第28話 亡骸と恋愛

「ネクさん! それにロウタスさんとハイノさんも無事で良かった――えッ……!」


 ローズの声が、背後から聞こえる。それでも俺達三人は返答も出来ずにただそれを眺め続けているだけしか己を保つ手段なんて無かった。


 若干のラグがあり、ようやくローズもその物を認識したようだ。怯えや困惑だけじゃ済まない震えた声で彼女は言う。


「これ……この人って……ですよ……? うゔっ……」

「ああ、そうなのかもしれない……」


 支離滅裂な答えを返した所で俺は釘付けになった視線をそれ死体から逸らすことに何とか成功した。


 俺は反射的に嘔吐くローズの隣に寄り添い、死体から距離を取って窓を開けて外の空気を彼女に吸わせる。


 ローズの顔色は相当悪い。死体を見るのは初めてなんだろう。少なくともこの場に取り乱す人はいない様子だ。


「……ごめん、なさい。何も分からなくて……セレス君は気を失っているんですか……?」

「ネク、ローズ。間違えてもそこから逃げ出そうとするな。まだ近くに殺人犯が潜んでいるかもしれない。我の指示に従ってくれ」

「分かってる。俺もローズもそこまで興奮していないから問題ない。……ローズ、焦らなくていいよ。俺達がいるから」


 そうやって彼女を落ち着かせようとする。俺は何度も何度も呪文のように大丈夫だと口にして、自分自身にも刷り込ませようと必死になった。


 ――セレス・マルティエルは死んだ。


 彼は素人目でも分かるほど重症で血塗れで倒れていた。半開きの瞼の隙間から見える翡翠色の瞳からも生気を感じ取れず、口元からだらしなく垂れる血液が惨状を物語っている。


「それと……ネク。いつでも交戦できるよう構えておいてくれ。ローズは行けそうなら……彼の遺体に浄化魔法をかけてやってくれないか。腐らないように」

「う……で、出来ますっ! セレス君……ごめんなさい。私が守ります……」


 守る。それが彼女に出来る唯一の弔い方なんだろう。


 ローズは大きく息を吸い込んで、セレス君の体にゆっくりと近付き彼の目の前でかがみこんだ。


「………………」


 彼女は最初に会ったときと同じように浄化魔法を唱えているのだろう。ハイノさんも彼女の隣で傍観しており、精神面では問題なさそうだ。


「ロウタス君。この教室に篭ってたらさっきの俺達みたいに勝手に集まりだしそうじゃないかな? もしそうなったら危なくないかな」

「危険? それは何故だ」

「皆がここに集まってきたらそれに合わせて一網打尽! ……になってもおかしくないよね? 俺達もその罠に引っ掛ったようにも思える」

「そうか……」


 ロウタス君は俺の意見を聞いてから手で口を抑えて悩み始める。

 こんな偉そうなことを言ってあれだけど、これといっていい案も浮かばないからロウタス君に出してほしいんだよな。


「なら我々はここに残るべきではないな。移動しながら他生徒と合流を図る方が合理的に思える。それに、学園は広い……既に我らのように集団で行動している可能性が高い。上手く行けば全員の安否を保つことが出来る。その場合、彼を置いていくしか方法はないが」

「……分かった。早くマゼル先生と合流して安心したいね。ローズも、ハイノさんもそれでいいかな……? セレス君の体なら……危険じゃなくなってから保護するはずだからさ」


 ハイノさんは黙って頭を振って頷いた。しかし、一方で彼女は俺の顔を見ながら少しだけ不満そうな台詞を吐いてくる。


「私はここに残った方がいいと思います……! もし本当にセレス君を……今回の犯人と対峙してしまったら私達だって簡単に負けちゃいますよ!」

「それはどうだろうな。我々はここで不意を突かれて負けたのだ、何らかの細工をされているか分からないが我々にとっては不利な場所だ。我と同じように飛ばされた君なら納得出来ると思うが」


 ……ああ、空気が重くなってきたなあ。ローズが言うことも分かるし、ロウタス君の考えも良いと思う。

 ただ、ここで敵対し合っても無駄なんだよ。


「……俺がいるから皆は死なないよ。俺ならここにいる皆を守ることが出来る」

「ネクさんのことは信じてます! だけど……相手が一人とは限らないじゃないですか……!」

「そう……ですけど! って……ハイノさん……?」


 突然、ハイノさんがローズの背中を優しく叩いた。振り返ったローズに対して彼女はいつも持ち歩いているメモ帳を見せたいみたいだ。


「…………」

「『大丈夫。この人なら誰も傷付けないよ。もし不安ならこの紙に書いて置いて来た人にもつたえるから』……」


 ハイノさんが書いた文章を読み上げたのだろう。これを読んだローズは、一瞬だけセレス君の方を見て向き直して俺にこう言った。


「……ごめんなさい! 私、ネクさんに歯向うつもりは無かったんです! ただ……本当は怖くて……だから離れたくなかったんです……彼とも」

「こっちこそごめん。そんな風に言われたい訳じゃなかったんだ。ただ俺は……不安だから皆の安否を確かめたかっただけなんだ……」


 俺はローズに向かって大きく頭を下げる。少しでも不快にさせた俺が悪い。


 だけど……こんなことをしている時間なんてものも当然存在しない。


 ある意味空気を読んだロウタス君が俺達に話しかけてくれた。


「すまないな、ネク。ローズ。ハイノ。早急にここから出るぞ。我に付いてきてくれ。ネクは最後列で後ろを頼む」

「分かったよ」


 そのまま俺達はセレス君を置いて教室から出て他の生徒との合流を目指し始めた。

 結局、ローズも心の整理が付かないまま外に連れ出すことになってしまったが、仕方ない。


「……ロウタス君。もしかして職員室に向かってるの?」

「ああ。下手に階をまたぐよりも近くの教師と合流した方が良さそうだからな。教師がいる確証なんてどこにも無いが……な」

「…………」


 そして俺達は静かに廊下を渡り、職員室の前に辿り着いた。中を覗いてみたが、誰も居ない。

 いや、正確には中から誰かのがする。


「おいネク……勝手に開けると危険だ……」

「大丈夫、大丈夫な気がする。中に先生がいるんだよ……」


 俺はロウタス君の制止する声を無視して職員室の扉を開けた。

 すると、室内で蔓延した生臭い匂いが廊下まで広がり、思わず鼻を抑えるも俺は足を中へと運ぶ。


 すぐに彼女の姿は見つかった。

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