第6話 不釣り合いなカップル
それはあまりにも心地良い目覚めだった。
幼かった頃に嗅いだ甘くて温かい優雅な香りに包まれて、メルシー先輩と一夜をともにした昨夜のことも思い出し俺は目を覚ます。
「何の匂いだ……これ……」
「あ、起こしたか? すまねえすまねえ」
メルシー先輩は律儀に椅子に座り、手のひらで湯を沸かして紅茶を口にしていた。
噂通り大抵の基礎魔法ならどの属性でも使えるんだな。まあ茶葉はマゼル先生の物なんだけど。
「まて、この茶葉アンタのじゃねーの? しかもこれマゼルのかよやべー……」
「あの、昨日言ってたことなんですけど説明してもらってもいいですか」
「昨日? ああ、そのままだって! 今日からアンタがウチの彼氏ってことで頼むわ。上手く行ったら報酬やるからさ」
報酬、という言葉に思わず胸がはずむ。前回は成功と言えないし今回は絶対に成功させるぞ!
「わざわざ俺が彼氏役を演じるってことは誰かに見せつけるんですか? 好きな相手にヤキモチ焼かせるとか?」
「だからちげえって! 見返してやんだよ、ウチの噂を広めた奴によ」
その表情には本物の怒りが込められていた。傷害事件を起こしたという噂を流した人が誰なのか俺は知らない。
だけど、そいつは間違いなく良い奴ではないだろう。
「ちなみに誰なんですか? その張本人の名前は」
「アイジ・エルロードって奴。ウチと同じ学年でいつも集団で群れてる気持ち悪い奴さ。赤髪で耳に穴まで開けてっから見ればすぐに分かる」
エルロード家の長男か。創造魔法界の革命児として有名で、特待生では無かったが三年になってからは学園内で次席相当の実力者なはずだが……性格は難ありだったか。
「アイツ……ウチに告って振られたからって嫌がらせしてきやがった。だからウチに彼氏がいるって見せつけてプライドを叩き折ってやるから」
「あの……それって俺もアイジ先輩に喧嘩売ることになりませんか」
「は? 当たり前だろ。性格ゴミな奴とコネ作る価値なんてあるわけねーだろ」
ゴミは言いすぎ……でもないかな。
ただ、アイジ先輩に喧嘩を売るだけならまだしも取り巻きの先輩達と敵対しなきゃならないのは惜しい。
どうにかしてメルシー先輩とアイジ先輩の二人だけで穏便に解決出来ないかな?
「それは駄目だ。事情はまだ言えねーがそれはウチが望んでない。まぁ……アンタの顔ならギリギリ嘘だとはバレねえかな。ちょっと……幸薄そうな顔してるが」
幸薄そうな顔と言われるのは慣れている。それにしても、やっぱり俺は信用してもらえてないみたいだな。
けれどそれも仕方ない。メルシー先輩も相当な苦労をしてこの学園まで戻ってきたはずだ。
俺はただ依頼を黙ってこなしていく……それがきっと仕事だから。
「おはようございまーすーッ!」
「あっ」
俺達が気付かぬ間にメルシー先輩がぶっ壊した扉の位置でローズは全身を硬直させて立っていた。
「ん、アンタの友達か。じゃウチは一旦理事長に挨拶してくっから後でな。ウチが教室に迎え行くから約束通り廊下出ろよな〜」
「あっあっあの、あなたは誰ですか!?」
顔面蒼白なローズの前に立ち、俺にも聞こえる声量で彼女の耳に囁く。
「アンタの友人さんの彼女……ごめんね」
「はっええええーっ!?」
ハムスターみたいな奇声を上げるローズを見てメルシー先輩はニヤけながら部室を後にした。
残されたのは俺と一転して顔を真っ赤に染めるローズの二人きり。
「どういうことですか!? 私の相談聞いてた時からずっと恋人居たんですか!? ズルいですよ!」
「ちょっと待って声デカイですって……!」
「あと敬語辞めてください! 私達クラスメイトじゃないですか!」
頬を膨らませて俺の身体を優しくコツコツ突かれたが、相変わらず動作も表情も人形みたいで可愛らしくて叱られてる気分にはなれない。
「……分かったよ、ローズ。いや、ベルセリア?」
「ローズでいいですから! 早くどういうことは説明してくださいっ!」
「実はさ……」
そうして俺は夜中に彼女と出会ったことから恋人になった経緯を話し尽くす。
案の定空いた口が塞がらない様子で、頭上にいくつもハテナが浮かんでいるように見えた。
「そんなことが……その先輩許せませんね! ギャフンと言わせてやりましょう!」
「一応和解優先で解決するつもりだからね。あとさ……ずっと気になってたんだけど、その持ってる奴の中身って……」
俺がさっきから大事そうに握ってるバスケットを指差すと、ローズは満面の笑みで首を傾げた。
「朝食、作ってきました! 中身はーサンドウィッチです!」
「サンドウィッチ……凄い! 俺初めて食べるよ」
クラスメイトがよく食べている姿を見かけるだけで一度も分け与えてもらえなかった例のサンドウィッチと呼ばれる食べ物に、俺は興奮を抑えきれない。
「焦らなくて平気ですよ〜授業まで時間がありますし、ゆっくり食べていきましょ! どうぞ!」
「ありがとう……いただきます」
半分ひったくりのように彼女の手からサンドウィッチを奪い取り、味わうように一口目を口に入れた。
「……美味いッ」
「え……泣いてます……!?」
体験したことがない味に俺の脳は耐えきれず、気付いた時には自分のクラスの教室で今日の全授業が終わりを迎えていた。
「……はっ。今何時だ」
「今日ずっとぼーっとしてませんでしたよネクさん……平気ですか?」
「ローズさん……?」
隣の机で一緒に授業を受けていたローズに声をかけられようやく事態を理解する。
過ぎた時間はどうにもならない。だから俺はこれからのことを考えようと思う。
「まだ先輩は来てないよね?」
「まだ来てないと思いますけど……あ、あれメルシー先輩じゃないですか?」
そう言ってローズが窓の奥に見えるメルシー先輩を指差した。
キョロキョロと俺がいる教室を探しているみたいだ。他の生徒達は見覚えのない先輩に驚いて歩きにくそうだし赴いた方が良さそうだ。
「ありがとう、ローズさん。何とかしてくるからまた部室で会おうね」
「待ってますからね」
彼女に背を向けて廊下へ向かう。その途中でメルシー先輩と目が会うと安心した表情を見せこちらに歩み寄ってきた。
「おいネク! すぐに出てこいよ! 少し不安になっただろーが」
「ははっ、すみません。ちょっと寝ぼけてまして」
メルシー先輩の俺に心を許しているような話し方のおかげで、一瞬で周りにカップルだと認識させることに成功する。
「……あの人誰?」
「バカ……停学中だったあの……」
「ゲーッ……アイツ趣味悪いね……」
全く、酷い言われようだな。そこまで田舎者の農民ってだけで嫌われてるなんてな、これじゃまだまだ依頼は少なそうだよな知ってたけど。
「先輩、さっさと行きましょう。急いでるんですよね」
「あぁ……さっさと行くぜ」
居心地が悪そうにしながらも、先輩は俺の手を握って駆け出した。
そんな時、ボソリと後方から呟く声が聞こえた。
「厄介者同士でお似合いだな」
その言葉を聞いて彼女の握る力がより強くなる。けれど、俺達は何も言わずにその場を立ち去った。
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