第46話 元女主人公はざまあされる

 ラーシュの目覚めた翌日午後。

 月の皇子カビーアをどう処遇したのかと、ラーシュに訊かれた。

 まだ何もしていないとそのままを答えると、「そう」と薄く微笑んだ。

 午後いっぱいリヴシェを離してくれなかったラーシュが、夕方になってようやく「着替えようか」と言ってくれた。

 前線からの知らせに返事もしなくてはならなかったし、いろいろ気になることもあったから、「わかった」と元気に返したのがまずかったらしい。


「嬉しそうだね、リーヴ。そんなに僕といるのは嫌なの?」


 しまったと思った時には遅かった。

 寝台に引きずり込まれ、ラーシュの胸に抱え込まれてしまった。これではまた、いつ出られるかわからない。


「リーヴ、君が悪い。僕がどれほど耐えてきたと思うの? たった一日一緒に過ごしたくらいで、そんな顔をするなんて。

 リーヴは薄情だ」


 ゴールデンレトリバーが耳としっぽを垂らしているみたい。

 潤んだ青い瞳でそんなことを言われたら、ああもう。


「ごめんなさい。わたくしが悪かったわ。だからそんな表情かおしないで」


 こうなる。

 金色の頭を撫でて、背中を抱きしめ、ずっと傍にいると何度も誓う。

 ようやく落ち着いたらしいラーシュが、不平を鳴らすみたいに口を開いた。


「リヴシェとの時間を邪魔されるのは、ほんとに忌々しいんだけど。

 仕上げをしておかないとね。

 行こう、リーヴ。

 あいつをしっかり封じておかないと」


 金輪際、ヴァラートが大陸に手を伸ばしてこられないように。

 カビーアをヴィシェフラド神殿に封じてしまうのだと、ラーシュは説明してくれた。


「もしリーヴが気持ち悪いんなら、僕一人で行くよ? 無理しないで」

 

 気遣ってくれるラーシュの気持ちは嬉しかったけど、女王ならば逃げてはいけないと思う。

 戦をしかけてきた元凶への処遇だ。

 見届けないと。

 「行くわ」と答えて、身なりを整えた。




 聖殿地下には、女神ヴィシェフラドの恵みの泉が湧いている。

 女神の水と呼ばれる聖水は、瓶に詰めてまる一日万能の薬効を持つ。保存が効かないことと、採取できる量に限りがあるため、あまりおおっぴらに人の口に上らせはしないが、聖殿関係者の間では公然の秘密といったところだ。

 その聖なる泉のある地下の牢が、前世中世の地下牢よろしく汚くて臭くて湿っているはずもない。

 泉から漏れる白い光に照らされた牢内は清潔で、神力の通った格子が下ろされているものの、王族の暮らす居間と続きの寝室を模した広めの空間だった。

 そこにかつて月の皇子と呼ばれた青年がいる。

 長椅子にだらりと座り込んで、ぼうっとした視線を宙に投げている。


「アレを連れてきてくれ」


 ラーシュの言うアレとは。わかるけど、もう名前も出したくないらしい。

 ぎゃあぎゃあと叫び散らす声で、アレが近づいてきたことがわかる。

 久しぶりに聞く声だけど、一生聞かなくても良いくらいにはリヴシェも苦手だ。


「わたしは王の娘よ。手を放しなさいってば」


 引きずられるようにラーシュの前に出された二コラは、ラーシュの顔を見てうるっと涙を浮かべた。


「ラーシュ、来てくれたのね。わたしはカビーアに騙されただけなの。

 あなたを愛してるのよ。それは本当だわ」

 

 逃亡のおそれがあるからと、二コラは厳しい監視の下、独房に入れられていたらしい。

 入浴も許されなかったのか、いつもふわふわの金髪がべったりしている。着の身着のまま連れてこられたらしいドレスも薄汚れていて、裾や袖口にはほころびが見えた。

 それでも自分は美しいとの自信は揺らがないようで、うるるんと誘うような表情でラーシュを見上げている。


「名ばかりの婚約者はごめんだって、ラーシュも言ってたわよね。

 わたしなら……」


「君、ジェリオ伯爵令嬢だっけ?

 私の名前を呼んで良いと、許したおぼえはないよ」


 冷たい凍るような声が、二コラの言葉を遮った。

 汚らわしいものを見るような視線を、足元の娘に投げる。


「君、身分の高い男が好きなんだって?

 だから君の願いをかなえてあげようと思ってね」


 え……と一瞬嬉しそうな顔をした二コラは、さすがに何かあると勘づいたようだ。


「そ……れは、あなたと? それともラスムスとなの?」


 まだ小説「失われた王国」のとおりに進むと思っているらしい二コラを、リヴシェはほんの少しだけかわいそうに思う。

 女主人公ヒロインに転生したのにこの結末だ。気の毒と言えないこともない。

 だけどやらかしたことは許せない。許したくもない。

 女主人公ヒロインは無敵と信じるのは二コラの勝手だけど、彼女はやらかし過ぎた。いわば自業自得だ。


「そのどちらでもないよ」


 一切の無駄を省いて結論だけ伝えるラーシュに、二コラの顔から作り笑いが消えた。


「じゃ、誰と」


「そこにいる男だよ。もう皇族ではないけど、かつてはヴァラートの皇子だった。

 顔はとびきり良いから、君も嬉しいだろうと思ってね」


 格子の向こうに向けられた緑の瞳が、ぼんやりと座り込んだ男を捉えて、かさついた唇が小さく「嘘」と漏らす。


「女神ヴィシェフラドがお護りくださるから、君たちの暮らしに不自由はないよ。

 永遠に仲良く暮らすと良い」


 一切の感情を消した青い瞳が、二コラを見下ろしている。


「い……や……。いや! いやよ! 」


 金切り声で叫んで、二コラがリヴシェに掴みかかる。

 間に割り込んだラーシュに腕をねじ上げられて、護衛の騎士に組み伏せられた。

 それでも声を上げ続ける。


「あんたが悪いのよ。あんたが変えたから、こんなことになった。返しなさいよ、ラーシュもラスムスも女神の力も。

 全部わたしのものだったんだからっ」


 憎々し気に睨みつけてくる緑の瞳を、リヴシェは真正面から受け止めた。

 

「誰に力を与えるか、それを決めるのは女神だし、誰を好きになるのかを決めるのはラスムス自身よ。

 ラーシュもそう。

 あなたのものだったことなんて、一度もないわ」


「なっにをエラそーに。あんたが筋を変えなきゃ、女神の力はわたしのものだった……」


 まだ続く恨み言を、ラーシュがすぱりと断ち切った。


「女神がおっしゃっていたよ。

 かつてしくじったことがあって、その償いにリーヴにはとても目をかけているって。

 しくじったのは、君のことだって言ってらしたね。なるほど……」


「女神がそんなこと、嘘よ」


 まだきいきいと続く声を無視して、ラーシュは「中へ放り込め」と命じた。


「大丈夫だよ。ぼーっとしているだけで、ちゃんとだから。

 君も優しくしてあげてね」


 うっすら酷薄な微笑を、ラーシュは浮かべる。

 ラーシュの受けた屈辱の大きさが、リヴシェにも察せられた。

 一生、カビーアと二コラはこの地下牢で過ごす。

 正気を失ったカビーアと、正気を残したままの二コラが一緒に。

 生活に不自由はないけど、ここから出ることはできない。

 外からの刺激を一切遮断されて、ただ寝て起きて食べて、また寝るだけだ。

 これが女神ヴィシェフラドが認めた、彼らへの罰。

 二コラの正気は、いつまでもつだろうか。


 去り際、ちらと振り返ってラーシュは言い置いた。


「ああ、忘れるところだった。

 結婚おめでとう。末永く、お幸せに」

 

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