第一話 魔王軍の憂鬱I


「魔王様! 魔王様、大変です!」


 急ぎの書類を片付け一服入れていた俺のもとに、タリタが白い髪を乱し振り飛び込んできた。大いに焦った様子なので重要案件なんだろうが、情報部が内情を表に出すのはよくないなあ。あと息を切らして目を見開いた少女の頭部が壁から突き出てこちらを見下ろしている絵面は大変不気味なので止めてほしい。


「こら、タリタ。執務室にはきちんと扉から入ってきなさい。あとノックもしなさい」

「す、すみません!」


 タリタの姿が壁に吸い込まれて消える。うーん、いくら身内とは言え、こうも簡単に侵入を許すのは魔王の執務室としては問題があるな……。新しい警備用魔道具の発注書をしたためていると、扉を二度叩く音が聞こえた。


「どうぞ」

「失礼します!」


 小柄な幽体の少女が、改めて入室してきた。だから透過はやめなさい、きちんとドア開けて入りなさい。


「で、何だい? タリタ。そんなに急いで」

「そ、そうなんです! 勇者が、勇者が……」


 肩で息をしているタリタは心臓に手を当て鼓動を静めようとしてるけどそれ最初から動いてないだろ。


 そもそも何で息が上がってるんだ? 酸素要らないよな……? とついよそ事を考えていた俺に、呼吸を整え終えた彼女は力一杯報告した。



「勇者が、勇者が弱すぎます!!」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 緊急会議の参加者は、一様に苦虫を噛み潰したような顔で円卓を埋めていた。幽霊、人狼、剣鬼、氷の魔女、夢魔、全身鎧、暗殺者――魔王軍の誇る最高幹部達が、等しく無力感に苛まれている。省エネを理由に照明の出力が下げられた特別会議室は薄暗く、空気がいっそう重く感じられた。くそっ、「魔王城っぽい雰囲気が出ていいですな」なんて茶化していたの昔の自分が恨めしいぜ。


「全員揃ったようですね。ではタリタさん、報告してください」

 

 いつも通り俺の左に陣取った進行役のメグレズが、眼鏡を押し上げ促す。


「は、はいっ。アケルナル王国蒼の森にて本日午前、特別強襲部隊がレベル上げ中の勇者と偶然を装い接触。予定通り戦闘状態へと移行しましたが、アルカイド様が七天七星の名乗りを上げる前に勇者をワンパンで失神させ即決着。勇者は従者たちに抱えられ、近くの街まで撤退していきました!」


 俺は頭を抱えた。


「アルカイド、どうなってるんだ! 作戦通り負けてこないとダメじゃないか!!」


 つい口調を荒げてしまったが、詰問された本人は悪びれた様子もなく小指で耳くそをほじっていた。獣耳だから頭上をグリグリしててちょっと面白い。


「だってよお、魔王様言ったじゃねーか。今度の勇者はパワーアップしてるから、ちょっとくらい遊んでもいいって」

「だからってワンパンはないだろ。大事な勇者様にトラウマでも残ったらどうするんだ」

「いや、ホントに遊んだだけなんだって。こっちは本気の一割も出しちゃいねーよ。不完全燃焼過ぎて逆にストレスが溜まったっつーの」


 アルカイドはつまらなそうによそを向いた。耳くそを息で拡散するな!


「……あの、アルカイド様は確かに本気を出していなかったかと。軽く挑発した後素早い動きで勇者部隊を翻弄、浮足立ったところを軽く平手打ちしただけでしたから……」


 タリタの補足に頭痛が進む。勇者、マジで弱過ぎる……。


 ひと通り報告を受けた円卓では、活発な議論が行われた。


「やはり此奴こやつは不適任だったのでは? 脳筋担当なので手加減の意味も知らん」

「アルカイド様のせいばかりでもないでしょう。流石に勇者がこれほどとは……」

「小賢しい策を弄する、アリオト君みたいな人物を派遣するべきだったようですね。策士策に溺れるふりをして自爆でもすれば、勇者の実力に関わらず勝ちを譲ることができたでしょう」

「でも、七天七星のヒエラルキー順を乱すのも憚られますし……」

「それに、最初の中ボスは脳筋ってのがお約束ですからね」

「…………」

「そもそもアリオトさんはナチュラルに策に溺れて勇者を殺しかねないのでは?」

「そう言えばアイツ来てねえな」

「アリオトさんならカッコイイ登場方法を考えたぞ!! って灯りの魔法を組み込んだ転送用の魔法陣を開発して二週間前から行方不明です……」


 何をやってるんだあいつは……。


「……メラク先生、『妖刀ムラクモ』は確かにスペック通りのものを?」

「うむ、それは間違いないぞ。メグレズの嬢ちゃんも確認しておる」


 先生はそう言って茶をすする。


「東部地方一の刀鍛冶に頭を下げて頼んだからのう。勇者の手に渡る刀を打つのは忸怩じくじたる思いがあったろうが、彼奴あやつも一端の職人、もの自体は見事な出来よ。言われた通りにこれでもかと付与魔術も掛けたわい」


 うん、あれはいい刀だった。いい刀過ぎて勇者を殺し強奪を試みる部下が出ないか心配したくらいだ。


「そうなると、ムラクモを手にした勇者はかなり強化が進んだはずですが……」

「……固定値でなく割合での付与を選んだのがまずかったかもしれん。あの手の強化は本人の力が弱いと効果も薄い」


 一万円の三割引なら七千円で大変お得、だが百円ならたったの三十円、それなら一律五十円引きのほうがお得――みたいな感じの話だ。ううむ、方向性を誤ったか?


「ですがあれだけの業物ですよ?」

「勇者の成長が最悪の想定を遥かに下回っているのかもしれませんね……」


 ため息が漏れる音が、会議室にいくつも重なった。



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