第45話 君は赦してくれるのか(SIDEラーシュ)
「おまえの願いは、わたくしに他の神と争えということじゃ。ヴァラートのあれは、ちょっと厄介な性格での。
おまえの大切なものを差し出してもらわねばならぬが」
初めて見た女神ヴィシェフラドは、リーヴによく似ていた。黒く長い髪に紫の瞳、すっきりのびやかな肢体の美しい女の形をしている。
自分の命を差し出そうと言ったラーシュに、彼女は緩やかに首を振った。
「命は要らぬ。死を覆すことはしてもその逆はできぬ。それはわたくしの管轄外じゃからの」
「それではなにを……」
何を望むのかと聞きかけると、女神はゆっくり微笑する。
「もっと大切なものをおまえは胸に抱えておろう。わたくしがどんな神か、知らぬわけでもあるまい?」
愛と癒しの女神ヴィシェフラド。
「リーヴでしょうか」
「そうじゃ、あの娘、ちとわけありでの。
以前辛い思いをさせてのう。その詫びにと今生ではあの娘に目をかけておるが、どうものう。
男と女のことには、疎い。いや怖がっておるのか」
辛い思いとはと聞けば、二コラのことだと女神は答えてくれた。
「おまえは辛い片恋をしているようだが、それでもおまえにとってあの娘が一番大切であるには違いない」
「はい」
「ではおまえの片恋を差し出せ。それで手を打つとしよう」
リーヴへの思いを手放せと。
それはラスムスに譲れという事か。
できない、できるはずがない。
けれど受け入れなければ、ヴァラートの皇子カビーアがリーヴをさらう。リーヴの身がヴァラートへ落ちれば、おそらくヴィシェフラドは降伏する。
それを止める力は、ただの人であるラーシュにはない。
唇をかんで目を閉じた。
わかりましたと、絞り出すように応える。そうするしか、他にない。
「契約成立じゃ。おまえの身に我が力を授けよう。
これでおまえは、ヴァラートの
それで良いな」
女神との契約は成った。
そしてその結果としてラーシュは眠りについた。片恋を手放す、それが条件だったから。
沈んだ意識の中に、懐かしく愛おしい声が響く。
初めは遠く小さく、ラーシュの名を呼んだ。
「ラーシュ、お願いだから。帰ってきて。目を覚まして」
リーヴだ。リーヴが呼んでいる。
リーヴへの思いは女神に差し出したはずなのに、リーヴの声を耳にするとラーシュの胸にぽうっと灯りがともる。
「ごめんなさい、ラーシュ。今度はもう逃げないから。きっと真面目に受け止めるから。
だから目を覚まして。帰ってきて。お願い」
ああ、やはりリーヴは逃げていたんだと思う。ラーシュの思いを知りながら、見ないフリをしていた。
ザマはない。女神の言うとおり、ラーシュの片恋だ。
それならもう目覚めないで良い。はっきり断られるのは、いまよりもっと辛い。
さらに深い眠りをラーシュが望んだ時。
「あ……愛してるのよ、ラーシュ。お願いだから、戻ってきて」
全身の細胞が活性化する。どくんどくんと心臓が煩く鳴っている。
敏感になった聴覚が、リーヴの言葉の余韻を拾う。
今、なんて言った。
(僕を愛していると言った?)
もう一度聴きたい一念が、瞼を押し上げる。
「そ……れ、本当?」
ラーシュの目の前に、涙でぐちゃぐちゃのリーヴがいた。
「ラーシュ」
紫の瞳を大きく見開いて、また新しい涙をこぼす。
ラーシュの左の手をぎゅうっと握りしめて、良かったと頬に引き寄せた。
「リーヴ、答えて。本当なの?」
ラーシュの人生で一番緊張した一瞬だった。天国と地獄の境にいるようで。
こくんと頷いたリーヴの赤く染まった頬に、ラーシュの心臓はどくんと大きく跳ね上がった。
本当に?
「あんなことをした僕を、赦してくれるの?」
ここで赦さないと言われれば、ラーシュの心は壊れてしまうだろう。
でも確かめずにはいられなかった。
あれを本当にリーヴは赦せるのか。
「嫌だった。二コラがラーシュの傍にいるのが、とても嫌。
どうしてあんな気持ちになるのか、やっとわかった。
あ……愛してるからだって。わたくしがラーシュを」
バクバクと心臓が鳴る。
喉がからからに乾いて、胸の塊がそこに張り付いた。
これは現実なのか。都合の良い夢でも見ているのではないか。
「ね、もう一度言って。リーヴ、お願いだ」
真っ赤な顔をしたリーヴが、意を決したように唇を開く。
「あ……愛してるわ、ラーシュ」
歓喜の矢が身体を貫いた。身体中の熱が上がる。
どれほど待ち焦がれた言葉だったろう。
もし死ぬのなら、今この瞬間が良いとさえ思う。
握られた左手に力をこめて、一息に引き寄せる。
起こした半身の胸に、愛しいリーヴをかき抱いた。
「僕から逃げる最後のチャンスだったんだよ。
なのにリーヴが僕を起こしたんだ。
もう逃がしてはあげられない。覚悟してね」
熱に導かれるまま、唇を重ねる。
赤い小さな唇は初めての刺激に驚いて、本能的に逃げようと引きかけて。
ラーシュがそれを許すはずもない。
どれほど待ち望んだ瞬間だと思っているのだろう。
僅かに離した唇の間に、「だめだよ」と小さく囁いてさらに深く重ねた。
深く深く侵し入って、このまますべてを食らいつくしたいと願う。
「やめてあげられないよ?」
最後のそれは、願いではなく宣言だった。
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