第二十話 魔王様の憂鬱 V

第20話



 俺は庭園の入り口で、空を見上げていた。



「魔王様にはぜひこの子を娶っていただきたい」


 ニゴーリ王がその言葉を放った後、冷え切っていた部屋は何かが一周して暖かさを取り戻し、俺は死を覚悟した。というか、正直「あ、死んだ」って思った。天国って温かいんだ、って思った。


「と言われても、いきなりでは魔王様もお困りでしょうな。どうです? 少しこの子と散歩でも」


 と環境変化に目もくれない国王の猛プッシュに救われた形だ。前門の王、後門の暗殺者、西門の死(東門のアホ)という絶望のフォーメーションに俺はたじろいだが、ここで突破を許してしまえば後に待つのは本物の死だ。俺は全力で抵抗した。


「大変光栄なお申し出ではありますが、彼女達を差し置いて別の女性と出かけるのは……」

「有名な温泉宿を貸し切っておりますぞ」

「そうだね、そこまで言うなら話くらいは聞いてあげてもいいんじゃないかな」

「このまま帰すと王女様に恥をかかせることになりますよ、散歩くらい行ってください」


 俺は温泉入浴券と引き換えに売られた。


 いや、いいんだ。これくらいでご機嫌取りができるなら、散歩でも四歩でも喜んで行こうというものだ。というか断ったら多分胃の穴が物理的に増えてた。行っても行かなくても、どっちにしろ俺は死ぬんだ。もう、おしまいだ。


 俺は散歩を了承し、会談は終了した。



「お待たせしました」


 小道の奥から現れたイーラさんは、白いワンピース姿だった。歩きやすそうな靴に、日傘代わりの大きな帽子も被っている。


「やあ、よくお似合いですよ。では行きましょうか」


 美しく手入れをされたバラ園を、俺たちは進んだ。しばらくは他愛のない話でお互いを探り、花を愛で、皇太子の悪口で盛り上がり、そろそろ頃合いかと口を開きかけたところで先手を打たれた。


「魔王様、申し訳ありません……私には、お慕いしている方がいるのです」


 やったー! 俺は飛び上がりそうだった。女性に振られることが、こんなに嬉しいなんて!


「ああ! それはおめでとうございます。ぜひ、応援させてください」

「い、いいのですか?」

「勿論ですとも! そもそも、私は政略結婚というものを廃止するべきだと思っていますからね」


 俺が被害者候補筆頭だし。


「誰もが自分自身のために生き、誰かを愛するべきです。そして、私には魔王としてそういう世界を作る義務がある」

「自分自身のため……」

「もちろん、色々なしがらみがあるのは仕方ありません。でも、それが他人に生き方を歪められる理由にはならない。それは王女様でも同じ……そう私は思います」


 王女は目を見開いて、俺の顔を真っ直ぐと見た。


「私も、自分のために生きていいのでしょうか……?」

「もちろんです」

「国のためでなく自分のためだけに、自分の愛する人を想っても……」

「当然です」


 はらり、とこぼれたその涙は美しかった。


 そのまま俺たちは、無言で庭園を歩いた。


 やがて、出口の門が近づく。王女の顔に、もう迷いは見えなかった。


「どうしますか? 一旦魔王城に持ち帰って検討する形で、引き伸ばすこともできますが」

「いえ、それでは駄目なんです。父は……いえ、王は少しでも脈ありと感じれば全力で外堀を埋め、既成事実化に走るでしょう。ここできっぱりと断っていただいたほうがよいかと」

「そうですね。理由はこちらで考えましょう」

「……それと、皆様には申し訳なかったとお伝えください。このような形で魔王様を独占してしまい、お怒りなのでは」

「ははは、あいつらは僕が絶対になびかないと知ってて送り出してますからね。今頃温泉を堪能してますよ」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「思う方、ですか……」


 メグレズが俺の話を書き起こしながら呟いた。


「そうそう」


 俺は湯当たりしたアリオトをうちわで扇いだ。アホな奴め、俺を差し置いて温泉を堪能し過ぎるからこうなるんだ。


「西部王国連合の盟主、フカーラ王国の第三王女が思いを寄せる相手……さて、一体どのような方でしょうね」

「あ、それ多分私です」

「こらああぁぁぁーーーーーーーーっっっっ!!!!!!!」


 俺は声を荒らげ、うちわを放り投げて両手で目を覆った。


「フェクダ! 何でお前がここにいるんだ!! っていうか何でその格好なんだ!!!!」


 フェクダは、フェクダちゃんだった。しかも、結構露出の多いドレスだった。


「いえ、記念式典のパーティーにぜひ出席したいと思い、方々を当たったのですがどこも断られてしまいましてね」


 当然だ。俺が手を回したからな。


「仕方がないので性別を変えて、謎の美少女ということで潜り込んだのです。しかし、まさか魔王様がいらっしゃるとは」

「仕方ないので、じゃねえよ……」


 いつの間にか背後に回ったミザールが、俺に目隠しを巻いた。


「絹のような輝やく金髪、透き通る青い目……多分、私が出会った彼女でしょう。こう、右耳の下にほくろがありませでしたか?」

「いや、そんなの一々憶えてないだろ」

「ではここ、胸元やや下あたりのほくろは?」

「……」

「……あれは憶えてる顔ですね」

「魔王様、サイテーだね……」


 し、仕方ないだろ! あんな胸元が空いたドレスだったのが悪い!!


「ふむ、ではここ、腰の上にほくろが二つ」


 知るわけねーだろ。


「お前さ、普通に外交問題なんだけど」

「弁明させてください。私が彼女と出会ったのはここの劇場、しかも一般席です。いいとこのお嬢様とは思いましたが、まさか王女とは考えもしませんよ。主演の演技の方向性について意見を交わし、喧嘩を売ってきた下郎を叩きのめし、ぜひお礼をさせてくださいと言われ食事をご一緒し、ごく自然に仲良くなったのです。後ろ暗いことなど何もありません」

「だが、事故った」


 俺は言った。


「一国の王女に手を出して、知らなかったでは済まないぞ?」


 駄目だなこれ。目隠ししたままじゃシリアスになりようがない。


「彼女は身なりは一市民のそれでしたし、劇場でも安い席でした。ですが、ふと垣間見える洗練された仕草や、会話の端々からうかがえる教養の高さから、これは貴族の婦女であると考えました。ですが、この国の貴族や主だった有力者の親族に該当する女性はいません。せいぜいがどこかの富豪の娘だと考えたのです」


 うちには諜報のプロが何人も居るが、表の情報収集に関してこいつはプロ顔負けだ。フカーラ国の貴族全部憶えていても不思議ではないが……。


「自信満々に言ってるけどな、現に王女だったわけだろう? 偉すぎて予想外だったとでも言うのか?」

「そこです」


 フェクダは俺の言葉を強く肯定すると、声を潜めて言った。


「彼女は、う《・》」


「おいおい……」


 俺はその意味を理解し、口の中が乾いていくのを感じた。


「自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「私の嗅覚が鈍ったとは思えません」

「だがな……」

「それに、昨日のパーティーでニゴーリ王をお見かけし、確信しました」


 フェクダの強気に、俺たちは黙り込むしかなかった。


「第三王女で助かったね。これが皇太子だったら国が割れてもおかしくなかったよ」


 横になっていたメグレズが起き上がり、会話に加わってくる。


「もう大丈夫なのか?」

「こんな話聞かされちゃ寝てられないよ」


 それはそうだ。


「魔王様、どうでしたか? 彼女は」

「そういった素振りは感じなかったけど……」

「魔王様は女性の心情を察する能力に関してはゴブリン以下だからね」

「何と言いましたか……ああ、サイコパス? 全く当てになりませんよね」

「お前らな……」


 初対面の女性の出自を嗅ぎ当てられる方が異常だし、その上「もしかしてだけど君のお父さん、国王じゃなくて別の人じゃない?」とかいきなり聞くほうがサイコパスだろ!


「本人は勿論だけど、王様が知ってるのかも問題だね」

「第三王女の母親は第四王妃で、公爵家の出身ですね。他に第四王子と第六王子を出産していますが、病気の為すでにお亡くなりになっています」

「下手すると、気づいてるのは俺たちだけって場合もあるな……」


 うーん、こんな最重要機密を知らされても、正直困る。


「どうする?」

「どうする? って言われてもねえ。どうせ魔王様は切らないだろう? このカード」


 あ、それもそうか。


 考えてみれば単純だ。彼女の父親が誰かなんて、今の彼女には関係ないし、俺たちにはもっと関係ない。


 つまり、どうでもいい。


「いや、全然よくなかったわ。誰かさんのせいで目茶苦茶責任発生してるわ」


 目茶苦茶話こんがらがってるわ。


「お前さーどうすんの? 王女様、かなり本気っぽかったぞ?」

「それについては腹案が」


 なんだよ、考えてるなら先に言えよ。


「ずっとこの姿で過ごすというのはいかがでしょう? 少女のままならば見つかることもありません」

「却下だ却下!!!!」


 真面目に出禁を考えるぞコラ。


 他のケースは知らないし知りたくもないが、今回に限っては自由恋愛の結果で全面的に非があるとも言いきれない。いや、相手はウブな箱入り、年齢差や経験差を利用した誘導なんてコイツならお手のもんだろうしなあ。あ~、だから嫌なんだよこういう話は!


「一時の逢瀬を楽しむにも、相手を選ぶ必要があったのでは?」

「後に引いてちゃ世話ないよね」

「国交に差し障りの出る行為は謹んでいただきませんと」


 フェクダの考え無しな蛮行は、女性陣からも大不評だ。いいぞ、もっと言ってやれ!


「釣った魚に餌を与えないなど畜生にも劣る最低の行いです」

「そうだ! 女の敵!!」

「自分の地位を自覚し、ふさわしい振る舞いをお願いできればと」

 

 なんだかよくわからないが、大変よろしくない雰囲気になってきた気がするな。俺は流れ弾にやられる前に、事態の収集を試みた。


「おい」

「はい」

「お前がな、問題のない範囲で楽しむのはいいんだ。インキュバスだし、生きるために必要な部分もあるだろう。だが、もう少しだけ相手を労い、きちんと向き合ってくれや、と個人的には思う」


 まあ難しいよな、幸と不幸が紙一重なら、幸と洗脳だって紙一重だ。口八丁でも本人が幸せなら、それで構わないのかもしれない。


「あれ、自覚して仰ってると思います?」

「だったら魔王様は自殺志願者だね」


 ぐっ、外野は静かにしててください!


「……フェクダ、お前は大切な仲間だ。だがな、魔王の権力で庇うってのにも限度はある。場合によっては――」


 ――場合によっては……なに、……まさか!?


「も、もしかしてここでフェクダを売れば俺は奴から逃げられるし、王国は魔王領との結びつきを強固にできるし、お姫様は幸せだし、Win-Win-Winの理想的な関係じゃないか……?」


 俺は自分自身の天才的な閃きに震えた。な、なんて完璧な作戦なんだ……!! 


「見てください、釣った魚を売り飛ばそうとしていますよ」

「二階級特退行為だね、畜生の下の下って何になるんだい?」


 多分インキュバスだ。今魔王も追加さた。


「……そう、お前はインキュバス、それもプロのインキュバスなんだろう? 多少の火遊びは構わないが、それが大火事になっちゃだめだ。後腐れなし、全方位よしのハッピーエンドで頼むよ」


 なんて偉そうなこと言ってるけど、俺だってこんな説教はしたくない。お前が言える立場かってさっきから突っ込まれまくってるし、目隠ししたままじゃ恰好もつかないし……。でもまあ、たまには引き締めておかないとというやつだ。だってさあ、嫌じゃん? ほら、そういう悲しい話は……。


「ふう、了解しました。魔王様にそこまで言わせてしまっては、こちらもインキュバスの名折れというものです。この件は満足の行く結果をご報告すると誓いましょう、そう、七天七星の名に掛けて」


 よしよし、お前ならそう言ってくれると思ったよ。こいつはアレだがアホではないし、言葉を尽くせばきちんと話も通じるからな。


「『下半身』の名に掛けて!」


 それは掛けるなや。


「よし、じゃあそういうことで。俺達は何も聞かなかった、いいね?」


 納得の行く結論を得て会合は解散し、七天一の放火犯に釘を刺せたことに満足を覚え、翌日イーラ嬢に速攻で発見・・されたフェクダちゃんを俺達は見て見ぬふりした。

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