戦滅兵器コアラ02~ディストピアにもラブコメの花は咲く~

南川 佐久

第1話 人を『コアラ』に変える施設

 コアラ・サナトリウム。

 ここは、人を『コアラ』に変えるための施設だ。


 壁、床、天井――無機質な白で埋め尽くされた病棟の中央はロの字型の吹き抜けになっており、真ん中に佇む中庭の緑をどこにいても望むことができる。


 いや、その庭は、絶えず俺達に語りかけてくるのだ。

 「忘れるな」「その目的を果たせ」と。


 吹き込む風に、人工的に整備されたユーカリと笹の葉が揺れる。

 俺はテラスにぼーっと腰掛け、木にしがみついて一様にうとうとした表情を浮かべるコアラたちを眺めていた。


「暇だなぁ……」


 週に三度の定期摂取とバイタルチェック。

 今はその順番待ちで、俺の前の患者は決まってドクターと長話をするものだから、コアラたちとはすっかり顔馴染みになってしまった。


 とはいえ、向こうが俺のことを認識しているのかはわからない。

 ときおり頭を撫でてくれる、目つきが悪いけど優しいお兄さん――くらいに思ってくれていると嬉しい。


「いいよなぁ。毎日毎日、ユーカリ食って寝て起きて――呑気でよ。俺も早く、お前らみたいなコアラになりたいぜ」


 見た目よりもゴワついた毛を撫でると、コアラは鬱陶しそうに顔を背ける。

 そしてユーカリの咀嚼を続ける。


『――狂人番号0563。第二診察室へ』


 やたら偉そうな機械音声に促され、俺は診察室へ入った。

 会釈を一回。小さな丸椅子に腰かけて、藤紫の長髪を揺らすドクターの笑みに答える。


「狂人番号0563。さざなみ京太きょうた。体調に変化はありません」


 変化はない――それはつまり、健康であるという反面、何の進歩もなかったということでもある。

 今週も、俺は『コアラ』になれなかったのだ。

 成果なしの報告に、ドクターは柔和な笑みを崩さない。


「――はい。点呼確認。発声に問題はないし、精神面も安定しているようで何よりだよ、ゴローさん。男の子は元気が一番だからねぇ。ボクのような、少し日に当たっただけでバテてしまう病弱ヘタレはよくない」


「あの……俺はゴローじゃなくて京太ですけど……」


「いいんだよ、ゴローで。ゴローの方が、響きが犬っぽくていいじゃない。人よりも、ほんの少しだけコアラに近づけた気がしない?」


「あ。……ウス」


 全然、まったく意味がわからん。


 でもドクターがそう言うのだから、そういうことにしておこう。

 ここはそういう病院で、俺は患者――もとい、囚人なのだから。


「なんだか物申したそうな顔をしているね? SAN値グラフが微妙に揺れたよ。正確には、キミの心拍が早くなった」


 ドクターの長い睫毛が揺れると、俺の心臓もどきりと揺れる。


「あ。また早くなった。頻拍ってレベルじゃあないけれど、【SAN値――Stress・ Analysis・Notify値】の低下は、キミの寿命を縮めることになる。言いたいことがあるのなら溜め込まず、はっきり告げるのが吉さ。患者のカウンセリングも僕の仕事の一環。さぁ、話してごらん」


 ぞくりと背が震えるくらいの優しい声音。言い淀んでいると、ドクターはギシ、と背もたれを鳴らして立ち上がった。俺の瞳を覗き込むように屈み、白衣の胸元を艶やかにちらつかせる。


「ボクの性別が気になる?」


「あ、いや……」


「……触ってみる?」


「……!」


「ふふふっ! 可愛い反応だ。巷では、無性だの両性具有だのと噂をされているようだけど。ボクは『世界で唯一愛を知る絶滅危惧種』というだけで、そんな大それたモノじゃない。性別なんて、要は生殖に必要な単なる役割分担なわけだし、上か下かの違いでしょう? そんなものを気にしているから、キミはいつまで経ってもコアラになれない――人間なのさ」


「うっ……はい。すみません……」


「別に、責めているわけじゃない。ボクは、キミのそういう所も愛らしいと思っているよ。心を失った人類に色を齎す、狂人――『感情を持つ者たち』を」


 くすり、と笑ってドクターは椅子にかけ直す。

 すると、俺のSAN値を計測していたモニターが黒に赤字の『WARNING!』で上書きされ、館内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。


 規模がデカすぎてイマイチ実感がないけれど、このサイレンは今、世界各所にあるコアラ・サナトリウムでも同じように響いているはずだ。


警報アラート! 緊急警報発令! 東京上空に敵性体――【カグヤ】の接近を確認。日本エリアに駐屯する狂人番号0553~770までの狂人は、速やかに戦闘配置に着くように。繰り返す――緊急警報発令!』


 ドクターが電子カルテを置いて、濃紺の瞳で問いかける。


「ゴローさん……行ける?」


 よくもまぁ、簡単に言ってくれるよな。

 狂人番号0553~770の中で、生きているのはもう片手に入るくらいしかいなかったと思う。


 でも――


「――はい。行きます。それが俺の存在理由……だと思うから」


 宇宙ソラの彼方より飛来する、謎の適性体【カグヤ】――それに唯一対抗できるのは、有人機動兵器【KOALA】だけ。

 俺はそのパイロットの、狂人番号0563。


 俺は、コアラになれないヒト以下のヒトだけど。【KOALA】に乗っているときだけは、平和の使者に――コアラになれるんだ。そう、勝手に思い込んでいる。


 コアラになれない人間――それはこの世界において、闘争本能が捨てきれない粗暴で感情的な愚かしい者を意味し、狂人として番号を振られて管理される。

 そうして、俺のような狂人たちは、この世で数少ない『争いに適した者』として、【KOALA】に乗って戦うことを義務付けられるのだ。


 【KOALA】に乗るという役割があるから、俺はまだ、殺処分を免れている。

 本来であれば俺たちのような狂人は、人間社会の和を乱す不穏分子として、コアラ・サナトリウムでの投薬治療が芳しくないと判断された後に政府機関によって殺されてしまうから。ドクターがなんとか治療を引き延ばして、その役割を与えてくれている。

 俺は、学校へ行く子どもを見送るような微笑みを背に、答えた。


「ドクター。あなたと、あなたのいるこの街は、俺と【KOALA】が守ります。必ず」


「うん。いってらっしゃい」


 十年経っても変わらない微笑み。

 執行猶予付き殺処分の烙印を押された俺たちは、いわば政府公認の社会不適合者で、中庭のコアラに注ぐ陽光のあたたかさには縁がないけれど。代わりに、それと同じ眼差しをドクターが送ってくれるから


 ――『生きていて、いいんだ』。


「【KOALA02ゼロツー】――出る」


 感謝しながら、俺は【KOALA】に乗り込んだ。



※あとがき

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