第21話 聖女はその身の危険をわかっていない
西のハータイネン、南のセムダールと廻って、一度ヴィシェフラドへ戻る。
ついでだからノルデンフェルトにもと言うリヴシェに、珍しく怖い顔でラーシュは首を振った。
なんでも特別の警備体制が必要なのだそうだ。
ハータイネンとセムダールからの上がりは、あれ以来順調に送られてくるようになった。
長い間人事異動がなかったせいか、各地の神殿内でも綱紀粛清が必要だ。
そう神官長に進言したラーシュは、神官長と相談の上で監査官ともいえる神官を各地へ送り込んだ。
これもどうやら効果的であったらしい。
ともあれ定期的な収入、それもかなりの額のそれが見込めるようになって、ヴィシェフラドの財政関係者の表情には笑顔が戻った。
「王女殿下のおかげです」
普段難しい顔ばかりしている財務大臣も、ここしばらく機嫌が良い。
「ですが……、金というものは使えばなくなりますからね」
何を心配しているのか、リヴシェにもわかる。
リヴシェの隣に座ったラーシュが、右手を上げてその先を遮った。
「ご心配はもっともなことだよ。
だが大丈夫。
もうそろそろだから」
真顔で投げられた意味深な言葉に、それ以上何も聞かず大臣は退いた。
リヴシェにもラーシュの言葉の意味が、なんとなくわかった。
この財政難の根源は、彼女の父である現国王にあるのだ。
セムダールから帰国して知ったことだが、父を裏切って出て行ったはずのジェリオ夫人、今やノルデンフェルト前皇帝の側室である女性は、いまだに父にあれこれと強請ってきているらしい。
は?
耳を疑った。
ノルデンフェルト前皇帝の側室とはいえ妻が、隣国の国王、それもつい先ごろまで自分が使えていた国王に、無心の手紙を寄こすなど。
正気の沙汰ではない。
二コラにドレスが必要だとか、宝飾品が古くなったとか、身の回りの人々への心づけとか。
名目はその時々変わっていたが、それにしても「金がない。急いで送れ」と、要約すればそうなる便りだ。
さらに呆れたことに、父はそれに応えているらしい。
「隣国で心細い思いをしているのだ。
かわいそうではないか」
かわいそうなのは空の国庫を任された大臣や、ヴィシェフラドの民たちだ。
ここまでくると、もはやお手上げだった。
ラーシュやラチェス公爵家が陰で工作しているのも、無理はない。
王の交代はできるだけ早くになされるべきだと、リヴシェも思う。
「勝手に金策できないようにしてあるのでしょう?」
情けない思いで聞くと、ラーシュの青い瞳に悲しげな色が浮かぶ。
「もちろん諫言する者は置いてあるよ。
けどね仮にも国王陛下だからね。事細かにあれはダメこれはダメと口を出すなんて、普通はできないよ」
つまり退いてもらうしかないのだ。
母などはもうすっかりあきらめていて、父の側に近寄りもしないらしい。
心ある者は皆父から離れ、諫言する近侍1人を除いて、父の相談にのる近臣はいない。孤立させられていた。
もともと度胸の据わった人ではない。
よく言えば繊細で感じやすい、そのままを言えば人の良いだけが取り柄のやや神経質な性格で、ジェリオ親子のいない今、その心を癒してくれる者を端から取り上げられれば、精神の均衡を崩してゆくのも時間の問題だった。
実の父ではあるが、物心ついてよりこの方、二コラの半分、いや10分の1も一緒に過ごしてはいない。
リヴシェと父の間には、いつも二コラとあの夫人がいたのだ。
これで父への愛情を期待されても困る。
「できるならリーヴには聞かせたくない話だったよ。でも国王の交代となれば、そうもいかないんだ。
ごめんね、リーヴ」
リヴシェよりラーシュの方がつらそうに見える。
それが自分を思いやってのことだと知っているから、リヴシェの胸は暖かくなった。
「玉座に上るって、そういうことなんでしょう?
でもわたくしにはラーシュがいてくれるし」
今たった一人で放っておかれる父を思えば、支えてくれる人のいるリヴシェはずっと幸せだ。
ありがとうと微笑むと、ラーシュは白い頬を真っ赤に染めて「不意打ちはずるい」とか「今、それを言うのはやめてほしい」とか「かわいい」とか、ぶつぶつ言っている。
その様子は、つい先ほどまでの冷静さとあまりに違う。
「最もラチェスらしいラチェス……なのでしょう?
おかしいわ。
ラーシュ、ちっとも怖くないのにね」
「それはリーヴだからだよ」
真顔に戻ったラーシュの声は、いつにもまして甘い。
「僕が優しいのは、リーヴ、君にだけだよ」
今度はリヴシェが真っ赤になる番だった。
油断していた。
ラーシュの完璧なザ王子様的容姿に、このエロボイス。
いきなり浴びせられたら、ヤバいことこの上ない。
小説の設定では、現時点のラーシュは二コラにすっかり入れ込んでいたが、今のこの様子を見てもその心配はなさそうだ。あくまでも今のところ……だが。
このままリヴシェが王位につけば、自動的にラーシュは王配になる。
そうすればよほどのことがない限りハッピーエンドになるはずだが、いろいろと設定どおりに進まなかったことを考えれば、まだまだ安心するのは早いかもしれない。
ヒロインは、なにしろあの二コラだ。何をしかけてくるか、わからない。
だからここまで甘い色香を浴びせかけられても、まだ心からラーシュを信じきれない。
これはけっこう辛い。
「ノルデンフェルトには、いつ行くの?」
甘い雰囲気に飲まれまいと、リヴシェは話題を切り替える。
「ほんとうにもう……」と苦笑しながら、ラーシュは引いてくれた。
「早くにって、催促のお手紙が来てるんでしょう。
ラスムス直々にって聞いたわ」
「そうだね。来てるみたいだよ」
途端不機嫌を隠そうともしないラーシュが気にはなったが、公務だから仕方ない。
「急いだほうが良いのよね?
あちらの神殿だけ行かないなんて、難癖をつけられたら困るわ」
聞けばリヴシェの派遣要請について、最も熱心だったのはノルデンフェルトだという。
そこを最後に回して、しかもなかなか腰を上げないとなれば、何か思いがあるのかと痛くもない腹をさぐられる。それで荘園からの送金が減っても困るだろうに。
「警護の騎士を、あらためて選び直しているんだよ。
最精鋭をつけないと。
あそこは特に危険だからね」
ラスムスとは会ったこともないが、そんなに危険な男なのだろうか。
いきなり切りつけられたりは、さすがにないと思うけど。
その気持ちがそのまま顔に出ていたらしい。
ラーシュが盛大にため息をついた。
「リーヴはなんにもわかってないね」
なにがわかってないのか教えてほしい。
そう願うと、ラーシュはまた1つ、小さく弱いため息をついた。
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