第13話 だぁれがドクター殺したの?

  ◇


 病室で、たくさんの管に繋がれるドクターを前に、多くの狂人が泣いていた。


 ただ、そんな中で涙の一粒も零さない朝顔は、もしかしたら『哀しみ』が欠落しているのかもしれない。

 顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、菫は朝顔を責めるように見る。


「なんでそんな平気な顔してンだよぉ……ドクターが死んじゃったんだぞぉ……!」


「諦めるなんてらしくないじゃない、菫。ドクターはまだ死んでいないわ。ちょっと数日、昏睡状態なだけよ」


「でも、いつ目が覚めるかわからないんだろぉ!? そんなん、死んじゃったも同然――うぇえええええん!!」


 泣くなよ菫。と、誰も言えない。だってその場の誰もが泣いているから。

 疑いの目は当然、唯一泣いていない朝顔に向けられる。


「お前が撃ったのか」


「そんなわけないでしょう。ドクターの身辺セキュリティはサナトリウム内でも屈指の頑強さを誇る。コアラ・サナトリウムは、軍事と医療の粋を集めた最先端の研究施設よ。たとえ国の中枢が束になってかかっても、ドクターを殺すことなんてできやしないわ」


「じゃあ誰が――! 誰なんだよ!? ぶっ殺してやる!!」


「そっ、それよりも、ドクターを起こす方法を見つけないと! このままじゃあ私達……」


 菫の怒りとナナオの不安が伝播して、部屋のすすり泣きが一層大きくなる。


 そう。ドクターは、軍事と医療の全てにおける最高責任者だ。

 サナトリウム内の自給自足システムをはじめ、カグヤ探知や【KOALA】等の兵器開発、俺たち狂人の管理とケア。全てをドクターが担っていた。

 この機関におけるドクターは、『脳』なのだ。脳を失った身体は――


「私たち……死ぬのかな?」


 ナナオの問いかけを、誰も否定することができない。


「このままだと『コアラ』の人達に指示が出せなくなって、自給自足システムが崩壊して、ご飯が食べられなくなって……せっかくカグヤを捕まえたのに、対策とかも打てなくて、もしまた次にカグヤが来たら……」


「ナナオ。それ以上は、皆を不安にさせるからダメよ」


「もうとっくに不安だよ!?」


 ドクターが倒れてからというもの、常に誰かのSAN値アラートがひっきりなしに鳴っていた。そのせいで館内がうるさすぎるため、皆でアラートを切ることにしたのだ。

 普段ならドクターに断りもなく停止させることは禁止されているのだが、心の支えを失ってただでさえ疲弊しているのだ、睡眠まで奪われたらどうしようもない。


 数日経ってもドクターは目覚めず、俺たちは、授業する人のいなくなった教室で、ナナオ、菫、朝顔と何をするでもなくどんよりと顔を突き合わせていた。


 ドクターが倒れてからというもの、国防の要が失われたと、元教師をはじめとする大人たちは大騒ぎ。狂人の管理や教育どころではなくなり、皆こぞって地下最奥に避難している。

 俺たち狂人は、比較的上の層にある、このコアラ・サナトリウムに置き去り――もとい、有事の際の肉の壁として放置されているのだ。その事実が、余計に皆を鬱屈とさせていた。


「とにかく、ドクターが目を覚まさない以上、私たちに打つ手はないわ。保身のためだもの、ドクターの蘇生については大人たちが躍起になってやっている。そっちは任せても大丈夫だと思う。でも、問題はカグヤよ。次に奴らが襲来した際は、現状動かせる『KOALA』で対応するしかない。なのに、最強パイロットの菫は……このザマだし」


「うぇええええん……ドクタぁあ……」


「いつまで泣いてるんだよ。ドクターが撃たれてから、もう三日だぞ」


 いい加減受け止めろと言いかけた俺も、ふとドクターの笑みを思い出して泣きそうになる。その様子に、朝顔は困ったようにため息を吐いた。


「まぁ、仕方ないわよね。ドクターは皆にとっての母親みたいなものだったんだもの」


「「「はぁ!?!?」」」


 俺、菫、そしてナナオは食って掛かるように声をあげた。


「いやいや。ドクターはどう考えても綺麗なお姉さん――! いや、お兄さんかも? とにかく、いくら性別が曖昧とはいえ『母親』はねーだろ!」


「だぞ、だぞ! ドクターは世界で一番綺麗で優しい、ボクの憧れの王子様なんだ! 将来はボクとケッコンするンだよぉ! それが『か~ちゃん』なワケね~だろぉ!? 目ぇ腐ってンのか、朝顔!?」


「えぇぇぇ……ドクターは誰がどう見ても胡散臭いお兄さんマッドサイエンティストだよねぇ? まかり間違っても、私達を守ってくれる『ママ』なわけがないと思うけど……」


 三者三葉な返答に、朝顔はきょとんと固まってしまう。そうして何を思ったか、腹を抱えて笑い出した。


「あはははは! おっかしい! 同じ人に同じように育てられたはずなのに、こんなにもあの人(ドクター)に対する考え方が違うなんて! これが『個性』っていうやつなのかしら。それとも『感性の違い』? 道理で歴史上、人々の間で争いが消えないわけだわ!」


「「「???」」」


「だから皆、『コアラ』になるしかなかったのかもしれないわね……」


 朝顔は、ドクターが倒れても尚、瞳に『平和』しか映さない『コアラ』の人達を見つめた。


 彼らは今日も、個々に与えられた職務――木々への水やりに精を出している。ときおり、新芽の緑に口元を緩ませながら目配せをして、どこか満足そうに、仕事を終えて地下へとまた戻っていく。


「私達狂人とは異なる、『感情』を失った平和の象徴……彼らは、本当に『生きている』と言えるのかしら?」


「なに失礼なこと言ってんだ。いくら俺たちが『感情』を無くせない出来損ないだからって、『コアラ』の人達に八つ当たりするのはよくないぞ、朝顔。ただでさえドクターの件で皆ピリピリしてるんだ、そういうのはやめとけ」


「でも……時折、どうしようもなく思うことがあるの。私達狂人は、彼らのような国民と『平和』を守るために戦っている。それが唯一、私達の必要とされる術だから。でもね、ドクターが倒れても彼らが何も変わらずにいるように、誰も私達の戦いに感謝なんてしていない。そういう感情すらない。歓喜も、恐怖も、明日への希望も、何もかも……」


「朝顔ちゃん? 急にどうしたの……?」


 ナナオの問いに、朝顔はふと顔をあげて。


「ねぇ。私達は――何のために戦っているの? 誰のために戦っているの?」


「「……!!」」


 その場で一切動揺せず、答えを出したのは、菫だけだった。


「――ンなの、ドクターのために決まってンだろ。朝顔は賢い分、たまにごちゃクソうるせ~よなぁ。いいから、ドクターを撃った奴を探し出して、ぶん殴って爪を剥いでやろうぜ」


 曇りのない、澄んだ菫色の瞳を見つめ、朝顔は参ったようにため息を吐く。


「菫……私、あなたのそういうところ、好きよ。大好き」


 ――『だからこそ、許せない……』


 消え入りそうなその呟きは、多分俺にしか聞こえていなかったと思う。

 ただ、俺はバカだから。そのとき、朝顔が『誰を許せないのか』、理解することはできなかった。


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