第5話


 カワサキという町は田舎である。田園地帯に極一部の市街地がまとまって存在している。山間を縫って通っている道が町と町をつなぐ唯一の連絡路。通信設備はいくつか生きているとはいえ、破壊してしまえば使えない。既にパンデミック発生から10年。とっくの昔に壊滅していてもおかしくない規模の町。隣県と都市部までをつなぐ高速道路さえも管理されているわけではない。ではこの町で生きていた人間はどこにいるのか。

 カワサキは既に滅んでいる。既にゾンビが街を闊歩する死の町と化しているのだ。極わずかな生存領域に隠れるようにして生きていた人間の集団は、生産的な活動をしていたわけではなかった。所謂カルト集団と呼ばれる連中の生き残りがひっそりと息をひそめるだけの廃墟で、それは横たえていた体をゆっくりと起こした。

 カワサキで起こったのはパンデミックという名の蟲毒だ。最初は良かった。都市部から離れた田舎町。東にあるダムとその傍にある広場は湖畔と森林地帯という静かな場所で慎ましやかに、しかし平穏な日々を送れていた。

 いつからだったか。カワサキにも人が増えた。徐々に人と人の距離が近づくにつれ、差が出てきた。富める者、貧しいもの。上に立つ者、靴を舐めるもの。そうして誰かがゾンビを殺した。町を守った人間を、自分の家族を殺したと言って殺した人間が現れた。

 人間が増えた。ゾンビになった。ゾンビを殺した。ゾンビを殺した人間を殺した。そうして出来上がったのが、人が人を殺し、ゾンビを助ける集団だ。笑いながらゾンビ症に罹患するもの。泣きながらその人間を殺す者。

 そうして、その裏で町の危機を救おうと立ち上がった人々がいた。彼らは、カワサキが危機に瀕していると判断した。何から町を守るのか。それは人間から、だ。西から来るもの、東南北に繋がる道も必要以上に警戒していた。そうして、彼らは人間を排し、ゾンビで溢れかえった町を見てこう言った。平和になった、と。彼らはゾンビを敵としなかった。ただの感染症患者であれば隔離すればいい。誰かが言った。だが数が多い。逆だ。自分たちが隔離された状態であればいい。

 そうして僅かな生存区域を針の穴に糸を通すようにして作り上げた。西からやってくる連中はゾンビたちが教えてくれる。高速道路は今でもゾンビが闊歩している。

 誰かが気付いた。ゾンビの数が減っていると。徐々に減少傾向にあったゾンビは、捕食を始めた。同類を、だ。ゾンビによる蟲毒は、やがて終わりを迎えようとし、しかし終わってしまえばゾンビが死んでしまうと、町の連中は食料を確保しようとした。幸い周囲にはまだ活動を続けている集落があった。


 河鹿典正は気付いていない。カワサキにはゾンビしかいない。自分たちを襲った連中も、後は残党の数名を残すのみであると。その数名も既にゾンビの贄になったか、自ら別れを告げた人に会いに行った。

 ここに現れるゾンビは、転生者、河鹿典正からすれば見慣れた特異個体であるかもしれない。カワサキで起こったこの蟲毒の様な儀式は、悲しく辛く、やり場のないものだとしても、河鹿典正は気にしない。そんなありふれた、今更なことにいちいち頭を回さない。彼は転生者であるが、この世界で10年生き残り、国内では他の追随を許さぬほどにゾンビというものを殺してきた、殺戮者であると自覚しているのだから。




 これまでトウキョウで活動してきたのでそれなりの経験があると自負している。ゾンビを倒す方法などいくらでもあるし、ゾンビを欺く方法も知っている。それがここにきて、どうにも足踏みをしているような、4つ足の肉食獣が獲物を追い詰める速さに比べどうにも牛歩でもしているかのような閉塞感を感じていた。原因はわかっている。それは土地勘でもあるし、このカワサキの東部の地形によるものであるとも理解していた。

 地図でどこに何があるか、地形はどういってモノかというのを自分の中ですり合わせながら進んでいるが、索敵範囲が絶妙に届いていない。ゴルフ場を抜けてカマフサ湖にたどり着いたが、北東にゾンビの気配を感じるだけでそれ以外は全くと言っていいほど何もない。

 ここから北東にカマフサダムを通っていくか、西へ最短距離を進むか。西に行ってカワサキの町を確認する必要はあるが現状必須かと言われるとそうでもない。ダムまで行ければ東西と北への道が開ける。

 センダイの街中からここまで続く国道286号がカマフサ湖を横断していて、市街地北部を回り込むようにしヤマガタ道のインター前を通りヤマガタ道と並走、そのままヤマガタ市内まで続く道がある。現在地からカワサキを抜けようとすればどうしてもこの国道を渡る必要が出てくる。

 特異個体の勢力内にいるゾンビに見つかれば一斉に集ってくるだろうし、遮蔽物も少ないこの場所ではどうしても数的不利を被ることになり、数の暴力にさらされることになるだろう。なにより、俺の場合不安を取り除く手段の上位に武力行使が来るため咄嗟の判断で数的不利を覆すために派手な戦闘になる可能性が高い。

 時間と距離の利点を潰して安全を取るのが当然なのだが、カワサキの町がどうなっているかが全く分からないのがもどかしい。

 俺はハンドルを切って北東に車を走らせる。カマフサ湖の水面までには木々があり遠くまで見通せないが、逆に人がこちらを見つけることも不可能だろう。もちろん魔法を使っているというのもあるのだが。


「外見とけ。対岸、橋、目立つ建物の窓」

「了解」


 簡素なオペラグラスでは見つけづらいだろうがやらないよりはましだろう。千聖の目が離れたところで集中して魔法を使う。エンジン音、走行音は必要。水面は見えないから透過は可能。適宜魔法の調節をしながらカマフサ湖を回り込み、国道286号と合流する。索敵を継続したまま堤防の上に差し掛かりそこからゆっくりと走り抜ける。前を見ていた千聖をちらりと確認しながら、視線を前に戻す。

 左手にカマフサ湖を見ながら堤防を抜ければ右手の斜面の上に建物が見えた。索敵に反応はない。しかし、建物上部。屋上フェンスのさらに上。四角い箱型のそれを見て俺は自分の失策を理解した。


千聖キャット。右、屋上左端」

「……カメラ」

「……だよなあ。行くか」

「そっかー。ダムの周りって監視用の定点カメラあるんだっけ」

「生きてるかどうかも怪しいもんだが、生きてたらあんまりよくない」

「そうなの? この車だってこの辺のじゃない?」

「顔抜かれるとまずいんだよ」

「フード被って眼鏡してるのに?」

「お前は何も隠してねーじゃねーか」

「あ、はい」


 そもそもの話であるが、ダムというのは遠隔操作が可能ではある。しかしセキュリティ面の都合上遠隔操作システムを導入した場所は無かったはずなのだ。少なくとも10年前、パンデミックが起きた頃にはそうだった。ダムが稼働しているかどうかは正直今の段階ではわからない。しかし監視カメラは比較的容易にアクセスできるうえ、誰でも見ることが出来るものだった。ネットワークシステムが生きていて、カメラが稼働していて、尚且つ俺たちがしっかりと映りこんでいた場合、ここまでやってきたことが無駄になる。

 魔法による機械類への隠匿は効果がある。恐らく映ってはいないだろう。問題は音だ。明らかに車の走行音がしている。透過しているから路面を詳しく観察すればもしかしたら車が走っているというのがわかるかもしれない。俺の気の配り方が問題ではあったが、はっきり言えば心配は無用だ。しかし、どこにでも頭のおかしい科学者というのは存在する。特にこんな状況であれば、突飛な発想も真とする、真実と思い込み思いもよらない試行錯誤をする人間を多く見てきた。その多くはゾンビに関するものだったが、だからこそ俺を狙ってくるような連中はどんな些細なことも俺に繋げて考えるだろう。

 そもそも俺の存在が鼻につくというやつはトウキョウには腐るほどいる。そういったやつらを相手に何年も過ごしてきたのだ。軍の参謀、トウキョウに存在していた自治集団組織、カルト集団。最後には俺が所属していた研究所内にも人を派遣してくるくらいには、俺は恨まれているらしいからな。

 可能性は低くともリスクが大きすぎることから少なくとも記録されたであろう映像は消去しなくてはならない。索敵を飛ばしながらダムの管理棟を目指してアクセルを踏み込んだ。


 ダムの管理施設には結局ほとんど手を付けることはなかった。ゲートの開閉制御盤などはもちろんのこと、どうも後付けの装置が見えたので下手に操作して居場所を知らせることになる可能性を危惧したものだ。こうなればこちらの容姿に手を加えることも考える必要がある。

 今俺と千聖は管理棟のロビーで資料を漁っていた。このカマフサダムの重要性についてだった。

 このカマフサダムはセンダイ市内に生活用水を給水しており、このカマフサダムからセンダイ市街の生存圏南西にある浄水施設に送られ、そこから現在のセンダイ生存圏全域に水を配給している。少なくとも今現在のセンダイの生存圏拡張方針の一つがこの水利なのだとは理解した。そして市街地を中心とした集団が港エリアを中心とした勢力と対等に渡り合う、いや協力することが出来るのもこの水を配ることが出来ているからなのだろう。

 つまりこのダムの管理には未だに人の手が入っている、人の手が入る予定があるということになる。

 しかし、常に万全の管理が出来ていたかと言えばそうでは無いはずだ。管理棟3階にある管理事務室には赤黒い血痕が残されていた。鉄さびにも似た臭さに思わず顔を顰めるくらいにはひどい有様だった。

 問題はこんな有様になっていながらカワサキを支配しているであろう人間の集団がこの周囲にいないことだ。俺自身の手で数を削ったとはいえそれで壊滅していると考えるほど平和的な考えはしていない。この町の規模から考えて半分も削れていないと考えていたが、こんなにいないものだろうか。

 他に人を配すべき場所があったとして、例えば近隣へつながる道の監視、重要施設への警備、ただし他の町と交渉の余地のある、ダム以上に重要な施設。周辺の地図を見ても、せいぜいが発電施設くらいで、それもいくつかあるメガソーラー施設が一カ所あるくらいだ。そのメガソーラーにしてもダムより重要かと言われると疑問が生じる。

 ともあれ、今考えるべき重要なことは、いずれこのダムにもセンダイから戦闘部隊と管理者が向かってくるだろうということ。ダムの定点カメラに映った俺たちを見た者がいるかもしれないこと。この二つに対して、ワカサキの連中がゾンビと共に襲撃してくるかもしれないこと。

 わざわざダムのカメラを見て俺たちに遠方から会いに来る奴らがいるとは考えにくいので除外。少なくとも今ではないだろうという予想。定点カメラの情報が軍に行く可能性はあるが、情報の意味合いとしては敵としての情報だろう。その場合は車だけ乗り換えればいい。なんならカワサキ市街に置いてゆき、小屋姉妹をこちらまで呼び寄せたほうがいいだろうか。彼女たちの足跡を辿られないよう忠告する必要があるか。


「千聖、そっちは」

「こっちは水位の計測データとか取水設備の測定データを出力したものみたい」

「日付は」

「3年前」

「3年? それ以前は?」

「えっと……ない、かな」


 データが新しすぎる。いや、古いのか? 何らかの形で3年前まではこのダムに手を入れられていたが、3年前を境にここに近づけなくなった。とするならば一番西にある拠点、わざわざ防衛線の外に置いている拠点は何のためかと思ったが、もしかしてダム近辺の監視やダム設備を奪取するため、か? 山間に開かれた住宅地の端にある天文台ということで深く考えていなかった。トウキョウでも天文台に籠っていた研究者を見たことがあるが、その研究者、いや観測者は続けることに意味があると言っていたのだ。

 すると、あまり時間が無いのかもしれない。俺たちにとって一番会いたくない相手というのは、センダイの都市防衛隊に所属しており、トウキョウの軍幹部に連絡が取れる相手と会う事。つまりは俺たちの存在がトウキョウの軍に伝わり、そこから俺を始末したい存在に俺たちの生存が伝わることが一番まずい。

 時間の経過を考えれば既にトウキョウの都市防衛隊はセンダイに到着して俺たちのことを報告している可能性がある。準備や態勢を整えてスムーズに捜索に移行する可能性自体は怪しい部分があるが、いずれ形ばかりの捜索は始まるだろう。そうしてカワサキの集団の死体が見つかれば西の拠点にいる集団にも動きが出るだろう。万が一を考えれば明日の朝、というかもう数時間後にでも俺たちや車に残した道具類の捜索が始まるかもしれない。

 今北と東に出てしまえば監視に引っ掛かる、最悪かち合う可能性もある。道は決まってしまったようだ。


「西へ行く。もう少し頑張れ」

「私よりリーダーは?」

「もうすぐ夜明けだ。午前中休めるようなところを探す」

「近場にあるよ? 山奥だけど」

「いや、それならもう少し進んだ方がいい。幸い元々この辺にある車だ。車だけなら俺たちだと断定はできないはずだ」

「えーっと、じゃあこの工場跡は」

「……よし。一度行ってみよう」


 きっと生きて戻れば軍や研究所から祝われ、都市内で生活が送れるのかもしれない。でも俺にはそれがいい生活とはとても思えなくて。それはきっとこの世界における主人公たちを含むキャラクターに対する遠慮や、もしかしたら憧れみたいなものがあるのかもしれない。この世界は彼によって切り開かれていかなければいけない。彼らの友情、努力がこの世界を動かすことのできる唯一のものだと思っているのかもしれない。そしてきっと、それを強いるこの世界を俺は嫌悪しているのかもしれない。

 力があって、今ではある程度の知識や技術もあって。それでいてやることが、解決のできない、終わりの見えない修羅の道であることに、俺は嫌気がさしたのかもしれない。最初は自分が悠々自適に過ごすためであったし、考え方としてはほとんど何も考えていない子供のような考えしかなかった。

 怠惰を求めて勤勉に行きついたまではよかった。ここから先のことを考えるだけで、今までは楽しかったのだ。主人公とヒロインの立志伝。強敵と仲間との邂逅。最後に待ち受けるゾンビというものに対するアプローチ。

 知っているからつまらないのか、既に俺のなかで終わった話だからなのか。俺はこの作品が好きだったはずだったんだがなあ。車に乗って一つ溜息をつく。隣にいる千聖がこちらを覗き込んでいた。何でもないと返し、俺は車を走らせるのだった。もちろん魔法は発動した状態で。

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