第6話


 カマフサ湖の北側をなぞりカワサキの街中へ向かう県道沿い。たきみばしと掲げられた比較的細い橋を渡った先、一夜の宿である工場跡地の奥で俺と千聖は朝を迎えた。俺は魔法で空腹を紛らわせていたが、千聖はそろそろ厳しいかもしれない。昨日の昼から何も食べていないはずだ。水は俺の分もあるからいいとしても流石に空腹を訴えられると今はどうしようもない。自然になっている作物でもいいかもしれないがこの辺りは元々田園地帯だったようで、荒れ果て野草が生い茂る平地が広がっている状態だ。意外なことにカワサキ北部はゾンビの反応も人間の反応もない。カマフサダムからここに来るまでに魔法に反応があった数も片手で足りる数しかいなかった。

 やはり千聖が感応したゾンビの方向に間違いはないようで、恐らくインター近くまで行かなければゾンビは少ないのかもしれない。


 日中は大して人目を気にせずに魔法を使えることから索敵の魔法を行使しながら町の北部を東西に横断する田んぼ道を走っている。進行方向右手、北側にいくつかの農家が、左手には田んぼが広がっているが、更にその奥はカワサキ市街地を遮るように小山があるので少しだけ余裕がある。

 小屋姉妹からの連絡は恐らくもう少しかかるだろう。であれば探索する余裕もあるのだが、俺から言い出しても変だしな。


「飯探すか」

「ありますかね」

「無いと思う」

「私もそう思います」


 これである。素っ気ないというより、周囲を少しぼーっと眺める様子からは集中力を欠いているようにも見える。こういった経験はかなり懐かしい。それこそトウキョウの防壁外でスカベンジ活動し始めた頃の話だ。時折他の集団に遅れてしまい徒労に終わったこともあった。俺は問題ないのだが、空腹は人間の心にも影響を及ぼす。分かりやすくイラつくのであればまだいいほうだ。沈み込むタイプも同様。中には溜め込むタイプもいて、千聖はそういうタイプだ。昔であれば平気な顔して腹を鳴らしたこともあったし、なんならゾンビに対して強い攻撃性を示したこともあるが、一概にストレスとは言い切れないのが千聖の体質ではある。

 元々彼女を拾ったときは10代半ばの華奢な少女であった。もちろん復元した状態で、だが。その後スカベンジ生活中は栄養状態も十分とは言えない環境にあって、残念ながら彼女はしばらくちんちくりんと呼ばれつつ、俺やアーチャー以外には懐かないから仔猫キャット扱いされて今までそう呼ばれていたことからも、本来人に弱みを見せたがらないタイプなのだが。

 早々に抜けたいが今の状態で彼女が戦力外になられても困る。戦力外になるならなるで安全地帯にいてほしい。小屋姉妹からの連絡もあることだし、一旦時間を割いて休憩にあてるべきか。

 そうして細道からアキウへ抜ける裏道ともいえる国道457号に合流する直前、探知に大量のゾンビがひっかかった。車をゆっくりと停止させると、俺は後ろを振り返る。キノコの生産直販所という文字を確認する。今しがた通り過ぎた平屋と、その奥に見えた長いシャッターが下りた倉庫のような場所へ戻り、俺は少しだけ時間を潰すことにした。気づけば千聖は窓に頭を預け寝息を立ていた。


「俺だ」

『まだ生きてた』

「残念だったな」

『そんなこと言ってないけど?』

「情報は?」

『あんま余裕ない感じ?』

「千聖の疲労抜きを待ってる状態」

『あんたは?』

「あと3日はいける」

『流石、狼。名前負けしてないわね』

「こっちはカワサキ北部。457合流直前」

『アキウは今でも治安維持部隊が動いてるみたい。160号から来なくて正解よ。送水ポンプ場が要塞化しているらしいわ』

「その可能性もあるとは思ってた。思ったより近かったが」


 県道160号はダムの管理所前の道だ。しかもポンプ場はアキウの通りより南寄り。カワサキにやや近い。北上すればそのままかち合っていたのか。危ないところだった。


『水資源の復旧に力を入れてるみたいね。一部で温泉の引き込みを狙っているところもあるみたい』

「は? 温泉? ああ、衛生環境の改善ってことか」

『建前はね。こんな世の中で遊びなんて求めるの、そういう連中ぐらいでしょ』

「遊び、ね」

『海側は平地が余ってるから食料供給に力を入れたいみたいだけど難しいらしいから今のうちに盛り返したいんでしょうね』


 つまりは元々海産物を中心とした食料供給で利を得ている連中が更に依存度を高めるために平地を開拓したいが上手くいっていない。差をつけられる前に市街地側で利を示して立場を悪くならないようにしたいってところかな。で、その手段が温泉の導入か。衛生環境の改善というか、温泉街にありがちな遊びで相手に利を示すなんて、考え方が古すぎないか? いや、いつの時代でも一定の効果を出すことが出来る有効な手段と考えれば風俗業も悪くはない、のか。人手はどうするんだろうな。条件次第で悪くはないと思わせる話術や交渉術頼みな気もする。この国だと拒否感が強いだろうに。とはいえ仕事のないその日暮らしの連中が一発逆転を狙えて、特に立場の弱い女性の生活手段の一つと言われると拒否が難しい気がするが。


「まあわかった。範囲は?」

『以前温泉街があった場所あたりね』


 地図を見ればポンプ場の奥の一帯。いくつかの温泉宿の記載があった。どれもこれも屋号のような漢字の羅列が見える。


「ポンプ場の要塞化は一石三鳥ということか」

『あ、さすがにわかる? カマフサダムの奪還』

「ああ。近くに人はいなかったし、今ならゾンビも457側にしかいないからな」

『え、どうするの? 閉じ込められてるじゃん』

「抜けるに決まってんだろ。だから千聖の疲労抜きしてる」

『そっちまで行く?』

「問題ない。それよりその先はどうだ。ニッカワのあたりだ」

『ちょっとまって、えーっと』


 これ後で言い含めないと行動早めそうだな。小屋姉とアーチャーが来そうな気がする。この二人であれば即戦力だし。とはいえもし跡をつけられると面倒だな。


『ニッカワのセンダイ寄り、アヤシって言うんだけど、駅前くらいまでは綺麗になってるみたい。その北側にある県道55号沿いに北上する道以外は現状手つかずになっているわ』

「55号……ダムあるじゃねーか」


 俺も見落としていた。言われた県道を辿った先、オオクラダムという別のダムが存在していた。え、またダム?


『カマフサダムが安定しないからオオクラダムとその下流にある浄水場にも同時に展開していたってだけよ。センダイの水利はモニワとナカハラ、この二つの浄水場が生命線だからね』

「水に命かけてんな」

『センダイは杜の都って言われてたし、これからは杜と水の都になるのかもね』

「そりゃ新しい……ん? センダイ市街って動物による感染被害出てないのか?」

『出てないみたいね。野鳥自体を近づかせないようにしてるみたいで、鳥はほとんど見ないわよ。マツシマはひどいって聞くけど』

「それセンダイの分がマツシマにいってねーか?」


 マツシマと言えば軍の飛行基地がある場所だ。マツシマ湾はシオガマ港という国内有数の漁港があった場所で、元々養殖業なども行われていたのもあり、大規模な船は出せないはずだがどうしているのだろう。いや、たしかイシノマキまで行けば帆船の実物大模型があったはず。帆船のノウハウはあるのか?


『さあ? もともと海鳥が多いところだったみたいだから』

「そうか。で、ここからニッカワまで抜ける間にある町はどうだ?」

『えーっと、んー、モトイサゴかな? ちょっと待って』


 印東くーんと声が聞こえる。ああ、近くにいたのか。印東とは俺の元部下であるエンジニアの名前だ。印東錦いんとうにしき。年は俺未満千聖以上、トウキョウでのスカベンジ中に、あるマンションの一室で引きこもっていたところをスカウトした男だ。不健康なまでのやせ型で日ごろからやや不満げな表情をしていた少年だったが、情報系と一部機械系に強く群狼時代からそれを生かして活躍していた。研究所所属になってからもドローンや情報端末の操作を担当していたが、軍に所属していた群狼時代の友人がMIAしたことに疑問を感じて捜査していたところ、相手に勘づかれたので失踪した。もちろん嘘だが。

 当時から極秘の外部協力者として動いていた小屋姉妹のところにアーチャーと共に身を寄せており、今回俺がセンダイへ異動することになった際に小屋姉妹ともども移動してきたのだ。彼一人いるだけでやれることが大幅に増えるのだから、当時の俺の鑑定眼には敬意を表したい。ちなみに情報機械系に強く基本思考は和マンチと呼ばれるルール至上主義。こいつも大概外道ではあるが小動物好きという側面もある。純粋なものが好きと言えばそうなのかもしれない。


『マックス?』

「エンジニアか。調子はどうだ」

『その挨拶おっさん臭いからやめた方がいいよ』

「そうする。モトイサゴ? の情報は?」

『だいぶ前に避難指示が出てる。アヤシ、ニシキガオカあたりで裏どりする必要があるかも』

「残ってる可能性あるか」

『どう見ても限界集落だし、パンデミックが無くても終わってたでしょ。終の棲家から離れているかどうかだね』

「了解。他に気を付けることあるか?」

『457を抜けてくると変電所通ることになるから、別の道から行くか目を盗んで抜けるかして』


 地図を見る。発電所と変電所の違いとは何か。発電所で生み出された電力を各地へ配電する際に様々な理由でロスが起こるため、一度高い電圧にし各配電設備へ供給する必要がある。その役割を果たしているのが変電所だ。その中でもエンジニアが指摘した配電所は大型で周囲にあるメガソーラーやダムの水力発電などの電力を集約し、センダイへ配電している超高圧変電所なのだという。


『そこ、設備的に割と国内最先端っぽいから、多分人が出入りしてるはず。風力やソーラーの不安定な供給に対して大規模な蓄電池システム採用してるから割と電力に困らないというか。まあそれなりに大事な施設のはずだから、人を配してはいなくても守りは固めてるはず』

「そっちで地形見れねえか?」

『OK。……木材として伐採されてなければ大丈夫そう。変電所と457繋ぐ道が少し開けてるから、そこをどう抜けるかだね。お手並み拝見』

「とは言ってもその後峠道あるだろ、これ。せいぜい監視してるやつがいるくらいで、排除するならその後の峠道じゃねえか?」

『……そうかも』

「まあ考慮しとくわ。サンキュー」


 地図上でうねりを繰り返す道が続いている。俺がここを守るのなら入口を監視する人間を置き、峠道で視界の悪い部分の片側に傾斜をつけ坂を転がり落ちるようにひっくり返す仕掛けを用意すると思う。その方が確実だ。徒歩でくる連中には道路脇、森の中にダミーを置いてかく乱し足をかける罠、ピットフォールなり草罠でもいい。足を止めさせれば後は狙い撃つだけだ。

 そもそもセンダイ市街地を狙うために変電所を襲撃するってリスクが高すぎると思う。たしかトウホク電力の管轄内にはそれこそミヤギに原発が存在していたはずだ。普通はまずそこに手を付ける。この変電所もあくまでセンダイの西の変電所でしかない。むしろ、電力を欲している連中ならば狙うのは拠点付近の配電用変電所なり、発電設備なりだろう。

 とはいえ設備的には美味しいのかもしれない。シンプルに容量の大きいバッテリーというのは需要がある。入手難易度を考えなければ。


『どう? 方針は決まった?』

「大体。あとは足の燃料が持つかだな」

『ヤバそう?』

「持つだろうけど、軽トラって目立たねえか?」

『持ってきてくれると嬉しいな~』


 急に猫なで声で催促する小屋妹に寒気がする。いや、理由は何となくわかる。軽自動車の規格で荷台があり小回りが利く。山間部や田園地帯を走るのに彼女たちの乗っている大きいピックアップトラックでは不便な場面も多いのだろう。


「止まっても押して来いってか」

『牽引くらい余裕よ』

「そんなに軽トラ欲しいか」

『燃料費がね。海側で油使うからBDFバイオ燃料の生成は安定してるみたいなんだけど、所属によっちゃ高いのよ』

「あー、これ電気自動車調達しなきゃ大変かもなあ」

『印東くーん!』


 早速印東が呼ばれてる。購入するよりどこかで調達してくるんだろうが、多分俺が予想してる電気自動車と違うぞ? 俺が言っているのは前時代的な所謂ソーラーカーをイメージしてのことだ。あいつは恐らく新しいほうの電気自動車をイメージしているんだろうが、車体とスタンドをどうするつもりなんだ? え、もしかして配電用変電所抑えに行けとか言わないよな? 充電スタンド取ってこいとか。有り得そうで怖いんだが。


「そろそろ切るぞー」

『ちょっと待って! 千聖は大丈夫なの?』

「キノコって見分けるの難しいよな」

『ちょっと、変なこと考えないでよ!』

「冗談だよ。マイタケの原木見つけた。養殖ものだ、いるか?」

『持ってきて! いい値で売れるわ!』

「あいよ。先に味見しといてやるよ」

『こっちの分も残しといてよね!』


 ぷつっと切られた。

 キノコの原木があったのは本当だ。ただこんなところで育つはずもなく。ああでも言わないと予定を繰り上げそうで使った方便というやつだ。

 俺はシャッターを開けて外へ出る。車には眠ったままの千聖がいる。先ほど改めて睡眠の魔法をかけたからしばらくはぐっすりだろう。この周囲には既に人避け、消臭、消音の魔法をかけてある。これで内外共に誰も近づけないだろう。

 先ほど探知の魔法を方向を絞って使い、ゾンビがいた場所の詳細な情報を得た。3階建ての建物が4棟。その中にまばらにゾンビがいる。動きが緩慢で、全く微動だにしないゾンビも多かった。こういった動きを見せるゾンビの集団は割と記憶に多い。ある施設に入居していた特定の人間が集団感染した場合の末路だ。

 どのみち老い先短い命だったと諦めてもらおう。

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