ぽっかりと空いた空間に建つデザイナーズハウスのような家まである。
「地図じゃあ電気屋やアトリエぐらいしかなかったんだけどな」
印東は各家の倉庫を中心に調べていたが思ったより大量の資材を見つけてご満悦だ。CD管、PF管と呼ばれる電線管らしい。また近くの空き地に転がっていたカバーや長い脚立などからそういった設備類があるのではと探してみれば工具や数種類の電線も発見していた。軽自動車は置いてきているため今は見当をつけるだけだ。回収しやすい位置にまとめるくらいはするが。
他にもいくつかオフィスとして使っていた建物もありPCやなかには非常用電源装置などもあったらしい。らしいというのは、俺が一人で道の端を調べていたからだ。
この住宅地は小高い山になっていて、周囲の南半周をニッカワ川に囲まれているという場所だ。東の端はニッカワ川を見下ろす崖とその近くに汚水処理施設があって驚きもしたのだが、此処にだけある理由というのがきっとあるのだろう。
山の斜面に沿って登っていた道から、今度は下るように西側面を一本道が通っていた。ついた道の終端に建っていたのは予想通り浄水施設だった。つまりこの地区だけ水利が独立している可能性が出てきた。
一旦それぞれの情報を取りまとめ連絡を取る。他の3名も意外な収穫に跳ねるような声で応答していたのが印象的だ。しかし再会した時には小屋姉を覗く二人からは元気が消えていた。
「どうした?」
「今日の家に推薦しようとした家があるんだけど」
小屋姉の話では集落手前にある大きな三角屋根の家を見つけたので最後に調べ、良ければ仮拠点にという事だったらしい。しかし中を調べてみればそこは介護施設跡で、いくつかの白骨死体があったらしい。
少し変な気もするが印東は納得していた。自分の家を離れるという判断をしなかったのかできなかったのかはわからないが、少なくともそこにいる判断を下した人がいたのだ。周辺から人が消えている辺り多くは逃げたのだろうが、あえて残った人の可能性もあるとのこと。聞けば複数の人間の分があったらしく、遺体はベッドの上に安置されていたらしい。
ふむ。世話をしていた人がいるなら、臨終を見送ってから自分もそこに眠るか離れるかをするだろう。特にこのニッカワの土地は山頂の東側、メガソーラー近くの集落とは違い人やゾンビに荒らされた様子もない。
入口に何もなかったこの集落と、東側のバリケードがある道とではどちらが人やゾンビが入りやすいか。人はバリケードがある場所に向かうだろう。仮にこの集落に来ていたとして、物資が無ければ普通は離れる。もう少し進めばセンダイにたどり着くのだからそこまで頑張る人の方が多いはずだ。そして一時的にでも情報を得ようとしたらバリケードを張ってゾンビに備えている、つまりそこを拠点として利用している人がいる場所へ向かう。
調べていない家にもしかしたら遺体が残っている可能性はあるが、少なくとも魔法による調査では不可能。時間も手間もかかるし優先度も低い。
ただ少しだけ引っかかっている部分もある。石田という女の抗体持ちの人間だ。基本的に変異結晶の有無で生命体の判別をしているが人間代の大きさに絞っている。つまり現状の探知の魔法では犬や猫、鳥はかからない。ただし熊はきちんと引っかかる。方向や移動の速度、反応の大きさから人かゾンビか熊か感染した熊かは判断できる。とはいえ、だ。何故俺はあの女を狂人だと判断した? 思考が偏っていた気もするし、妥当な判断だった気もする。
今後此処で生活するのであれば半径500mほどの生命反応の位置測定とは別のアプローチが必要ではないかと考えている。現状の探知魔法の測定方法は生命と変異結晶の励起状態に反応する。魔力と呼ぶ目には見えない力を発して反応を返してきたものを判別するソナーのような魔法だ。
理想は更に遠くを知ることが出来るようになる魔法が望ましい。測定法や測定理論を考えつつ、シンプルに魔法を鍛えるというファンタジー要素も考慮に入れると、もう少し腰を据えた段階で考えるのが吉か。
ともあれ仲間たちを迎えて、俺は一先ず学校での情報の集約を提案する。
何があるのか、何をするのか、何がしたいのか、何をすべきか考える時だ。
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