第2話 泣き虫の末っ子

  ◇


 【KOALA】は、有人機動兵器――いわば人型の巨大ロボットである。


 グレー、あるいは鈍色の強固な装甲で覆われた心臓部、コックピットに腰を掛け、操作ハンドルを握る。服は耐寒耐熱、機動性を重視したダイバーのウェットスーツのよう。

 最初の頃は窮屈だと感じたが、この十年、月に二度以上は出撃しているんだ。もう慣れた。


 俺は【KOALA】越しに、新宿御苑の真ん中に舞い降りた、白色の機体を睨めつける。


「何が目的だ? 東京観光に来るのに、わざわざ多摩川をぶっ飛ばす必要なんてねーだろ。おかげでピューロランドがぐちゃぐちゃだ。可愛いモノ好きな0770ナナオのご機嫌がナナメになったらどーしてくれんだよ」


 白い、二つ耳のようなアンテナを付けた機体――【カグヤ】は答えない。


「ウサちゃんは天下のキティさまが許せねぇっていうのか? アンチ猫なのか? 自分以外の可愛い生物は許せない? だから地球をぶっ壊すのか?」


「…………」


 煽りも通用しないらしい。そもそも、あの中に言語の通じる生命体がいるのかすら怪しいが、形態は【KOALA】に酷似しているのだ、つい話しかけてしまう。


 だが、性能はあちらが上。それは戦えば嫌でもわかる。

 しかし毎度毎度、本格的な襲撃の前に一時停止――対話を試みるのは何故だろうか。


「……今日もだんまりか。宇宙から来たって割には破壊活動が主で侵略をする素振りもねーし、単なる破壊――ストレス発散が目的か? もしくは、破壊衝動しかない単細胞なのか……まぁいい。今日こそそのド頭カチ割って、中身が入ってんのか確かめてやるよ!!」


 右腕ストレート。豪快にパンチを食らわせようとするも、機械とは思えない俊敏さで躱されてしまう。

 その優れた機動性と跳躍力、特徴的な二本耳。そして、主に月から飛来することから【月兎ゲット使者・カグヤ】と命名されたその機体は、月面探査AIが暴走し、ステーションから備品を拝借――自己進化を終えた成れの果てかと諸説唱えられているものの、詳細は一切不明。

 一定の殺戮、破壊活動を繰り返した後に月に帰っていくのがよくある行動パターンだ。


 だが。この世界の人類――戦闘従属民たる狂人以外の真っ当な人間――『コアラになれた人たち』は、安全な地下空間で生活しているので、殺戮されるのは専ら狂人おれたちってワケで――


「こっちも、黙って殺られてやるワケにはいかないんでね……!」


 俺は両サイドの操縦桿ハンドルを握りしめた。

 人機一体――もはや自分の手足のように動く02ゼロツーを操作して、ミサイルが如き鋭敏な蹴りを顔面すれすれで躱し、カウンターを合わせる。

 顔面に拳が届き、今日こそそのツラ拝もうかというときに、金の両目が発光した。


「ヤバ……!」


 死に物狂いで姿勢を低くする。


(動け動け動け……! アレを食らったら死ぬぞ!!)


 北極粉砕眼光ビーム。

 この距離でアレを食らえば、【KOALA】もろともお陀仏だ。


 眼前に迫る死の恐怖。それから逃れたいと思うどうしようもない生への切望。

 それらの感情が、生存本能が、機体を操作する精度をあげ、AIなどでは到底達することのできない境地に兵器を導く。


 低姿勢からバックステップで距離を保ちつつ、背に装備していた対粒子砲の盾を取り出す。いくらアレが北極を吹き飛ばした不可避の光線だとしても、上方向へ盾で弾けば最低限の犠牲で済むだろう。約五百年前のカグヤ初襲来から、人間様の技術も進化しているんだ。今なら片腕、もしくは半身の損傷くらいで済むはず――


 でも。そうしたらコックピットも半壊するかもしれないから、俺も片腕とか、右肩半分もなくなるのかなぁ。


 【KOALA】は機動性を確保するために神経の一部を俺に同期させているから、触覚とか味覚とかも無くなったりして……


(ドクターと、お茶が飲めなくなるのは嫌だなぁ……)


 瞬きの間だけ、地上に突き出した病棟に視線を奪われる。

 狂人を収監するコアラ・サナトリウムはカグヤの観測も担っているから、建物の一部が地上に出ているのだ。地下の療養区域は厚いプレートで仕切られて安全とはいえ、まだ上に人が残っていたらどうしよう。


(大丈夫。さっきまで俺とドクターは地下の療養区域にいたんだ。ドクターが動いていなければ、安全地帯にいるはず――)


 でも。ドクターは優しくて面倒見がよくて、どこかお節介が過ぎる人だから、時折出撃する俺たちを見送りに来たりもする。


(いない……よな? え――?)


 背にしたコアラ・サナトリウムの窓に、ふと人影が映った気がして。俺は動けなくなってしまった。手にした盾を正面で構えて、眼光ビームをモロに受ける。


「ぐっ……あああっ……!」


 荷電粒子だか未知粒子だか知らないが、人類の叡智を結集して作った盾がチョコレートみたいに溶けていく。凄まじい熱と衝撃に大地は抉れ、周囲の街を守るために【KOALA】とカグヤをコロシアム式に閉じ込める戦闘用非常砲壁が、歪な悲鳴をあげてひしゃげ始めた。


(あつい、苦しい……! でも、背後の病院に、まだドクターがいるかもしれない……!)


 【KOALA】と神経の一部を同期しているせいか、身を守る盾がもう手のひら分しかないせいか、とにかく熱くて呼吸がうまくできなくて。地上にいるのに溺れているようだった。


(――あ。終わった)


 唐突に死を実感し、全身から力が抜けていく。

 何もかもがどうでもいい――いや。守りたいものを守れたのだから、ヒト以下のヒトである俺にとっては、名誉ある最高の死だよ。


 目を閉じた、瞬間。


「何ぼーっとしてんですか! このバカぁ!!」


 カグヤを、ビームを出している頭もろとも蹴っ飛ばした馬鹿がいた。


「は!?!?」


 遠退いた意識が瞬時に覚醒する。


(07号機……ってか、その甘ったるい女児みたいな声は、ナナオか!?)


 くそっ。あいつ……! 危ない真似しやがって……!!


「粒子砲に向かって体当たりする馬鹿がどこにいる!? 死なばもろとも、特攻でもするつもりかよ!?」


「敵前で唐突に戦意喪失してるバカには言われたくないですぅ! 立って! 走って! 逃げてください! うわ~ん、バカバカ! 京太さんのバカぁ!!」


 0770――ナナオがバカバカ騒ぎ立てているのに興が削がれたのか、カグヤは白い機体でぴょん、とジャンプして月へと帰ってしまったのだった。


「結局、なんなんだ……?」


 消えない謎に、行き場のない感情。しかしそれらを、どっと安堵が押し流した。


「た、助かった……死ぬかと思った……」


 ぶはぁ~、と大きな息をついてコックピットのハッチを開ける。

 辺りが焼け野原だとか焦げ臭いとか、知ったことか。今はとにかく、外の空気を思いきり吸いたい。

 いまだ恐怖で震える手足に鞭を打ち、【KOALA】――02に縋るように外に出ると、同じくハッチから出てきたピンクの髪のツインテールが胸元に飛びついてきた。


「わぁあ! よかったよう、生きてたよう! 今日こそダメかと思いましたぁ! なんであのとき、止まっちゃったんですか!?」


 ……なんでだろう。


 確かにあのとき、盾を捨てて横に転がれば生き延びることはできただろうし、病棟上層にドクターがいたという確証もない。ただの見間違いに命を懸けるだなんて、ナナオの言う通りそれこそバカのやることだ。

 でも、ひとつ、思い当たることがあるとすれば……


「……理由」


「理由?」


「理由を……探していたのかもしれない。胸を張って、死ねる理由を」


 ナナオの蒼い瞳が、大きく見開かれる。


「今日はチャンスだったんだ。俺にとっての大切なものを守って、満足のいく最期を迎えるチャンス。でも……思い返してみればただのバカだったよなぁ。だって俺、まだドクターにチェスで勝てたことないもん。勝って秘伝のお茶を飲ませて貰うまでは、死にたくないな」


「どうしてそう誰も彼も、簡単に死んじゃうんですかぁ~!! ナナオを置いて行かないでください~!」


 ひと際うるさくべそをかいて、ナナオが抱き着く。


 ナナオは狂人番号0770。コアラ・サナトリウム日本支部じゃあ一番の後輩だからか、末っ子気質な泣き虫だ。

 ぎゅう、と甘えるように何度も頬ずりをして、俺が生きているのを確かめている。   

 スーツ越しだが、あたたかくて柔らかい。


「あ~あ~。こんな、生きるとか死ぬとかにわけわからん意味を見出そうとするから、俺は人間をやめられない……コアラになれないのかなぁ」


「だったらナナオも……一生コアラにはなれません。だってこんなにも感情が昂って――胸の奥から、《寂しい》が消えないんですから」


 ナナオは、半年前の戦闘で姉のように仲の良かった狂人を亡くしている。

 それ以来、とち狂ったように先輩狂人らに懐いては、常に誰かと行動を共にしていないと生きていられないらしい。


 怖い、嫌だ、死にたくない。寂しい。仇を取りたい。ぶちのめしたい。壊したい。


 それらの想いが、俺たちの手と心と、機体を動かす。

 つまり、感情を持つ狂人にしか、この兵器――【KOALA】は乗りこなせないのだ。

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