京円は勧誘したい
#1 ああ、キライだとも
俺は
「まあ、おかげで借金生活からは脱することができたわけだが――」
もう一度名乗らせてもらおう。
しつこいかもしれないが、俺の名前は瀬分重壱。俺はこの名前があまり好きではない。
しかし、小説家として非常に利用しやすい名前であるため、本名をそのままペンネームとして使っている。その理由は俺の名前が、大手コンビニチェーンの名前を心理的に連想しやすいものであるからだ。瀬分重壱。セワケ、ジュウイチ――読み方を変えれば、セブンとイレブン。ここまで来たら、多くの人間の思考を、コンビニが支配するはずだ。
面白い名前だろう。俺のペンネームを見て、大手コンビニを連想し、ついでに本も買ってもらえる。何かと何かがリンクしている方が、人間は興味を持つのだ。
それが吉と出たのか凶と出たのか定かではないが、俺は父親が会社の同僚に押し付けられた借金を、小説の印税で返すことに成功し、今に至る。
あの中学生時代に、何気なく頭の中に浮かんだ俺の想像と創造の世界が、こうして運良く本になり、程々のベストセラー作家の仲間入りを果たすことができたのだから、人生というものは本当に何が起きるのかわからない。まるでページを捲るときの続きが気になるあの感覚が、人生には溢れている。
「いかんな」
このように俺が長々と無意味なモノローグを綴り続けているわけとは一体何なのか。
それは出版社から頼まれた新作書き下ろし小説の構想が全く浮かばず、目の前のワープロソフトには何の文字も打ち込まれていない現状から目を背けるための――現実逃避。
「学校、行くか」
一緒に住む母は既に仕事へ行った。父は借金を返した俺のために、恩返しとして俺が将来進学する大学の学費を稼ぎに外国へ行っている。そういうわけで俺は一人で朝食を摂ることが多い。
しかし、今日は出発時間間際まで小説の構想を練っていたため、朝食の時間が無くなってしまった。どうしたものか。
そうだ。今日のところはコンビニで朝食を買ってから学校に行こう。授業中でなければ、コンビニ飯を食べていても怒られない。あの学校は、規則が緩いのだ。
通学鞄を持ち、鍵を閉め、マンションを出ると、穏やかな春の陽気が俺を包み込む。
ちなみに俺が通う高校は、自宅から徒歩で二十分程度の場所にある。その途中にあるコンビニの数は全部で三つ。さて、どのコンビニエンスストアに行こうか――なんて、迷うほど俺はコンビニ好きではない。別に嫌いというわけでもないが、あるなら便利というくらいの感情しか抱けない。無いなら無いで、近所のスーパーマーケットまで行くだけだ。
しかし、この時間はまだスーパーマーケットは開いていない。必然的にコンビニへ行くしかないのだ。よし、決めた。エミリーマートに行こう。
エミリーマートは埼玉県内にあるローカルコンビニだ。全国展開はしておらず、埼玉県にしかない。地域密着を経営方針にしているらしく、本当に埼玉県にしかない。
名物であるフライドチキンが有名で、食べると思わず笑みを浮かべてしまうことから、エミチキンと呼ばれている。一時期、アヤシイ薬が入っていると噂が立ったが、果たして。
そんなエミリーマートだが、その一号店は、ここ古座市にある。
「あなたを笑顔にエミリーマート、ね」
キャッチフレーズはこんな感じ。少々宗教染みていると思うのは、俺だけだろうか。いかんな、何でも疑うクセは、あの借金地獄の日々から治っていない。
俺はあの頃から成長できていないのだろうか。そう考えるとショックで、憂鬱になった。
「笑顔といえば――こんな時はマドカの笑顔でも見て、癒されるか」
マドカ。ミヤコマドカ。漢字で書くと京都の京に、円高の円で
ちなみに、彼には絵が上手いという特技があり、なんとあの有名な同人誌サークル、『サークル京』の主宰を務めている人気イラストレーターであったりする。俺もよく小説の挿絵を依頼している。今、丁度俺は新作小説のアイデアを練っているので、彼に相談するのもありかもしれない。マドカはエミリーマートでアルバイトをしているわけだし、もし早朝シフトに入っているなら、会える可能性が――うん、無いな。マドカは夕方以降のシフトだった。
さて、エミリーマートに着いたことだし、この無意味なモノローグは程々にしよう。
「えっと、サンドイッチは――」
朝食のサンドイッチを選ぶ。ハムサンドとタマゴサンドが一つずつ入ったパッケージを手に取った時、売り場の棚から一枚のメモ用紙が落ちてきた。
「何だ、この紙」
折り畳まれているそれを、拾い上げて広げる。ボールペンで何か書いてあるな――
『この世界は、キライですか?』
謎のメッセージだ。ただ一言、そう書いてあった。
表面上は馬鹿馬鹿しいと感じながらも、内心、興奮を抑えられない自分がいた。だって、そうだろう。こんなメモ用紙がいきなりコンビニの棚から出てきたのだ。ワクワクしない方がおかしい。ああ、もう駄目だ。俺は小説家としての好奇心を抑えられない。
「ああ、キライだとも」
俺は迷わず、そう呟く。
だって、だって――そうだろう。普通に考えたら、何故中学生だった俺が親の借金を返さなければならなかったのか。しかも正確には、その借金は親が借りたわけではない。他人に押し付けられたものだ。俺は運良く印税で借金を返せたものの、一般的に中学生が借金を返すなんて、ありえない。世の中の仕組みが、狂っていると思う。本気で、そう思う。
だから俺は、この世界がキライだ。
「まあ、この感情が俺を小説家として成長させてくれたのかもしれないが」
この世界が嫌だからこそ、現実に反したファンタジー小説を書くことができたのだろう。
元々、物語を書くことが好きとはいえ、こんな気持ちで夢を成就させたくはなかった。
「おっと、そろそろ時間が無くなってきた」
メモ用紙を商品棚に戻す。急いでサンドイッチを購入し、俺はコンビニを出る。
「何だったんだ? あのメモ」
ふと、先程のメモ用紙が頭の中を過る。
俺は世界を嫌いになって、それから――
「それから?」
どうしたいのだろう。嫌いになったままで、俺は現状に酔っているのではないだろうか。
揺るぎない停滞。それこそが俺が新刊を書き終えられない理由なのではないか。
世界を嫌いになった後、俺はどうしたいのだろうか。
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