星のたもとで

 モルフェウスをひっつかんだまま、オレたちの身体は、暗い地の底へ向かって堕ちていく。血の気が引いていく感覚と恐怖で、頭と腹がひっくり返りそうだ。


 切り立った崖の下は白と黒のコントラストが印象に残った。


 鳥の姿をした白い構造物と、黒石の2色に世界が別れている。そして白い構造物から管のような大小の柱が伸び、崖につながっていた。

 堕ちるオレたちは、その柱を穿ちながら、直角に近い壁を転がり落ちていく。


 石が崖を転がる乾いた音や、金属が何かにあたってひしゃげる音よりも、オレは何故か、バタバタと音を立てるマントの音が、妙に印象に残った。

 ――唐突に何かにぶち当たったようで、衝撃を感じ、目の前に星が飛ぶ。


 デコボコとした崖にある、石筍せきじゅんにブチ当たったようだ。天を目指して伸びる無数の槍のようなそれを砕きながら、奴とガラテアは上と下に入れ替わりながら、なおも地面を目指す。


 手をばたつかせるモルフェウスの兜を掴んで、黒い石の地面に押し付ける。


 その姿は既に変わり果てていた。鍍金は擦れて真っ黒だ。すでにその身体は、元がどんなものだったか想像を難しくしている。


 装甲板は片っ端から弾け跳び、その下の生物的な姿を露わにしていた。

 これをどう表現したものか。腐った海藻をねじり合わせ、その上から赤い血管を走らせたような見た目だ。明らかに、ゴーレムでも人でもない。


 これがオネイロイという種族なのだろう。


『キサ・ら……もっ・早くニ消……』


ごぼごぼと血を吹きながら、呪詛のような言葉を投げかける奴に、俺はガラテアの腰の長剣を抜き、腹に突き刺した。


「……別に作ってくれなんて、お前に頼んじゃいない!」

『グアァァァァ!!』


『レヴィン、前を!』

「――ッ!」


 目の前にあったのは、鉤爪のような鋭く、大きな石筍だ。

 オレたちは躱す暇もなくそれにぶつかり、石と金属の破片を散らす。


「うわああぁ!」


 俺は突き刺した剣を手放してし、そのまま滑落する。騒音、衝撃、あらゆる感覚が引っ掻き回されるが、吐き気を感じる間もなく、意識を刈られた。



「……うっ!」


 冷たい水に頬を打たれ、俺は目を覚ます。が、次の瞬間、激痛に顔をしかめた。

 どうやら身体の何処かが折れているようだ。

 火で炙られたような熱と痛みが尻と両脚から襲ってくる。腰の骨が折れたか?


 オレは目に見えない痛みを避けるように、身体を慎重にゆっくり動かして、ベルトにつけていた袋の中から、夢見草を取り出して、それを噛む。


 妙に感覚が鋭敏になっている――。唇に触れる葉の産毛すら、不快に感じる。

 口に突っ込んだ葉を奥歯ですりつぶすと、夢見草独特の、鉄を舐めた時のような味が口の中に広がる。この汁を飲み下せば、痛みは多少マシになるはずだ。


 葉っぱを咀嚼そしゃくしている間、俺は周りを見回す。


 ――ここは地の底か。


 どうやら俺はガラテアの身体から、なにかの拍子で放り出されたようだ。


 少し遠くに見える彼女は地面に尻を付け、へたりこむような姿勢になっている。

 俺が座る地面には、浅く透明な水が張っていて、風に波打つ事無い水面は、天井に浮かぶ、偽りの宇宙を映している。


 まるで星空の中にほっぽりだされたような……地をつく足場すら失ったような、とても不思議な感覚がする。

 不安、恐怖、自分の存在が揺らぐような気持ちになった。


 連中は地面の底にずっと居て、この光景を、どれだけの間見ていたのだろう。


 ピシャリ。


 水を叩く音がして、水面に写ったの星の姿が、乱れて消える。

 俺は水音のした方を見た。


 ――モルフェウス!


 そこには、人間大の大きさをした、奴がいた。

 おそらくはゴーレムの身体を失い、そこから抜け出してきたのだ。その体には金髪の頭皮と溶けた飴玉のような眼球が見える。

 腐った海藻のような身体の表面に、ゲルリッヒの残骸が浮かんでいるのだ。


 その腹には、オレが突き刺した剣の破片が突き刺さったままだ。

 クソ!まだ生きていたのか!


(ガラテア!)オレは声を出したつもりだが、口が動かない。

 きっと夢見草を噛みすぎたせいで、身体が麻痺しているのだ。


『キサマだケは……コロス、レ……ヴィン!』


 奴は自分の腹から剣の欠片を引き抜くと、それを持ってこちらに来る。


 歪な形をした鉄片を、やつが血払いをするように振ると、ドロリとした肉片を水面に落とす。その表面は天井の星光を映して、青褪めたような色を俺に見せた。


 ――不味い、体が動かない。


 指の一本も動かせない。腰が折れて、脚も動かせない。

 何もできない。


『死ィ……ネ!』


 モルフェウスは俺にのしかかり、ゆっくりと俺の腹に剣の破片を突き出す。

 突き出された破片は、革製のジャケットをたやすく貫いた。


 俺は体に沈み込む鉄片を見ることしかできなかった。

 血の抜ける感覚がして、意識が細くなり、視界が白く染まる。


(ウグゥゥゥ!)


『……良いコトを思いツイた。――アイツの身体を使って、お前ヲ潰ソウ』


 奴はガラテアの身体に近寄っていく。すると、その兜の奥に赤い光が灯る。

 バカな、そんなことが……!


『ゴーレムは、所詮道具、だ。お前たちが、何をしようトモ――?』


 兜の奥の光が赤と青を行き来し、点滅している。

 きっと、彼女が抵抗しているのだ。


『抵抗、しようとも、無駄ダ』


(動け、俺の身体、動け――!)


 指が動く。次に手、肘。ガクガク震え、まるで自分の腕とはおもえない。

 オレは腹に突き刺さった剣の欠片に、震える手を添える。


(ヌオオオオオオ!!!!)


 手に力を込める。

 腹に突き刺さっていた剣の欠片を抜き出すためだ。


 固い何かが、腹の中を通っていく。


<――ズルッ>


 抜き出した鉄片を手の中で回し、短く持つ。そして振りかぶり、肘のスナップを効かせて、モルフェウスに向かって投げつけた。


 ゆっくりと回転していく刃をオレは見つめていた。

 空を切るそれに気づいたモルフェウス。しかし遅すぎた。


 回転する刃は奴の額を捉え、突き刺さる。

 刃はその頭蓋を貫き、黒い体液を頭の後ろから血飛沫として散らした。


 まるでそれが何かの合図となったように、ガラテアの兜の奥から青い光が閃光のように奔って、彼女の身体が飛び跳ねるように動いた。


 地面に堕ちた衝撃で歪んだ手甲、その中に収められた拳が、頭から刃を生やし、ふらついていたモルフェウスを完全に叩き潰した。


『――ハァ……! ハァ……! レヴィン?!』


 俺の意識は駆け寄ってくるガラテアの姿を見ながら途切れた。


 なぜかはわからないが、その時、オレに走って向かってくる彼女の姿は、あの時テルマエで出会った、人間の少女の姿に見えた。


(――オレの命の使い方としては、まあこんな、もんだろう)


 オレは仰向けに倒れ、水の上に身体を委ねた。

 そして天井の無数の星をその視界いっぱいに広げ、意識を手放した。

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