第8話


 ソファで寝ていた千聖を起こして荷物を積み込んで出発したのは午前3時ほど。十分な休憩を挟んだからか千聖も元気だ。しっかりと警戒しているようだがそちらは川沿いでほぼ崖、木々が生い茂る目隠しもあって見るところは特にないが。

 アキウ市街地に入るための橋を渡って裏通りとなる道沿いを西へ。目的の道は隣ナトリ川に合流している小川を遡るように進んだ先にある山道になる。橋を渡ってから北へ向かって道を進めばその道へたどり着く。その先は地図上では遊園地跡と僅かな住宅地があり、北へ向かって山を下りれば目的のニッカワになる。

 探知しながらも目的の合流地点にたどり着く。裏道かと思っていたが周囲の道とは違ってしっかりとしていた。




「この上の道何でしょう?」

「動物用らしいぞ」

「嘘だあ」

「ほれ」


 突き当りまで続いていた道の手前の立体交差には動物用通路の文字が。いや、この暗さじゃ難しいか? とはいえこれまで車のライトは一度も使っていない。単純に俺の暗視だけで進んでいる。


「よく見えますね」

「目がいいんでな。窓出来るだけしめとけ」


 そういう俺は眼鏡をかけているがこの暗さじゃ反射する光もない。フードからわずかに覗く目の明かりしかないのかもしれない。俺は車のライトをつけた。


「あ、さすがにライト付けますか」

「暗さより視界の悪さがな。夜目がきくと言っても単純に視界が悪い」


 まあ嘘なのだが。この道にはなぜか排水溝もあるようだし。落ち葉に埋まっていて見えないがガードレールが少ないくらいで割と普通の道だ。周囲に生い茂る木々のほうが邪魔なのは本当だ。

 坂道を登り、徐々に視界が開けていく。未だに真っ暗な星空がほんの少しだけ近づいたような感覚。左手に遊園地跡。右へは片側1車線のコンクリートの道路。さて目的地へは目の前にある細い山道を再び走らなければならない。


「左って何があるんです?」

「遊園地跡」

「えっ」

「にできたメガソーラー」

「……右は?」

「住宅地だな。時間あるし先にこっちを潰すか?」

「合流って何時くらいなんです?」

「さあ。来たら連絡くるだろ」

「蒸留所に用があるって言ってませんでした?」

「そうだけど、いずれ行くところだし、近い所からって考えだな」

「じゃあそうしますか」


 探知を使いながら大通りを進む。頂上付近の集落を素通りし、徐々に坂を下りながら中腹の団地を横目に国道との合流地点が見えるところまで来た。しかしある意味予想通りの結果となっていた。

 国道に繋がる道に架かる橋は車で埋められ、ご丁寧に道路の進行方向に対して垂直に複数台の車が並んでいた。あからさまな封鎖方法だ。一度千聖と視線を合わせる。


「封鎖されてますね」

「乗用車を使ってってことはさっきの住宅地に住んでるやつの仕業だ」

「住んでる?」

「ああ、住んでる」


 探知にもしっかりあった人間の反応。更に感覚を強化して感じたのは、強烈な血の匂いだった。


「戻るぞ」

「了解」


 切り替わった。サイコパスの相手は何度もしてきたし、別に今更迷うような精神はしていない。

 車を使ったバリケードはあるのに大きく壊された様子はない。汚れてはいるが遺体はない。少なくとも人型なら交通可能である。総じてここで組織的な抵抗が行われた様子はない。つまりここを通れるのは自分の足で来た者のみ。そしてこんな僻地に来るのはここに家がある者かゾンビのみ。因みにニッカワの蒸留所は別の入口がある。裏道を通るより目の前の道を出て国道を山へ向かって走ればすぐに蒸留所が見えてくる。

 守るためのものではなく選別するための入り口で、この道に誘導装置があればほぼ確定だ。何らかの目的でゾンビや人を収集している。そして先ほどの血の匂いを考えればろくなことに使ってはいまい。反応はゾンビ化していない人間の反応だったが、そんなものがどうでもいいと思えるような存在かもしれない。

 人間追い込まれると本性が出るというが、本来出ない方が平和だったモノも多い。危機的状況だからこそ理性的な行動が求められる。それがモラルというものだ。しかし、人間というのは元来動物だと考えることもできる。一つの命として生存を優先させたとき、その発達した脳を使って出した答えが必ずしも正しいものである保証はない。千差万別な命。そういうニッチな存在だと俺は考える。


 山頂方面の集落までの道を戻る。今度は道や家々をしっかりと見ながら徐行するが、やはりどこか不自然だ。壊された家がない。しかし誘導装置の様なものもない。既に随分と時間が経った後なのか、匂いもどこか土や緑の匂いが強く、しかしそれに交じる血の匂いが何故か懐かしさすら思い起こさせる。

 パンデミック後のトウキョウで、軍と共にある作戦に参加したことがある。生存域拡張作戦の最中にあって軍に反抗を示したある集団の掃討作戦、その直前にあったとある精肉店での一幕。詳細は語るまい。その店主の作業風景をほんの一瞬、首を落とすその前まで見たことがある。その店主は血まみれの加工場に中心にありながら、魔法を使って背後から近づいていた俺に気付いたのだ。とっさに麻痺の魔法をかけてすぐに始末したが、あれ以降そういったおかしくなった人間、サイコパスに対する警戒度は大きく上がった。因みに気付かれた要因はおそらく匂い。あの血中にあって嗅覚が麻痺するでは無くさらに鋭敏になっているとは考えつかなかったのだ。

 翻って、この人間はどうか。パンデミックから10年。一番気になるのはその生活を維持するのに食料をどう都合していたのかという点だ。その答えがあの人だけ通れるようにしたあの道だと俺は考える。割と頭がおかしいことだとは思うが、食料が勝手に届く方法として考えれば俺は納得できる。そもそもカニバリズムという特殊性癖をもった人間は、この世界では飽きるほど見てきた。腹を満たすため、ゾンビになるため、ゾンビ耐性を得るため等々。そういった前例を見ればああ、今度はそういうパターンかと納得するというものだ。

 誘導装置に使っていそうなのは簡単なもので音響装置かと思ったがスピーカーの類は見えない。改めて見てみると、一つの可能性に思い付いた。これは偶然だと思うが先の精肉店店主の始末をつけた後、掃討作戦の本番で使われたゾンビの誘導装置を思い出した。当時は変異結晶の応用研究の初期段階、ゾンビを生物として科学的に研究していた研究員によるフェロモンでの誘導方法があった。

 正直まさかとは思う。しかし精肉店店主は素材の吟味をしていたことからゾンビの味や風味の違いを認識していたはずだ。少なくともゾンビには人間の頃の、フェロモンをかぎ分ける能力があり、それを知ったここのサイコパスも同じことに気付いて実行した可能性はある。

 そうしてよく見てみれば道路沿いに立つ木々の枝や誘導用のポール、突き立てられた柱や杭に架けられた衣類の一部にはビニールの残骸が付着しているようにも見える。しかし、そうか。これが仮にゾンビの誘導装置としての役割を持ったものなら随分と更新されていないように思う。既に死に体なのかもしれない。逆にある程度貯蔵してある可能性だってある。

 強い血の匂いが漂う場所で一旦停車する。ここからではよく見えないが、奥の開けた場所に林があり、そこには何かがたくさん吊るされている。おおよそが紐のようになった衣類だというのはわかったが、その下に積もったものを見て匂いの原因を理解した。


「一旦中止だ。朝まで待つ」

「……了解」


 千聖も見つけたのだろう。声が固い。訓練は欠かしていなかったはずだが、確かに少し久しぶりか。先の襲撃も俺が処理してしまったことだ。

 基本的に対ゾンビにおいて気を付けることは人間だと思わないこと。逆に対人戦闘は基本的に距離を取って火器で制圧するほうが確実だ。もちろん近接戦闘も重要だが暗殺は俺が、対多数の近接戦闘は千聖が得意とするところだ。

 朝まで待つことにしたのは道の両脇に立つ門柱のような角材とそれに取り付けられた機械類だ。道の内側を剥向くようにライトが設置されていてカバーが掛けられた部分にあるのがスピーカーだろうか。成程、山頂から降りてきた場合は通り過ぎるその時まで見えないようになっていたのか。登って来れば奥が見通せるという事は少なくとも人間を招くような作りではない。相手はゾンビに並々ならぬ思いを抱いている人間ということでいいだろう。

 ともあれそんなところに馬鹿正直に正面から入っていく必要はない。何かしらの理由があろうと、そんなものはどうでもいい。丸見えの地雷をわざわざ踏んで歩く人間はいない。どこかしらと繋がりがあったとして、此処までくる必要があるのか、こんな場所で生きている人間にどんな目的があるのか。

 少しだけ血気に逸っていたのかもしれない。例えば、此処が研究所であったとして、資材や物資を航空機で投下する形であったとして、それで尚且つこの人間が人類にとって目覚ましい成果を上げていた人間だったとして、どうすべきか。

 基本は始末する方向で考える。単純にここにいられると邪魔だ。この集落にゾンビはいない。恐らくは国道からのゾンビを誘引していたであろうことは理解できる。ゾンビ研究をしていた研究者や医師であれば現状でも社会的地位はある。航空機による定期的な物資の投下要請は、できるか? 無理だと思うが、まあ出来るとして。じゃあそもそも何でこんなところでやっているのかという話になる。そもそもトウホクのゾンビ研究はトウホク大学の教授や大学病院の医師たちが軸になっていたはず。派閥争いで負けた? なら余計始末しても問題ないな。

 結局いくら考えてもここにいる人間は所謂はぐれの狂人という事になる。最悪、一旦拘束してから話を聞けばいい。以前、麻痺の魔法の出力を間違えてとある討伐対象を心停止状態にしてしまった過去が地味に響いているな。討伐対象は場合によっては解剖検査に回されるため、殺し方にも注文が出ていたことを思い出す。こうして考えれば、俺も随分汚いことをやっているなと思いなおす。

 思わず苦笑いを浮かべていると、千聖が怪訝な面持ちでこちらを見ていた。


「笑わないでくれます? 怖いんですけど」

「悪いな。昔を思い出した」

「あー」


 ゾンビの検体収集が一番面倒で一番数をこなした仕事だったはず。基本的に俺以外はみんなサポートで、捕獲は俺がやるのだが、アーチャーは火力過剰。エンジニアには不可能。千聖はといえばナイフしか使えない女だからか、たいていゾンビは何かしらを落としている。首が最多数だろうか。

 いや、待てさすがに気を抜きすぎている。年を取って昔を懐かしむことが増えたような気がする。経験から年下に不要な説教をかまし始めたら老害などと呼ばれるのだ、気をつけよう。


 頂上付近の交差点に到着した。さて、この交差点、集落方面から来ると正面に遊園地跡を利用したメガソーラーがある。元遊園地だけあって敷地は広大で見える限りにソーラーパネルが広がっているのが見える。


「ここって使えないんです?」

「使えないことはないけど、変圧器噛ませないといけないしこのサイズでどのくらいの発電量が」


 そうして気が付いた。ソーラーパネルの耐用年数はしっかりメンテナンスが入るという前提で30年程度の耐用を予想されていたはずだ。10年放置されていたとして正常に稼働しているものがどれくらいあるのか見ておくことは無駄ではない気がする。

 とはいえ、それも後だな。なんならこの手の設備に関してはエンジニアに任せてしまうのもいいか。どうせ近く合流する手はずだ。


「どうしました?」

「何でもない。お前は休んでろ。朝になったら起こす」

「割と起きたばっかりでは? それに日の出までもう少しですよね?」

「ならナイフの手入れでもしておけ」

「はーい」


 俺は荷台に隠していた小銃を確認する。使うつもりはないが流石に持って行かないと不自然すぎる。俺はあくまで元群狼というスカベンジ経験者で研究所に所属していた研究員でしかない。既に俺が出した成果は肩書に不釣り合いなほど大きくなっているが、それでも普通の人間であるつもりだ。

 普通の人間ってなんだろうな。少なくとも魔法を使って数えきれない数の屍を量産するような存在ではないだろう。ナイフに小銃、拳銃を確認しふと顔をあげれば小窓からこちらを見る千聖と目が合った。下調べしておくか。


「千聖」

「なんです?」

「俺はここで道具の確認をしていた。お前は目を閉じて休んでいた」

「……はい」


 少し強めの暗示を魔法でかける。魔法がかかったのを確認すると、俺は短距離転移ショートジャンプで先ほどの入り口まで文字通りに一足飛びで駆け抜けた。




「千聖、準備は良いか」

「……はい」

「何だ、寝てたのか?」

「いえ、ただ目を閉じて精神統一してました」

「そうか。じゃあ行くぞ」

「はい」


 朝日が上り、少ししてから車を発進させた。朝日が目に染みるという事もなく、車は順調に進み、目標地点のはるか手前で止まった。


「藪を抜けて行く。パッと見た感じじゃよくわからんが10棟程度の家がある。警戒しろよ」

「了解」


 藪の中を抜けて歩いてゆく。動物や鳥の声も聞こえない静かな朝に草花を踏みしめる音が響く。藪を抜けた先に住宅の裏側に接する。一旦停止し周囲を索敵。魔法による探知には何も反応が無いのはわかり切っている。一瞬だけ探知を起動させまたすぐに進行を開始する。それを何度か繰り返して目的の広場に到着した。

 林の木々から吊るされた縄。風に揺れる縄の下には夥しい数の白骨。人であったものの残骸が積み重なっていた。死体は散々見てきたが白骨死体というのはあまり経験がない。とはいえ俺にとっては本日2度目、さっきぶりの光景だが千聖の動きが一瞬止まったのを感じる。

 千聖を視界に収め、視線を飛ばす。気づいた千聖は浅い呼吸を何度か繰り返し、すぐにいつもの様子に戻った。流石に何度も修羅場をくぐり抜けてはいないか。

 墓標のような縄の林を抜けてゆくが、此処からぱったりと人気がなくなる。鬱蒼とした雑木林に過去家があったのだろうと思えるブロックや石段があるだけで、続いていたコンクリートの道もわずかな面を露出させるだけにとどまっている。しかし俺も千聖も徐々に元凶に近づいていることを確信していた。この鬱蒼とした、朝陽を遮って暗さすら感じる雑木林には似ても似つかぬ血の匂いだ。途中で見つけたキャンプ跡には小さな小屋となぜか金属製のフェンス、数台の車が残っており、それすら気にならないくらいの黒で塗られていた。木々の間に架けられたタープもかろうじてつながっているだけの状態で、橋から垂れるタープは褪せた黄緑と吹き付けられた黒で染まっていた。


「ここ酷いですね」

「ああ。……ドラム缶の焦げ跡も随分なもんだな」

「なんか映画で見るスラム街みたいなところですね。こんな山の中なのに」

「だな」


 そのスラム跡から延びる道の先こそ、俺たちを待つ人間がいる。静かなのは俺を中心として千聖が収まる範囲までを消音しているからだ。正確には範囲内の音を消す魔法では無く、不可視の音を通さない壁の様なものを使っている。俺と千聖はお互いの出す音が聞こえるが外には漏れない。じゃあ外の音は何も聞こえないのではないかと思うが、そこが威力調整の妙である。壁に穴をあける、壁を薄くする、一部の壁を取り払うといった調整が可能なのだ。

 現在は薄くしている。それで問題ないし、なんなら今回の作戦はもう終わっている。

 歩き続けた道の先、こちらに向いた閂と白い門には赤黒い手形がついている。周囲は金属フェンスで囲まれており古い平屋が立っていた。トタン屋根にすりガラスの引き戸の玄関。軒先から延びるポリカーボネートの波板の下にも縁側らしき場所と時代を感じさせる木枠のガラス戸。その奥は不自然なまでの白いカーテンに遮られている。それを木々の隙間から観察する俺と千聖だが、彼女は気付いただろうか。

 この家の門扉が外から内を守るためのものではなく、内から外に出ないようにするためのものだという事に。

 血の匂いに包まれたこの場所の匂いの元、それが家の奥からしていることに。

 その匂いの中にほんの僅か、焦げ臭さが混じっていることに。


「……火!」

「いくぞ」

「回り込む?」

「いや、ついてこい」


 石の門柱を蹴って敷地内に飛び込む。踏み固められた草の上に音もなく着地し一足跳びに玄関脇へ。探知の魔法に反応はない。家からは何の音も聞こえてこない。はっきり言えば、ここを拠点にしていただろう人間は既にこと切れていた。では何がいたか。それはゾンビを利用した生命体。出来の悪いフランケンシュタインの怪物。しかも、それは恐らくゾンビと人間の融合体だ。


「ごめんくださーい」

「え!? ちょっと!」


 がらがらと扉を開け、小銃を腰だめに構えたまま上がり込んだ俺にキャットは声を上げる。まあ確かに今までこんな雑に入り込んだことないしなあ。潜入口を確保、余剰人員に退路を確保させ俺がメインで進む。千聖は背後を取る動きで奇襲準備。そんな感じで動いていた。俺の動きに合わせようと努力した千聖の戦闘スタイル。大人になるにつれ大きくなってきた体で出来ることを増やそうとして、何故か二刀を構えての切った張ったに行き着いたのは自分の耐久性を理解してのことなのか。

 指で左手側を示して調査させる。まあ残念ながらそちらには何もないのだが。千聖を見送って俺は家の右手へ。廊下の左手、北側の台所と、右手の南側の日当たりのいい居間を覗く。物の少ない部屋の中心、布団に寝そべる綺麗な白骨死体と、赤黒く染まった台所のコントラストが目に眩しい。枕元に置いてあったノート数冊を回収し、最後の部屋へ。

 廊下の突き当りは風呂場であった。赤い血の池に浸かる瘦身でつぎはぎだらけの人の形をした何か。先ほどと全く変わらぬ様子でそこに佇んでいた。先ほどと同じやり取りを繰り返す。


「死にたいか」


 人の形をした何かは反応を返さない。廊下を駆け抜ける足音。俺の後ろに千聖が来ていたことを確認して、俺は再び声を上げる。


「死にたいか」

「裏見てくる。多分倉庫かなんかから出火してる」

「無茶しないように」

「了解」


 再びバタバタと駆け抜けてゆく。出火は俺の魔法によるものだ。恐らく既に鎮火していると思うが、まずはこちらだ。


「お前は一応人間だ。脳に変異結晶が無ければゾンビ判定は受けないらしい」


 反応はない。恐らくこの人間は感染した人間だ。ただでさえゾンビの症状に抗体を持つ人間が少ないのに、更に希少な種類としてゾンビ化の特徴だけを引き継ぐ人間がいる。ゾンビ症に罹患した人間のうち変異結晶の肥大が認められない程度に抵抗力がある人間でも、前作主人公のような強烈な飢餓感と全身の性能上昇、飢餓感が薄く僅かな耐久性の上昇に留まる者。そして目の前の人間は復元力に優れる者だ。

 初代『ZOMBIE×ZOMBIE』に出てきたとあるゾンビ生物がいる。植物型と言われるその合成生物はゾンビの血を吸った植物、というふんわりとした説明だったが、それは強力な再生力を有しており、焼却ではなく凍結という手段でもって破壊する必要があるゲーム内の障害物だった。

 当時はふんわりしていたが、あれはたしか前作のDLCだったか。再び登場した際のゾンビ図鑑なるものに詳細が記載されていた。曰く、ゾンビ症患者のサンプルを適用したもの、らしい。どうやらゾンビの定義の揺らぎがあったらしく、ゾンビに噛まれ感染した者はゾンビでは無く罹患者もしくは感染者と呼び、ゾンビではないと定義された。症状が進行し変異結晶に支配された人型をゾンビとすると後付けされた。

 然るに、目の前の人間は強制的にゾンビ症に罹患し、しかし珍しい抗体持ち、さらには強力な復元力を持つが故にこの家の狂人に囚われ、生きたまま実験材料とされたのだろう。度重なる搾取に心が死んでいる。そういう状態だろう。現状、正直男か女かもわからないが、まあどうでもいいか。


「死にたいならここで殺してやる」


 そうした強い復元力をもつ個体のゾンビもいることはいる。四肢を破壊しても死なないゾンビへの対処法はシンプルだ。頭を潰す。それだけだ。

 目の前の人間は何も答えない。小銃を頭に突きつける。


「じゃあな。運が悪かったな」


 ぱん、と一つの音が響く。赤い血を吹き出し浴室の壁に凭れる人間。そして俺は洗礼を紡ぐ。強い抗体を持とうと、ゾンビ化しないわけではないのだ。動かないのを確認し、俺は風呂場を後にしようとして、最後にもう一度だけ振り向いた。死んだはずの人間と目が合った気がした。その目がどこか喜悦を含んだようなものに見えたのは、恐らく俺の勘違いなのだろう。


 裏の倉庫では千聖が待っていた。状況は知っている。既に火が収まってわずかに煙が立ち上っているだけだったのだろう。

 俺はさも今来たかのようにして千聖に問いかける。


「中は?」

「わかりません。来た時からほぼ火はおさまってました」

「……なんでこのタイミングなんだろうな」

「なんで?」

「ああ。恐らく俺たちが来たからなんだろうが、何かを消したかったってことなんだろうし」

「そうなる、の?」

「遺体は白骨化、実験材料の後始末もしないくせに、何でここだけ燃やしたのか。安全装置か何かなんだろうが、他の誰にも知られたくないなにかがあったとしか思えん」

「なんでしょう? 一般、もしくは関係者にも伝えたくないことって」

「書いてあるかもな」


 そういって俺はノートを取り出す。3冊ほどのキャンパスノートにはすべてのページにわたってびっしりと文字が刻まれていた。


「ここどうします?」

「どうしようもない。幸い端も端だ。いずれ朽ちるだろ。それより」

「それより?」

「物資の回収だ。東側には近づかないように」

「殺したから?」

「臭えからだよ」

「あ、それはありがとう」


 家に近づいた時から死臭に腐敗臭、思わず匂いをカットする魔法を使ってしまったが、コイツマジか。え、俺間違ってこいつにも魔法使ってないよな? 俺は身を翻し、再び平屋の中に戻って行った。


 ノートの中身は一人の研究者の破滅までの道のりを記したものだった。最初の2冊はパンデミック後の2年間分で、最後の一冊は残りの7年分の日記。研究記録という名のゾンビ観察日記の中にまぎれた石田という女の抗体持ちが浴槽にいた存在だったらしい。家主と研究者の名前が一致していなかったのはパンデミック後に無人となった先ほどの家であらゆるものから距離を置きたかったかららしい。この研究者はどうやら都落ちした研究者だったようで、何らかの争いに巻き込まれ人嫌いになってニッカワへ来たらしい。

 となると元々生活していた場所もありそうだ。そちらに資料があるのかもしれない。今は先ほどスルーしてきたスラム跡の周辺を回っている。特に煙突とストーブ、ソーラーパネルに放置車両。通り沿いにあったシャッターの閉まった建物のうち、一つが自動車工場だったのは幸か不幸か。

 他にもいろいろと調べるべきところは多そうだと結論を出したところで、必要最低限の道具を積んで目的地へ出発した。車の中、窓から顔を出している千聖に注意する。


「顔に枝当てんなよ」

「案外広いですよ、この道」


 アキウからの上り路、そしてニッカワの頂上付近からの下り路は山の頂上付近だけが細くなっているようで比較的余裕はある。そもそも千聖は風景を楽しみたいわけではないのは理解している。


「まだ匂う気がする」

「同感だ」


 先ほどの血の池、腐敗物の堆積した台所、そして白骨死体の跡。それらは千聖の嗅覚に大きなダメージを残しているようだった。全身を洗いたくなるような感覚は俺も同じだ。目の前の緑の景色と吹き抜ける爽やかな風では到底洗い流せないのはわかり切っているが、それでも窓から吹き込むそれに、そして今から向かうニッカワの村落に希望を求めるのは俺たちの日常への一歩目であるからだ。

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