第二十ニ話 魔王様の憂鬱 VII
「魔王領の人口は爆発的に増加している」
自室のソファに深く腰掛け、ニゴーリはいつものように寝酒のワインに口を湿らせていた。
「このままでは遠からず食料生産料を消費が上回り、全土に飢餓が溢れるであろう」
薄暗い部屋に、蝋燭の明かりだけがちらちらと揺れていた。
「当然、あの魔王はそれを見越して中央平原に穀倉地帯を構築しようとした。調査隊が何件も派遣されて、本人自ら湿地帯へ足を運んでいたのがいい証拠だ」
部屋にいるのは二人、ニゴーリ王と皇太子のツヴァイだ。ツヴァイは王と向かい合って、静かに話を聞いていた。ニゴーリはグラスを回し、赤いワインが波打った。
「確かにあそこなら、魔物を排除できればいい農地になるだろう」
「そこで、水源を抑えるってことか」
「そうだ」
グラスの中で回転するワインを見つめ、ニゴーリが言った。
「いいか、何事も上流を抑えたものが勝つ。下でいくら足掻こうが無駄だ」
ツヴァイは黙ってうなずいた。同じ説教でも、家庭教師どもと違い父の発言には王としての重みがあった。なるほど、これが
「白霊山脈から湿地帯に流れ込む水の多くは連合領を通る。そこを潰してしまえばあそこは小さな湖しか残らんだろう。農業用の水源にするなど無理だ」
「人手は?」
「狼どもを攻めるために集めた兵隊を使う。どうせやつらを食わせねばならぬ。工事にあたらせ、終われば湿原に侵攻する」
「だけど、あれだけの工事はさすがに無理じゃねえか?」
「それでも構わん」
ニゴーリは断言した。
「穀倉計画が潰せればいい。そうすれば、飢餓は広がる。あの魔王はそれに耐えられんだろう。ワシに頭を下げ、イーラを娶るかあの娘たちを差し出すことになる」
幾つもの段階を飛ばした断言をツヴァイは理解できなかったが、女が手に入ることだけは理解し下品に舌なめずりした。
「さて、話はここからだ」
ニゴーリはワインを飲み干すと、グラスを置いた。
「……魔王城の地下には聖剣がある。それを抜けるのは勇者だけだ」
ニゴーリは背筋を伸ばすと、顎を軽く引いて息子を真っ直ぐに見据えた。
「だが、勇者の血を受け継いだ者も、聖剣を抜けるという」
父王の力強い視線に、ツヴァイつばを飲み込んだ。
フカーラ王家が勇者の流れをくんでいるとは聞いていたが、所詮過去の栄光にすぎないと思っていた。いや、栄光は大事だ。それこそが、自分が上流に立つための力の源泉なのだから。だが、こんな秘密があったとは。
「わが王国は勇者が起こした国だ。その血を受け継いだお前なら、聖剣を抜けるはず。その力を持って魔王領を制圧するのだ」
ツヴァイは震えた。
「今の勇者は小物だ、魔王城に到達るまでに暫くはかかるだろう。それまでにすべてを決める、湿地帯はその一歩にすぎぬ」
自分が、勇者。そして魔王。子供すら夢見ないような、馬鹿げた想像。だが、ツヴァイの腹にその妄想はストンと収まった。自分にはそれができると感じた。次代の魔王は間違いなく自分だと理解した。ツヴァイはたまらなく愉快になり、笑いが止まらなかった。
「もっとも、今の魔王を殺しあの娘達をお前の嫁として魔王に据えることが出来たなら、それも必要ないが」
ニゴーリが新しいワインを開ける。それは少し早い、戦勝祝いのつもりだったのだろうか。
王宮の夜は、静かに更けていった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
簀巻きのフェクダが語る、王宮の最奥で語られた長い話。それも、途中から俺の耳に届いてはいなかった。背筋に冷たいものが差し込まれ、俺は動けなくなっていた。
ニゴーリ王が、聖剣を抜ける……!?
全身から冷や汗が吹き出たが、みんなの心配そうな顔を見て逆に落ち着いてしまった。
「……見てきたように話してるけど、ほぼお前の想像だよな?」
「確かに見てはいませんね。聞いてはいましたが」
「は?」
「上手いこと皇太子さまを引っ掛けることに性交、おっと成功しましてね。王宮に招待されたんです」
こいつ、やっぱ山火事になる前に魔王軍から叩き出すべきかな?
「王宮は広く、不慣れな私は迷ってしまいました。そして偶然にも、どこかの親子の会話を耳にしてしまったというわけです」
偶然、偶然って便利な言葉だなあ。
「デマを掴まされている可能性は?」
「私が魔王様と繋がっていることを、悟られているとは思えません」
その表現は止めろ。
「確かに、文献上では魔王を打ち倒し、一時的に魔王領を治めた勇者は何人か存在します。彼らの子孫が生き残っていても不自然ではありませんね」
「なるほどね、人間領から一番遠い西部に人形魔族が多いのがずっと謎だったんだ」
勇者の子孫か。気の遠くなる話だが王家なんて血を継いでなんぼの商売だからな、確かに可能性はある。
「しかし、なんとも舐められたものですね」
ミザールが目を細める。
「消しますか?」
「駄目に決まってるだろ。あくまで文明国的な手段で対抗するんだ」
「盗聴はいいので?」
文明といえば盗聴、盗聴と言えば文明だよ、君。とある近代社会なんか、ほぼ全ての人間が盗聴デバイスを保持していたくらいだ。
「ま、検証は簡単だね。適当な王族でも拉致して来て、聖剣を握らせてみればいい」
「お前、俺の話聞いてた?」
「抜けてしまったらどうするんです?」
「どうかする必要があるかい?」
アリオトは、そう言ってニヤリと笑った。
「どうせ勇者に抜かせるつもりなんだ、少しばかり早くなるだけだろう?」
そうれもそうか。
そうか、そうなんだよな。
わざわざ勇者とか待たなくていいんだよな――。
「危険ですね。私は反対です」
メグレズの強い主張は珍しい、俺は半ば押しかけていた心のYESボタンから手を離した。
「聖剣の能力は未だ不明な部分が多く、軽々しく扱うわけにはいきません」
「確かに、叛意の見え透いた相手に触らせるには過ぎたおもちゃですね」
「話しぶりからして、フカーラが実際に聖剣を確認しているわけではなさそうでした。存在自体を伏せるべきでしょう」
「だけど、魔王様の夢が近づく」
反対派が重ねた議論も、アリオトの一言で吹き飛ばされてしまった。
全員が揃って俺を見る。
意志のこもった、真っ直ぐな視線。なんだか、いつぞやの開戦前を思い出す光景だ。みんな黙って、俺の言葉を待っている。
……夢、夢かあ。
俺はあのときと同じように、腕を組んで天井を眺めた。あのときは雨漏りし放題のあばら家だったが、ハハ、今では立派な高級宿だ。あのときと同じように、俺はゆっくりとまぶたを閉じた。
辺鄙な村の平凡な魔族に生まれ、とにかく生きることに必死だった。生き残ることに必死だった。だが、だがだ。
夢を、一時も忘れたことはなかった。
木の根っこを齧って飢えをしのいでいた幼児の頃も、落とし穴に掛かった魔獣に槍を突き立て得意になってたガキの頃も、出血と涙で何も見えない戦場でただ震えていた統一戦争の頃も。
そして、信頼できる仲間に囲まれ、何不自由ない生活を遅れるようになった今も。
物心ついたときから抱え続けてきた俺の夢が、いついかなる時も共にあった俺の願いが、いよいよ手の届くところまで来たかもしれないのだ。
俺の、夢。
そう、話は簡単なんだ。
俺は目を開けると鼻から息を吐き、一同に向け言った。
「もちろん、ノーだ」
あの時と違い、悩むことなんてない。こんなもの、迷う必要もない。
「どうせあと何年かは待つ予定だったんだ、ここで急ぐ必要はないさ」
俺言葉を聞いて、全員が笑顔を浮かべた。一人は紙袋なので想像だ。
俺には、たしかに夢があった。子供の頃からの、見果てぬ夢。
だが、夢が増えないなどと、誰が決めた?
夢は大切だ、だからこそ全部叶えたい。なんせ魔族に生まれちゃったからな、強欲にも全てを手に入れないと気がすまないんだよ。
魔王領はまだ道の半ば、夢の途中だ。俺だけゴールするわけにはいかない。
なに、魔族の寿命は長い。行き急ぐ必要もないだろう。それに――
(どうせこいつに囲まれてたら、数年なんてあっという間だからなあ)
改めて見回した一同の顔に俺は思わず吹き出してしまった。ほんと、手のかかる奴らだぜ……これ、数年でどうにかなるかな?
「米食の素晴らしさが広まらないうちは、魔王の椅子からは下りれないよ」
「永久独裁宣言かな?」
「勇者ちゃんの成長も見守りたい、やっとはいはいできるようになったのに」
「一番可愛い時期ですね」
「つまり、私と魔王様の愛の結晶という」
「やめろ」
隙をついて既成事実化を図るな。
「ま、そういうことだ。今から計画を修正するのも面倒くさい、今まで通りで頼むよ」
「そうかい、魔王様がそれでいいなら僕から言うことはないよ」
アリオトがニヤニヤとこっちを見るが、なんかムカつくな。
だが、いいさ。そう、俺がいいんだからいいんだ。
「それに、聖剣を抜いて終わりでもないしね。問題はむしろその先だ。何より――
俺は笑って言った。
――魔王を倒すのは、やっぱり勇者でしょ」
「でも先代を倒したのは魔王様だよね?」
「しっ! 本人がいいこと言った! と満足してるんですからそっとしておきましょう」
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