第2話
車を止めるためのスパイクが確認されたのは理解していた。軍の高機動車であってもこのスパイクに絡まれるのは避けたいところ。様子を見るために後続を待ちながら相談していたところだった。バンエツ道でも見たスパイクだったがそこにいたのはゾンビだけで、仕掛けた人間であろうものしかなかった。だからだろうか。車から降りた僕たちの耳に悲鳴のようなブレーキ音。次いで聞こえた爆発音に金属が跳ねるような音が背後から迫ってくる。
振り向いた先、転がるようにガードレールにぶつかる高機動車と顔を焼く熱風に思わず顔を背けてしまった。
後方。急襲。わずかに聞こえた
「敵襲! 相手は人間! 数不明! ロケットランチャー! 上の橋だ!」
「後続は応答なし!」
「敵、依然不明です!」
集まりはしたがパニック状態になっていた。敵方からの襲撃が続くわけでもなく、そこには僕たちの声だけが響いていた。そして、それに気づいたのは僕たち以外の隊員だった。
「……静かに! ……ゾンビが寄ってきたな」
「後方です! ジャンクションの向こう側!」
襲撃地点はミヤギに入って最初のジャンクション。ヤマガタ道とトウホク道の分岐点の合流地点手前。この周囲一帯は小高い丘と木々に囲まれた見通しの悪いエリアだ。だからだろう。後方、ヤマガタ道の方向からこちらへ合流する道にゾンビの群れがやってきていた。
「殲滅しますか!?」
「いや……阿部。風間と笹美を率いて時間を稼げ! 他の隊員は俺と2号車の人員救助だ!」
「いや、それには及ばん」
背後に、いた。ゾンビ研究所から今回の遠征に参加していた噂の
「河鹿先生!」
「隊員はそれぞれ複数個所骨折。特に運転手だな。応急処置はした。彼らを連れて先に進むと良い」
「先生、その出血は」
「大したことはない。軽く切っただけだ」
左の眉尻のあたりからだろうか、血をぬぐったからか顔の左側面に血化粧の見えるその人はどこまでも平坦であった。後からやってきた隣の女性に関してはあの派手に横転した車の中にいたとは思えないほどケロッとしている。
「ここで誘引剤を使用し、ゾンビごと今回の襲撃犯に押し付けてくる」
「皆さんは怪我人を収容した後、即座にこのエリアから脱出されるのが良いかと」
「誘引剤や忌避剤が使えるなら全員で逃げられるのでは?」
「先ほど高速の上からRPGで狙っていた者は始末しましたが、他にいないとは思えません。ゾンビによる追い立てがある以上、この先は間違いなく封鎖されている」
「スパイクとRPGで狩りをするなど非効率です。恐らくどこかから情報が漏れたのでしょう。RPGなんてただの集団、組織が持っているとは思えません」
「待ってくれ、それはつまり」
「狙われましたね。私達か皆さんかはわかりませんが」
一瞬の沈黙。
待ってくれ。狙われるってなんだ。何の意味があるんだ。いや、そうじゃない。なんとなくだが計画的だったっていうのは理解できる。でも何のために。僕たちは人を、町を、国を助けるために戦っていたはず、だろ。いや、そうじゃない。そうだけどそうじゃないんだ。
国を立て直すためには政府の、国家の、軍の元で活動するのが正しいと思っていたんだ。何故か。オフィシャルだから。きっと国に従うという事が最短であると、一番の近道であると信じて。
「私と紀谷が請け負います。前方は強行突破に備え封鎖。サイドからはゾンビ、あとは後方から追い立てれば完全に包囲されてしまいますよ?」
「一人は歩けます。もう二人は担架が必要でしょう。まだ上に追加の敵はいませんが、再びRPGで狙われると逃げることも出来なくなります」
「先生方を残していったら意味がないでしょう!」
「ありますよ。本命は私共では無く、君たちという戦力と研究成果です。守るべきは頭数と荷物です」
「まだ車が動くうちに人員と最低限の研究資料を持って脱出することを、強く、お勧めします」
二人とも笑っていた。状況が悪いのは僕でもわかる。霧瀬なんか泣きそうだ。軍曹も難しい顔をしている。返事を返さないのか返せないのかはわからないが、少なくともお二人の提案が一つの策としてアリだというのは理解は出来る。しかしそれは理解できるだけだ。本来の実力や実績などを別にして考えれば非戦闘員の二人を残すという事など防衛隊に所属する隊員としてはとても認められるものではないのだ。
「……わかった」
「軍曹!」
「じゃあ急ぎ要救助者と荷物を載せてください。あ、忌避剤は起動しておきますんで車に乗せてください。現物があればそれだけでも有用でしょうから」
「すみませんが小銃を頂いても? ええ、弾薬は結構です。ああ、フラッシュバンもいくつかお願いします」
「良いんですか!? 僕たちだけで逃げるような」
「まあ、問題ありませんよ。何日かかるか分かりませんが、いずれセンダイでお会いできるでしょう」
軍曹の判断に声を上げたのは僕だけだった。僕の疑問に答えをくれたのは言い出した河鹿先生で。周りは動き出している。動いていないのは僕と霧瀬だけ。
恐らく最善の判断なのだろう。敵の罠によって一網打尽で全滅に陥りそうな場面で目の前の男性一人が余裕の表情を浮かべている。悲観しているようにも絶望しているようにも見えない。ただただ楽しそうに。
「河鹿先生は、怖く、ないんですか?」
「忌避剤は車の前の方がいいでしょう! えーと、怖くないか、ですか? ええ、特には。こういうの、慣れているので。ああ、そういえば、風間君」
「はい」
「以前の話を覚えていますか?」
「……殺してもいい相手は殺すべき相手、という話ですか」
「その後ですね。信じきる、のほうです。私、これまで多くのゾンビ、人間を殺してきましたがその全てに対して謝る気はないんですよ。自分は間違えてはいないので」
そう、なのだろう。これまでやってきたことを思えば下手すれば万を軽く超える規模での活動をしていたはずの人だ。
「ですので必要なら殺します。今回私達を狙ってきた、所謂実行犯は私達には何の関係もない人間かもしれませんけどね」
「……はい」
「もしこの先出会う人物の内、今回の襲撃の黒幕がいたら、君はどうします?」
「……わかりません」
「そうですか。ではその時までに決めておくと良いでしょう。殺すか、生かすか」
「殺せとは言わないんですか?」
「生かした方がいいなら生かす。殺した方がいいなら殺す。それだけでしょう。貴方も軍属。軍にも立場というものがあるでしょうから」
「先生はそれでいいんですか!?」
「黒幕が生きていたら、という話ですか? まあ、特には気にしませんね。今まで散々殺してきました。殺される覚悟なんてとうの昔にしていますよ」
理解できなかった。目の前の人の精神性は、どこか人並外れた、文字通り人外と思えるような強固さがあった。いっそ生死など考えていないのではないかと思えるくらいには達観している。それも度を超えている。
「君は守りたいものはありますか?」
ふと、そんなことを聞かれ、振り返る。青い顔をした幼馴染の姿。生まれ育った町で幼い頃から共に生きてきた、パンデミック後の都市内で勉学に励み、ともに崩れ去る故郷と親から送り出された無二の相棒。
「なるほど。ならば死ねませんね」
僕の視線の先を追って察した河鹿先生が柔らかい笑みを浮かべていた。そうして、ふと思った。目の前の男性は、何かを、自分の大事なものを守っていたのではないだろうか。群狼という組織にあってそれを守り続けた偉大な男は、今何を考えているのだろうか。
「風間!」
「収容が終わりましたか。サボってしまいましたね、新入り君」
「あっ」
「ふふ。さあ行ってください。こちらは引き受けました」
「えと、ご武運を」
「ええ、そちらこそ。振り返らずに進んでください」
後ろ髪を引かれる思いで車に乗り込む。担架に乗せられた二人と、腕に治療跡が見える先輩隊員を奥に、僕は後部のドア越しに振り替える。横転した車から上がる煙のそばに立つ二人の背中が見えなくなるまで時間はかからなかった。そしてこれがきっと最後になるのだと、僕は信じて疑うことはなかった。
車に残ったものはどちらかと言えば廃棄しても問題ない実験道具類だ。必要なものは全て預けてある。俺はと言えば車に残された軍の物資、とは言っても小銃二丁に車に据え付けられている機関銃くらいだ。一応弾薬もあるが後生大事にしておくようなものでもない。
車は横転こそしているがRPGの直撃は避けている。実は発射直前の相手に睡眠の魔法を打った。これ相手の自爆狙いだったんだけど、真っ直ぐ撃たれちゃったんだよなあ。反省反省。一応すぐに忠告したんだが減速中だったとはいえ急ハンドルを切ってはこの車体でも横転してしまった。いや、もしかしたら一瞬加速したかな? 俺は着弾点近くにいながら
横転後直ぐに外に出た俺は元々預かっていた拳銃で高速の上、フェンスを跨いでいた人物に魔法で
脳天を打ち抜いた後は周囲の索敵。西側にゾンビの集団。かなりの数がいる。人間は東側、橋の近くに3名。北側に5名。南側に30数名の集団がいる。とりあえず封鎖足止め役であろう橋の近くのやつと北側のやつを狙う。
呪うというのは効果だけで言えば不幸になるというものだ。とはいえこの魔法は威力の幅が大きいもので、どれだけ薄めても躓いて転ぶし、絞ればそのまま死ぬ。その中間で起こるのは怪我だったり、失せ物だったり、急病だったり。種類は問わずに、結果だけをもたらす変わった魔法だ。
単純に殺さないのは南の集団を動かさないため。しかし下手に刺激して攻撃を誘発させるのもまずい。特に一番近い3人にはまだ砲手が死んだことに気付かれるわけにはいかない。足止めには成功しているから急いで他の連中を逃がす必要がある。
周囲を警戒しながら先行していた隊員たちと話し、意見を誘導する。ここは任せて先に行けをするが、スパイク撤去して、怪我人移動させて、荷物も移してといくつか必要なことをこなしつつ、
隊員たちを見送ってすぐに
誘引剤を使いつつ徐々に後退。トウホク道を北へ行くと、緊急車両の乗り入れ口が見えてくる。バリケードはその奥にあった。不思議な配置だがそれは一先ず置いておく。恐らく逆側にも緊急車両の乗り入れ口があるだろう。
「
「了解」
高速の下を通るトンネルでまとめて捌く。探知に反応はない。フェンスで閉じられているが乗り越えるのには苦労しない。鍵は破壊された跡があり、ゾンビの集団が押し寄せればこじ開けられる程度の閂しかない。それがそれなりにいい時間稼ぎにはなるだろう。
封鎖役が乗っていたであろう車を頂戴しつつトンネル奥に置き、そこに誘引剤を設置する。高速を降りてきたゾンビたちはトンネルの中に入りその背中をさらすだろう。その処理を千聖に任せ、俺は高速道路脇の市道を隠密状態で駆け抜ける。探知は徐々に近づいてくる人間の集団をとらえており、先ほどこちらを狙っていた砲手がいた場所にたどり着いたころには数台の軽トラックに乗った見るからに終末世界の盗賊のような連中が向かってきていた。
脳裏に過るそれを無視する。どうやって始末するか。ゾンビの後を追われると千聖が危ないか? とはいえ狙いは車とその中にある荷物だろう。案の定横転していた車を取り囲む集団だったが、数名が後方でそれを見ていた。ちらりと姿を確認すればひときわ恰幅のいい髭の豊かな男と、比較的身なりの綺麗な男がその様子を見ていた。
研究所や政府、トウキョウの権力者がどちらの知り合いなのか、何の伝手があるのかは知らないがこの小規模集団のまとめ役であることは間違いないと思う。組織の長のようには見えないが、一先ず
車を起こす者と周囲を警戒するもの、後方で指示しているものたちを確認しつつ聞き耳を立てていれば、ここにいた砲手や封鎖役からの連絡がないことにイラついている様子だった。ここでの役割を終え合流したのだろうと話す男には悪いが残念ながらそんなことはあり得ない。
車を起こし、中の荷物に触れた連中に的を絞って直に痛みを与える、痛痒の魔法をかける。大げさなまでに痛がる男たちに注目が集まる。さて、殺すか。
恰幅のある大男を最大出力で呪殺する。びくんと体を震わせた大男はその体をゆっくりと傾げ、コンクリートの地面にその身を打ち据える。明らかに異常な様子に隣にいた男は驚き、しかしそれ以上に驚いていたのは周囲の男たちだ。
この状況だけ見れば、隣の男が恰幅のいい男、仮にリーダーだとすれば作戦中に下克上を起こしたことになる。この男たちの関係性は知らないが、さあ、どうなる。あからさまに狼狽え、自分ではないと訴える男には悪いが追い打ちをかけさせてもらおう。
一部の武器、本物かどうかは知らないが小銃や農具を持っていた数名の男に催眠をかける。そしてその催眠状態の男達に
あいつがやったんだ。あいつが犯人だ。あいつが裏切り者だ。殺せ。
細工は流々。後は結果を御覧じろ、と言ったところか。一先ず千聖の様子を探知で確認した後は、隠密状態で北へ戻る。千聖は丁寧に端から削っているようで数は半分を切ったくらいだ。スゲーなアイツ。もう50殺したのか。
「俺だ。追撃は足止めした。そっちはどうだ」
『そろそろ腕が疲れてきました。弾丸ばら撒いても?』
「いいぞ」
周囲に人間はいない。俺の探知は半径約500mならそれなりの精度を誇る。昔はせいぜい十数mだったのがずいぶん成長したものだ。とはいえその情報を反映させると脳の方が処理にリソースを割くのか、随分と疲れる。探知するだけなら問題ないがその情報を視覚に反映するためにはかなり神経を使う。
一先ずぱららと千聖が銃をばら撒く音を聞きながら先ほどの襲撃者の様子を探知する。順調に数が減っている。
「終わったら車のところに。静かにな」
『了解。誘引剤はどうします?』
「一応持ってきてくれ」
高機動車と誘引剤は残していった方がいいだろう。鹵獲した車と荷物を持ってこの辺りを脱出しよう。少し気になることが出来た。どうせ乗り捨てるつもりだったし、なんなら今はセンダイを活動の中心に据えている仲間もいる。合流地点はまだ決めていないが、東の平野部では無く西の山間を北上してゆく予定だ。上手く落ち合えればいいが。
陰謀と裏切りの現場は凄惨だった。残っているのは洗脳を受けていないものだけだったが、みんながみんなお互いに自分の獲物を向けている。決着を待ってもいいが、さくっと始末してしまおう。隠密状態で近づき風の魔法でアンブッシュ。風の魔法は応用が利くので非常に便利だ。今回は風の刃を無数に生み出す魔法で残った連中を斬り刻んだ。切りつける、ではなく、斬り、刻むから斬り刻むだ。中途半端に痛い思いをさせるつもりも生き残らせるつもりもない。
生存者がいなくなったこの場で改めて探知の魔法を飛ばす。俺ともう一人だけ。人でもゾンビでもない不思議な反応を返すのは俺が知る限り二人。千聖がゾンビの処理を終えこちらに向かってきているのみであった。
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