第五話 魔王軍戦場の憂鬱


「以上より、勇者の成長速度は順調に向上していると考えられます」


 メグレズのグラフィカルな報告を眺めながら、俺は安堵の溜息を付いた。


 魔王城のこじんまりとした第二小会議室では、今日も勇者の現状とこれからの育成方針について話し合われていた。だが、勇者が引き籠もっていた時期のような、祈るような雰囲気はもはや完全に過去のものとなり、意見を交わす参加者の顔は明るかった。


「報告ありがとう。タリタも、よく情報収集してくれた」


 俺は出来る上司だ、褒められるところは褒める。タリタは褒められ上手なので顔を真赤にして俯いてるし、メグレズは顔色一つ変えない。違うんだ、彼女がクールキャラなだけ、決して俺が嫌われてるとかじゃないはずだ。


「予定よりペースは遅いけど、十分修正案の範囲だね。あとはこのまま育ってくれれば……」


 勇者はあれから、しっかりと魔物退治に勤しんでいるようだった。というか、調子に乗っていた。


 いや、無理もない。一介の男子高校生があんなオモチャを与えられて、振り回すなと言う方が無理というものだ。俺たちに出来ることはせいぜい、刃筋が立ってなくてもよく斬れる柔らか系の魔物を送り込むことくらいだった。


「しばらくはこのまま、『謎のやわらかフレッシュゴーレム大発生』イベント続行でいいだろう」


 俺はみんなを見回しうなずいた。


 『やわらかフレッシュゴーレム』は近年魔王領で開発された、贅肉の多いフレッシュゴーレムだ。「相手の攻撃を受け止める、強靭な肉体を持ったゴーレム」という前線からの要望に対する、技術班渾身の回答がこれだった。確かに防御力は上がったものの、無駄にでかくてコストがかさむ、余計な肉が多すぎて動きが遅い、すぐ膝を壊しがち、等の理由で試験運用にすら回されなかった失敗作。柔らかいのは脳みそだけにしてくれよ、と発案者は散々からかわれてたっけ。


 だが、その脂身の多さと動きの遅さがここで役に立った。沢山斬りつけられて勇者ご満悦、動作が鈍いので攻撃もたやすくかわせ、お手々もふっくら柔らかで万一の事態も安心安全。たまに直撃を貰ってピクピクしてるけど、聖女がいるので即死しなければ大丈夫。まさに勇者育成のために作られたような練習台ゴーレムとして八面六臂、いや一面九贅肉の大活躍だ。あのイグ・マーリン賞受賞作がこんなに引く手数多になるなんて、人生、いや魔生何が起こるかわからないもんだなあ、俺はしみじみと実感した。


「戦い方もだいぶましになってるようですな。やはり実践に勝る稽古はないのう」


 魔道具が映し出す勇者の映像を眺めながら、メラク先生が診断する。


『ウオオォォォ、輝之虚盧斬!!!!』


「まあ、このよく分らない叫びは謎ですが……」


 俺はそっと目を伏せた。いや、これは一般的な成長過程の一つ、仕方ないことなんだ。


「次の段階は早そうですか?」

「これなら一ヶ月かからんじゃろ。早めに準備しておいたほうがええの」


 おお、さすが勇者。先生のお墨付きを貰うなんて、やれば出来るじゃないか!


『ウオオオォォォ!! 秘技!! 三刀流・武之虚盧斬!!!!』


 俺は録画映像から目をそらし、次の資料へと意識を逃避させた。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 オステット大陸は、二つの領域に分けられる。西側の魔王領と、東側の人間領だ。


 長らく戦乱期にあった魔王領は、現魔王――まあ俺のことなんだけど――の下に統一が果たされると、一気に情勢が安定。強力な中央集権体制を背景に次々と改革が打ち出され、新時代への移行の真っ最中だ。


 それを知った人間領も手を取り合って一致団結――なんてことはもちろん無く、相変わらずの醜い権力争いに血道をあげていた。このままでは遠くないうちに魔王軍に滅ぼされてしまう、との危機感を抱いた人間領最大の版図を誇るモラーク王国が、多くの同盟国や教会の賛同を取り付け勇者召喚を計画。見事にこれを果たし名実ともに人間領の盟主へと躍り出た、というのがこれまでのあらすじだ。


 もちろん、勇者召喚をそそのかしたのは魔王領だ。


 歴史の彼方に埋もれていた資料を発掘し、教会の禁書庫から数冊の書物を救い上げ、厳重に掛けられていた封印を解除し、前回の勇者召喚にも使用された大変由緒ある錫杖を歴代国王の墳墓にゴッドハンドし、召喚に必要な巨大魔石を幾つも横流しした。召喚陣の間違いを修正しに、王宮に忍び込んだこともあったっけ。


 俺達は頑張った。確かに頑張った、が、それは多くの場合技術的、仕事量的な問題であり、魔王肝入りのプロジェクトとして優秀な人材と十分な資金の投入がなされれば後は作業に等しい。少なくとも、魔王領統一という地獄を経た者の中に弱音を上げるやつは一人もいなかった。


 むしろ大変だったのは人間領の方だ。人類の破滅という現実から目をそらし享楽に耽る権力者たちを相手取った、モラーク国王を始めとした一部首脳陣の粘り強い対応は称賛に値した。物理的に介入して二、三国滅ぼすべきとの議題を何度却下したことか、平和裏に終わってくれて本当によかった。だが、最も険しい道を乗り越えた者を一人選べと言われれば、満場一致で聖女が指名されるだろう。


 貧しい生まれにも関わらず心に高貴さを宿し、教会に入ればその才能を遺憾なく発揮し聖女候補に平民としては異例の抜擢をされ、腐りきった首脳部を浄化するため身を粉にして働いたかと思えば無垢な人民を救うため魔獣の前に立ちふさがる。直視がはばかられるほどの清廉さとある種の狂気を思わせる苛烈さで人間領を駆け回り、彼女が通った後にはぺんぺん草の代わりに聖女の熱狂的な信者がニョキニョキ生い茂ったという。


 いやー、コネで選考を捻じ曲げる糞坊主共を失脚させ、正しい才能を持った現聖女をその地位につけるため、実弾も金貨実弾も弾んだかいがあったというものだ。しかし、世界の危機においてまさかあそこまで己の利益を優先するとは、世界の危機張本人として言わせてもらうけど、人類ってやっぱ凄いわ。余りの惨状に、数人の枢機卿は魔王軍から『真の魔王様』『本当の魔王様』『魔王様・プレミアムエディション』等の称号が贈られたくらいだ。モラーク国王や聖女、その他数人のトップがまともで本当に助かった。


 なにはともあれ長い長い戦いの末に、人間領と、そして魔王領の願いは一人の少年となって結実したのである。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「では、次の議題です」


 メグレズが切り替えたスライドに踊るのは「勇者の新たなる敵」の文字。つまり、『やわらかフレッシュゴーレム』の次に送り込む魔物を選定しないといけないのだ。

 

 が、次、次ねえ……。


「面倒くさいし、今のやつをバージョンアップで対応すればいいんじゃない? もう少し硬めにして、『やややわらかフレッシュゴーレム』とか名前つけて」

「魔王様、真面目にお願いします」


 メグレズの視線が痛い。し、失礼な! こちらは至って真剣……あ、いや、なんでもないです。


「同じような敵ばかりを相手にしても、成長にはつながりませんぞ。スライム、スケルトン、ゴーレムと来ましたからな、そろそろ魔法生物以外を送り込んでもいい頃でしょう」


 先生にも駄目出しされてしまったが、俺だって考えなしに発言したわけじゃない。


「でも野生生物って確保も大変ですし、倫理的にも問題なんですよね。ヤンチャなやつらをけしかけて、勇者に何かあったら目も当てられませんし」


 『アルカイドを送り込んで七天七星の名乗りを上げさせ、なんかそれっぽい流れを作って盛り上げる作戦』なんて、挨拶代わりのワンパンで失敗に終わった。あれから成長したとは言え、勇者はまだまだ弱いのだ。自我を持った魔王領の住民達では「事故」の危険性が高すぎる。っていうか今気づいたけどこの作戦名長すぎるな、こんな長文の命令、アルカイドが覚えていられるはずはなかった……!!


「馬ゴーレムとか鳥ゴーレムはどうかな?」

「ゴーレムばかりでは、材料の生産が追いつかないかと」

「適当な虫でも放てばよかろう。アイツラは放っておいても増えるぞ」

「生態系が滅茶苦茶になりそうなのはちょっと……」

「…………」


 議論はすっかり行き詰まっていた。鳥、犬、猪、鼠、牛――多くの案が提出されたが、どれも一長一短で決め手にかける。というか、勇者が弱すぎるのが大体悪い。なんせ魔王領のスタンダードな野犬にすら歯が立ちそうにないのだ、あんなもん、ちょっと大きくなった子供がおやつ代わりに狩るような雑魚なんだが……。


 うーん、これはなかなか難産だぞ。いや、むちぽよゴーレム君、君は凄かった。これはやはり後継機の『ややぽっちゃりゴーレム』を投入するしかない! 


 俺の心が決まりかけていた所に、その意見は提出された。


「あ、ゴーストとかどうですか? これなら魔剣の力でバッタバッタとなぎ倒せますし、聖女の魔術で守りもバッチリです!」

「タリタ、えらい! カワイイ! 採用!」


 突如の絶賛に、タリタが一瞬で茹立つ。俺は出来る上司、褒めて伸ばす上司。


「霊体なら刀が肉に挟まって抜けなくなることもねえか」

「ドレインタッチくらいなら、勇者も耐えられるじゃろう」

「…………」


 勢い半分で決定してしまったが、なるほど、考えれば考えるほど名案に思える。見ろ、将軍も心なしか喜びのようだ。いや、こんなクソ会議から開放されるならそりゃ何でも嬉しいか。


「じゃあ、本決まりでいいかな?」

「魔王領に攻め入ってきた人間達が放置されたままになっている戦場跡が幾つかあります。これらを利用しましょう」


 メグレズが表示した地図上に、真っ赤なポイントが幾つも浮かび上がる。人間、侵攻し過ぎでは?


「選り分けるのも手間が掛かりますので、霊体と一緒に死者達も死霊術で帰国させましょう。彼らも勇者の手で送られれば、安らかに眠れるでしょう」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「これらの地域の浄化が終われば、再開発の目処が立ちます。ただ、幾つかは領土問題に発展する可能性がありますから事前調整が必要でしょうね」


 執務室に戻り、俺はメグレズと地図を挟み計画の大枠を練っていた。


「呼べる死霊術師は総動員するとして、問題はアリオトさんの行方が知れないことです」

「え? アイツまだ戻ってないの?」


 いつも通り会議サボってるだけかと思ってたが、あの馬鹿、何処をほっつき歩いてんだか。


「彼女の力があれば大きな助けになりますが……いないものは仕方がありませんね」

「……そうだな、仕方ないな」


 戦力的には痛手だが最終的には労力もかかる時間も少なく終わるだろうしな、俺達はそんな言葉を飲み込んだ。アリオトよ、早く戻ってこい。具体的には一連の作業が終わる予定の、週明けくらいに戻ってこい。


「彼女が帰ってきた時のために、幾つかパターンを用意しておくくらいですね。その辺は私の方でやりましょう」


 メグレズが手早く計画を立てていく。口を挟む必要すらない、完璧なロードマップ。その速度に、俺は確信せざるを得なかった。


「……ありがとう、気にかけててくれたんだな」

「軍事的な驚異が取り払われた今、魔王領における最大の危険要因は魔王様のストレスです。対策を取るのは当然です」


 あの地図に示された地点のうち、半分は俺たちの戦場だった。血と、涙と、苦い思いが染み付いた征野の数々。魔王領にいる以上、人間達は完全な侵略者だ。それでも、できれば殺したくなんてなかった。


 統一戦争の犠牲者についてはすでに慰霊が終わっているし、人間軍だって野ざらしのままにするつもりはない。とは言え、そこまで手が回っていないのが実情だ。死んだ侵略者よりも生きている自国民を優先するのは仕方ないだろう。だが、彼らを送り返せれば俺たちは広大な土地が手に入り、人間達は故人を弔え、おまけに勇者のレベルも上がる、一石三鳥の名案ともなれば計画の名目は立つ。


 そもそも、ゴーストの話が出たのもメグレズの誘導――とは考えすぎだろうか?


「いつもすまないねぇ」

「魔王様のご苦労に比べれば、私達が軽減出来る負担などたかが知れています。ですが、塵も積もれば山になるでしょう。魔王様はもっと部下に仕事を投げるべきです」


 全くその通り、こちらとしても大いに望むところなんだけど、投げた仕事が三倍になって返ってきそうな部下の顔しか浮かばないのが問題なんだ。魔王領、文官向きの人材が少なすぎる。情報魔法のエキスパートであるメグレズなんて神に等しい存在、今すぐ魔王の地位を寄越せと言われれば熨斗を付けて贈呈する所存だ。


「魔王様の筆頭ストレス要因でしたから、今回は丁度よい機会でしょう」

「ふーん、二位は?」

「アリオトさんです」


 神は黙々と手を動かすが、お前も心配なくせにー。


「いや、それは心配してないよ。アリオトは生きている」


 腐っても七天七星、そう易々とくたばるやつじゃない。むしろ今サボってる分積み上がった仕事を見て、また失踪されそうなのがよっぽど気がかりだ。


「いえ、アリオトさんが帰ってくれば、また週一で魔王城が吹っ飛ぶ日々が始まりますから」


 俺は開発部に頼んでおいた新しい胃薬の到着を願ったが、そのトップがアリオトだったことを思い出し絶望した。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「うう゛~、魔王様、ずみまぜん~」

「いや、タリタ。これはこれで良かったんだよ」


 俺たちは大会議室の壁に映し出された、人間領の大慰霊祭を見守っていた。全員、喪服着用だ。


 結局、送り返された人間達の殆どは、聖女の手によって天に帰っていた。勇者の成長には繋がらなかったけど、まあ一番望ましい結果だろう。


 能面のように感情を表に出さない彼女が、やはり表情ひとつ変えず死者の大軍を送っていく姿は鬼気迫るものがあった。あれだけの数を相手にしては相当な負担のはずだが、最後まで居住まいを崩さなかったのは見事という他なかった。


 最初はゴーストを倒したいとぶーたれてた勇者様も、あの背中を見せられて何も言えなかったらしい。今では口を真一文字に結び、胸に手を当て眼前の光景を見守っている。


 俺たちが送り返した途切れることのない死者の大群を、聖女は粛々と鎮めていった。そして今、光に包まれながら最後の人々を送り出しているその姿を、人々が拝んでいる。慰霊祭の参加者全てが、その威光を目に焼き付けたに違いない。幾千、幾万もの光が立ち昇る中に佇む彼女は、まさに神話の中の存在だった。


 式典では人間領の首脳陣が声高に魔族の残虐性を叫び、勇者への一層の支援を訴えた。だが、今回株を上げたのは圧倒的に彼女の方、これで聖女様の地位は決定的なものとなった。彼女のような真っ当な人間が権力を握るのはこちらとしても願ったり、これで計画もスムーズに進むはずだ。


 だけど、そんなことは些事だ。今はただ手を合わせるべきだろう。


 俺は聖女と亡くなった方々に祈りを捧げ、「あ? 今昇って行ったのアリオトに似てなかったか?」とアルカイドが言い出し執務室の胃薬は底をついた。


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