第4話
ニッカワを目的地に決めた俺は、その日の夜、最寄りの集落の様子を調べようとして車へ乗ったのだが。
「どちらへお出かけで?」
「偵察」
「私も行きます」
「寝てていいのに」
「行きますぅ!」
「はいはい」
ニッカワまでは一日で行ける距離だが情報を要求している手前、少し時間をかけるつもりだ。少なくとも明日はこの集落を越え、その先にあるカマフサダムの近くを通って北へ行くつもりだが近隣の勢力図くらいは把握しておきたい。そのための調査なのだが、
夜目を利かす暗視の魔法は眼球にかける魔法だ。そういう訳で魔法を行使している途中は僅かに目が光る。かすかにぼんやり光るくらいなのだが、あんまり見られたくないんだよなあ。まあ折を見て、車に揺られながらキャットには眠ってもらうか。
俺の魔法は基本的に魔力のような燐光が発生する。日中、日差しが強ければほとんど気付かれない程度のものだが、夜はわかる。光学的なもので燐光をごまかすことは可能だがピンポイントに燐光だけを指定するのはかなり面倒くさい。自分自身に光学的な迷彩を施しているときは併せて隠してくれるのだが、こういう時に少々面倒になる。
魔力の拡散で可能な限り薄めることは可能だが、それだと効果が安定しない。もっと言えば、眼球内にある錐体細胞と杆体細胞をバランスよく、もしくは杆体細胞をピンポイントで強化できればいいのだが効果が安定しないのだ。見える時と見えない時が出てくる。あまり実用的ではないので、十全に効果を発揮させたい魔法に関しては後から見た目を誤魔化すようにしていた。
この眼球にかける魔法の中には全く問題なく発動し効果を発揮できるものもあるが、この暗視や遠見の魔法は見た目にわかりやすく反応が出てしまう。結局フードや帽子を深く被ったうえで眼鏡やサングラスで誤魔化すなどをしている。ついでに、眼鏡やコートに魔法を付与することは可能だ。効果時間や魔力源となるものや管理が面倒なのでごく少数を使うに留まっているが。
これに関しては俺が魔法に関する研究ばかりしていた弊害だと考えている。体液や概念的に髪に魔力がこもるというのは理解できるが、目に見えない、特に何かを感じるようなこともない、目に見えない力やエネルギーの詳細な運用というのは早い段階で諦めた。単純にどれだけかかるか予想が出来なかったのもあるが、運用効率が上がったとして、それで燐光が消えるという確証がなかったこともある。荒唐無稽ではあるが誰かにバレるリスクを考えると、魔法そのものの運用にリソースを割く方向にシフトしたのはある種当然の帰結であった。要は、他人にバレない魔法の使い方を意識してきたということである。
とはいえそれにも限界がある。だからこそ隣にいる千聖や群狼幹部と言われる面子には、こういった現象が起こりえるという事を伝えてある。わざわざゾンビの噛み跡まで演出した。ついでに魔法が使えると冗談交じりに伝えてもいる。
知っているのは3人。千聖とアーチャー、エンジニアの3名。ブランドとドクターには伝えていない。これはシンプルに前線での活動をするタイプと後方支援型との差だ。特にブランドは情報に価値を見出しているし、ドクターは医療系を生業にしていただけあり、興味や関心が強かった。なんなら千聖を保護した時も研究対象にしようとするくらいにはマッドな部分もあった。
とはいえその二人は既にいない。MIAとなってはいるがまあ死んではいないと思う。軍の参謀部からの排斥運動に巻き込まれたようだがそう簡単に死ぬような諦めのいい人間ではない。とはいえ次に会うときに味方とも限らないが。
この辺りはハセクラと呼ばれる地区だがそのほとんどが山で、地区の中央部を抜ける県道沿いに開かれた土地は僅かな住宅地以外は田畑しかない。適宜探知を飛ばしているが人の反応がない。田畑もおおよそ手入れが為されているとは言い難い状況で荒れ放題となっている。
正直どれだけ小規模でも小屋姉妹の情報網に架からない集団はいると思っていただけに肩透かしを食らった気分でもある。立地的にも規模的にもここはまだ細々と田舎の暮らしができるのではと思っていただけに、別の理由がありそうだが、さて。
気になると言えばここから更に西のカワサキだ。カワサキはかなり広く何よりヤマガタ道のインターチェンジがある。ヤマガタ道から来たゾンビの集団はどこから来たのかという答えの一つがこの先にある気がしている。同時に俺たちを襲った連中はこの先にあるカワサキか南にあるムラタを拠点としている連中だろう。更に言えば政府側に伝手のある人員がいるはずだ。なによりカワサキはヤマガタへ通じる道をコントロールしている。現在まで続いていることを考えれば現状で関所のようになっていると考えられる。
隣県であるヤマガタは山間に開かれた盆地にある町で、盆地にある6市すべての人口を合わせてもセンダイの半分程度だ。もちろん面積の違いなどもあるが問題は地形だ。
ヤマガタは東西に山があるため南北に抜ける道が整っているが最短距離で西に抜ける道はない。どちらかと言えばまだセンダイへ向かう方が距離的には近く、また峠道であるため人が少ないという状況。ゾンビに追い立てられて東へ向かったという人間も多数いたはずだ。であれば、県道や鉄道を使うより高速道路を使った方が見晴らしも道もいい。そうして移動してきた人間がカワサキに集まり、カワサキで一時的な人口増加。人が集まれば起きるべくして起きるのが軋轢や感染爆発。
ゾンビが多いだけならばある程度理解はできる。それを制御する方法がなかったはずなのだ。しかし現実としてゾンビをこちらに差し向けてきた連中がいる。少し離れたムラタで情報を受け取り、カワサキでゾンビを支配している組織と交渉した、なんてことも考えられるか。
そう考えればカワサキにほど近いこのハセクラから人がいなくなったのも理解はできる。荒らされたのが先か、逃げたのが先か。ともあれしばらくカワサキに関しては様子見だな。用があるとすれば高速道路の料金所に隣接する交通警察の分隊駐屯所くらいだろうか。間違いなくあるし、いるよなあ。
ハセクラ地区に唯一あった学校跡地を利用した商業施設の裏手に車をつける。
「ここ、寄って行くんです?」
「いや、道を確認する」
ニッカワまで向かう道は現実的なラインを考えると2通り。県道を東に向かい道なりに北上し国道に合流するか。裏道を西へ向かいゴルフ場を突っ切ってダムの淵を回り込み北上する道。どちらも最終的に県道62号、フタクチ街道を西へ向かうことになるだろう。ただしフタクチ街道への合流地点であるアキウは小屋妹が言っていた西の拠点である天文台のある土地から南に出た先の合流地点とかなり近い。
正直下手に目撃されて意識されるのは避けたいところだ。というかカマフサダムの河口から道一本で目の前にまで来れる。アキウ自体が天文台とカワサキの集団の緩衝地帯となっている可能性はないか? 監視はかなり厳しめ? それならいっそカワサキの北部をうまくかわしてアキウの西側に出るか? カマフサダムをぐるりと反時計回りし、国道457号を北上する、というのはどうだろう。
ひとまずカマフサダムの河口付近まで行くか。どうするにせよそこからならいくらでもプランの変更がきくし、明日一日情報収集に使ってもいい。
「どうするんです?」
「とりあえずカマフサダムまでは行く。そっから東、西、北の三択だ」
「じゃあ西で。面白そうなんで」
微笑む千聖に思わず頬がひきつる。こいつの言い方には特徴がある。面白そう、という言葉には根拠があるからだ。
「何か聞こえたか」
「うん。怨嗟と悲嘆と憤怒の三重奏。今まで聞いたことない類」
千聖は元ゾンビ症感染者だ。元々ゾンビに襲われ死にかけていたところを俺が気まぐれに助けた縁があってここにいる。俺としても魔法でどこまでできるかという実験をしていたのだが、迂闊だったと言わざるを得ない。無用心の対価は十分回収したつもりだが、結果を見れば俺が人でなしという結論に落ち着くだけであった。
紀谷千聖との出会いはよくあるものだった。一度襲撃を受け負傷、感染し発症前に再度襲撃を受けたのだろう。どこがとは言わないがひどい欠損状態にあった。しかし彼女は生きていた。生きているとは到底言えない状態であったにも関わらず、彼女が命をつないでいたのは偏にゾンビ化による肉体の耐久力、持久力の強化保存化現象によるものだと今では思う。当時の俺は目の前の死に体の少女を見て、実験素体としか見ていなかったのだから大分極まっている。
今からおよそ10年前、県外の学校から脱出しトウキョウでスカベンジャーとして活動していた俺はゾンビの襲撃を受けた避難施設跡を探索していた。その最後、がれきの隙間に収まっていた彼女を発見し、誰にも見られていないのをいいことに治癒に関する魔法を試したのだ。
治癒と言っても方法やアプローチは様々だ。ゲームにおける傷を癒す魔法というのはどういったものか。自己治癒力の強化? 魔力による補填? それとも神への祈りの対価? そのどれもがある程度実現したが、俺が選んだのは復元という方法だった。
そこにあったものを元に戻す、という方法。巻き戻すのではなく、肉体の設計図という記録を参照した再構築。十分な血液までは補填できないあたり非常に都合がいい魔法だった。とはいえ復元の魔法は失ったものを元に戻しただけであり、新たにできた病巣などに効果はない。つまりゾンビ化において重要な患部の治療は出来ていないことになる。
ゾンビ化において一番の問題は、脳内に変異結晶と呼ばれる結晶体が生成されることにある。原作知識を持つ俺だからこそ知っていることだが、この変異結晶は徐々に肥大化し、一定以上の大きさになると活動を開始する。早ければ48時間程度で、遅くとも1週間以内には結晶が励起した状態になる。
結晶が励起するとどうなるか。脳を支配する。支配すると言っても物理的に圧迫を受け始めた時点で脳が正常な動作をしなくなり、徐々に理性というものを失い行動の根本が励起した結晶から発せられる信号を元にしたものに置き換わる。
信号は基本的に上位の個体、感染元を辿った先にいるゾンビのものになる。ではその上位の個体を倒せばいいのかといえばそうではない。励起してからもゾンビの信号以外に本人の意志や欲望を汲み取る、らしいのだ。
これが『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』の世界における一つのキーとなっているところで、これまでのように科学的に説明できるはずの要因が、説明できなくなっている。この作品から急にオカルト染みた要素まで登場しているのだ。出てきた要素は【呪い】だ。
魔法で呪いを使い始めたのも、このことを知っていたからだし、なんならこの変異結晶でやり取りされる信号の正体もそれだ。究極の生存欲求。ただただ生きたいという
さて、ではそんな呪いに対抗する手段と言えばシンプルなものだ。古来、人は厄災に対し神に仕えるものが祈りを捧げてきた。そこだけ切り取った魔法を用意すればいい。シンプルに解呪で対応できるはずだと考え、実行してみれば一応合格らしい。
変異結晶は今も千聖の頭の中に残っている。しかしその結晶がこれまで励起することは無く、しかしゾンビ化による肉体や感覚器の強化保存状態は維持したままという、所謂強化ゾンビ人間とでもいうような状態になってしまったのだ。
赤ペンで丸もらってるのに回答より長い注釈つけられたような感覚になりながら、それでも俺は非人間であり続けた。千聖にかけた魔法は数知れず。治癒や解呪はその後もかけていたが、呪いや催眠、暗示の魔法なども彼女を使って実験していた。因みに彼女の尊厳があるかどうかは知らないがそれらに抵触するような行動はしていない。あくまで彼女は感染者である。それは俺の中で何よりも先に来る条件で、明確な事実だからだ。
幸い彼女は俺に恩を感じてくれていることもあるので、あまり調子に乗りすぎて関係性を破綻させるようなことは避けたい。俺にとって最も身近な実験体であり優秀な部下でもある。流石に今更彼女を失う訳にはいかない。10年努力してきた彼女の成果を最近は良く実感している。
彼女の非励起状態の変異結晶でも機能はしているようで、それがゾンビたちによる変異結晶の信号を理解し、明文化することが出来るという状態。そしてその信号の強さによって、ゾンビの状態をおおよその範囲で把握することが出来るという能力。
「特異してるか」
「おそらく」
「よく生きてんな」
「上手く隔離してるんじゃない? 水上で隔離してるとか?」
「距離的にはどうだ?」
「うーん……どうだろ? ダムってあっち?」
「……いや、もうちょいこっち」
指さした方向を修正。千聖は真西の方向を指していたが、それを北西方面に修正。
「じゃあ違うかも」
「インターか?」
「そう……かな?」
余計に行きたくなくなった。
ゾンビの状態はいくつか別れている。一般的な感染者。所謂普通のゾンビ。この状態だと変異結晶が感染者にもたらすのは若干の肉体の強化保存作用くらい。しかし変異結晶が数年かけて育つと変異結晶の作用が変わる。これを特異結晶と言い、ゾンビという感染者が進化する。
特異結晶とは変異結晶に蓄積された呪いが一定量を超えることによって起こる結晶の状態変化で、一番の特徴は周囲のゾンビの変異結晶に影響を与えるということだ。つまりは指揮個体となるということ。ゾンビがゾンビを指揮するのだ。
変異結晶が特異結晶になるのに年単位が必要と言ったが、本来であれば5年かけようが10年かけようが変異結晶が特異結晶になることはない。重要なのは呪いの強さだ。つまりは変異結晶と感染者の欲望の強さに因果関係があるのだ。
一般的な変異結晶は生きたいという生存欲求に端を発するものだが、それが感染者の欲望に絶妙に絡みつくことで変異結晶が徐々に変貌する。
欲求自体は何の変哲のないものだったりする。生きたいという願いに近しい、逃げたい、飛び越えたい。抵抗手段として殴りたい、蹴りたい、戦いたい。場合によっては突き飛ばしたい、叩き潰したいなどもあるだろうか。
そういった感染者との欲望と呪いが絡み合い、変異結晶が特異結晶となると感染者自体の容貌が大きく変質する。一目散に走ってくるランナーや跳躍力に特化したジャンパーなど特徴的な個体ができあがる。それが特異結晶を持ったゾンビ、通称特異個体だ。
彼らは『ZOMBIE×ZOMBIE 』シリーズでもお馴染みの特異個体であり、ゲーム的には対処の難しい相手ではなかった。とはいえ過去シリーズではどいつもこいつも銃を片手に立ち回っていたし、プレイヤーの適当なエイミングもアシスト機能によって次々頭を抜かれる有象無象の一体でしかなかった。
とはいえ現実ではまあ厄介だ。これまでに何度か対峙したことがあるが、奴らは周囲にいるゾンビを壁にして自分の姿を隠したり囮として用いたりするちょっとした知能がある様子を見せている。魔法で特異個体に対処していた俺だが、魔法が無ければ実際かなりてこずっていただろうことは想像に易い。先に特異個体を仕留めればゾンビ間での通信が途切れた瞬間目の前のゾンビは無防備になる。要は特異個体というスタン装置くらいにしか考えていなかったのだ。それにいちいち対応する面倒くささを考えれば、嫌われてしかるべき存在だろう。
ちなみにだが、そんな特異個体がもつ特異結晶はさらにもう一段進化を残している。どこのラスボスだと言いたくなるが、『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』の世界であれば後半のボスのほとんどはその状態のゾンビ、特異覚醒個体となっている。俺も正直あまり相手にしたくない。
さて、ただの特異個体であれば俺にとっては然程手間のかかる相手ではない。単純に特異個体程度の耐久力であればナイフで抜けるし、俺は普段から風の刃をまとわせてナイフを振っているので大抵一瞬で首を落とせる。因みに短距離転移の魔法、ショートジャンプと言っているが、それを使ったヒットアンドアウェイやアサシネーションも実験済みだ。問題は誰にも見せられないことと、時間がかからなすぎること。あまりに非現実的であればあるほどその真実を暴きたくなるのが人間だ。とやかく言わない千聖やアーチャー、エンジニアは本当によくできた部下だと思う。
とは言えそんな特異個体に対して、これまで感じたことのないものを感じたという千聖の言葉は無視するべきではないとも思う。特異個体だから余裕だと高をくくって足元をすくわれるのも避けるべきだ。であるならばやることは一つか。
「カマフサダムを回り込んでカワサキの北に出る。町の状況次第で偵察」
「了解」
「お前は連絡役だがな。どちらにせよ合流が先」
「はーい」
今夜は月も出ていない。朝までまだ時間がある。さて、まずはこの地区を抜けることが先決か。燃料も余裕があるわけではないのでカワサキ市街地を走り回ることは避けたいが、さて。どうなることやら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます