甘い言葉にご用心

「では昨日伝えた通り今日は特別講師の方に授業をして頂く。皆、失礼のないように」


 教師が扉を開き佐藤が教室に足を踏み入れる。


「……冴えねえおっさんじゃん」

「あんなのがホントに最強なワケ?」

「ふかしこいてるんじゃねえの?」


 生徒は二十人ほど居るが誰一人として快い反応を返さなかった。

 その様子を教室の後ろで見守っていた高橋と鈴木が苦笑を零す。


「こりゃまた……分かり易いぐらい調子に乗ってんな」

「あれぐらいの年頃なら当然じゃないかな」

「特別問題ありそうな子供らを集めましたからね」


 早急に意識改革が必要だと判断された子供たちだけを選んだのだと言う。


「まあ、問題児と言っても可愛いものですがね。人、物問わず手当たり次第に放火するような子らは居ませんし」


 会長は今の互助会では古株の一人だ。

 当然、佐藤を筆頭とするかつての問題児の所業についてもよーく知っていた。


「「燃えるような青春でした」」

「コイツら……!!」


 まるで悪びれない大人たちはさておくとしてだ。

 特別講師相手に初っ端から舐めたクチを叩いた生徒らを諫めようと教師が口を開こうとするが、


「まあまあそうピリつくなって」


 逆に佐藤がそれを諫める。


「佐藤さん……しかしですね」

「可愛いものじゃないか」


 慈愛に満ちた笑みから一転、底意地の悪い顔で佐藤はせせら笑う。


「女を知らない童貞ぼうやと男を知らない処女おじょうさんの軽口くらい流せないでどうする?

とは言えだ。老婆心ながら忠告をさせてもらうがそんなだからあっちを大人にする目途が立たないんじゃねえの?」


 佐藤は確信していた。ここに居る子供らが全員、未経験であると。

 それは異能の力ではない。百戦錬磨の遊び人の嗅覚に由来する確信だ。

 さて、ド失礼な発言をかまされた子供たちだが……まあ、当然の如く苛立っていた。

 それでも激していないのはお可愛い背伸びだろう。


「……ウッザ」

「オッサン、セクハラって言葉知ってる?」

「アンタ、訴えたら負けるよ?」

「お言葉を返すが裏に司法なんて優しいものがないことをご存じでない?」


 裏には明文化された法は存在しない。

 法を守らせるには相応の力が必要だ。

 裏の人間全てに法を強制させられる暴力を持つ人間が居るとすれば……それは世界にただ一人だけだろう。


「さて。小粋なお喋りはここまでにしとこうか。時間は有限だからな? 早速実習といこうじゃないか」


 煙管を取り出した佐藤がそれを軽く振るう。

 すると、一瞬で教室が果てのない荒野に塗り替わった。

 佐藤が何をしたのか。それを理解出来たのは大人だけだった。


「……力技で無理矢理世界を塗り潰しやがった」

「心の原風景を投影し改変するみたいな術があったような気がするけど」

「……これはそんな生易しいものではありませんね」


 自身の心に深く焼き付いたそれで世界を局所的に塗り替える。

 それでも十分難しく秘奥と呼ぶに相応しい技術だがまだ現実的だ。

 想いは力に繋がる。であれば自らの心に深く焼き付くほどのものならば力に変換し易い。

 だが佐藤のやったそれは「こんな場所なら丁度良いだろう」という程度のもの。

 重さなどまるでないフワフワした想像で世界を塗り潰すなど人に許された力ではない。

 運命の冒涜者――神をしてそう言わしめる男に相応しい所業だろう。

 だが、冒涜はまだ終わらない。


「! 何、これ……力が……!?」

「お、おぉおおおおおお!!?」


 子供らの力が急激に膨れ上がっていく。


「はいキッズどもちゅうも~く。自分の顔の横あたり見てみ」


 混乱していたからだろう。子供らは自然とその指示に従った。


「何、これ……数字?」


 揺らめく炎が数字となり浮かんでいた。

 12+88=100。こんな具合にだ。


「キッズにも分かり易くしてやったのさ。一番右の小さい数字はお前らの本来のレベル。

加算されたのが俺が強化した数値さ。全員、均一に100まで上げといた。

今感じている力はお前らが今のまま順調に育つことが場合、そうなるであろうって強さよ」


 その異常を理解出来たのはやはり大人たちだった。

 強化。どの系統の技術でもポピュラーなものだ。

 しかしそれは身体能力であったり火力を強化するもの。

 “その人間が成長した場合の強さ”を先取りするようなものでは決してない。

 そんな異常もさることながら……。


「……えげつねえ」

「佐藤くんらしい性格の悪さだ」


 こんな強化を行った意図だ。

 察した大人たちはそれはもう、哀れなものを見るような目をしていた。


「どうだ? 今なら何でも出来そうだろ? でもな、そりゃ勘違いだ」


 くるくるとペン回しのように煙管を回しながら佐藤は告げる。


「そこまで強くなったお前らが束になってかかって来ても俺には掠り傷一つ負わせられねえ」

「テメェ……!!」

「ほら、おいで。相手んなってやるからさ」


 くいくいと手招きをすると一番、沸点の低い少年が凄まじい速度で佐藤に殴りかかった。

 が、


「ふー……」


 吐き出した煙に阻まれ拳は止まってしまう。

 ゆらゆらと佐藤の周囲を漂う紫煙。


「俺の吐き出した煙草の煙さえ越えられねえとか……ザッコ」

≪~~~~!!!≫


 そして戦いが始まった。

 怒りに燃える子供らの瞳が見据えるは一つ。“自分たちを舐め腐ったオッサンをキャン言わせる”。それだけ。

 しかし、僅か五分ほどでその意思はガッタガタになってしまう。


「な、何で……こんな……」


 煙草の煙さえ越えられない。

 どれだけ力を込めた攻撃を繰り出そうと散らせない。纏わりつき、攻撃を阻み続ける。

 動揺が得たいの知れぬものへの恐慌に変わるのは直ぐだった。


≪あぁあああああああああああああああ!!!?!≫


 四人。一際強い恐慌状態になった少年少女が突っ込む。

 その攻撃はまたしても煙に阻まれる……ことはなく佐藤に直撃した。

 が、


≪!?!!?!≫


 不運なことに彼らの攻撃手段は近接戦闘だった。

 それゆえ武器を持った腕が、固く握った拳が、渾身の力で振りぬいた足が、砕け散る。

 痛みが齎す絶叫は……全員の戦意を完全に圧し折ってしまった。

 全員がその場に崩れ落ちた。絶望。それ以外の何ものでもなかった。


「強化もしていない。反撃もしてない。意図して弱体化させていないだけ」


 手足を喪失した子供らを五体満足に回復させながら佐藤は言う。


「何もしてねえ。ただ突っ立ったまま攻撃を受けただけ。ただそれだけでこの有様だ」


 もう言わずとも分かるだろう。佐藤は奪うために、与えたのだ。

 子供らが全能感を覚えるほどの力を与え、その上でそれが無価値であると証明してのけた。


「裏の世界に足を踏み入れた時さ。思ったんじゃね? 自分は特別な存在だってさ」


 ヒーロー、ヒロインになれるんじゃないか。なったんじゃないかと。


「残念。そりゃ勘違いだ。ヒーロー? ヒロイン? 冗談。

そこまで強化してやっても舞台に上れるかどうか。上れても精々がモブキャラさ」


 大人たちは聞いた。心が完全に圧し折れる音を。

 ひ、ひでえ……と慄く大人たち。だが本当に酷いのはここからだ。

 佐藤は近くで這いつくばっている少年の下まで行き、膝を突いてその頭を肩に抱き寄せる。


「ぁ」

「……でもよ。モブにだって意地ぐらいあるわなぁ?」


 とても、とても優しい声色だった。


意地そいつの形はそれぞれだろうがよ。どれ一つ取ったってくだらないものなんかじゃねえ」


 熱の入った言葉に子供らが顔を上げ始める。


「守りてえよなぁ。貫き通してよなぁ」


 立ち上がり佐藤は大きく煙を吐き出した。


「俺がこの夏、教壇に立つのは片手で数えるほどだ」


 それでも、と強く言葉を区切り続ける。


「やるからにゃ手は抜かねえ。半端なくキツイだろうぜ。

だが最後まで諦めずにやり通せたのなら……お前らもちったぁマシになるはずだ」


 そして佐藤はニカっと男くさい笑みを浮かべる。


「――――だからよ、黙って俺に着いて来な」

「……せ、先生」

「先生」

「佐藤、先生」


 素晴らしい光景だ。感動的ですらある。

 だが始終を見守っていた大人たちはドン引きだった。


「何? アイツ営業マンじゃなくてヤクザだろ」

「悪い大人の見本そのものだね」


 甘い言葉には気を付けよう。

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