第九話 魔王軍地下室の憂鬱


「イェーイ! 聖剣ちゃん、元気してる~?」


 俺は扉を閉めてしっかりと鍵を掛けると、安っぽい机の上に鞄を投げ出した。


 魔王城の地下深く、危険人物を収監する特別監獄の更に下。高級幹部の中でもごく一部にしか知らされていない最深部に、その部屋はあった。


 一見、何の変哲もない小部屋。だが見るものが見れば、壁や、床や、天井や、その他全ての調度品が強固な結界を編んでいることに気付くだろう。



 そして――その中心部に突き立つ、一振りの長剣。



 そして――掃除のおばちゃん。



「あ、アクラブさん、お疲れ様です」

「おや、魔王様。ごきげんよう」


 アラクブさんは魔王城きってのお掃除エキスパートで、なんと先代の先代の、そのまた先代の頃からお務めだという大ベテランだ。魔王城ぶっちぎりの最古参にして生き字引、俺なんかよりよっぽど内部に詳しい。というか魔王城は外敵に備えるためもあって構造が複雑過ぎる、西館なんていまだに迷うからな……。


 弁当と書類の束を取り出し机の上に広げた俺に、アラクブさんの声がかかった。


「魔王様、こんなところで一人飯は寂しいですぞ」


 ぐっ。


「いえ、違うんですよ。ちょっと仕事が押してましてね、昼食を取る暇もなく」

「ほほほ、そういうことにしておきましょうかのう」


 アラクブさんはしわくちゃの顔をしわくちゃにして笑った。


「ですが、あまり自分に言い訳ばかりしていると、後で取り返すのが大変ですぞ?」


 は、はい。


 本当はアルカイドがやれ勝負しろだのやれ逃げるなだのうるさくて、執務室から逃げてきたのだ。戦え! 戦え! ってお前は70年代ロボットアニメのオープニング曲か。


 そのまま床にモップを掛けていたアラクブさんだ、ふと思い出したように手を止める。


「ああ、そうですじゃ。魔王様、これを」

「ん……何です? この地図」

「今朝、起き抜けに思い出したんですじゃ」


 そう折りたんだ紙片を手渡してくる。


「隠し通路」

「フゴッ!!??」


 完全に油断していたところに貰った衝撃発言に、思わず食べたばかりの握り飯を発射してしまいそうだった。


「まあ、魔王様、汚いですぞ。せっかく掃除したんですから、綺麗に使ってくだされ」

「す、すみません……」


 このおばあちゃん、たまにこんな爆弾を落としてくるので本当に侮れない。


 俺は紙片を広げ目を通す。うわあ……この情報、すぐにでも知らせないと駄目だろうなあ。でも執務室戻りたくないなあ……。


 よし! 後で後で!!


 俺は地図を折りたたむと胸ポケットにナイナイした。大丈夫、スーパーの特売チラシ裏に描かれた国家機密、その意味を正しく理解できる存在がいるはずないもん。


「……あまり自分に言い訳ばかりしていると、後で取り返すのが大変ですぞ?」


 ぐっ……。


「それでは、ワタシはこれで」

「はい、お疲れ様でした」


 アラクブさんは俺に危険物を手渡すだけ手渡して、扉の外へと消えていった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 俺は隠し通路の記憶を頭の隅に追いやると、おにぎりを手に部屋の真ん中に突き刺さる剣へと向き直った。


 先代勇者が時の魔王を打倒した、伝説の聖剣だ。


 魔王城の隠し通路を超える、爆弾存在。なんだかすっかり慣れちゃったけど、勇者が順調に成長してるとなるとまた違って見えてくる。そうだよなあ、こいつ聖剣なんだよなあ。


 いつかこれを、勇者が引きに来る。そして、魔王の心臓に突き刺し勝ちどきを上げるのだ。


「うーん、やっぱり聖剣といえば岩に刺さってるイメージだよな。床から引っこ抜いたんじゃ格好がつかない。それっぽい岩を見繕って接着剤で……」


 突如、聖剣がビカビカーッと光りだす。


「え、嫌なの? ゴメンゴメン」


 ……いや、別に俺が無機物に話しかける可愛そうな奴というわけではない。


 この聖剣、なんかずっと喋りかけてたらこちらの発言に反応するようになったのだ。それまで俺は、無機物に話しかける可哀想な奴だった。いやあ、あの頃は本当に仕事仕事仕事で、自分でもヤバかったと思う。積み上がる書類から逃げるように、この部屋へ通っては独り語を呟いてたっけ。


 そんな俺の粘り強いコミニケーションの結果、はいは一回、いいえは二回の発光で合意が取れたのだった。今はモールス信号を教え込もうと頑張っている最中だ。でも、こいつ言葉を理解しているというよりこっちの思考を読んでるみたいで、どうも文字という概念が無いっぽいんだよなあ。


「飯食いながらでゴメンな、今日はちょっと忙しくてさあ」


 聖剣がパッ、と淡く光る。俺は水筒を取り出し、カップにお茶を注いだ。


「よーし、じゃあ今日も付き合ってもらいますよっと――【解析】」


 俺の声に反応するように聖剣が光りだし、幾つもの魔法陣が浮き上がった。あるものは高速で回転し、あるものは複雑に絡み合い、あるものはリアルタイムで書き換えられている。何度見ても、息を呑む美しさだ。


 魔王城は、先代勇者の手によって魔王領全体を封印する要石とされた。


 先代の勇者と聖女はこの地に聖剣を突き刺し、強大な封印魔法を掛けた。魔王領全てを包み込むその結界は、魔力の多い存在が外に出ることを許さない。魔王領の民の多くが、領内へと囚われてしまったのだ。


 これだけの大規模魔術は、魔素の薄い人間領での展開は無理だろう。魔王領でもここを含めて、数箇所あるかどうか。まあ魔王城自体が龍脈の結点上に建てられてるから、当然と言えば当然なんだけど。


 人間領を覆えないなら、魔王領を覆えばいいじゃない。


 見事な発想と、それを形にするだけの計画力、そして何より魔王城に特攻するという胆力。敵ながらあっぱれ、と称賛したい気分だ。


「さて、勇者様がいらっしゃる前に、こっちも準備を終わらせないとな」


 俺は楊枝を咥えながら、魔法陣の解析を続けた。




 だが、俺の予想に反し、聖剣の前に現れたのは勇者ではなかった。




◇◇◇◇ ◇◇◇◇




「魔王様が、無機物に話しかける可哀想なお方に成り果ててしまうとは……」

「……」


 聖剣の前に現れたのは、と言うかいつの間にか俺の背後を取っていたのは、黒髪の少女、七天七星の『天華』ミザールだった。


「ち、違うんだ。これは」

「いえ、分かっています」


 俺の反論は出掛かりで潰された。どうやって侵入はいってきたんだ、なんてこいつに言うだけ無駄か。


「大丈夫です。私は物分かりのいい女」


 ミザールがしなを作って言った。

 確かにミザールは物分かりがいい。いいというかよすぎるというか、もはや直感とか神託とかの範疇だ。こいつ、理解し過ぎるのだ。


「ええ。決してこれしきのことで、魔王様を変質者だとか恋人の一人もいない哀れな単殖生物だとか人生という山の単独登頂者だとか言いません」


 これ言ってる範疇に入らないの? 俺は泣きそうだった。魔族語って難しいな。


「フェクダの無生物愛者嗜好に少し影響されただけですよね?」

「一番最悪なやつじゃねーか」


 俺は泣いた。いくらなんでもそれは、いくらなんでもそれは。


「早く知的生命体に進化してください。これでは処分と表現するのが精々、ことも出来ません」


 お前に狙われなくなるなら、アメーバでもスライムでも構わないけどな。問題は、アメーバ如きではフェクダの魔の手から逃れられないという点だが……。


「大丈夫です。私、いい話し方教室を知っています。ワンちゃん辺りから頑張りましょう?」

「犬以下はお前だろ」


 別にコミニケーションが取れなくて剣と喋ってるわけではない。むしろ剣と意思疎通が出来ている分、コミニケーション強者と言っていい。


「ここは俺意外立入禁止のルールだって言ってるだろ。ワンちゃんでもしつけは守るぞ?」

「ルール? ああ、あの下らない言葉遊びのことですか」


 魔族語難しい。こいつ床に刺さった剣より言葉通じない。


 まあミザールの場合、その直感に基づく作戦無視や独断専行によって何度救われたか分らない。あのメグレズですら、規則で縛り付けることを諦めてるからなあ。というか七天七星、魔族語読めるのメグレズだけ説出てきたな……。


「……なるほど。これが例の、ということですか」

「そうだ」


 ミザールは興味深そうに聖剣の周囲を回り、しげしげと観察した。


「……これが、魔王様の生涯のパートナー」

「違うわ」


 こ、コイツはそんなんじゃないんだからね! 身体だけの関係なんだからね!!


「これはチャンスですね。『魔王様の好みは地面に刺さった剣、それも数百年もの』と噂を流せば、フェクダさんは喜んで地面に刺さりに行くでしょう」

「ミザール、お前天才か……!?」


 俺は震えた。これなら百年はフェクダから逃げられるぞ!!


 問題はこんな噂を流されたらせっかく統一した魔王領が一発で崩壊してしまうことだが、フェクダを封印できるならそれも些事だろう。


「これが、聖剣なのですね?」

「そうだ」

「触っても?」

「ああ」

「抜いても?」

「出来たら魔王交代してやるよ」


 その言葉を聞いたミザールは、ニヤリと笑って聖剣に手をかけた。


「んっ!!」


 ミザールが柄を逆手に持って、聖剣を一生懸命に引っ張る。傍目には可愛い女の子の微笑ましい聖剣チャレンジ風景なんだけど、たぶんあれエグいぐらいの力掛かってる。そこらの御神木とかなら普通に引っこ抜ける。


「……」


 びくともしない聖剣にプライドを刺激されたのか、ミザールはその柄にいよいよ両手を掛けた。


 うんとこしょ、どっこいしょ。それでも聖剣は抜けません。


「…………」


 ミザールさんは半ギレ気味、俺は半分漏らし気味だ。漏れ出す怒気に足が震える。後で取り返すのが大変でも構わない、今すぐこの部屋から逃げ出して温かいベッドに潜り込み全てを忘れたい。コラッ! 聖剣ちゃんもビカビカ挑発するんじゃありません!!


 ミザールの丸い目がすっと細まる。すごい、見た目は相変わらずの可憐な美少女なのに、漏れ出る魔力だけが等比級数的に上昇している! 部屋中の魔法陣が警告を発し、異常事態を知らせていた。


 だが、これだけの力を持ってしてもなお、聖剣はうんともすんとも言う様子がない。まじかー。聖剣、ちょっと見直したわ。魔王軍全体で見ても、あとはアルカイドがワンチャンあるかどうかくらいでは? ミザールが肩で息をしている姿は珍しいが、こんなとこで本気だすくらいなら普段からもうちょっと真面目にやってくれないかな……。それでも優雅さが失われていないあたりは流石だが、つまりまだがあるってことか……?


 諦めてしまったのかミザールは柄から手を離し、冷え切った目を聖剣に向けると言った。


「折っても?」

「駄目に決まってんだろ」


 ふぅ、とミザールが息を吐き、カカカン、と甲高い音が部屋に響いた。早すぎて見えなかったけど、多分二十発くらい蹴り入れてるねあれ。聖剣ちゃんもビカビカ光って抗議(多分)している。


「こら、八つ当たりをするな。それより、なにか用事があったんじゃないのか?」

「え? 敵の始末以上に重要な用事など……ああ、そうです。メグレズさんが緊急のお話があると」

「早く言えよ!!!!」


 俺は駆け出した。こんなところで遊んでるのがバレたら、半漏らしでは済まない。全漏らしは当然に覚悟しなければならないだろう、なんなら二回戦もある。もちろん、前も後ろもだ!!


 俺は悲鳴を上げる太ももに鞭打ち、階段を爆走した。


「くそっ、全力で行くぞ。二人で謝れば一縷の望みが……なっ!?」


 あの野郎、逃げやがった!!


 今すぐ探し出してあらん限りの罵倒を浴びせたいが、残念ながらそんな暇は一瞬たりともない。俺は半泣きで執務室に飛び込むと、半ギレのメグレズに土下座で謝罪した。土下座、ポージングだけでおおよその意味が通じるので魔王領でも有効な儀礼なのだ。まあメグレズに関しては俺が仕込みに仕込んだというか、土下座に土下座したと言うか……。


 俺はひとしきり頭を擦り付け終えると、ポケットから紙片を取り出し裁判長に提出した。


「いや、決して面倒だから隠蔽したとかではなくですね、別用で立て込んで提出が遅れたと言うか、ミザールがやってきて有耶無耶になっただけというか……」


 午後イチで提出しようとしてたんです、本当なんです!


 俺は執行猶予を勝ち取るべく、必死で反省の態度を見せた。魔王領、残念ながら右手を机にかけて項垂うなだれても反省のポーズだと理解されないんだよな、むしろ右手を上げた瞬間叛意ありと見られて消されるまである。


 だが、証拠を検めたメグレズが放ったのは、意外な一言だった。


「こちらは何の地図でしょう?」

「……え?」


 何? どういうこと?


「あの、アラクブさんからお話を聞かれたのでは?」

「いえ、急ぎお呼びしたのは別件ですが……なるほど、これは地下ですか。興味深い情報ですね、後で検証しましょう」


 ……えーと、つまり?


「それで、こちらについてですが」


 俺は、全てを悟った。


 メグレズ執行官の取り出した冊子から追い土下座で目を逸らしたが、それは自分への言い訳にすぎなかった。この世には、どんなに頑張っても取り返せないものあると知った。


 かくて、完全に隠匿したはずの帳簿上の不自然な金の流れをメグレズにしこたま絞られた俺は泣く泣く「西部平原総水田化計画」の全てを詳らかに漏らし、魔王の悪辣な計画は未然に防がれ、世界の平和と魔王領の食文化は守られた。



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