第29話 愛を知る者

「ドクターは、世界から争いをなくしたかったんですか?」


「うん。僕の故郷――『月』はね、男を巡る争いの絶えない、それはもう醜い世界だったんだ。あちらの世界では、『男性』は完全に管理される天然記念物扱い。国の共有財産だ。だから、男女が共に街を闊歩し、暮らし、微笑みあいながら生活を築くこの世界を大層美しいと思ったし、同時に、この風景を守りたいと思った。でも、人は僕が思った以上に、醜い一面も持っていたんだ……」


「それが、争い?」


「そうさ。僕は地球に住む生命からは考えられないような寿命を持つ異星人。長い年月を生きる中で、僕は戦いに満ちたこの世界の歴史を見てきた。凄惨で残酷な、殺し合いの数々を」


 そう語るドクターの瞳には、心から人を想うが故の涙が薄っすらと浮かんでいる。


「……やめさせたかった」


「それで、コアラ・サナトリウム計画を立てたんですか」


「ひどく長い月日を費やしてしまったけれどね。果たしてそれは成就した。サー=セリーヌという、ひとりの天才のおかげで。僕は今でも、彼女のことが大好きだ。年に一度の命日に、毎年花を供える程度には」


「彼女を、愛していたんですね……」


「ああ。愛していたさ」


「――でも、そういう人間がひとりやふたりじゃないんでしょう? このクソタラシ」


(……!!)


 病室に無作法に入り込んできたのは、半べその菫を引きずった朝顔だった。


「単刀直入に言うわ。こいつは、地球の人類の半数以上を『コアラ』にして滅ぼした張本人。そうして、今も地球をいいように支配している最低最悪の侵略者よ」


「そんなわけないだろぉ……だって、ドクターは優しいボクらのドクターでぇ……」


「ああもう! いつまでもウジウジしてんじゃないわよ菫! あなたはこいつに騙されて利用されていたの! もっと怒りなさいよ! 殴りなさいよ! あなたがしないなら、私がこの手で……!!」


 振り上げられたその拳を、俺は捕まえる。


「ドクターを傷つけるなら、許さないぞ。朝顔」


「あんたもなわけ!?!? ったく、どいつもこいつも――!!」


 睫毛の先まで迫った拳を、ドクターは微動だにせず眺めている。

 だが、次の瞬間――

 袖下に忍ばせていた何かのスイッチを押した。


「ポチっとね♪」


 にんまりと微笑むドクターのいた床下が割れ、大きく開いた空洞に俺たちは吸い込まれてしまった。暗闇の遥か先で光る何かがこちらを見つめて……


(なんだ、アレ……?)


 ソレは、見たことのないカグヤの機体だった。


 ドクターは鮮やかな着地でコックピットに滑り込み、俺たちを両手でキャッチする。

 そうして、同時に開いた天井からサナトリウムを飛び出し、荒れ地と化した戦闘危険区域に俺たちをおろす。


「あのままムジナちゃんだけ握りつぶしても良かったんだけどねぇ?」


「――ッ!! その名で、呼ぶなぁっ!!」


 激昂する朝顔の、名前にこだわる意味を、たった今理解する。


 朝顔の647ムジナ、菫の556コゴロー、そして俺の563ゴローさん……

 ドクターは全て、俺たちを狂人ナンバーで呼んでいたんだ。


 朝顔は拳を握りしめ、近くにあった瓦礫を引っ掴んで投げる。


「菫は、あんたのこと……本気で、あんなに……好きだったじゃない!! ここにいる京太だってそうよ!! 人の気持ちを何だと思っているの!? あれだけ人間の『感情』について教えておきながら! それを平気で踏みにじる! あんたは最低の悪魔よ!!」


(朝顔……)


 どうしてお前が、そこまで俺たちのために怒ってくれるんだよ……

 それこそ、『愛』なんじゃあないか?


「菫が笑ってくれればそれでいい――毎日が死と隣り合わせのサナトリウムの皆が、少しでも安らいでくれるなら。あんたの存在が、どれだけ皆の支えになっていたか!! 悔しかった! 憎らしかった! どうして私じゃなくて、あんたなんだって! 私の気も知らないで!!」


 わけもわからず泣きじゃくる菫を庇うように抱いて、朝顔は怒りをあらわにした。殺意で充血した瞳は、普段の澄んだ蒼を浸食し、朝顔色に染まっていった。

 ドクターが、コックピット内で舌なめずりをする。


「どう足掻いても抜けきらない『怒り』――キミが狂人たる理由だったね。うん、いい色だ。僕も、十二単じゃあ紫が一番好きだったな」


「――ッ。ナメんなっ!!」


 ――「死ね!!」


 朝顔の絶叫が、サナトリウムにこだました。


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