温室

 農民と子どもたちを連れ、テルマエへ戻ったレヴィンとガラテア。

 しかし、彼もいまだに半信半疑だった。


 たしかに丘にある水道橋を動かしたことで、カラカラに乾いていた土地は湿り気を取り戻している。黄色く、砂っぽかった土地は、黒々とした大地に戻りつつあった。


 だが時期的に麦の刈り取りはすでに終わっている。これからやってくる冬を迎えるにあたって、彼女はテルマエをどう使えというのだろうか。


 テルマエに帰ってきたガラテアは、さっそく浴槽の泥をかき出すよう求めた。


 オレは彼女の腕を使って、まず泥を浴槽の外に出すと、それを皆の手で外に出してもらうことにした。子どもたちは冒険者が残していった盾なんかを道具代わりに使って、遊び半分、仕事半分といった感じで、それを始めた。


「リケル、子どもたちがケガしないように、見てやってくれ」


「わかりました!」


 リケルは俺の言葉に従って、キビキビと動いてくれる。オレ一人ではすべてを見ることができないので、彼が手伝ってくれると本当にありがたい。


 やはり人手が多いと良いな。泥に埋もれていた浴槽は、たちまち片付いていく。


 しかし、子どもたちと対照的に、大人たちは身体を動かさなかった。

 彼らはどうも、急に現れたオレやガラテアのことが信じられないようだ。


 勢いで自分の村を出たものの、今になって後悔が出てきたのだろうか、じっと虚空をみて、座り込んでしまうものまでいた。


「子どもたちより先に、大人たちの心が折れちまってるな」


『ならば、何を与えられるのか、それを実際に示してみるしか無いですね』


「――だな、そうするしかなさそうだな」


 しかし彼女の説明は、人を使うにしては、ちょっと説明がなさすぎる。

 オレは彼女が言った「オンシツ」について、詳しく聞いてみることにした。


「ガラテアさん、そもそも向こうで言っていた、オンシツってなんだ?」


『レヴィンさん、当然ですけど、お風呂は温かいですよね?』


「そりゃあ湯を使うからな……」


「王国の人たちは、お湯をそのまま捨てるのがもったいないと思って、ある事を思いついたんです」


「なるほど、お湯を畑を温めるのに使うってことか?」


『はい!かつて王国ではテルマエのお湯を使って、地面や空気を暖かくして、建物の中で作物を育てるということをしていたんです』


「なるほど、うまい事考えるなぁ。それも魔道具か?」


『えぇ。火の出る石、そういった魔道具を使っていました』


「なるほど、薪を使ってたら、キリがないものな……さっきから泥を書き出しているのは、それを探しているんだな?」


『その通りです!』


 泥をかき出しきったガラテアは、何かを探すように浴槽の底を見回している。


 そして、くぼみの付いたタイルを見つけた彼女は、それに鉄の指を引っ掛けると、それを、指だけでカパッと取り外した。


「ガラテアさんは、こんなのも知ってるんだな」


『前に見た事がありまして、確かこれをこう――』


 取り外したタイルの下からは、鉄の板が出てきた。それをスライドさせて動かすと、その下から大量の石炭の塊みたいなものが出てくるではないか。


 なるほど、これがお湯を沸かすための熱源、つまり魔道具か?

 見た目はただの石炭にしか見えないが……。


『魔道具に火を入れましょう。レヴィンさん、火種を投げ入れてもらえますか?』


 そういう彼女は、オレが返事する前にガラテアは胴鎧の前を開いた。

 やれやれ、強引な娘だこと。


「よしきた、ちょっと待ってろよ……」


 オレは火口箱で火種を作ると、それを熾火おきびとして石炭の山の中に落とした。するとどうだろう。黒い石の山がほのかな赤みを発したかと思うと、それが水の中に墨を落としたみたいに、波紋となって周りへと伝わっていった。


 そうなるとあっという間だった。石炭はあっという間に赤熱する。

 オレの顔を炙るような熱気が、足元の魔道具から吹き上がってきた。


 しかしこうして使うとこの魔道具、見た目はただの石炭にしか見えないが、やはり異常な存在だというのがわかる。煙が上がらないのだ。


 どんなに質のいい石炭でも、少しはけむくなるものだが、熾火につかった草のほかに、煙は出なかった。コレなら息が詰まったりはしないだろう。

 昔の人は、スゴイもんをつくったもんだ。


『あとは水を流し入れるだけですね、水を引きましょう』


「外から引き込むのか?大変そうだな」


『まだ機構が生きていれば、ここで操作するだけでなんとかなるはずです』


 ガラテアは浴槽の端、出入り口の反対方向にある壁の出っ張りを掴んで引き出す。

 すると、壁に見えた場所が開き、中からは、無数の陶製のパイプが出てきた。

 きっとここが、テルマエで使う水を扱う、いわば心臓部なのだろう。


「テルマエというより、まるでカラクリ屋敷だな」


 レヴィンは王国の遺跡や街でも、こういった機械を見るのが好きだった。

 複雑な作用をするメカニズムというのは、それだけで美しく、心を惹かれる。


『フフ、楽しいですよね、こういうの』


「ああ、オレにはさっぱりだが、なんかこういうの、いいよな」


 ガラテアはパイプの間々にある取水弁のレバーをひねって操作し始める。

 すると、ゴゴゴと地鳴りがおきたかと思うと、壁にあったお魚の像、そいつの口から浴槽に向かって、噴水のようにどっと黒い水が流れ込んできた。


「あちゃー、また掃除のやりなおしかぁ?」


『コレくらいなら、流し続ければ――ほら、だんだん透明になってきました』


 彼女が言った通り、魚の口から吐き出される水は、次第に清水になって、湯気をあげるようになってきた。一体どういう構造なんだ?まったく大したもんだ。


『浴槽に汚泥ヘドロが染み付く前に、外に出しちゃいましょう』


 例によって彼女の指示で、オレは排水を操作する。

 魚の口から流れ込んだ水は、そのまま外へ流れ、大地を流れる水に合流していく。

 テルマエを外から見ると、その周りの地面が、ホカホカ湯気をあげていた。


 いや、テルマエの周りだけではない。

 地下に配管がされているのか、結構な範囲から湯気が上がっている。


「こりゃすごい。王国ってのは手のこんだことをするんだなぁ」


『王はとりわけ、食べ物のためなら、何でもしましたね。南国の果物でも、テルマエでは一年中食べれたものです。みずみずしい果実――懐かしいですね』


「ガラテアさんは食えないけどな」


『あっ、いえ、そうでしたね。でも夢の中なら、ご相伴しょうばんあずかれますので』


 オレたちがテルマエで作業を終えると、テルマエの周りで打ちひしがれていた大人たちは、湯気の上がる地面を不思議そうに見ている。


 最初は信じられないものを見るような目をしていたが、彼らがその手で土をすくうと、その顔がぱっと明るくなった。


「こらすげぇ! まるで小春日和みてぇだ!」


「さすが王様だ!こんな奇跡をおこしてくださるたぁ!」


『みなさん、これが温室です。本来は囲いをして、中に熱をためるのですが、今はこれが限界ですね』


「これならカブくらいは育てられるだろう? それが育つ間は、山牛なんかの獲物を取ってきてやる」


「ほんに、ありがてぇことで……」


 カブなんかは1月で収穫できるし、少しくらい寒くても育つからな。収穫までの間は、ガラテアと一緒に獲物を取ってくれば、食いつなげる。うん、いけそうだ。


 いずれ両国の紛争が落ち着いたら村には戻れるだろう。それまではここで、嵐が過ぎ去るのを待てばいいとオレは思っていた。しかし――


「やっぱほんとうの王様にちげぇねえ!」


「ありがたや!ありがたや!」


 なんか雲行きがおかしくなってきたのだ。


「わしらを救ってくれたお方の名を取って、ここをレヴィン村を名付けますだ」


「それは、やめておこう気持ちはありがたいけど……そもそも、ここはあくまでも仮住まいでだな……戦いが終われば――」


「なんと!!伯爵と戦って、国を取ると!!ではここはレヴィンさんの名を取って、『レヴィン王国』をつくりますのけ?」


「そんなこと言ってない!一言も言ってない!」


『あら、レヴィン王、良いと思いますけど?』


 白銀の身体を揺らし、クスクスと笑うガラテアさんだが、冗談でもないぞ!!


「それだと普通に反乱になっちまうよ、ガラテアさん。オレはそこまで大事おおごとにはしたくないって」


『残念ですね、あの伯爵やゲルリッヒより、与えようとするレヴィンさんのほうが、ずっと王様には向いていると思うのですが』


「んなこと言ったってなぁ……夢みたいなこと言ってないで、他にやることあるだろ!苗もらってきたり、農具かき集めたり、やることは山ほどあるぞ!」


「よっしゃ、皆の衆、レヴィンさんの言う通りにすんべ」

「んだ! やんべ!」


『本当に、向いてると思うんですけどね』


「とんでもない、おれはただのオッサンだよ? さ、次は何だ?」


『みんな汚れてますし、まずお風呂に入って、英気を養ってはどうでしょう?畑に関しては、それからでも良いでしょう?』


「それもそうだな……せっかく沸かしたんだし、浸かるとするか。よっし、今日の作業はおしまい!みんな、風呂に入っていいぞ!」


「「おお! さすがはレヴィンさまじゃ!」」


 農民たちは早速テルマエの浴槽に浸かりに行ってしまった。


 確かに皆がオレのしたことを認めてくれれば、それは嬉しい。

 温かいお湯に使ったみたいに、なんだか心が暖かくなるし、もっと頑張ろうっていう気力も湧いてくる。だけど、それを良しと思わない連中もいる。


 しかしテルマエに注がれるお湯で遊ぶ子供や、ほころばせる大人たちの顔を見ると、そんなことはどうでも良くなってきた。


 しかし、これはこれで良いものだ。

 しばらくこの余韻を楽しませてもらうとしよう。

 それくらいしても、きっと罰は当たらないだろう。


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