美味也
まるまると太ったボールに、何本もの矢が突き刺さっている。
数本突き立った時は、まだ少しばかり動いていたが、突き立つ矢柄の数が、両の手の指を超えたくらいで、その動きは止まった。
その様子は、子供のイタズラで爪楊枝を無数に刺された団子を思わせる。
突き立つ矢の勢いで、左右に揺さぶられることはあるが、伯爵だった肉団子から、自ずから発せられる動きというものは消えた。
なんだ、思ったよりあっさりと死んだな。
あれほど威張り散らし、うんざりしていた相手が、いともあっさりと物言わぬ肉塊になったのを眺めていたが、特に心がさざ波立つこともなかった。
呆れたものだ、喜びの感情すらもないとは。
いや、元々無価値と思っていたからだろうか?
そこらへんにある石ころを無くしたところで、泣き叫ぶ阿呆はいないだろう。
ともかく彼は善人になれた。
あとはせいぜい役に立ってもらおう。
『ものども! 伯爵閣下の敵を討つぞ』
『『オウ!!』』
ゲルリッヒの呼び声に応える声が、背後のゴーレム達から重奏して轟いた。
しかしその声はどこか抑揚の薄く、まるで人の意思を感じさせない。
槍を手にしたゴーレムが、伏兵のいる林へと駆けていった。
このゴーレム
そればかりか、穂先から石突きまで、その全てが鋼でできていた。
彼が鉄の足を前に出すたびに、その重みによって、つま先まで地面にうまる。
四角いつま先は、青々とした草の表面を割って、黒土を露わにする。その足に力を入れて、後ろに蹴り出すと、草ごと土が空中に舞い上った。
ゴーレムが鉄の足で刻んだ大地には、点々とした黒土の足跡が残る。人のスネ程もあろうかという穴を残しながら、街道を囲んでいた丘を、彼は駆け上がった。
迫りくる鉄の巨人を見て、驚いたのは伏兵たちだ。
彼らの動揺を示すかのように、掲げられた槍は不規則に左右に揺れていた。
「
兵を率いる古参兵が、一喝するように号令した。それを受けて、バラバラに動いていた槍が、一つの意思のもとにゴーレムに向けて並べられる。
――だが。
『ウオオオオォォォ!!』
人間風情が並べた槍など、突進してくる鉄牛に対して何の意味もなさなかった。
騎兵に対してはこれでも良いだろう。しかし先端の尖ったものを恐れる「生物」である馬と彼らゴーレムの間には、大きな違いがある。
鉄の皮膚に包まれた彼らは、こんな程度では恐怖を感じないのだ。
真っ直ぐ進んできたゴーレムは、胸に向けて構えられた槍の壁にぶち当たった。
しかし鋼の身体に触れた槍は、それを貫くどころか、柄を支える胴金を弾けさせ、弓のように大きく曲がる。そして限界を迎えると、細い木片を撒き散らしながら、ボキボキと折れていった。
「ば、化け物だ! うわぁ!」
雑兵たちが構えた槍の壁は、もろくも破られた。それを見たゴーレムの丸い兜の奥が赤く光る。兜のスリットは下が欠けた三日月のような形をしているのだが、それのせいで、まるでゴーレムが笑っているように見えた。
『今度ハ、コッチの番ダ!』
ボーマンの声をしているが、何が違うモノが手に持った槍を振るう。ぶんと勢いよく空を切った槍の柄。それに当たった人間は、小気味よい音をさせて「弾けた」。
骨の折れる音、板金のひしゃげる音が、血しぶきの舞う地獄めいた光景を彩る。
車輪のように回転する槍は人間の肉体を薙ぎ払い、血肉を巻き上げる。
それはもはや、戦いと言えるようなものではなかった。
「ひい、ひぃぃぃぃ!!」
「槍の間合いの内側に入れ!」
それでもいくらかの勇士が、挽き肉機をくぐり抜けて、ゴーレムの足元に迫る。
勇士は先端の尖った戦鎚を振りかぶり、膝の関節をめがけて振り下ろす。叩きつけられた戦鎚は、薄い装甲板を貫いて血に染まった。
『ハハハ! 良イナ! お前ハ喰ってヤル』
ゴーレムはその戦鎚を振るった勇士を掴み上げると、まるでオレンジでも絞るかのようにして握りつぶした。そして肉なのか筋なのか、よくわからないものが垂れ下がる赤い物体に変わったそれを、兜のバイザーを開いて中に入れ、
それはもうヒトを「喰っている」ようにしか見えなかった。
『ズルイ! オレも喰イたい!』
『ゲェェルイッヒィ! オレも、行かセロ!』
『仕方がない奴らだ。あまり汚すなよ?』
兵士たちは、逃げ出そうとするが、彼らとは足の速さが違う。
のどかな丘の上で、血の宴が始まった。
槍で串刺しにされるもの。ハンマーで磨り潰されるもの。
鉄の巨人達は手に持った得物、それを調理器具代わりとし、人馬かまわず、その血を飲み干し、肉をたいらげていった。
ゲルリッヒは特に何の感動もなく、その光景を眺めていた。
しかし、ふと残り火のような感情が胸元に去来する。
(俺は何を恐れている?これは俺の望んだことだろう?)
(そうともゲルリッヒ。君を愛している。私は俺だ)
残り火は次第に大きくなり、燃えさしからだんだんと大きくなっていく。
それは感情の形を取り始めていた。
――恐れかい?何を恐れているんだい?
ドクンドクンと脈打つような感情の流れを感じる。やはり強いな。
しかし、こうでなくては。
(この人殺しめ、いいや、それは僕も同じだ、だが……逃げなくては!)
(なんだってゲルリッヒ? 一体なぜ、自分自身から逃げようと?)
(これは僕の復讐だったんだ! しかしこんなことは望んでいない!)
(そうとも、これは私の復讐だからね)
(――騙したな!)
(大丈夫だ、君が死んでも悲しむものなんて居やしないさ。そういう覚悟のうえで、今までそうしてきたじゃないか)
(……そうしてきた。だけどそれは、こんなの為じゃない)
(絶望を感じているね? 強い欲望が踏みにじられて、谷間に突き落とされたような絶望を感じている。いい、実にいいね)
(助けて――)
(そうとも、もっと望みたまえよ、そして叶うことがない事に憤るといい。君を愛するやつはひとりも居ない。君が死んでも哀れんでくれるものは居ない)
(哀れみを感じたことのない君が、与えたことのない君が、どうして他人からそのような扱いを受けられると思うんだい?)
(助けて、レヴィン――りけ、る――)
彼はその心地よさに身をよじり、悶えた。
ああ、「美味也」。
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