第十五話 魔王軍日記の憂鬱


「んふふ~」


 タリタは幽体をゆらゆらと揺らし、執務室の中を行ったり来たりした。


「ご機嫌だな」

「えへへ、魔王様。ついに買っちゃんたんです!」


 そう微笑んで嬉しそうに自分の腹に手を突っ込むと、にゅるりと一冊の本を取り出しす。うーん、何度見ても気持ち悪い。


「日記帳です! しかも鍵付きの!!」


 魔王領は今、空前の日記ブームだった。


 事の起こりは、各地の部族や自治領を訪問した際に、長老衆に手渡した白紙の本だった。自分たちの歴史や文化、個人史など知ってる限りの話を記録に残して欲しいと頭を下げて回ったのだ。少し前からその成果がぽつぽつと上がり始めたんだけど、悪びれることなく誇張した歴史を語るもの、現実と神話の区別がついてないもの、こんなことまで書いてくれちゃったんですか! と叫びたくなるほど一族の暗部を詳らかに記したもの、各々の特徴が出てなかなかおもしろい。


 作者に許可をもらって幾つか歌物語にしてみたら、ご高評をいただけた。で、どうしてうちには本をくれなかったのか、と抗議に現れる各地の権力者は勿論、自前で編纂した地域史を献上、に見せかけて領土問題を正当化してくる者や、何を勘違いしたのか語り部のおばあちゃんを送り込んでくる者(話が滅茶苦茶おもしろかったので頼み込んで行政府の委託職員になってもらった)も出る始末。さらには裕福な商人が自費で購入したり老親への贈り物にしたりと、「自分史」はじわじわと広まりを見せていった。おかげで、ただでさえ貴重だった紙の価格は急上昇。俺も植林事業の予算を倍増したり、森林保護法の制定を急いだりと大変だった。


 対策の甲斐もあって紙の供給が安定し、一般層にも少し背伸びをすれば手が届く価格に落ち着くと、今度は多くの者が自分用の本を手に取るようになった。


 彼、彼女らの多くは、(自分で言うのも何だが)魔王領の統一という歴史的偉業を目の当たりにしてきた人間だ。この衝撃を言葉にしたい、本に記して残したいという欲求があったのだろう。だが一冊の本を書ききるのは、例え多くを削ぎ落としたとしても、一般の人間には難しい。結果、冒頭だけが使用されたほぼ白紙の本が大量に発生することになった。


 という話を聞かされた俺が最初に考えたのは「それ買い取って頭だけ切り捨てた後転売できないかな」だったが、流石に魔王としてそんなしみったれた思いつきは口に出せない。大枚はたいて購入した本が無駄になるのはやるせない、歴史や自分史は大変だが日記ならもっと気安く書けるのではないだろうか、と代わりに放言したところ、魔王領全土を巻き込んだ一大日記ブームが到来してしまったのだ。


 魔族も自分語り欲には勝てぬ。


 また一つ文化侵略をキメてしまった……と遠い目をしつつ、しかし魔王領の歴史文化を後世に伝えるためには仕方のないことだったのだ、と自分自身に言い訳をする。


 少しずつ生活にゆとりが出てきた人々の、じゃあ何か少しお高いものを、という意識に丁度合致した部分もあったのだろう。今では日記帳は新しい流行りの一つとして、すっかり魔王領に定着してしまった。

 経験者としてこの後の冒頭だけが記されたほぼ白紙の日記帳大量発生を確信している俺は、次なるリサイクルのアイデアに頭を悩ませていた。


「……まあ頑張って半分、いや三割は埋めような」


 俺の実感のこもった助言も、タリタはご不満だったようだ。


「もう、馬鹿にしてますね! 日報だってきちんと上げてるんですから、日記だって毎日書き……な、何ですかその顔は!」


 ハハハ。


「魔王様のひどい対応、絶対書きますから!」


 さてさて、そのやる気がいつまで続くか、お手並み拝見といこう。


「タリタさん、内容には十分注意してください。私達幹部は何を書いても機密情報です。他人の手に渡っても問題ない範囲で、ですよ」

「あ、ちゃんと全部暗号で書くから大丈夫です! 魔王様だって読めませんからね!!」


 メグレズの忠告にフフン、とタリタが鼻息を荒くしてこちらを見る。


「さすがにプライベートの日記を読んだりはしないよ」

「しかし、日記がこんなにも流行るとは思いませんでした。誰にも見せない本を書く、一見無駄にしか見えない行為ですが」

「まあねえ、でも後から読み返すと結構楽しいもんだよ。文字にすることで気づくこともあるしね。それに、他人に見せる日記もある」

「えっ?」


 タリタが興味津々でこちらに食いつく。


「交換日記って言ってね、一人書いたら次の人、書いたら次の人って順番に回していく形式の日記があるんだ。もちろん読めるのは参加者だけ」

「交換日記! やりたいです! あっでも……」


 惜しそうに自分の日記帳に目を落とすタリタ。


「私の分を出しましょう」

「いいんですかっ!?」

「試しに買ってはいたのですが、記録は情報魔法で残していますから使用する機会もないでしょうし」


 というわけで、魔王領史上初? の交換日記が始まることとなった。



 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



『えへへ、今日は魔王様に交換日記というものを教えてもらいました! あと出店で見つけた肉まん? というのが美味しかったです。今日からよろしくお願いします。タリタ』


 いや、交換日記はいいんだが、なぜ俺が毎日チェックして返信することになっているのだろう?


『そうですね、情報漏洩に気をつけて仲良く運営していきましょう』


 とりあえず当たり障りのない返信でお茶を濁す。

 

 翌日の担当はメグレズだった。メンバーはシークレットということで教えてもらえなかったが、とりあえずは妥当な人選だろう。


『北部の寒さが例年以上で、石炭の備蓄が心許ないそうです。メグレズ』

『業務連絡は別の書類でやって下さい』



『最近腰が痛くてのう。次の北方遠征、わしを外してくれる優しい上司はおらんかのう。メラク』

『残念ながら心当たりが無ありません。腰の回復をお祈りします』


 俺は見て見ぬ振りをした。



『今日は、魔王様を三回殺せました。殺しませんでしたけど。ミザール』

『パワハラ 部下 話し合い』


 俺は心の検索窓に打ち込んだ。


「……魔王領を平定してから、いささか気が緩み過ぎでは? これでは本当にうっかりしてしまいます」

「うおわっ!?」


 いきなり背後に立つんじゃない!!


「タリタさんにお誘いいただきましたが、この交換日記、なかなか楽しいものですね」


 フフフと意味深に笑ってるお前は楽しいだろうが、俺は寿命が縮んだよ。



『(猫の手形)』


 もうなんでもありだな……。


『みや子さん、お風呂係が怒ってましたよ。おとなしく身体洗って下さい』


 みや子さんはそれから三日間姿を消した。



『(難解な数式の羅列)』


「こらーっ」


 俺は扉を蹴り開け実験室に乱入した。


「アリオト! 交換日記はお前のメモ帳じゃねーんだよ! 貴重なスペースなんだから無駄遣いすんなよ!!」

「なんだい魔王様、藪から棒に! しかし無駄とは心外だね、手を動かすことで行き先を理解することもあるだろう? これは研究の一部だよ!」

「そういうのは黒板でやれ、まとめた結果だけ書きなさい」

「ふん、日記とは随分とせせこましいものだね、実に貧乏くさい」



『昨日は貴重なページを無駄に使用し、誤解された皆様には大変ご心配をおかけしました。アリオト』


 速攻で指導が入ったらしい二日連続のアリオト謝罪日記に俺は身震いをした。しコイツ絶対反省してない。


『謝罪は画像でやるといいですよ』



『20↑♂ 某一流軍所属 一応幹部です 肉体美には自信あり まずはお茶からどうですか?』


 これはそういうあれじゃねーんだよ!!!! 小さい子も見てるんだよ!!


『次やったら軍所属も幹部も無しにするから』



 毎日ひどい日記ばかりだったが、特に今日のは最悪だった。気分転換にお茶を入れようと席を立ち――


「……はっ!?」

 

 俺は気付いてしまった。


 これまでのメンバーはタリタと七天七星(と野良猫)だ、そして残る七天七星は将軍一人……(アルカイドは本をよく燃える燃料としてしか見てないので除外)。

 

 漆黒の全身鎧に身を包み、寡黙すぎて未だに誰もその声を聞いたことがなく、でもなんだか呼吸音は凄い、でおなじみのドゥーベ将軍。

 氏の喋らないっぷりは堂に入っていて、なんと文字も書いたことがない。以前一計を案じてサインの必要な書類を大量に回したら全部にバチバチの血判を押してきて、執務室は一時期むせ返るような血の匂いで満ちることとなった。俺は叱られた。


 なるほど、七天七星を巻き込むなんて大仰だな、と思っていたが全てがこの日のためだったのだ。これは一本取られたわい、素直に負けを認めた俺は遠足前の小学生みたいにうきうきでその日の業務が手につかなかった。


 翌日、早めに執務室へ入り積んである書類を片付けようと夜間金庫を開ければ、すでに日記帳は届けられていた。さすが将軍、仕事が早い。俺はまずお茶を入れて心を落ち着けると、満を持して日記帳を開いた。



 そこには、一輪の花があった。



 小さく、紫色の、可憐な押し花。


 俺は端に小さく受領のサインだけ書いて、日記帳をタリタへと送った。


 そう来たか~、という感じだ。ページいっぱいの血の拇印があったらどうしようと失礼な心配をしていたが、なんとも見事な一発回答。そう言えば将軍の鎧はいつも隅々までピカピカだし、マントもシミひとつ無い。実は結構な綺麗好きだったりするのかもな。


 しかし、身近な人の意外な一面を知って、一層親密になれる、まさに交換日記の面目躍如だ。一時はどうなることかと思ったが、なかなか悪くない成果じゃないか。これならしばらくは続けてもいいかもしれないな。



『将軍に女子力で完敗してるんですけど、どうしたら勝てますか? タリタ』


 知らんがな。


『口数を少なくして清楚さを演出してみましょう』



『みや子さんがまた行方不明になったので見かけた方は連絡下さい。メグレズ』 

『業務連絡は仕事用の書類でやって下さい』



『将軍を亡き者にすれば勝ちなのでは? ミザール』

『やめなさい』


 内紛の種を蒔くな。



『(なにか強そうな魔獣の毛)メラク』

『先生も張り合わないで下さい』


 しかも趣旨が間違ってる。



『やあ、僕だよ。アリオトだ。あー、あーきちんと聞こえてるかい? これは』


「てめー! 日記帳に魔術を仕込むのも禁止だ!!」

「なっ!? 興味深い実験だろう? この価値がわからないなんて魔王様の耳は節穴かい?」



『昨日は大切な日記帳に無断で魔術を施し、皆様には大変ご迷惑をおかけしました。今後このようなことがないよう心を入れ替え、誠意を持って取り組んでいきたいと思います。この度は、本当に申し訳ありませんでした。アリオト』



『20↓♀ 顔には自信あり 女性も大丈夫です。まずはお茶からどうですか?』


 七天七星は六天六星になった。



 俺は日記帳を投げ出し、こめかみを手のひらでぐりぐりと揉んだ。おかしい、ちょっとした文章を呼んで返信するだけなのに、下手な書類仕事よりよっぽど疲れるのは何故だろう?


 分かってない、全然分かってないよ!


 俺は力一杯叫びたい気分だった。交換日記ってのはなあ、なんかこう、もっと甘酸っぱい何かなんだよ。



 これじゃ交換日記じゃなくてれんらくちょうのつうしんらんじゃねーか!


 

 やはりこいつらに、魔王領に交換日記という文化的事業は早すぎたのだ。貴重な紙でなく、まずは粘土板から始めるべきだったのだ。


 俺は午後の仕事をすべてキャンセルし、「もう少し頑張りましょう」芋判の制作に打ち込んだ。



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