第四話 魔王軍訓練場の憂鬱


「ありがとう……ご、ざいましっ……たっ……!」


 どうにか息を整え、感謝の言葉だけ絞り出す。


「…………」


 将軍に深く一礼すると、ボロボロの体を引きずって訓練場を後にした。だが、稽古で疲れ切った身体に観客席は遠すぎる。ベンチにたどり着く前に足をもつらせ、俺は地面へと倒れ込んだ。


 ああ、空が青いなあ。


 どこまでも高い空に、雲がゆっくりと流れていた。そよ風は心地よく吹き抜け、火照った体を冷ました。魔王城の中庭はうららかな日差しに包まれて、ただ穏やかだった。


 俺は身体を大地に投げ出し、小鳥たちが愛をささやく声や、木々の葉が揺れる音を聞いた。犬のじゃれ合う息遣いや、大剣が空気を切り裂く音や、蝶が羽ばたく音や、ペンを走らせる音や、大地が割れる音や、木彫りの人形を削り出す音や――


「先生、今度は何を作ってるんですか?」


 俺は首だけごろんと横のテーブルに向け、木塊を削っているメラク先生を見上げ尋ねた。


「これはのう、サクラテニ様の神像よ」

「え、なんでまた……」


 先生はしゃりしゃりと、小刀を入れる手を止めずに答えた。


 サクラテニ神といえば、胴をぐるりと取り巻く十個の目と、十本の触腕の代わりに十本の人間の腕が生えている、頭の丸い邪悪なイカみたいな姿をしたキノコの神様だったはずだ。どうして、そんなピーキー過ぎる神像を……。


「サクラテニ神はのう、冥界を司る神の一柱とされ、死後に彼、または彼女の元を訪れる魂に安寧と幸福を与えると言われておる」


 ざくざくと大胆に小刀が入るたび、みるみる邪神像が形になっていく。冥界の神、確かにそんな話を聞いた覚えも……あ、思い出した、メグレズの基礎教養の授業に出てきたやつだ。安寧と幸福って絶対ヤバい胞子キマってるだけだろ、と思いながらノートに想像図を落書きしたやつ。


「ワシもいい加減、老い先短いからのう。あの世でもいい暮らしができるよう、今からゴマを擦っておる」

「それ口に出したら台無しなやつなんじゃないですかね……」

「サクラテニ様は寛大なお方よ、この程度は歯牙にも掛けられぬであろう」


 むしろ今晩辺りすり鉢の夢を見るかもしれん、と先生は笑った。実現しない、と言い切れないあたりに魔王領の神様のファンキー具合がよく現れていますね。先生の隣に座るメグレズが、新たな書類の山を崩しにかかった。


 魔王領における冥界担当の神は、死後ほかの十三の死体と合体させられて巨大アンデット化(残機:13)とか、地獄の流れるプールで延々ガレー船を漕がされるとか、新作小話を三千万年延々聴かせてくるとか、ろくなのがいなかった気がする。気持ちよくさせてくれる分、禍々しいイカキノコはかなりマシなほうだろう。俺も万が一に備えて揉み手しといたほうがいい気がしてきたな……。


「剣鬼などと呼ばれていた頃は死後の事など頭をよぎりもせんかったがのう、最近じゃ平和ボケしてこの体たらくよ」


 先生は裏返したり傾けたりとバランスの確認をしては、像を細かく削った。


「いやいや、平和が一番ですよ。平和が」


 そう、平和が一番。領地争いも後継者争いも、種の存亡を掛けた戦いも魔族と人間族の最終戦争も無いのが一番。こんな毎回死にそうになるまで追い込まれる、クソみたいな特訓なんて必要ないのが一番。というか、マジでこんな訓練続けてると遠くないうちに冥界キノコのお世話になってしまう。もっと、もっと平和を……。


 まあ、残念なことに魔王料においては平和とは暴力と同意なので、辛い訓練も欠かすことは出来ない。将軍はアドバイス一切無し、体で覚えろ系の極北ではあるけれど、でも教官としては素晴らしく毎回のように気づきを与えてくれるので、成長の実感も得られてモチベーション的にも悪くないしね。いや、日に百回も殺されそうになれば気づきの一つくらいはあって当然とも言えるんだけど。


 勇者もせめてこの半分、いや一割くらいの強度で訓練してもらいたいものだが、うーん、魔王領基準に慣れすぎたか? でも聖女いるから腕の一本くらいは大丈夫だと思うんだよなあ。指導と言えば殺し合いの魔王領において、寸止めのできる将軍の評価は非常に高い。これなら勇者の師匠としても成り立つのでは? なんて話も出たんだんだけど、あれじゃ剣戟の風圧だけで消し飛んでしまうだろうなあ。


 そよ風が吹き抜け、俺の前髪を揺らした。将軍が大剣を振るう音が、止まずに聞こえていた。


 俺が平和の有り難さに思いを馳せていると、完成したのか先生は像を投げて寄越した。うおっ、凄いぞこれ。俺の手のひらほどしかないのに、十本の腕はもちろん指の爪まで再現してあるぞ。剣仙とまで呼ばれる先生の技術が、余すとこなく無駄遣いされている……。


 驚く俺を尻目に、先生は新たな丸太を取り出した。


「まだ作るんですか?」

「ここのところベビーブームじゃろう? ワシの部下にも多くてのう、子供の誕生日祝いに丁度よいから配っておるのよ。皆大変喜んで受け取ってくれるわい」

「ただのパワハラじゃないですか……」

 

 先生は木材の表面を削りながら大変悪い顔で笑った。上司からプレゼントされる禍々しい邪神像、始末に悪すぎる。


「最近はサクラテニ様も大変お喜びのようでのう、深夜になるとこの木像に魂が宿りその辺を走り回るという」

「完全にトラウマ案件じゃないですか!!」


 遥か昔にオムツを卒業した俺ですら、暗闇を駆ける邪神像に漏らさない自信がない。戦後生まれの軟弱な子供達には過ぎた嫌がらせだ。


「やんちゃな子供が言うことを聞くようになったとか、一周回って夜泣きが治ったとか、年老いた両親の腕が生え変わったとか、朝起きたら家中のネズミやムカデが軒先に陳列されておったとか、感謝の言葉も届いておるぞ。ワシの徳もどんどんと溜まっておることじゃろう、これで死後も安心というものよ」


 新世代の皆さんにはぜひ強く生きてほしい、俺は願った。


 しかし神様の存在が近すぎるのも良し悪しだな、これでも大分改善されたらしいんだけど。それこそ神話の時代では、神様の勘気に触れて国が滅ぶなんて日常茶飯事だったそうだ。魔王領のマナの流れが滅茶苦茶なのは、当時の後遺症だとかなんとか。うん、やっぱり超常存在系はスルーだな、当面は無宗教イベントだけつまみ食いする派でいこう。そう、心安らぐイベントだけ……。


「おっ、魔王様暇そうじゃん。次はオレと戦ってくれよ! こいつ逃げてばっかりでつまんねえんだよ」

「魔王様、お疲れさまです……む、なんですか、その禍々しい像は」


 だが、幸せは歩いてこないが、不幸イベントは向こうからやってくるものだ。子どもたちの冥福を祈っている俺の元に、訓練を終えたアルカイドとフェクダが姿を見せた。アルカイドは服も汚れ獣耳までびっしょりだが、フェクダは汗一つかいていない。つやつや黒光りする羽や尾をなでつけ、頭に櫛を入れて髪を整えている。


「アルカイド、俺はもう限界だ。お前に付き合う余力は無い。フェクダ、これは先生の作ったサクラテニ様の像だ」

「ほう……なるほど、いい出来ですね」


 俺から邪神像を受け取ったフェクダは眼鏡を光らせると、先生とその美術的な出来について議論を始めた。こいつ、ただの変態インキュバスのくせに審美眼とストライクゾーンの広さだけは間違いなく本物だからな。おかげで高度な美術論を展開されると、俺の知的生命体としての格が三段論法的に虫けら以下で確定してしまうので大変にくやしい。


「なるほどなるほど。つまりメラク老はこのところ、サクラテニ様の推し活をなさっているわけですね」

「推し活? とはなんじゃ」

「推し、つまり自分が素晴らしい、推挙したいと思える存在を応援したり、布教したり、ただ愛でたりする活動のことです」


 全然美術論じゃなかった。大変俗っぽい俗論だった。誰だ、こいつに変な用語を教えたやつは!


「確かに今はサクラテニ様を奉っておるが、完全に見返り目当てじゃぞ?」

「なに、普通の『推し』もその大半があわよくばのワンチャンを夢見ているものです。これ以上の現世利益はない」

「なるほど、それなら確かにこれは推し活じゃのう」


 真面目に推し活してる人達に怒られるのではないかと思う。


「というか、先生のは推し活というより終活では……」

「はっはっは、そうかも知れませんねえ。しかし魔王様、死の恐怖を和らげるのも宗教の大切な存在意義の一つ、推し活と終活が渾然一体となるのも自然なあり方ではないでしょうか」


 眼鏡インキュバスはそう言って腕を組むと、先生との小難しい話を再開する。なるほど、言われてみれば推し活と終活を同時にこなしていけない理由はない。婚活なんてある意味推し活で終活みたいなもんだしな。と俺が納得している横でフェクダは像の底に穴を空けていい感じの筒状にできないか相談を始めた。こいつ、恐れを知らなすぎる……。


「……魔王領における魔王様の支持率は九割を超えます。魔王領の民衆は皆、魔王様推しと言えるでしょう」


 作業を続けてたメグレズも、書類仕事が一段落したのか口を挟んできた。


「えぇ……九割とかまるっきり独裁国家じゃん……」

「えっ?」

「えっ?」


 よく考えなくても俺の独裁国家だったわ、魔王領。


「そんなにあるの? 支持率」

「最新の調査では九割三分を超えていますね」


 異様な高さだが、これはあれだな、電話やネットがない魔王領ではアンケートを取るにも対面しかない。強面の魔王軍から「魔王様、好き?」と尋問かれて首を横に振れるやつはそういないだろう。


「無理もありませんのう。一代で魔王領の戦乱を終わらせ平和な統一国家を築き上げた、歴史上に比肩する者のない大英雄ですぞ。民に心酔するなという方が難しい」


 それでも九割はないだろ、普通に引くわ。残りの七分の身が心配だわ。


「まあ、推されてるのは俺じゃなく『魔王様』だ。政策の結果が出ているのは喜ばしいけど、個人としては別に、ね」


 力こそ全ての魔王領において、畏怖は絶対的な武器だ。『魔王様』の姿を大きく見せるため、戦果を粉飾して喧伝したり、失策を隠蔽したり、ありもしない来歴をでっち上げたり、ありとあらゆる手管を弄した。俺、一時期は角が三本に腕が五本くらいあることになってたからな……。

 

 プロパガンダの甲斐もあって、『魔王様』の名は全土に轟いた。酒場で歌われる英雄譚や、チンピラの脅し文句や、腹痛のときに便器にまたがり祈る相手として名前が出る存在にまでなったのだ。オレオレ詐欺で事故った回数は、数え切れぬほどだ。劇場で恋愛モノの題材にされたのはさすがに想定外だったが。

 

 けれど、そんな『魔王様』としての成果なんてほぼ全てがみんなで作り上げたものだし、俺自信の能力なんて大したものじゃない。将軍にボコボコにされて、地面に転がるのがせいぜいの男だ。


「そういうことにしておきましょうかのう」


 先生は白いあごひげを撫でながら言うが、にやにやと笑うのはやめてほしい。アルカイド、どさくさに紛れて俺を訓練場へ引きずっていこうとするな。


「はっはっは、確かに多くの民は『魔王様』推しかもしれませんね。ですが魔王様、寂しがることはありません。七天七星はその点、個人としての魔王様推しと言えますからね。全員が魔王領統一前からの部下ですから」


 フェクダが俺を真っ直ぐに見据えた。


 メグレズ、先生、アルカイド、フェクダ、アリオト、ミザール、将軍――


 推し、推されはともかく、こいつら七天七星には統一戦争の早くから世話になりっぱなしだった。命を懸けたことはもちろん、命を懸けさせたことだって何度あったか分からない。長い長い争いの中で、誰が欠けても魔王領は今のようにはならなかっただろう。本当に、よく付いてきてくれたと思う。


 推す、の反対語はく、だ。こいつらが俺を推してくれたとして、俺はこいつらを、魔王軍を、きちんと挽っ張ってこれただろうか……? 


「その七天七星も、残念ながら一人、故人になってしまいましたが……」


 フェクダは鎮痛な面持で顔を伏せ、続けた。


「六天六星にでも改名しますか?」

「あ? そいやアリオト死んだんだっけか? まあ星になったんだから七星のままでいいだろ」

「君たち」


 命を預け合い戦場を駆け抜けた仲間に対し冷たすぎない? 俺は魔王領特有の刹那的な生死感にドン引きだった。こんなドライっぷりでは推されてると言われても喜べない。取り替え可能な超軽量神輿みこしだ、いつ空の上へ向け絵発射されるか分かったもんじゃないぞ。


「アリオトはただの行方不明だよ、あれが安々とくたばるタマとも思えないし。どうせそのうちそのへんからひょっこり生えるだろ」


 そう、その辺とか。俺は訓練場へと視線を向けた。将軍の素振りが変わらず続いていた。


「まあよ、オレは推しとか何とかよく分かんねえし、オマエの考えに賛同してるわけでもねえ。オマエが強くて殴り合うには一番だから七天七星をやってるんだ、そこは勘違いするんじゃねぇぞ」


 アルカイドが拳と手のひらをぱしんと打ち付けて、ツンデレみたいなことを言った。


「オレはオマエの身体だけが目当てだからよ!!」


 一番最低な推し活が来たな。


「なんと力強いあわよくば宣言、不肖フェクダ、感服致しました」


 誤解しか招かないような発言で打ち震えるのはやめて欲しい。

 

「しかし、魔王様の身体をほしいままにしようなどとは大それた願い、不敬の極みですな」


 フェクダがアルカイドへ対抗するように、一歩前に出る。


「私は身体までは求めません、穴だけで結構!!」


 下限、十秒と持たず突破されてしまった。


「どうです? 届きましたか、この純粋な『推し活』の気持ち」

「お前らのは推し活じゃなくて純粋な欲望の発露だろ……」


 推し活じゃなくて挿し活だろ。


 あんまりな会話にせっかく回復しかけてた疲れがまたどっとぶり返して、もう指の先も動かせそうにない。


「いやあ、そんなにお褒めいただきましても。私などまだまだです」


 フェクダが頭をかきながら心底謙遜している様子で言ったが、突っ込む気力もなかった。


「私もメラク老のように、神々に対してもあわよくばを狙うような大きな男にならなければ!」

「狙っとらんわい」


 せっかく平和になったんだ、お前の推し活で魔王領を終活に巻き込むのだけは止めてくれ、俺は願った。



 後日、「最近は触手のブームが再来しましてね」と話しかけてくるフェクダを祭壇に捧げ、俺は全力でサクラテニ神に頭を下げ続けた。


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