#9 許すぞ
「それで百円玉が嵌っていたの? 愚かだね、ジューイチ」
辛辣な言葉を掛けながら、マドカが俺の目から百円玉を抜いてくれた。ああ、目がチカチカする。チカチカ、ベルトーチカ――チルドレン。
「ナイチンッ、ゲールゥゥゥゥ!」
「うわ、何だ、こいつ」
「そこまで言うな、エミリー。ジューイチくんが可哀想だと思わんのかね?」
「自分で言っていて、悲しくないか? ジューイチ」
ふふん。その悲しさには、もう慣れたさ。かつて過ごした借金生活によって、な。
「さて、話を戻そう」
「貴様、やはり友人、いないだろう」
「友を作ることは、人生の義務ではない! それに、俺にはマドカがいる!」
「あー、はいはい」
ちょっと照れながら返事をするマドカの顔を、俺は見逃さなかった。しかし、瞬きをするといつもの表情に戻っていたので、俺の気のせいであったのかもしれない。
なぁんて、ライトノベル業界の鈍感主人公みたいな感想を述べてみる。気のせいのはずがないだろう。マドカは確かに今、俺に対して照れていた。確実に、照れていたのだ。
何だろう、この胸の高鳴りは。はっ、これが萌えか。
「そんなわけがないでしょ。気持ちが悪いよ、ジューイチ」
萌えという感情は、実に興味深い。リアリティがある文章を書くためにも、しっかりとメモ帳に、今の気持ちを鮮明かつ詳細に記載しなければならない。うひょうっ! 盛り上がって参りました。さあ、踊れ! 俺のシラスの様な文字たちよ!
「はぁ、好きにすれば? そんなことよりも、終わったら店内の片づけをするよ」
メモ帳にエモーショナルな記述を残した俺は、マドカたちと一緒に店内の片づけをする。
先程の戦闘で滅茶苦茶になったはずの店内であったが、思ったよりも早く綺麗になった。
「というか、綺麗になり過ぎているような――」
「それはジューイチくんのシンギュラー・ア―ムズの影響だね。モップだもの」
「シンギュラー・アームズ? 店長、それって?」
「君が使っていたあのモップはね、特異点の力を具現化したものさ」
「あのモップにそんな大層な名前があったとは」
「君の前にシンギュラー・ポイントカードが現れたということは、君もまた、選ばれしコンビニ店員なのかもしれないね」
な、何だか大げさな話になってきた。店長は今、何と言った。
勇者とか超能力者ならまだ理解できるが、よりによってコンビニ店員? ちょっとユニークすぎやしませんかね。そんな話、昨今のアニメとかじゃ絶対に出てこないだろう。
「人、それを《
「エミリー。それもお前の父親が言っていたことなのか?」
「いかにも、なのだ」
得意気に背中のマントを翻すエミリー。バサッ、バサッと微妙な風圧が俺に掛かって少々鬱陶しい。しかし、そんなことは今問題ではない。
《魂美人》という存在を、悔しいが俺は認めなければならない。シンギュラー・ポイントカードを中心とした先程の強盗騒ぎ。その過程において、顕現したシンギュラー・アームズの力は本物だ。あれらは本当に特異点の力を有しているのだろう。
ならば、エミリーの父親――このコンビニの社長の言葉、それは真であったのだ。
「エミリー」
「ん? どうしたジューイチ――本当にどうした! 何故だ!」
おそらくエミリーは驚いているのだろう。その表情は窺い知れないが、声音でなんとなく認識できた。無理もないだろう。目の前にいた俺が突然、頭を下げたのだから。
「ジューイチ、君は」
隣にいたマドカは、俺の行動の意味を、察してくれたようだ。
「すまなかった、エミリー。お前が大好きな父親の話を疑ってしまって」
「シンギュラー・ポイントカードについての話のことを言っているのか?」
「そう、だ」
「無理もない。その話をしても、理解できる者は僅かだ。もう慣れた」
俺はなんという馬鹿なことをしてしまったのだろう。
エミリーは、今までシンギュラー・ポイントカードによる世界征服の話を、周りの人間に信じてもらえなかったのだ。何度も疑念を抱かれ、否定され、信頼を得られない日常。
それは俺の想像を遥かに超越した、苦しい日々であったに違いない。
「ジューイチ、エミリーは怒っていないよ。だからさ」
「ダメだ、マドカ! 彼女の信じているモノを、疑ってしまった。さらには、否定紛いのことまで――そういうことをされるのが、俺自身も一番辛いはずなのに!」
頭に過る、過去。父親が同僚に借金を背負わされ、同級生たちに嘲笑や侮辱をされながら転校する羽目になった、かつての記憶だ。俺はこのとき悔しかった。俺が信じている家族を、否定されたからだ。そのような目に遭っていながら、同じことを俺は――
「許すぞ、ジューイチ」
今、エミリーは何と言ったのだろう。許す。俺を? 酷いことをしたのに。
「己の過ちを認め、謝罪してきた人間を、我はいつまでもネチネチ怒らないのだ」
エミリーはそう言って、ニヒッと笑った。
他者の笑顔に、ここまで安心感を覚えた日はかつて存在しただろうか。
しかし、それでも俺は簡単に許されてはいけない。少しでも長く、誠意を伝えねば。
「ジューイチくん、頭を上げてくれるかな」
「店長――」
「エミリーたちは君を許すと言っている。ならば、君が続けるべき行為は謝罪ではない。ただ一言、『ありがとう』と言えば良いと思うよ」
なんて――なんて、良い人たちなのだろう。
俺が逆の立場であったとき、果たして相手を許すことができるだろうか。自分の信念や志、あるいはそれに関わる話に疑念を抱いた者を、本当に許すことができるだろうか。
俺は一度、シンギュラー・ポイントカードに対して疑いを抱いたのに。彼女にとってかけがえのない父親である社長の話を疑ったのに。それでも、彼女は俺を許すのか。
「わかったよ、エミリー」
これ以上しつこく謝ることは、エミリーの許しに対し、却って新たな疑念を抱くことと同義である。彼女の許しに応じるためにも、謝罪はもう終えるべきだ。
「ありがとう、エミリー」
笑顔は、理をも変えてしまう。
少なくとも彼女、真戸笑理という少女の笑顔にはそれだけの力を感じる。もしや、もしかすると本当に彼女は――世界を征服し新たなる日常を、見ている景色を一変させることができるかもしれない。いや、絶対にできる。妙な確信が、俺の中に轟いている。
エミリーマート社長令嬢、《コンキスタ・エミリー》か。
「さあ、営業を再開するぞ! ジューイチ! 早速、レジ打ちだ!」
「ああ!」
エミリーが差し出した手を、俺は掴む。
世界がキライならば、好きになってしまえば良い。世界は我のモノ――ワールド・イズ・マインなのだから。始めよう、俺たちの世界征服を。
「このコンビニにも、良い風が吹き始めたみたいだね」
「エミリーの場合、嵐の様な時もありますが――」
「違うよ、マドカくん。風はジューイチくんのことだよ」
「ジューイチが?」
「ああ。見てよ、あのエミリーの顔。嵐の向きすらも変えてしまうジューイチくんは、やはり選ばれしコンビニ店員だ」
「そうですか――少し、妬けちゃうな」
「ん?」
「あ、いえ。エミリーが楽しそうなら、僕は満足です。それでは、店長。僕も持ち場に戻ります。ジューイチの新人研修、続きをお願いしますね」
「任せてくれるのかい? サンキュー!」
内容は聞き取れなかったが――マドカとの話を終えたのだろう。店長がレジに来た。
「それじゃあ、お客様対応の研修を始めるよ! まずは挨拶のおさらいだ!」
俺は気合を入れ直し、集中する。丁度良い声量の、滑舌を意識した渾身の――
「イラッシャ・イマ・セイッ!」
「違うのだ! イラッ・シャイ・マセェッ! だ!」
しかし、まあ――俺とエミリー、一体どこに差があるというのだろう。経験の差か。
どうやら、ベテラン店員を目指す道は険しいようだ。
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