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文久元年(一八六一)五月、江戸。

全く口程にもない奴らだった。

五郎、もとい山口一は笠を被って田舎道をひとり歩いていた。

その頃、齢十七。元明石藩足軽の三男として生を受けた一であったが、幼い時分より剣術に夢中になる日々を送っていた。

そうしてこの歳になると、とうとう家での稽古では飽き足らず、色々な道場を巡ってはそこで剣術勝負を吹っ掛けるようになった。

所謂、道場破りである。

「…お恵みを」

道端にいた物乞いの女を素通りする。その近くにあったみすぼらしい童と目が合った気がするが、それまでだ。何かをするわけではない。

力が有り余っている一は、次の道場を目指していた。

既に目星は付いている。「試衛館」という道場である。

風の噂では、何でも稽古に竹刀ではなく木刀を使う、何とも泥臭い田舎剣法を扱っているという。

そんな道場とあれば造作もないだろう。何せ道場破りで失敗したことはないのだ。

どこか胡散臭く大きな文字で「試衛館」と書かれた木札を見付けると、一は躊躇なくその門をくぐった。

「…誰かおらぬのか」

土間で一の低い声が響くと、奥から気の良さそうな、悪く言えば弱そうな男が出てきた。

「へぇ、何のご用で?」

「…試合を申し込みに来た。ここで一番腕の立つ者を連れてこい。」

まさかこの男ではあるまい。一は心の内で嘲笑する。

「しょ、少々お待ちを。」

男はばたばたと再び奥へ消えていく。敵に背を向けるなど斬ってくれと言っているようなものではないか。

これが田舎剣法たる所以か、と一は肩をすくめた。

こんなところに時間を割くのは勿体ない。一は男の返事を待たず草鞋を脱いで上がり込んだ。

障子を開け放つと、門弟と思われる者どもの視線が一気に集まった。

「さっさと試合をさせてもらおう。相手は誰だ。」

「ちょ、お客さん!」

先程の男が慌てている。その側にいたのは恐らく一とさほど変わらない齢の男二人だった。

この二人は実力者であろうと一は瞬時に察知した。

「ちょっと源さん。こんな変な人入れてどうするの?」

二人の男のうち、立端のある方が発言した。口調も言葉選びも何とも嫌味ったらしい。

「私が入れたのではない!勝手に入ってきてしまったんです!」

「まぁまぁそんなに慌てなくても。で?そちらさん名前は?」

立端のない方に尋ねられる。こちらも、余裕が垣間見える表情なのが嫌味ったらしい。

「……山口一。」

己の名を口にした途端、門弟どもはどよめいた。

「山口って…道場破りの?」

「鬼神のような男だと聞いているが…」

小柄な男はへぇ、と物珍しそうに一を眺め始め、立端のある男に問いかける。

「総司、どうする?」

総司と呼ばれたその男は、昼寝から目が覚めた瞬間のように伸びをする。

「真命でいいんじゃない?この人が鬼神なら君は夜叉だ。」

「えぇ~っ。さっき試合したばっかりで休憩したいんだけど…」

「あ。そういえば戸棚に大福があったような…」

「よしわかった。私がやろう。」

さっきから聞いていれば、人を小馬鹿にしたような言い振りである。

「…口減らずな奴らだな。さぞ無駄の多い剣なのだろう。」

「随分不躾なんだな、鬼神さん。そのお手並み拝見させて貰おうか。」

一の目前に立ったのは真命と呼ばれた小柄な男だった。

木刀を構える腕は男のわりには華奢だ。

こんな奴を宛がうとは随分舐められている。竹刀でも十分であろう。

一は良くも悪くもどの剣術流派にも属さない。相手の想定範囲外の動きをすることは意図せずとも容易い。

「では、始め!!」

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