死神の涙

 七月二十九日。小旅行から帰って三日が経った。

 あの夜、捨て石として佐藤英雄に挑んで行った彼らは……一人も帰っていなかった。


(……まあそれ自体は不思議ではありませんが)


 佐藤英雄の絶大な力。その一端で良いから引き出してみせる。

 そう意気込んで出撃した彼らは全員が自らの死を覚悟していた。

 生きては帰れぬものだと、そういう前提の下戦いに臨んでいた。

 じゃあ戦いで得た情報はどうするつもりだったのか。


 別途で監視役が居て戦いの様子を記録していた? 否。

 戦いの様子をしっかりと観察するのであれば相応の距離まで近付かねばならない。

 そんなことをすれば佐藤英雄に気取られる可能性があり何もかもがご破算になりかねない。

 だから私もあの三日間は完全な人間として振る舞い戦いの様子を遠巻きに見ることさえしなかった。

 ならばどうしたのか。戦いに臨んだ彼らが記録装置兼送信装置になったのだ。

 死をトリガーにし、その寸前までの記憶を全て私の下に送る手筈となっていたのだが……。


(何故、ただの一つの情報も私に共有されていないのか)


 私の下には僅かな情報さえ送られていなかった。

 考えられる可能性は幾つかある。


(……あの夜突然、佐藤英雄を含む全員の気配が消えた)


 見てはいなかったがそれは何となくだが分かった。

 特殊な結界か何かでどこかに隔離されたのだろう。

 そしてそこで殺されたが結界に阻まれ記憶が届かなかった。


(もう一つは佐藤英雄に目論見を看破され邪魔された可能性)


 どちらもあり得ると思うが……どうにも引っかかる。

 襲撃者の中には父ハデスとは比べるべくもないが強力な神格も居た。

 その筆頭がタナトス。彼は強大な力を持つ死神だ。

 そんな死神を捨て石に使うなんて……と思うかもしれない。私自身、そう思う。

 しかし当人が、


『ハデス様さえ敵わぬのです。出し惜しみをすれば何の成果も得られませぬ』


 と押し切られてしまった。

 そのタナトスが、だ。殺されるのは仕方ないとしてもただ殺されるだけで終わるというのは解せない。

 父と佐藤英雄の戦いの様子を聞くに佐藤英雄は戦う相手を舐め切っている。

 それが悪いことだとは思わない。あれだけの力があるのだから当然だろう。

 冥府の王ハデスさえ小馬鹿にしているのだからその部下なんて更にだ。

 その傲慢の隙を突いて僅かなりとも一矢報いることが出来たのではないか?


(買い被りと言えばそこまでですが……)


 そんなことを考えていると、


「ねえねえサーナさん。ここちょっと教えてくんないかな?」

「はい、どこでしょうか?」


 クラスメイトのカナさんの声で思考の海から浮上する。

 今日は梨華さん、カナさんと一緒に私の家で夏休みの宿題に取り組んでいるのだ。


(……まあ梨華さんの方はそろそろ限界が近そうですが)


 口の端からよだれを垂らし「あ、あ、あ」と呻きながら虚空を見つめているあたりもうダメそう。

 梨華さん曰く「一時間以上勉強してると頭どうにかなっちゃう」とのことだ。


「ここは、これをこうして……」

「ああ! なるほどね~いや、マジ助かるわ。あんがと!」

「どういたしまして。……とりあえず、ここらでちょっと休憩にしましょうか」


 冷たい麦茶を二人に出す。


「っかー! 生き返った! ありがとう女神様!!」

「アホ」


 まあ、間違いではないのだけど……女神は女神でも私死神なんですがね。


「それにしても……」

「? どうかしましたか?」

「サーナちゃんの胸、やっぱすごいなって」

「あんたさぁ……同性でもセクハラ適用されるんだからね」

「いやでもさ、テーブルに重量感たっぷりの乳が乗ってる光景って冷静に考えてやばいでしょ」

「それは、まあ……」

「こないだ海行った時にさ。一回私の頭に乗せてもらったんだけど凄かった」

「あんた何やってんのよ」


 確かにやった。どうしてもと懇願されて。

 ふるふる震えながら「わたしはつくえになりたい」とかよく分からないことを言っていた。


「何食べたらそこまで育つの? ギリシャには発育を加速させる特殊食材とかあるの?」

「そういうわけでは……」


 ギリシャへの深刻な風評被害……でもないか。

 私の姿は仮のそれではなく真実の姿だ。人外であることをバレないよう偽装を施してはあるが容姿は偽っていない。

 私をこんな姿に造ったのは父ハデスだ。ハデスくん、エッチなんです? と思うかもしれないが違う。

 死神の権能を使いこなすために敢えて相反する要素を詰め合わせてデザインされたのだ。

 女なのは女が生を象徴する出産という機能を持ち合わせているから。肉付きが豊かなのは豊穣の要素を加えるため。

 なので決してハデスがエッチだからというわけではない。


(……まあ、エロ親父の思惑が混ざってないかと言われればそれも否定し難いんですが)


 ハデスではない。別のエロ親父だ。

 具体的にはオリュンポスの主神たるゼウスである。

 ゼウスが私の誕生に直接、関わっているわけではない。その存在さえ認知していないだろう。

 だが完全に無関係かというとそうでもない。


(ゼウスの語った性癖を容姿の参考にしたそうですし)


 ウザ絡みして来たゼウスから聞いてもいないのに最近ゼウス的に熱い女のタイプを語られたらしい。

 無視すれば良い話だが父は生真面目な神だ。

 主神であるゼウスの話を聞き流すなんて無礼な真似は出来ぬと律儀に話に付き合ったそうだ。

 そんなだから絡まれるのでは? と思わなくもないが私は何も言わなかった。


「というか私としては梨華さんのようなスレンダーな体型の方が羨ましいです」

「えぇー? そー?」

「そうですよ」


 その後、私たちは結局宿題そっちのけでお喋りに興じてしまった。


「ではお気をつけて」

「うん、またね!」

「今日はありがと!」


 マンションの前で梨華さんとカナさんを見送り部屋に戻る……途中で足を止める。


「……タナトス?」


 誰も居ない静まり返った通路。

 そこにタナトスの気配を感じたのだ。いやでも、タナトス……? 何か妙な感じが……。

 困惑していると影がゆらめき、それは姿を現した。


「……ご報告が遅れ申し訳ありませぬ」


 頭から足元まですっぽり黒い外套に覆われていて表情は窺えないがやっぱりタナトスだった。

 しかし、


「……ふざけているのですか? 何ですその声は」


 あれじゃないですか。ワイドショーとかでよく見る加工された音声。


「それに謝罪をするなら外套ぐらい脱ぎなさい」

「あ、ちょ……お、お嬢様! おやめください!!」


 大鎌を召喚し一閃。外套を切り裂き中から現れたそれを見て私はこれでもかと目を見開いた。


「た、タナトス……?」


 タナトスは男で、それもかなり整った顔立ちをしている。

 しかし外套の中から現れたのは女。それもかなりの美女。

 それだけでも十分驚きだが……。


「な、何故裸……?」


 いや正確には違うか。局部がリボンで隠されている。

 これはそう……あれだ。エッチな漫画で見た私をプレゼント♪ ってあれだ。


「ッッ……!!」


 え、泣いた!?

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