第25話 王妃ソフィアの視点――私の宝物――

 そう、あれは忘れもしない夏の暑く、寝苦しい夜のこと。


 私は夢を見た。


 あれを夢と言っていいものか悩むところだけど、夫と二人でそう決めました。




 あの日、私は五番目の子となるマルクスの出産を控え、早めに休んでいたのだけれど、暑さのためかなかなか寝付けず、寝返りを繰り返すばかり。

 身重な私にとって軽い身動きさえも難しく、辛い夜だったと記憶している。


 王族の寝所は王宮内でも高い所にあって、夏でも涼しく過ごすことができるもの。


 けれど、流石にこんな日は我慢するしかなく、「侍女に大きなうちわで扇いでもらおうかしら?」などと考えるも「暑いのはみんなおんなじね」と思い、再び眠るための努力をした。


 でも……、眠れない。

 むしろ、目はリンリンと冴えわたるばかり。


「どうしよう」


 そう思い悩んだ末、私は起きていることにした。


 


 そろりとベッドから抜け出し、部屋の明かりをつける。

 そうすることで、私が起きたと気づいた侍女が様子を見に来るはずだったのだけれど。


 一瞬で視界は入れ替わり、私は真っ白な大理石でできた廊下に立っていた。


 それほど広くもなく、でも先の見えない真っすぐな通路。

 わかるのは十数メートル間隔で並ぶ、大きな扉だけ。


「ここは……」


 あまりのことで、私はただ驚いた。


 現実離れした景色(全面大理石)に、見覚えのない廊下。

 私はすぐに『これは夢だわ』と悟り、試しに頬をつねってみる。


「痛くない……。そうか、私はもう眠っていたのね。だったら、ここを探検してみようかしら。見たこともない場所だから、きっと楽しいはずだわ」


 ここを夢の中と決めつけた私は、今の姿が寝着のままだと気づいていても、お構いなしに先へ進んで行った。


 どういうわけか身重であった身体もスッキリし、足取りも軽い。


「ここって、どこかしら? 神殿の中? でも、こんな通路は見たことがないし」


 たとえ夢の中であったとしても、夢に見る景色は記憶にあるもの。そう考えていたのだけれど、どういうわけかこの場所には全く覚えがない。


 とりあえず大理石の通路を進んで行き、目についた扉を片っ端から開けてみる。

 どの部屋も整然と並べられたテーブルとイスがあるだけで、珍しいものは何もない。


「変ね、私の夢だったら、もっと楽しいことがあってもいいはずなのに」


 普段見る私の夢は、展開が目まぐるしく変わる忙しいものばかり。なのに、今回の夢は何も起こらず、静かなものだった。


 けれど、ようやく変化は訪れた。


「あれは祭壇かしら? 立派なものね」


 私の入った部屋は大聖堂。そこに人の姿はなく、大きな祭壇があるだけだった。


 私はラミルス神様の描かれた肖像画の前で膝を折り、瞼を閉じる。そうすることで神聖な空気を肌で感じ、またラミルス神様を身近に感じられるはずなのだけど……。


 私が感じ取ったのは、全くの別の気配。それは私の良く知る、大切な人。


「ソフィア、お前も来ていたのか」


「あなた……」


 聞きなれた声に目を開き、振り向いた私の瞳に映るのは、私と同じように寝着姿のままの夫だった。


 もちろん私の夢なのだから、夫が出てきても不思議でないけれど、彼の言ったという言葉に違和感を覚える。


 ここは私の夢なのだから、主語は私であるべきなのに、あの言葉は明らかに夫からのものだった。


「変ね……」


「何がだ」


「いえ、ここは私の夢なのよね。だったら……」


 そう私が言いかけたところを、夫が遮る。


「待つのだ。先ほどまではわしもそう思っておった。けど、実際のところは、どうであろうな」


「えっ? それって……」


 夫の言葉の意味がわからず、私は首を傾げる。


 身重の私のお腹がスッキリしているのだから、現実だけは有り得ないと思っていたのだけれど、状況は目まぐるしく変化する。


「どうやら、二人揃ったようじゃな」


 不意に祭壇が煌々と輝きだしたかと思うと、目の前の肖像画からラミルス神様が抜け出してきた。


 あまりのことに言葉を失う私と、腰を抜かしたかのように仰け反る夫。


 神様の御前で不敬かもしれないけど、それも仕方のないことだと思う。


 神様が降臨なされるなんて突拍子もない事態に、冷静でいられるほどの胆力は持ち合わせていないし、まさかご尊顔を拝謁できるなんて……。


 そんな支離滅裂なことを考えていると、ラミルス神様は朗らかな笑みをみせた。


「そう驚くでない。この姿はちょっとばかり拝借したものじゃ。私の姿は人には人の、動物にはその動物の姿に見えるからのう。そなたたちのようにこの絵を崇めている者には、この姿で丁度よいのじゃよ」


 そう優しく諭すラミルス神様に、私と夫も少し気が抜ける。

 神様の御前であるのはわかっているけど、その優し気な瞳に自然と体の力が抜けたのだ。


 でも、ラミルス神様が私たちを呼んだとしたら、何か意味があるはず。


 そう思い直して、私が尋ねようとしたのだけれど、もう手遅れだった。


「それでラミルス神様は、わしらに何をお望みなのですか?」


 そんな気やすい感じで話しかける夫に、私は天を仰ぐ。


 この国の王であり、その上に立つ者がいない定めか、神様に対してさえこれでは、先が思いやられる。


 けれど、ラミルス神様は全く気にした御様子もなく、ニコニコと笑いながら、こうおっしゃられた。


「そのことなのじゃが、これから産まれてくるであろうその方たちの子に、少しばかりお願いをしたんじゃ」


「お願い、でございますか?」


「そうじゃ。まあ、これといって難しいことではないのだがの、お前たちにはこの者の健やかな成長を見守って欲しいのじゃよ」


 そう言葉にしたラミルス神様の右手には、いつの間にか淡い光を放つ球体があり、それを見ていると私にはどうにも愛おしく感じられた。


「もちろんでございます。愛しい我が子を大事にしないなど、考えられませぬ」


 そう答える夫に、ラミルス神様が、優しく微笑みかける。


「うむ、良い返事じゃ。間違っても、くだらぬ世継ぎ争いなどに巻き込み、我が願いを妨げるような事があってはならぬぞ」


「肝に銘じます」


「うむ、期待しておる。では、これはそなたに返しておこう」


  夫の返事に頷いたラミルス神様は、手に持った光る球体を私に差し出し、そう言った。


 そして、私が手を伸ばしその球体を受け取ると、瞬く間に視界は変わり元のベッドで横になっていた。


「今のは……」


 夢と呼ぶにはあまりにも鮮明な記憶。

 それでいてどこか夢であるかのように感じられる不思議な出来事。


 でも、数分後、部屋へ入ってきた夫の様子で、私は確信する。


「やはり、お前もか……」


「ええ、あなたもなのね」


 そう互いに確認し合い、全てを受け入れた。


 私たちが訪れたあの地。あれはまさしく神界だったのだろう。そして、今度生まれてくる私たちの子に、あの方の希望を託された。


 であれば、私たちにできることは間違ってもその妨げにならぬこと。


 神託を受けた子と知られてしまえば、担ぎ上げようとする者も出てくるでしょう。

 このことは一切公表せず、私たちだけの夢として胸にしまっておこう。


 そう決めたのでした。


 



 それから一週間後、マルクスは生まれました。


 夫は生まれたばかりの赤子の王位継承権の剥奪を宣言し、臣下の者たちを驚かせましたが、五人目の子供ということもあり、それほど騒ぎにはならなかったようです。


 でも、私はこの子が、今後どのような成長を遂げるのか、楽しみでなりません。

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