命の水

『水道橋の頂上に、「元栓」があるはずです。それを開きにいきましょう』


「しかし……力試しというよりは、度胸試しのほうが正しいな?」


 レヴィンは彼女の目を通して、水道橋を見る。

 ――呆れるほどに大きい。彼女の身体を通して見ているので、大きさに対しての感覚が麻痺しかけているが、街にある教会の尖塔よりも、高いのではないだろうか?


『かもしれません』


「ま、やるしかないか」


 レヴィンは彼女の身体を借りて、目の前の水道橋によじ登り始める。

 ガラテアの身体は人よりずっと大きいが、水道橋はそれ以上に巨大だ。

 これは苦労しそうだぞ、と彼は思った。


『気をつけてくださいね、相当古くなっていますから。体重を掛ける前に、よく確かめてください』


「あぁ、たしかにそうだな、ありがとう」


『――いえ、こちらこそ』


「ん?」


『……変なことを言っていたらすみません。久しぶりで、人と話すのに慣れていないんです』


「ああ、なるほど。」


 水道橋はアーチを持った橋を、ふたつ積み上げたような形をしている。

 一つの橋のアーチだと、アーチが巨大になりすぎて、構造的に弱くなる。王国は、ふたつの橋を積み上げて、より高い場所に水道を持ち上げようとしたのだ。


 ひとまず彼らが目指すのは、一段目のアーチの頂上だ。

 そこの床は平たくなっているので、登ったら一旦そこで休憩する。


 ガラテアに休みは必要ないが、レヴィンはそうではない。

 彼の集中力を保つため、休憩を挟まないといけない。


「意外と出っ張りが多くて登りやすいな。これは、ゴーレムのためなのか?」


『いえ、本来はここを使って、足場を作ります。出っ張りに棒をかけたり、穴に差し込んで、固定するんですよ』


「じゃあ今やってることを王国の連中に見られたら、確実に怒られるな」


『ええ、間違いなく牢屋行きでしょうね』


 水道橋の石材の出っ張っている部分、取っ掛かりになる場所に手をやって、ぐっと身体を持ち上げる。これをほんの数回繰り返しただけだが、あっという間に足がすくむような高さまでのぼりつめた。


 水道橋の高さは、街の家々はもちろん、街にある城の塔と同じか、それよりも高いくらいだ。それなのに人の何杯もある大きさ、しかも金属製のゴーレムが乗り上がっても、まったく崩れたり、揺れたりしなかった。


 相当古いものにもかかわらず、信じがたいほどに頑丈だ。

 王国の土木技術はまったく大したものだと、レヴィンは感心した。


 アーチの一段目にたどり着いた彼らは、緊張をほぐすために一息つくと、二段目を目指して上り始める。ヒヤッとする場面もあったが、なんとか頂上にたどり着くと、そこには太い水路と、なにかの構造物があった。


 しかしそれよりもレヴィンの興味を引いたのは、この場所の「高さ」だった。

 

「こりゃぁすごい」


 水道橋の頂上から辺りを見回すと、街の全体が目に入る。

 鳥みたいな視点から、自分の知る街を見るのはなんだか新鮮だ。普段は見上げているような、高さのある建物も、その屋根が見える。


 レヴィンは、なんだか自分が偉くなったような気がして面白かった。彼はもっと見ていたかったが、ガラテアから仕事をするようせっつかれてしまった。


『水を差す用で私も心が苦しいのですが、レヴィン、そろそろ始めましょう』


「ああ、ごめんごめん。さて……見た感じ、確かに魔道具だな。これをどうすればいい?」


 オレの目の前には、丸い卵のようなものがある。それには無数のパイプがくっついて、床に広がっている。みようによってはタコにも見えるな。なんとも名状しがたい生物的な見た目をしている魔道具だ。


「パイプに何かのレバーがあるが、コレを操作すれば良いのか?」


『はい。私の言う通りに操作してみてください』


「よしきた」


 彼女の言葉に従って、鉄の指で魔道具のパーツをあれこれ触っていく。

 すると水道橋がわずかに震えだした。


「おっこれは?」


『始まりますよ、水路の前を開けてあげてください』


 オレは魔道具の前を退くと、魔道具の口から、ちょろちょろと水が染み出してきた。あれ、案外大したことない?と思ったのもつかの間で、水量が次第に増えていって、まるで川の流れのようになる。


「うぉ!」


 次の瞬間、どぱっと大量の水が魔道具から吐き出された。

 水路をたどる水は、そのまま地面へ送り出されていき、乾いた大地に降り注ぐ。


 水道橋の上から水の行方を見るレヴィンは、なるほどと思った。


 これまで何気なく見ていた丘のくぼみは、かつてこの水路が生み出した人工的な川だったのだ。生み出された水はくぼみをたどり、川は往時の姿を取り戻していく。


『どうやら、順調に流れていっているようですね』


「ここ、昔は川が流れていたんだな……」


『はい』


『これは「灌漑」と言います。王国は水道橋と人工的な川を作って、水を送って大地をうるおす、という事をしていました』


「まったく、たいしたもんだよ。昔の人間のほうが、俺たちよりずっと考えてる」


『それなら良かったのですが……』そうボソリとつぶやく彼女の言葉は、レヴィンの耳に入ったが、すべてを聞き取ることはできなかった。「なにか言ったか?」という彼に、彼女は『いえ、なんでもありません』と返した。


 水道橋から流れる出た水は小川となり、埋没したテルマエまでたどり着いているようだった。二人は注意して水道橋からおりると、そちらへ戻った。


 テルマエの様子は一変していた。


 砂っぽかった大地は湿り気を帯び、新鮮な水は、カチコチになっていた土をだいぶ柔らかくしていた。入り口を塞いでいた土の壁は、水の力で自然と崩れ始めている。


 レヴィンたちは小手の先をショベルのようにして、出入り口を掘り起こす。

 すると土の壁がついに崩れて、テルマエの中があらわとなった。


 建物の内部中央には、巨大な四角い浴槽があり、その周囲は丸い柱に囲まれていた。浴槽は四方が階段になっている。入浴するものは階段を降りて中に入るか、段差に腰掛けるかして湯に浸かるようだ。しかし今の浴槽は、砂と泥で汚れている。


 彼は鉄の足で浴槽の縁を歩きながら、浴槽に溜まった泥を見る。


「泥んこ遊びをしたいならこのままでいいが、湯に浸かるなら、これをなんとかしないといけないな?」


『手強そうですね』


「だがそんなの、いまさらだろ?」


『ふふ、そうですね』


 丸い柱が一列に並ぶ奥の空間は、白い壁になっていた。その壁には極彩色のタイルを使ったモザイク壁画が、帯のように連なっている。そして壁画の手前には、テーブルと朽ちかけた椅子があった。


 どうやらこのスペースは、湯から上がったものが、茶や軽食を楽しむための場所であったようだ。大理石のテーブルには、古びた食器が並んでいる。テーブルから視線を外して壁を見ると、食事をする人々の姿を描いたモザイク画が、ほぼ当時のままに保存されていた。


「こりゃすごい……こんなもの、初めて見た」


『当時の生活を描いた絵ですね。あ、レヴィン、見てください奥の方』


 レヴィンがそちらを見ると、モザイク画にある人物が描かれていた。

 王冠を身に着け、鎧を着た、位の高そうな貴人の絵だ。

 その右にはドレスを着た女性が立っている。


「あれは?」


『当時の王国を統治していた王の姿です。そして右にいるのはその娘ですね』


「なるほど、この人達が作ったから、大事に使いましょうねってところか?」


『そんなところです』


 レヴィンは壁画の前に立つと、彼らに軽くお辞儀をした。「なんでそんなことを?」その意味を聞いたガラテアに、彼はこう返した。


「あんたらが残してくれた、彼女のおかげで生きてますって、お礼したんだ」


『まぁ!』


 そういったガラテアの声は、すこし嬉しそうな様子だった。


 ・

 ・

 ・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る