第二十一話 魔王様の憂鬱 VI
クジラともナマズともつかない黒く巨大な何かが、顔の一部を水面から出してこちらを観察していた。
「やあ、カファルジドマ。お久しぶりです」
俺はゆっくり歩み寄ると、軽く頭を下げ挨拶する。
カファルジドマさんは、魔王領西南に広がる大湿原地帯のヌシだ。せっかく西方に来たんだから、と茶会のお誘いをシャットアウトし旧友を温めに来たのだ。無駄にストレスの溜まった会議の後では、野外の開放感はひとしおだった。
「ああ、こっちはメグレズ。そうそう、前も一緒に来てた魔族。それでこっちがミザールで、こっちがアリオト」
「ミザールです、ご挨拶できて光栄です」
「僕はメグレズだ。お会いできて嬉しいよ、カファルジドマ」
俺たちの挨拶に応えるように、カファルジドマが巨体を揺らした。身じろぎにすら入らない程度の動きだったが、サイズがサイズだけに巨大な波紋が湿原に広がっていく。
「え、うんうん。ちょっとこっちに用事があったからね、せっかくだから顔を出そうって。うん、俺も会えて嬉しいよ」
カファルジドマは言葉を喋らないが、代わりにテレパシー的な何かでの意思疎通が可能だった。聖剣ちゃんみたいなアレだな。動物の特徴を残した魔族や魔物が多く、言語やその伝達手段が多種多用な湿原地帯において、彼が盟主に選ばれている理由の一つだ。なんならうちのアホ獣人やクソ淫夢よりよっぽど話が通じた。
「あ、プレゼント持ってきたんだけど、どうすればいいかな。うん、牛。ああ、いいよ。アリオト、あそこの深いとこに投げてくれる?」
「お安い御用だよ。ほい」
リヤカーに乗せられていた牛がひとりでに飛んでいき、奥の湿原へと静かに着水する。途端、バシャバシャと水面が沸き立ち、あっという間に供物は水面下に引きずり込まれて消えた。うーん、皆さん相変わらずにお元気そうだ。
優雅な白鳥は水面下で必死に足をバタつかせていると言うが、この静かな湿原の水面下では激しい生存競争が三百六十五日繰り広げられている。俺は密かにここを魔王領三大治安悪いエリアに認定していた。
「いやいや、大丈夫んだよ。こっちがいきなり押しかけたんだし。うんうん、喜んでもらえたようで嬉しいよ。そうそう、まあそこはどうしても時間が掛かるからね、じっくりやるさ」
カファルジドマとの会話は、穏やかに進んだ。何気ない近況報告だけだけど、心があらわれるようだ。
「(……何だかあれですね。魔王様、私達と喋ってる時よりよほど嬉しそうですね)」
「(なんだかんだ言ってみや子さんにも甘いし、もしかしてそういう趣味が……?)」
「(フェクダさんがフラれ続けた理由がここに……)」
「(これは『ドウブツニナールXX』の開発が必要だね)」
こんな会話ばっかりしてるようなやつらとの対話と違って、実に心が洗われるようだ。
うん、動物っていいな。魔王城帰ったらメダカでも飼おうかな……。
俺はカファルジドマとの幸せな時間を堪能すると、再会を約束して名残惜しくも別れた。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
会談二日目も、和やかに過ぎていった。
今日は俺とメグレズのニ人だけ、先方もニゴーリ王と側近さんの二人だ。最初は一対一を所望されたけど、さすがにお断りした。魔王は政治が分からぬ。正直メグレズがいないと俺は無能なのだ。さっさと隠居して、一介の羊飼いとして生きていきたい。
西方街道の拡張、中央平原の魔物について、森狼族との関係、関税、移民、白霊山脈の取り扱い――
議題は多岐に上った。正直もっと荒れるかと思っていたけど、すんなりと進みすぎて拍子抜けしたほどだ。だが、それも無理無いことかもしれない。この会談はあくまで西方連合ではなくフカーラ王国との会談だ。魔王領の一地域の西方連合の、そのまた一地域に過ぎないフカーラとしては、怖い怖い魔王様の勘気に触れてると西方連合の盟主の座を降ろされる事になりかねないし、今の俺ならそれくらいの力がある。いや、流石にやらないけどね。基本的には地方の自治権を尊重する方針なのだ、領法を侵さない限りは。
「さて、このくらいですかな」
王が背もたれに体を預けて言った。重要な話は全て終わり、大臣レベルの細かい調整を残すのみ。双方にとって満足のいく会談と言えるだろう。
「それで我が娘の件、考えていただけましたか?」
これ以外は。
「ここだけの話ですが」
断られると読んだのだろう、王は俺が口を開くよりも早くカードを切った。
「新しい川を作ろうと思っておりましてね」
川?
「川、ですか?」
「そうです。白霊山脈から連合領を通ってあの湿地帯へ流れている川を、連合の川へと接続するのです」
ええと、それはつまり……
「それでは、大湿原に影響が出るのでは?」
「出ますな。ですが構わんでしょう。あの不気味で凶悪な湿地帯は、消えてしまったほうが世のためです」
ん? 何言ってるんだこのオッサン。
「工事が完成すれば氾濫の危険は大きく下がり、農業用水の確保も簡単になります。おまけに危険で利用価値の無い水溜りが消え、新たな開拓地まで得られる。誰にとっても損のない、我が国、いや西方諸国を上げて当たるにふさわしい事業です」
ふーん。
「そうですな、あそこから水を引こうと思っている者くらいでしょう。もっとも、そんな誰かがいるとすればですが」
――コイツ。
「まあ、あくまで計画の話です。場合によっては中止になることもあるでしょう」
確かにあそこは不気味で凶悪な湿地帯だ。おまけに危険で変な臭いもするし、マナ嵐が年中吹き荒れててうかつに足を踏み入れようものなら命の保証はない。だが、消えていいはずなんかない。俺がカファルジドマと知り合いなのも知ってるはずだし、完全に喧嘩を売ってきてるな。そして、それだけ勝算があるってことなんだろう。
俺はニゴーリ王を睨みつけたが、王は笑顔を崩さなかった。
「魔王様がだめなら、そちらのメグレズ様が息子の嫁になっていただいてもいいですぞ。息子がいやなら、ワシでもかまいませんな」
人の良さそうなニゴーリ王の顔が、今は禍々しく映る。
「いい御返事を、お待ちしてますよ」
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「どう考えても魔王様のせいでは?」
俺は床の上に正座させられ、三人の女性に囲まれていた。女三人よれば女子会という名の吊し上げが始まるのが魔王寮だ。足元の絨毯がふかふかなことだけが、俺の救いだった。
「魔王様が秘密裏に進めていた中央平原の大水田化計画、その情報が漏れていたようですね」
情報収集には当然、この地方の人間も使った。魔王城の関係者は可能な限り排除したんだが、西方連合の息が掛かってたってことだろう。
「まったく、裏でこそこそと汚い真似をするからです」
全くその通りだが、暗殺者に言われるとなんだか納得が――いえ、なんでもありません。
「本当だよ。やるならやるで、僕みたいに堂々としてないと」
お前に言われるのはもっと納得いかねーよ。
「哀れなのは、それが魔王様の勝手な隠し畑で、すでに露見して計画が潰れていることをニゴーリ王が知らないことですね」
「潰れた計画を潰す計画を立て、それをダシに強請ってくるなんて、はたから見てる分には面白いんだけどね」
その点については、正直同情している。枯れ尾花相手に必死で聖水を掛けていたと知った国王は、一体どんな顔をするだろうか? 俺? 会談中シリアスな顔を維持するので必死だったよ?
「つまり、これは俺の手柄……いや、なんでもないです」
「問題は、中央平原の穀倉化自体は是非進めたいという点ですね」
メグレズの言う通り、計画自体は必要なのだ。魔王料の近代化がかかっている重要課題、といっても過言ではない。
魔王領の食糧事情を解決するには、中央平原を一大農場へ変貌させるのはマストで、さらにプラスアルファが必要――それが魔王城中枢部による計算だった。湿地帯の埋め立て案も当然出たよ、秒でゴミ箱送りだったけど。水を抜いたくらいであの魔境が正常化するわけがないからな、無意味な努力だ。だが、再利用を考えない、ただ環境破壊を目的とした工事であるならば、確かに水を堰き止める意味はあるかもしれない。
ありとあらゆる手法を比較し、俺達が出した結論が大陸中央部への進出だった。中央部――つまり、大結界の破壊だ。あの辺は結界の副作用で荒れに荒れてるからな、正常化も大変なんだが、結界の維持に使われている魔力を利用できればどうにかなるんじゃない? とは技術庁長官様のお言葉だ。
魔王領上げての、世界の半分をかけての一大プロジェクト。俺達は戦争の疲れを癒やす間もなく進んできた。そう、あの荒れ地が豊かな穀倉地帯に変わると信じて――。
「もちろん、稲でなく麦を育てるべきですが」
そしてそれが、俺が悪堕ちした理由だった。
「何にせよ、大湿原を潰されるのは困る」
「残念ですが、フカーラ王の計画は領法の範囲内です」
「だが、彼らの領有はあそこが実質的に利用不可能な、人の手の入れられない魔境だから見逃されているだけだろう? 現地の住民たちに被害が出るなら、座視は出来ない」
「しかし、あくまで自領内での開発行為です。事業の規模が大きすぎて実現性には疑問符が付きますが、失敗するのも彼らですからね。中止を命じるにはそれだけの理由を用意する必要があります」
うーん、実に面倒くさい。
「仕事ですか?」
「違う、座ってろ」
こちとら中央権力だぞ、あくまで合法、合法的に事を運ぶべきであって気に食わない国王がいるからといってすぐに暗殺者を差し向けたりしないし、気に食わない魔王がいるからといってすぐに背後を取ってもいけないんだぞ。きっとメグレズさんがなんかいい感じの解決策見つけてくれるだろう、法の穴とか。
「しかし分からないね、脅すような真似までして魔王軍に食い込みたいものなのかい?」
「そこなんですが」
俺は両手で目を覆った。
「フェクダ、その姿で登場するときは頭巾でも被って来い」
「頭巾? ああ、そういうプレイですか」
毛布と縄で簀巻きにされ、床に転がされながらもフェクダは前向きだった。
「面白い話を小耳に挟んだものですから、皆さんにもおすそ分けしようかと」
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