第7話
がたん、と揺れる。ぱっと身を起こした千聖に、俺は大げさに反応する。
「びっくりするわぁ」
「……あれ? ここは?」
時刻は凡そ16時。太陽は未だに明るいが、周囲を遮る木々の影が少し暗く感じるくらいか。
「もうカワサキ抜けたぞ」
「……あーそうですかー」
とすっと背もたれに身を預ける千聖。あれから何事もなく進んできたと思ってもらおう。
実際のところ、カワサキにいた50から60のゾンビの集団を仕留めるのにかかった時間は30分ほどだ。魔法で解呪することにより変異結晶の活動は止まるが、だからと言って人間に戻れるという訳ではない。脳内で十二分以上に肥大化した結晶はそれだけで脳に負担をかける。大抵は脳腫瘍、脳浮腫が出来た状態のまま長く放置された状態になっているため、それ以上の治療が難しいのだ。
それすら復元の魔法なら治せるのかという問いには、イエスと答えよう。あくまで物理的に再構成をするだけであれば復元の魔法は効果を発揮する。しかし変異結晶を消すことは別だから根本治療にはならない。
変異結晶を摘出して、復元で治療したとしよう。もとには戻せるが、患者は死ぬ。これは研究所で散々やった。まるでゾンビ症患者にとって変異結晶が心臓であるかのようになっていたことに研究所では今も研究が続いているはずだ。
ではゾンビ症患者の脳内の変異結晶を破砕した場合どうなるか。いくつかパターンがあるが、再構築される確率が高い。その場合は一時的な無力化という意味では効果があるが1日程度で再び行動を起こすようになる。時折絶命するパターンもあった。
千聖は変異結晶を持ったまま、非励起状態にある。復元で肉体を再構成したが治療から10年経っても問題なく肉体は稼働している。変異結晶の能力としては受信は出来ていても感応現象自体は起こりにくい。
ここまででわかることは変異結晶自体の生成プロセスと呪いの感応現象は別のプロセスであり、結晶を持った者はその時点で呪いを受けていると考える。逆に一度離れれば呪いは解ける。しかし、呪いそのものが生存を主目標に掲げているため、それがなくなればゾンビ症患者の生存権を取り上げることと同義となる。
呪いを解除したことで千聖は人間として未だ生存しているし、呪われている状態では自由意志は無く変異結晶の呪いによってのみ生かされ続けていることになる。つまりはそれがゾンビ症患者の末路なのだ。
俺が片っ端から呪いを解除すればいい? それで変異結晶を破壊すればいい? 良識と善性に拠った考え方だとは思うが、そんなことはあり得ない。変異結晶の生存の呪いというのは、ただゾンビ化するだけではない。この世界においては数少ないケースではあるが、人間にはそれぞれ耐性というものが存在する。特に高いのが主人公だ。彼は今後強化薬の臨床試験の対象になる。つまりは効果量を調整したゾンビ化薬を使った強化人間になるのだ。
その原料こそ変異結晶や特異結晶、場合によっては特異覚醒結晶なのだ。もうどういうことか理解しただろう。この世界ではゾンビとは素体であり素材にもなるのだ。本当にゲームしている。
早い段階で学校を抜けだし、トウキョウで活動し研究所に所属したのはこのデータを得るためだったと言っても過言ではない。特に強化薬の素案となるゾンビ研究の第一人者でもあり、国立遺伝子学研究所から異動してきた元上司の
この久間楠女史は『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』内で名前が出るのに、実際には登場しないキャラクターとして有名である。なんならこの女性対策として千聖を拾ったまである。そういう女性だ。
情報だけの登場には理由があり、彼女は途中で表舞台から姿を消す。ゾンビ研究所の所長までやっていたのに突然の交代劇の後、姿を眩ませるのだ。まあ実際のところ死んだりしたわけではない。俺をつけねらった一派と結んでいた研究所内の派閥が実力行使に移る前に察知し、とある場所で研究を続けているだけだ。
現在は457号を北上し、ナトリ川の手前まで来た。位置的にはアキウの主要な街道となるフタクチ街道手前であり、川を越えると高台にアキウの町がある。だたし川には視界を遮るように木々があり橋の近くでも上からの視線を遮るのには困らない地形だ。
ちなみにモトイサゴに関しては生存者はいなかった。家が荒らされていなかったことからこの周辺にはこれまで誰も近づいてはいなかったのだろう。まああくまで国道沿いにある場所だけで、自販機やお店などの商品は何もなかった。もしかしたらここで亡くなった方もいるのかもしれないが、遺体を発見できていない。車の類もなくなっていたことから最初の避難で一定数移動していたのかもしれない。
ただ情報はあった。少し先に進み過ぎている気もしたが、近くに釣り堀のあるキャンプサイトがあるらしい。モトイサゴがほとんど無人であったことから何かしらの物資が、それが無くとも食べられる魚がいるのではないかという予想だ。
受付小屋のような丸太組みの小さな家の傍に車をとめたタイミングで起きだした千聖を置いて小屋の周囲を調べる。もちろん魔法で無人であるのは確認済みだ。とはいえ索敵用の魔法でわかるのはサイズとゾンビかそうではないかの違いくらいだ。
人間は何も口にしなければ1週間程度で死ぬと言われている。それが水を摂取することにより一月ほどまで伸ばすことが出来る。飢えより渇きの方が生死に直結するというのはわかっていることだが、千聖の体質、ゾンビ化の影響による飢餓感というのは少々意味合いが異なる。
ゾンビ化に耐性を持つ者の中にはゾンビ化を克服するものがいる。『ZOMBIE×ZOMBIE 』シリーズ内で片手で数えられる程度の数だが、そういった人間には必ずと言っていいほど飢餓感というものが備わっている。
前作『ZOMBIE×ZOMBIE Ⅱ』の主人公、アッシャーは高いゾンビ耐性を持っていた。ストーリー冒頭でゾンビ騒動の真実を得ようと活動するジャーナリストという立ち位置にあって、運悪く感染したがゾンビ化せずにいた。アッシャーは家族に対し、自分がゾンビになったら自らを撃ち殺せと言いながら、家族の安全のためにアメリカ国内を大移動する。そんな彼が抱えていた悩みが強烈な飢餓感だった。水や保存食を食いつなぎながらも飢えは収まらず、自らの腕を噛んで毎晩耐え続けていた。とある研究所の情報を得たアッシャーはその研究所で得た情報を世界へ公開した。ゾンビ化現象の軍事転用という世界的なスキャンダルを切り抜いた彼はその後軍属として世界を渡り歩くことになる。因みに今作『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』でもサポートキャラクターとして登場することから、個人的には要警戒対象にもなっている。
話を戻すが、そういった飢餓感を千聖が得ているかどうかは確証がない状態だ。そもそもこれまで2日以上あけたことが無いのだ。昨日の昼から今まで、丸一日と少しの間であるが安全マージンは取っておきたい。この作戦の、3日後の合流というのもある程度余裕を持ってのつもりだったが、思ったより千聖に響いているように思える。何より俺としては早々に周辺の地形情報、勢力間のパワーバランスを把握しておきたいというのもある。俺に関しては空腹を魔法で誤魔化せるし、必要なエネルギーも魔法を使うための魔力で賄うことが出来る。
小屋の中には釣竿や網があり、とりあえず放流している川魚を取りに外へ出た。しかし池を覗いてみても魚がいるようには見えなかった。いくつかある池を覗いてみても結果は芳しくない。これは川に入る必要があるかもしれないと小屋に戻ってみれば、何やら棚をごそごそと漁っている千聖の姿があった。
「何かあったのか?」
「パスタ! です!」
え、そんなのあんのかよ。思わずそう言ってしまったが、品物を改めていた千聖の表情が曇る。まあ、なんとなくわかる。
「賞味期限……8年前……」
「乾麺ならいけるんじゃなかったか?」
「え゛」
そんな得体の知れないグロテスクな生き物を見るような表情で見られてもね。因みに足元に転がっているカップ麺の類は何故か膨らんでいたりしている。足元に転がっている状況も合わせてみれば流石に食用に耐え得るものではないのだろう。そんな中で見たパスタだが、正直俺にはわからん。ただ以前賞味期限から10年経った乾麺を調査した際、味や風味の劣化はあれど十分食用に耐えうるという情報があったはずだ。
誰が言ったのか忘れたが、よく取引用食材として集めた覚えがある。群狼内の情報ではなかったはずだ。とはいえ実際に賞味期限を2年3年過ぎたモノを取引するという事はよくあったことだ。
そういう事なら水だな。水自体は効率は悪いが水を出す魔法は使える。実際飲み水としてボトルの水は一定量キープしてあるし、取りに行く体で離れるのがいいか。キャンプサイトだからここでもいいのだが、もくもくと煙を上げるのは避けたいところだ。もしかしたらガス調理器と調理道具などを置いてあるかもしれない。近くの家や施設なども探す価値はあるだろう。
そうと決まれば一旦移動だ。目隠しにいい場所をピックアップしつつ、川の近い場所を選ぶ。少なくともこの周辺には人やゾンビの姿はいない。近隣の家から拾ってきたバケツに水を入れて持ち帰る。正直生水をそのまま使う勇気はない。煮沸は当然だがこの際多めに集めてさっぱりしてもらうのがいいか。
川沿い近くの家のさらに裏、シャッターの閉まった工場の傍にあった軽トラックに積まれた貯水タンクを使おうか。拠点にしたのはその向かい側。ソーラーパネルの付いた家だ。この家が自家消費型であれば電力が使えるかもしれない。
家には既に千聖が入っているが、縁側のガラスを破ったようだ。俺は空の貯水タンクを軽自動車に積み川沿いへ。バケツを持って往復しつつ適度に時間を潰す。魔法で水を追加し家に運んだところで、千聖が家から出て庭先である物の前に屈みこんでいた。
「雨水タンクです」
「……まあ飲み水には使えないから」
「川の水って大丈夫なんです?」
「煮沸する必要あるけどな」
「バケツ1杯分ですか? って、え、アレに入れてきたんですか?」
「そうだが。どうせ煮沸するならとりあえず持てる分だけ持ってきた」
「ゴリラじゃないですか」
「着替えなくていいのか?」
「最低です!」
「知ってる」
少しだけイラっとした。家の中に駆け込む千聖を追いかける、前に電力の測定用メーターを確認。デジタルではないことを確認してから縁側のガラス戸をサッシから外しタンクを家に持ち込む。大体70㎏から80㎏くらいだろうか。バルブ付きなのは幸いだった。家財道具類は残っていたがどことなくモノが少ない印象がある。庭先の花や家庭菜園だろうか。草が生い茂っていて何が何やらという状態。千聖はキッチンにある物を整理しているようだ。
「電気使えたか?」
「使えるみたいです。これを」
投げ渡された鍋に水を入れ千聖へ返す。時刻は夕暮れ。既に薄暗くなっているが、手元を操作するのに不都合はなさそうだ。
「先に飯にするか?」
「はい」
リビングダイニングを後にして家宅捜索を開始する。トイレの水は流れないがタンクに必要分を入れれば流れるだろう。風呂場のパネルをいじる。機械音声が魔法の呪文を唱えた。お湯を張ります。え、動くのかよ。とりあえずそのままお湯が張られる様子を見るが、まあそうだよなと言った結果。しっかり錆が流れ出てくる。というかこれ灯油を使った給湯器だった場合まずいか? 一度外へ出ようとして振り返った先に千聖がいた。満面の作り笑い。いや本当にびっくりさせんな。足音も聞こえなかったぞ今。
「お風呂入れるんです?」
「微妙。錆出てるし燃料使うのも正直不安ではある」
「……どうしてもですか」
「コンロで沸かしたお湯使って湯舟に貯めるほうが安全」
「……。……わかりました」
見るからにテンション落ちてて笑えるな。
久々に面白かった。そもそもそんな感情を覚えたのはいつぶりだろう。作り笑顔はだいぶ昔に覚えた。感情を抑制していたとは言わないが常に考え事をしていた気がする。最終的には考え事をしながらゾンビを殺すことさえしていたはずだ。随分と状況に染まったと思う。
この世界の異物だという自覚と、この世界に確かに生存している個人としての考えが矛盾しているような感覚さえある。用意周到なつもりできっと俺には何かが足りていない。転生者という激レアキャラでありながら物語の脇役として配されたような感覚。自分の性格、性質であることには納得しつつそれでいいのかと自問する部分があるのも事実。
裏手に回り灯油タンクと給湯器を確認する。灯油タンクのメーターはしっかりと中身が1/4ほど残っていることを指している。給湯器はランプが正常作動していることを示していた。問題は水と配管、それと長期間放置されてきた灯油だ。普通は既に変質しているが、今回限りで給湯器を壊すつもりであるなら使用してもいい気がする。とはいえ火災に発展しても面倒だし、使えないなら使えないでいいだろう。電気が使えるだけ十分恵まれている。
家の中に戻り、キッチンに立つ千聖を尻目に改めて家の中を物色する。書斎の書物などは必要ないだろう。できればPCを調達したいところだが、既に10年前に止まっているのに輪をかけて古臭いデスクトップパソコンしかない。
衣服もサイズが合わないものばかりだがいくつかの未使用品を見繕う。応接間や客室もありもしかしたらと探してみればアメニティの類も見つけることが出来た。適当な鞄に詰めてキッチンへ戻ればどこか嗅ぎなれた美味しそうな香り。
「味付けは?」
「カレー。思ったより大丈夫そう」
「ああ、スパイス缶」
「そう。あ、これ」
キッチンの作業スペースには幾つかの調味料が並んでいる。塩と砂糖の他、乾燥昆布なども見える。カレースパイスの缶以外にも調味料の買い置き分があった。それを見ていた俺に手渡されるのは煮だった鍋。中身は熱湯。浴槽へぶち込めと?
「水は?」
「後で入れます」
まあさっぱりしたいのは俺も一緒だ。流石に風呂に入りたいという訳ではないのでここまでの情熱を傾けることはないだろうが。
カレーパスタはすぐに出来上がった。ゆで汁も昆布と塩のシンプルな汁物として最後まで利用していた。こういったものも随分と懐かしく感じる。食糧事情に関してはスカベンジャー生活開始から1年経った時くらいが一番大変だった記憶がある。
最初は自分たちの生存権の拡大を目指していたが、最初から行き詰まるのが目に見えていたためゾンビ狩りや必要素材の取得代行に切り替えた後のことだ。現金で雇われるというのがまだ一般的に通用していたころ、物価の上昇があると予想していた俺たちは権利の取得を目指していた。主に防衛線の内側での権利。主流は現金なのに俺たちの目的と合致していなかったため交渉時間の割に合意に至らないことが多かったのだ。当時は食料を切り詰めていた。報酬で買えるものなど当時は雀の涙程度だったというのもある。
はっきり言ってあまりおいしくはない。研究所に所属後、ここに来るまでは比較的食料に困らなかったのが懐かしい。
懐かしい記憶を想起していると、キッチンでそのまま食事していた千聖が問いかけた。
「ねえ、何でニッカワ?」
「何で? ニッカワが都合が良さそうだったからだが」
「そうじゃなくて。ニッカワでこれから暮らすんでしょ? もっと町の近くでも良かったんじゃないかなって」
コイツ自分の状況分かってんのかと言いたくなった。変異結晶を抱えたままゾンビ化を克服した数少ないサンプルケース。実験対象になってもおかしくないのに、随分と平和ボケしている、と。そこまで考えて、コイツはその自覚がないという事に気付いた。正確には記憶が無いのだろう。
俺が千聖を発見した時、体の半分は欠損状態だった。それでも息があったのはゾンビ化による肉体の保存効果と変異結晶の呪いともいえる生存欲求が噛み合った結果だ。言ってしまえば、当時の記憶が欠片でも残っていれば自分が生きていることが信じられなくなるだろう。だからこそ千聖はその時のことを覚えていない。彼女の記憶にあるのはゾンビに襲われたことと、目が覚めた時にいたアーチャー、そのアーチャーが伝えた俺が助けたという事実だけ、のはずだ。
口の中のものを流し込む。
「顔を変えるなら小屋姉妹と一緒にセンダイ市街を拠点にするといい」
「マックスは?」
マックスというのも随分古い呼び名だ。元々はスカベンジャーとして動いていた時に俺につけられた周囲の呼び名が殺しのプロ、マーダーだ。アサシンやキラーじゃないのは人型に対する手並みが鮮やか過ぎたから、らしい。その上、魔法で何でも一人で片付けられること。当時はイニシャルやコードネームがAから順に存在していたことから全部出来るじゃん、という意味を込めて、Murder→X。略してマックスとなった。
そう呼んでたのは目の前の人物などの極一部だけだが。
「俺は顔を出せん。ついでにマザーの研究を進める必要がある」
正確には既に安定している。なんなら俺が手間をかける必要があまりない。いくつかの細胞を掛け合わせ俺の魔力源として血液を混ぜ無害化した変異結晶を取り込んだ細胞を魔法で捏ねた結果、俺が研究用に培養した細胞は魔法生物スライムと化している。文字通りの魔物ではあるが、ナノマシンを取り込みクローン技術に必須のゲノム編集までこなすヤバい生き物がいるのだ。肌身離さず持っている。便宜上マザーと呼んでいるが、ファンタジースライムの別名もある。俺がそう呼んでいるだけなのだが。
「それこそ町でやればよくない?」
「無理だな。防衛隊の小隊ごと巻き込んでまで俺を消したい人物がいるんだ。次は建物ごと、町ごとなんて騒ぎが起きても驚かんぞ」
「流石に飛躍しすぎじゃない?」
「トウカイエリア」
「……」
ナゴヤを中心とした一帯で対ゾンビ政策として生存域拡張を進めていたトウカイエリアだったが、そのナゴヤは人間同士の争いにゾンビ集団が横殴りした結果大打撃を受けている。既に2年近くが経過しているが未だに奪還は叶っていない。
そしてそれはゾンビ研究によるある成果物がきっかけの一つとなっている。ゾンビの忌避薬である。都市外縁部に設置したことにより都市外で勢力を持っていた集団に攻撃されるという事が起こった。これ自体は政府側と反政府側の対立と言っても良いものであり、現在の政府に対して反旗を翻す集団が続いた原因でもある。
さて、その忌避薬をつくったのが久間楠女史であり、その手駒であったのが俺でもあり、元群狼でもある。都市の崩壊に対して責任を追及されたところで俺は知った事かと一蹴出来るし、なんなら中指を立てるだろう。しかしそんなことが起こりえるのが今の世の中でもある。
俺は自分が最強だとは思っていない。持っている能力や知識、技術を未だに十全に扱いきれている気がしない。だからこそ可能な限り地道に努力しているつもりだし、油断や慢心をしているつもりはない。
トウカイエリアと口にしたのは単純に一度追及されたことがあることと、千聖に深読みさせるための方便だ。俺はどちらかと言えば、都市防衛隊に所属し続けることになるであろう、将来のシリアルキラーでもある主人公風間康史郎のほうが怖い。シンプルに人間の執念や欲望といったものの方が得体が知れないと思うのだ。
「反政府側に加担するつもりはないが、政府側に協力するつもりもない」
「何で?」
「目立ちすぎたんだよ。知らなくていいことまで知りすぎた」
元々政府側からすれば悩みの種の一つでしかなかっただろう。ただ俺たちはやりすぎた。計画外の生存域拡大を進めた俺たちを懐柔しようとして失敗。勝手に解散したが前衛メンバーは全員研究所に参加。政府の指揮下にある軍の戦力強化にもならず。離散したメンバーからの聞き取りでも要領を得ず、共同作戦しても基本的には勝手に終わらせる。出来たことと言えば俺たちの評判下げくらいだが、その頃には解散メンバーは研究所の代表的な人物である久間楠ツツジの下でゾンビ化の進行遅延薬開発メンバーの末席に名を連ねていた。
さっさと諦めればいいものを、大規模な開放作戦にて防衛隊もろとも壊滅させようとしてようやく2人潰せたことから、同じように残った俺と千聖を狙ってきた。まあ全員生きているんだが。因みに表向きの敵は軍参謀部の一人だが、コイツに指示を出している存在が裏にいる。政治家だが、俺たちを狙う理由がいまいち掴めていない。動機がつかめていないだけで、情報は凡そ集めきっているのだが。いずれトウキョウを中心とした一帯で水素燃料による鉄道網の構築が始まるだろう。そのタイミングで利権も信用も立場も失ってもらうつもりだ。不安のもとは解消しておきたいというのは誰しもが考えること。俺にとってもそれは同じことだ。
「そんなに厄介な相手なの?」
「いいや。報復の手立ては用意してある」
「でしょうね」
「安心したか?」
「心配してない。ただこれまでに比べて間違いなく物資の調達に手間がかかるでしょ?」
「そうだな」
ミヤギであれば候補地は他にもあった。今回のセンダイへの異動とそのルートを考えた時に施設や設備的に利用できそうなものがあったのがニッカワにある蒸留所だったというだけの話だ。適度に人がいて適度にゾンビ化が進み、それでいてあまり必要とされない土地。センダイは広大な平野部が海まで続いており、港と都市部が協力すれば平野部の利用も順調に進むだろう。過去には運河として堀が掘られていたこともあり実は機械に頼らずに暮らすための下地が整っている土地でもある。江戸時代に逆戻りするかのような身分差が生まれるのが見えるな。食と安全を担保として農地を開拓、開墾させるのには困らないだろう。平野部での暮らしが安定すれば山側にはほとんど人は残らない。
予想外だったのは思ったより対立姿勢が深刻化していることだろうか。とはいえそれがあったとしてもニッカワを拠点としただろう。少なくともそれだけの価値がマザーにはあると俺は確信している。
ある程度情報を共有している千聖だが流石に魔法生物スライムのことは知らないし、優秀な万能細胞を研究しているといったあたりの認識のはずだ。今後の予想を含めて話せば、千聖は更に言葉を繰り出す。
「じゃあニッカワでずっと暮らすわけじゃないんだ」
「俺はある程度の期間過ごす一時拠点くらいの考えだったぞ」
「それは聞いてないんだけど」
「言ってないしな。俺は決め打ちはしない主義なんだ」
「嘘でしょ?」
「冗談だが」
これ見よがしに溜息をつく千聖。この溜息は俺にじゃなく、これから沸かすお湯の量にだと思いたい。
現在は千聖が浴室を使っている。探知には問題ないがどこから誰が見ているか分からないので明かりは使っていない。俺は縁側ですっかり暗くなった空を見上げながら通信機と向かい合っていた。
『じゃあ千聖は大丈夫なんだ?』
「今は風呂入ってる」
『いーなーお風呂』
「そっちはないのか?」
『あるわよ? たくさん。電気使えないけど』
「困ったときのエンジニアは?」
『今自家消費型のソーラーパネルついてる家探してもらってる』
「無茶だろ」
『そう言われた……』
「そっちの拠点はどうなってんだ?」
『聞きたい?』
「やっぱいい」
『ラ・ブ・ホ・テ・ル』
「よくエンジニアが納得したな」
『すぐ隣に中古車屋と整備屋跡があってね。川沿い近くで道一本で市街地まで行ける良いところよ?』
「じゃあニッカワまではすぐに行けるってことでいいのか?」
『活動の拠点ってだけだからね。休む場所は別』
「そいつは良い心がけだ」
情報の扱い方が甘いのは印東の仕掛けか? 逆探知とか平気でするだろうが何を仕入れたいのか。まあ今使っている情報端末については気にする必要はない。元群狼専用の通信機は俺が調整した魔法の道具だ。あまり長い期間稼働しないので月1くらいは調整が必要だが盗聴を気にする必要が無いというのは楽だ。とはいえ前のりしていた時期からするとそろそろまずいか。
『ねえ』
「なんだ」
『あんたこれからどうすんの』
「どうするとは?」
『ニッカワに拠点作るんでしょ?』
「その予定だが」
『その後よ。こんな世界でも仕事しないと生きていけないじゃない』
「衣食住足りて礼節を知るという言葉もあるぞ?」
『あのさあ』
「一先ず俺が持っている細胞の研究だ」
『え、そんなの出来るの?』
「普通は無理だな」
『あんた面倒くさいやつって言われない?』
「誉め言葉だな。ここで言うか?」
『はいはい明日行けばいいんでしょ』
「おう。因みに明け方から動く」
『早起きね。年取ったんじゃない』
「10年経ってるからな。俺もお前も」
『デリカシーって言葉知ってるかしら?』
「それでプライバシー守れんの?」
言いたいことや聞きたいことはわかるがそういうことじゃないんだよ。コイツ俺以外の人間と仕事する方がメインだろうにちょっと警戒緩んでないか?
この後僅かな睡眠、をとるかどうかはわからないが明日の朝にはニッカワ周辺は魔法で封鎖する予定だ。所謂人避けの魔法や幻覚の魔法による立ち入り制限を設けることで、少なくとも人をはじくことが出来る。ゾンビもやろうと思えばできるが、状況次第というところだろう。
本来細胞研究に必要なものは個人でやるにはめまいがするほどの金額がかかるだろう。しかしマザーを運用するにはそんなめまいがするほどの設備を必要としない。簡単に言えば水槽やガラス管にパソコン、各種インターフェースと、ある道具を用意するだけで比較的簡単に培養、実験を行うことが出来る。
放置されていれば大体はニッカワの蒸留所にあるだろう。蒸留したウィスキーはないだろうが別にそれは必要ではない。蒸留に使ったであろうタンクやガラス製品があるだけでも十分だし、製造施設も現代のものならばある程度しっかりしたパソコン、というか計算機があるはずだ。
問題はナノマシン部分である。ある程度マザーが行えるとはいえ、そもそもそのマザーに指示を出すためのインターフェースはかなり特殊なものだ。
とはいえ、あてはある。県北にある秘密の研究施設。『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』本編を思い返せば現在の状況ではゾンビの巣窟となっている場所だ。とはいえ主人公がどんなスピードで攻略を進めていくのかが読めない部分もあるので、できれば早々と集めてしまいたい。ついでに言えばカワサキの特異個体も仕留めておきたかったが、まずは拠点だ。どうなってもいいように、何があっても対応できるようにあれもこれもと手を出そうとする己の悪癖につい苦笑いを浮かべてしまうが、仕方のないことだ。それが自分という人間だから。
「お前も休んでおけ。千聖がカレースパイス見つけたから」
『神じゃん。女神だった』
「じゃあな」
ぷつっという音と共に通信機の反応が消える。この音もわざわざ機能として取り付けるくらい位は俺は心配症だ。
静かな土地だと思う。生き物の声も息遣いも存在しない。もっと奥深くにいるのか、それとももう朽ち果てたのか。ここに来るまでに見たクマ出没注意の看板も随分とくたびれていた。ああ、そう言えばゾンビ化した熊もいたなあと思い返しながら俺は体を横にし目を閉じた。タンクを持ち込むために外したガラス戸は既にはめ込みなおした。目を閉じても俺の体は勝手に呪文を唱える。反応はない。虫は反応をカットしているが、それ以外に生き物は存在しない。自分の呼吸と鼓動を感じる。俺の意識はゆっくりと溶けていき、しかし沈み切る前に自分に伝わる振動に目を覚ました。ガラス戸越しに俺を見下ろす千聖と目が合った。
「お風呂どうぞ?」
「あいよ」
濡れた髪にタオルをかぶせた姿。すれ違う時に鼻をくすぐる石鹸の香り。そういえばと思い返す。浴槽に水が残っていなかったのは、不幸中の幸いだろう。埃は被っていたが乾いたまま綺麗な状態だった。
俺は一先ず行水するくらいでいい気がする。しっかり入浴すれば多分体が休みたがる。最悪起きてから川で水浴びするのでもいいと思っている。魔法で体を綺麗にするという事は出来ない。どこからどこまでを汚れと認識しするかという問題が大きく、明らかな汚れなどは分解できても体をきれいに保つという事に対して魔法を使うより、体を拭く、シャワーを浴びるという方が簡単だという結論を出していた。
とはいえ、もう使わないお湯だ。俺は湯桶で掬ったお湯を盛大に頭からかぶった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます