第六話 魔王軍調査隊の憂鬱
「……チッ、こっちは外れだな。戻るか」
アルカイドが足を止めて吐き捨てた。あの獣耳の揺らし具合、相当苛ついているみたいだ。俺も先の様子を探ろうと魔力を飛ばすが、山に渦巻いている瘴気が強すぎて上手く通らない。
「全然分からないんだけど、臭いでもするのか?」
「アァ? こんな瘴気臭ェとこで鼻なんか効くかよ。マナだって滅茶苦茶だぜ」
「でも居ないのは分かると?」
「……信じねえならそれでもいいぜ」
アルカイドは一人踵を返した。しっぽがぐわんぐわんと揺れ、他人が近づくのを拒んでいた。
「いや、お前の判断を信頼する。メグレズ、タリタ、さっきの分岐まで戻ろう」
行きよりも多くの枝を鉈で切り払いながら、アルカイドはずんずんと道を取って返した。足場の悪い山道では、ついて行くだけで大変なスピード。これだけ周囲に当たり散らして余計な音一つ立てないのはさすがだが、こっちが
「鼻でも魔力でもないけど分かる、うーん、第六感か?」
「……なんだそりゃあ」
アルカイドがつまらなそうにこちらを振り返る。
「五感ってあるだろ、ええと、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚か。人の持つ感覚は全部で五つ。第六感はそのどれでもない、超常的な感覚のことだよ。虫の知らせとか野生の勘と言うだろ、さっきのもそうなのかって」
「あぁ? 魔王様はまた訳の分かんねえこと言ってんな、分かるもんは分かるんだよ」
アルカイドは呆れたように言い、苛立ちをぶつけられた太い枝が地面に落ちた。
「大体よぉ、耳とか鼻以外に魔力もあるし、全然五個じゃねえだろ」
確かにそうですね。
獣人力柴刈り機と化したアルカイド氏のおかげで帰り道はすいすいと進み、すぐに分岐点へと辿り着く。
「よし、アルカイド。次はどっちだ?」
「……こっち……いや、こっちだな」
アルカイドは北を向く。俺はまた魔力を飛ばした。
「うん、全然分からん。メグレズは?」
「瘴気溜まりは幾つか分かりますが、それ以上は」
こういう晴れた日は魔力がよく飛ぶはずなんだけど、山のマナが乱れに乱れてて全然魔力が返らない。メグレズの情報魔法でも無理となると、俺には厳しいな。せめて見知った地域だったら、別の手段も取れるんだけど。
「あ、あのっ! 私、見てきましょうか?」
タリタが元気に手を上げて発言した。
「いや、いいよ、ありがとう。何が隠れてるか分からないし、ここはアルカイドの第六感を信じよう」
「だから変な呼び方をするんじゃねぇ」
さっさと獣道へ向ったアルカイドを三人で追いかける。
「……魔王様はよぉ、たまに聞いたこと無いような言葉使うよな。だから何ってわけでもねえけど――おい、なんで『どうしてコイツが?』って顔してんだよ。さすがに怒るぞ」
ど、どうしてコイツが!?
俺は驚きのあまり、足を止めてしまった。脳筋で戦闘狂のアルカイドに、何でバレてるんだ!?
はっ、これが第六感か!?
「だから違うっつってんだろ」
やっぱり第六感だろ!!??
「第六感、とは」
背後のメグレズが解説を始める。
「人間世界の古い言葉ですね。まだ魔術が発達しておらず魔力を操れる人間が少なかった時代は、感覚が五つだとされたのでしょう」
「あー、確かに人間の文献で見た単語かも」
ふう、助かった。さすがメグレズさん、それっぽいぜ!
「そもそも、五感という分類自体が人間のそれでしょう。魔族には電気や磁力、熱や波動を感じる者も多いですから。その五感ですら味覚一つとっても甘みや苦味など多くの感覚の集合体ですし、事実に即している分類とは言い難いでしょうね」
「それに、タリタみたいなのもいるからねえ」
「えっ、あ、はい! 何でしょう?」
タリタがふよふよと後方から飛んできた。このスケスケで実態のない霊的存在が、物理的な感覚器を備えてるとも思えない。
「タリタが何かを見る時って、どうやってるの?」
「えっ、何かを見る、ですか?」
タリタは困ったように、きょろきょとろ辺りを見回した。
「すみません、よく分からないです……」
「いや、大丈夫だから。俺も自分がどうやって見たり聞いたりしてるのかなんて分かってないから」
「あっ、でも第六感? みたいなのはあります!」
「えっ、ほんと?」
おお、瓢箪から駒でタリタの隠された力が!
「はい! 今日みたいな温かい午後に日なたでお昼寝してると、なんだかこう、新しい世界にいける! みたいな感覚? になります!」
そりゃ成仏しかけてるだけだよ!!
「なんだ。第六感ってのは結局、五の次は六ってだけのテキトーな言葉なのかよ」
アルカイドが鉈を振り回しながら
「オレら七天七星みたいだな、オイ!」
失礼な! 七天七星は魔王軍の最古参にして最上級幹部の七人を表す大変由緒ある言葉です、そんな出処も定かでないような言葉と一緒にしないでいただきたいですぞ!
「でも適当につけたんだろぉ? 人間相手にハッタリ利かすにはそれっぽい役職名が必要だって」
ハイ。二分くらいで考えました。
「もう一人多けりゃよ、八大集とか八天頂とか八爪魚とか呼ばれてたんだろ」
最後のやつタコじゃねーか。
「ごめんね、あの時タリタに遭ってれば仲間に入れてあげられたのに」
「そ、そんな! 私なんて戦う力もないし、恐れ多いです……」
口では謙遜してるけど、八の字に下がってる眉は正直だ。
「いやいや、タリタには本当に助かっているんだよ」
彼女の諜報能力は一級品だ。力押しが主流だった魔王領において弱小勢力だった俺たちが生き残れたのも、メグレズやタリタを始めとした諜報部の力が大きかった。
「……////」
タリタは褒められて恥ずかしかったのか、地面に潜って身を隠してしまった。頭部だけ出して付いてきてるので、生首がスーッと追いかけてきてるみたいで大変に不気味だ。新手の妖怪か何かか?
「そうなると、八天……うーん、八、八ってあんまり思い浮かばないな。横倒しにして無限大とか?」
「アァ? なんでそれで無限大になるんだよ」
「魔王様を入れて九人にするのはいかがでしょう。九頭竜や九鬼などございますし」
「えっ、あの、あっ、すえひろがり!」
縁起が良さそうだね。
藪を突っ切り枝を打ち落とし、道なき道を進む。瘴気は段々と濃さを増していき、反比例するように生き物の気配も減っていった。
「……そういえばよ」
アルカイドが、鉈のひと凪で藪を消し飛ばす。
「あん時もこんな山の中だったな」
メグレズが小石を打ち飛ばし、ぐるぐると頭上を回っていた大きな鳥を落とした。
「そうだな……」
きっかけは、どこかの人間貴族による魔王領への侵攻だったと思う。魔王領が内戦で乱れに乱れていると聞き、好機と見て手近な獲物を略奪に来た、そんなよくある話だった。指揮官だった嫡男と騎士団長をふん縛って、その辺の山小屋で尋問する振りしながら嘘情報を流したんだっけ。新たな魔王が誕生し、魔王領が統一され、日々その牙を研いでいる。人類世界も戦争を止めて手を取り合わないと、すぐにでも魔王に侵攻されるぞ、と。
軍の再編も終わって幹部も兵卒もヤる気満々! 明日にも宣戦布告!! 感を出したかったのと、あと階級が上の者に脅されたほうが怖いかな~、くらいの思い付きで七天七星なる架空役職をでっち上げたんだけど、いやーあの頃はまだそこそこ勢いのある新興勢力の一つくらいの扱いで、魔王領統一なんて夢のまた夢、むしろいつ大軍勢に攻め滅ぼされてもおかしくない、一番危険な時期だった。常に神経をナイフみたいに尖らせてて、枕を高くして眠れた夜なんて一日もなかった。
「今思えばよ、あの頃が一番楽しかったなぁ」
戦闘狂にはそうかもしれませんね。
「あん時の魔王様はよぉ、正直いつでも殺せたぜ。けどよ、こいつなんか強くなりそうだな、しばらく生かしといてやるかって……なるほど、あれがそうだったのかもな」
マジかよ。サンキュー第六感。俺は未だ見ぬパワーに感謝を捧げた。
「いや、オレははあん時もう魔力使えたからな、第七感か?」
もうどうでもいいよ。N+1感(N:本人の感覚の数)とかでいいよ。
「魔王様が育ったのはよかったぜ。けどな、他のヤツラはどんどん弱くなっていっちまった。魔王領は戦争終わっちまったし、強そうなやつも大体倒してもう残りカスばっかだ。その魔王様だって逃げ回って相手してくれねぇし、頼みの勇者様もアレだし、魔王様は逃げ回って相手してくれねぇし、最近はほんとつまんねぇ」
平和と言いなさい、平和と。
「ほんと、つまんねぇ……」
つまんねえ、つまんねえと呟く声と、鉈が空気を切り裂く音、獣道を踏みしめる音だけが山中にあった。鬱々とした行軍が終わったのは、山道をしばらく登ってからだった。
一面草木は枯れ、葉は落ち、土からは腐った空気が吹き出す、動くもの一つない、完全に死に絶えた空間。空の色まで変えてしまいそうな、巨大な瘴気の吹き溜まり。
だが、まだましな方だろう。瘴気の原因は山肌に大きく空いた横穴にいるようで、被害は入り口付近に限定されてていた。この程度なら、時間をかければ元の姿を取り戻せるはずだ。
突如、アルカイドが吠えた。
獣人としての本能をむき出しにした叫びは、天上の雲を貫き、大地を震わせた。
挨拶には十分だったのだろう、外からでも分かるほどの強烈な瘴気の塊が、洞窟の奥からゆっくりと歩み出てくる。思ったよりも壮絶なその姿に、思わず息を呑んだ。
穴ぐらから現れたのは、小山ほどもありそうな獣だった。瘴気に侵されたその身体は異様なまでに膨れ上がり、白く美しかっただろう毛並みはどす黒くただれ、目は腐り落ちて眼窩はただ暗く、苦しそうに吐き出す息が周囲の草花をいっそう腐らせた。
彼は、もはやどれだけ彼なのだろうか。
「このクソつまんねぇ時代に、つまんねぇ理由でつまんねぇことになりやがって……」
乱暴者だった、と長は言った。
同年代と比べて一回り大きく、狩りの勘もよかった。力に頼むところがあり、しばしば年長者から躾けられていたが、それも有望な若者にはよくあること。未来の長候補として目を掛けられていたという。
彼は周囲の期待を受けて順調に成長し、暴力でない力を覚え、慕う者も増えていき、そして過ちを犯した。
群れを率いる者として一番の禁忌。勝てない相手に襲いかかること。
この地を治める魔狼族の若者の、成れの果てだった。
あれが長になる前でよかった。老いた狼は疲れたように言った。
山を犯す瘴気の魔物に立ち向かい、群れを守る。称賛すべきその勇気は、だが必要なかったのだ。群れが暮らしていくのに山は十分に広く、魔物も洞窟から動こうとはしなかった。水場が一つ潰れたがそれだけだったし、魔王軍の調査も予定されていた。長からは付近への立入禁禁令が出されていたし、彼もそれを重々承知していた。
だが、彼は向かった。そして、帰らなかった。
「あと十年もすれば少しは遊べるようになったかもしれねぇのによ、つまんねぇことになりやがって」
アルカイドが一歩進み出て、獣へと向き合った。拳は固く握られていた。
凄まじい怒気が周囲に放たれるが、魔獣は
それとも、何かを感じてしまったのだろうか?
アルカイドの第六感により生かされた俺とは真逆に、彼の第六感が、彼自身の行く末を決めてしまったのか。
直感というコインの表裏、あったかもしれない俺の未来。
もちろん、そんなものはなかったのかもしれない。明かされていない重大な理由があるのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。
だが、それを確かめる術は、もうない。
「おい、魔王様。いいんだろ?」
「……いいよ」
「そうか」
アルカイダがゆっくりと、獣に向けて歩き出す。瘴気の魔獣は大きく吠えると、総てを飲み込まんと口をいっぱいに開き、上段から振り下ろすようその顎を閉じた。
だが、そこに獲物の姿がなかったことを、彼は理解しただろうか?
上空に飛び上がって己のあぎとから逃れた獲物の、重力の法則を捻じ曲げたような急降下と、自分の頭を大地へと叩きつけた拳の重さを感じただろうか?
きっと、苦しむひまもなかっただろう。
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