バッフート伯爵

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「しっかしまぁ、シケた村だのう!」


 地面に落ちていた木桶を鉄靴サバトンで蹴り、パカン! と割ったのは、でっぷりと太り、ピンと尖ったヒゲを整えた男だ。男はその風船のような体型に合った、樽を思わせる板金製の甲冑を着込み、青いビロードのマントをひるがえした。


 ドングリのような形の※バシニットを陽光で煌めかせ、男は村を見る。


 ※バシニット(Bascinet):頭頂部がドングリのように緩く尖っていて、鉄板が側頭と後頭部をすっぽり覆うように伸びている兜。後頭部を守らない帽子状の兜から発展して、13世紀初頭、西ヨーロッパに登場した。


 二十騎の騎兵と荷馬で乗り付けたのは、国境のとある村だ。

 しかし、畑には人の姿もなければ、生活の音もしない。

 ひっそりと静まり返った村は、まるで廃墟のようだった。


「畑は乾いてカチコチになって、まるで10日前の馬の糞のようだし、空気すらカサついて肌がピリ付く。これは豆かぁ? ヒモを吊るしているのかと思ったわい」


 畑に立った男は、半分枯れた豆のサヤをむしって、それを口に含んだ。

 が、すぐにブッと吐き捨てた。


「まったくこんなもの、馬の餌にもならん。ここの連中は何を喰っとるのだ?」


 しかし、この村がここまで貧しくなったのも、この男のせいである。


 男の名はバッフート伯爵。


 ゲルリッヒの寄親、つまり上司のような存在であり、レヴィンが冒険者として拠点にしていた街の支配者でもある。しかしその統治ときたら、お世辞にも善政とは言いがたかった。


 ムシれるものは何でもムシり、生えてきたらまたムシるといった具合だ。


 彼が民草にする事といえば、先ほど吐き捨てた枯れた豆にした事と同じような略奪ばかりで、政治というよりは、むしろ強盗という方が相応ふさわしかった。


「閣下、麦は隣国が狼藉を働き、ここには無いようです」


 その太った巨体と甲冑の重みで、ズカズカと畑を踏み荒らす彼のもとに、ひとりの兵士が駆け寄ってくる。彼はバッフート伯爵に、この村にはすでに大した食料が残っていないことを説明した。


 この村は隣国と所有権で揉めている境界線の上にある。

 どちらが支配者か示すため、まだ実も十分になっていないうちに、作物を刈り取るのだ。そう、隣国によって、この村では作物を強制的に刈り取る、刈畠かりばたが行われていた。


「刈られたか。忌々しいことをしよる。来年蒔くぶんがあるだろう。それを出させろ」


「ですが、閣下――」


「なに、すでに死んでいる村だ。構わん、やれ。」


「ハッ!」


 兵士たちは村の家々の戸を押し開け、床板を剥がし、来年畑に蒔くための種籾まで奪おうとした。しかしそこまでされては、流石に農民たちもたまったものではない。


 村の人間は手に粗末な道具、木でできたフォークや脱穀用の棒を持って、兵士たちに抵抗した。しかしロクな武器がない彼らでは、完全武装の兵士に敵うはずもない。剣の柄頭で殴られ、地に伏せるのがオチだった。


 なぜここまでこの村が虐げられるのだろうか。家の外、積み上げられたガラクタの物陰に隠れながら、ミミとカレルは自分たちを守ってくれるはずの伯爵の軍隊の狼藉、その事の成り行きを見ていた。


 しかし彼らの姿は、なにか食えるものはないかと、そこいらをひっくり返して回っている兵士に見つかってしまった。


「なんだ、食い物かと思ったらガキか……何か隠し持ってるな?おい、ソレを出せ」


「――イヤ! イヤイヤ!」


ミミの甲高い拒絶の声に苛立ったのか、兵士、いや、無法者は幼い少女の頬を張った。そして彼女が握っていたものを奪った。ミミが隠し持っていたのは、干した山牛の肉だ。あのとき、レヴィンが倒し、そして彼女に分けてあげた肉の残りだった。


「なんだ干し肉か? どこから盗んだか知らんが、もらっていくとするか」


 カッとなったのはカレルだ。兵士の腰に飛びつき、拳を甲冑に叩きつけるが、子供の拳の威力など、たかが知れている。凹ますこともできず、騒々しい不出来な楽器のような音を立てるだけだった。


「なんだぁ? このクソガキぃ!」


 カレルは兵士にぶん投げられ、乾いて硬くなった地面に背中から落ちて、ウッっと息が詰まった。彼は両手を地面に突いて起き上がろうとするが、兵士に泥に汚れたブーツで、胸を押さえつけられてしまった。


「もうしません、ごめんなさいって、素直にいやぁ、手を落とさずに済ませてやる」


 スラリと剣を抜いてカレルを脅す兵士。

 しかし彼はその脅しに対して、沈黙を返した。


「……」


「チッ、黙ってちゃわからんぞ?」


 踏みつける重みを増す兵士。うっと苦しくなるが、踏みつけられつつも、お前の言いなりにはならないと、意地を張るカレル。しかし、そんな彼らの間の緊張を破ったのは、村に散っていた兵士たちのどよめきだった。


「なんだありゃぁ? ……騎士……かぁ?」


「牛を担いでるぞ、何処の豪傑だ?いや、待て、何かデカすぎないか?!」


 水平線から現れた、銀色をした巨人の騎士。伯爵の兵士たちはそれを見て生唾を飲み込んだ。だがしかし、その騎士の中でも、とある小心者が喉を鳴らしていた。


「村に伯爵の軍隊が来てるなんて、思わなかったぞ!!」


『やっつけちゃ……まずいですよね?』


「あたりまえだ! 軍隊と事を構えるなんて、いくらガラテアさんでも無茶だ」


『でも、彼らはゴーレムを見たこと無いですよね? ゲルリッヒ達と違って、レヴィンさんや私のことを、まだ知りませんよね』


「ああ、それはそうだ。冒険者でもなけりゃぁな……待て待て、ガラテアさん、何をするつもりだ?」


『ちょっと芝居を打って見ようかと思いまして、こんな感じにゴニョゴニョ』


「――それ、大丈夫かなぁ……? いや、他に方法はないか。やってよし!」

『はい!』


 村を占拠する兵士たちの前に、白銀の体躯を雪山のようにそびえさせ、立ちはだかるガラテア。しかし、今さっき狩ったばかりの山牛が彼女の肩に乗ったままだ。

 彼女は「あっ」と、それに気がつくと、担いでいた山牛を地べたに転がす。


 そして普段の明るい声色からは、まったく想像ができないような堂々たる声色で、目の前の伯爵と兵士に、彼女はこう呼びかけた。


『この王国を不当に支配するのは貴様らか。我こそは、かつてこの地を総べし王国、その血脈に連なるものなり!』


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