後継

 五年前、私は生まれた。

 特殊な出生でペルセポネ様さえ私の存在は知らず知っているのは父ハデスと腹心の部下数名のみ。

 数か月前。父がギリシャを発つ際、こう言った。


『お前は私に万が一のことがあった場合の保険だ』


 普通の子供であればショックを受けたのかもしれない。

 だが私は普通の生まれではないのでそうかとしか思わなかった。

 ただ疑問はあった。


『万が一、とは? というかそもそもハデス様は何をなさろうとしているのですか?』


 保険というのであれば果たすべき役目があるはずだ。

 しかし私はそれを聞かされていなかった。


『……言ってなかったか』

『はい』


 父は結構、天然だった。

 どうやら父の中では私は何もかもを納得済みで話を聞いていることになっていたらしい。

 死神としての職務や権能の使い方。常識。

 ペルセポネ様の目を盗んで手ずから教育してもらっていたが目的とかそんなのは一度も聞いた覚えはない。


『んん! では改めて説明しよう』


 少し恥ずかしそうに父は語り始めた。


『人に死への敬意を思い出させる。それが私の目的だ』


 かつては出産も命懸け。

 そして命懸けで産んだ子供が十まで生きられるのも稀なほど死は身近なものだった。


『それが今はどうだ? 今でも出産の際に命を落とす者も居るし若くして命を散らす子も居るには居るが』


 かつてのそれとは比べ物にならない。

 五十年生きるのもやっとだったというのに今は百を数えることもそう珍しくはない。


『人はその叡智で以って只管に死を遠ざけ続けて来た。

ああ、人の叡智そのものは否定せん。賞賛されて然るべきものだろう。

だが、死を軽視することは決して許されるものではない。許されてはならんのだ』


 父は言った。しかしどうだろう?

 人は今も昔も変わらず死を恐れ続けているのでは? 私の問いに父はゆるゆると首を横に振った。


『違う。違うのだ。それは死を嫌い目を逸らさんとする感情の発露であり敬意ではない』


 死は生の総決算。厳かなものである。

 目を逸らさず見つめ続けねばならない。であるからこそ生は輝きを放つのだと言う。


『叡智を以って死を遠ざけたがゆえ逃避が容易になった。

まだ死なない。まだまだ先のこと。今の自分とは無関係だ。逃避し向き合うことさえしないのが今の人間の実情だ』


 ゆえに父は世界に死を氾濫させようとしているのだとか。

 ただその目論見は上手くいっていないらしい。


『十五年ほど前か。いざ大義を果たさんと表舞台に出たのだが、ある人間に阻まれた』

『……人間に?』


 素直に驚いた。

 強い人間というのは確かに居るだろう。中には神を超える人間も。

 しかし父はオリュンポスの最高神の一柱でしかも死神だ。

 人間相手に止められるとは到底、思えなかった。


『死の権能はお使いになられなかったので?』

『通じなかったのだ』


 そうなると権能抜きで戦ったわけか。

 だとしても冥府の王ハデスをどうにか出来るとは思えないが……父の顔を見るに事実なのだと納得した。


『……奴とは幾度も戦ったが一度たりとて敵わなんだ』


 苦々しげに吐き捨てた。


『とは言えその絡繰りは暴いたがな。……閻魔の権能を奪取する手筈も整えた以上、奴は終わりだ』

『はぁ……ところで、万が一についての疑問にまだお答えしてもらっていないのですが』

『む、そうだな』


 死神であるがゆえ父は死なない。死んでもいずれ復活する。

 真なる死とはほど遠い父をどうにかしようと思えば封印しかないが……それもどうなのか。


『今語った人間だ。奴を殺せはするだろうが……私が無事であるとは断言出来ん。

奴は強い。初めて会った時から尋常ならざる強さだったが今はもう……』


 はぁ、と溜息を吐き父はこう続ける。


『単純な暴力で言えば最早、奴に敵う者は誰も居ない。仮にオリュンポス全てを相手取っても奴が勝つだろう』

『……?』

『おいやめろ、私の額に手を当てるな。熱があるわけではない』

『では冗談ですか? 言い難いのですがもう少し諧謔について勉強するべきかと』

『冗談でもない! 純然たる事実だ!!』


 ひとしきり私を叱り飛ばした後で父は神妙に告げた。


『……まるで底の見えぬうろを覗き込んでいるかのようだった。

一神話の最高神クラスの目でも測り切れぬ力。或いは奴であれば死神を殺すなどという真似さえやってのけるかもしれん。

権能によって死を与えても息絶えるまでの間に私を……というのも、奴であればと思ってしまう』


 正直、半信半疑だった。

 だが結局、父は帰っては来なかった。本当の意味で……死んだのだ。

 私に権能が渡ってゼウス様とペルセポネ様がそう認定した以上、事実なのだろう。

 私は父の部下に連れられ日本に行くことになった。

 父の遺志と権能を継いだ以上、いずれ父を殺した人間……佐藤英雄と戦うことになるからその弱点を探るためだ。

 佐藤英雄と親しい西園寺梨華さんという女の子と同じ学校に通うことになり、接触を果たすことに成功したのだが……。


 “底の見えない虚を覗き込んでいるようだ”


 父のその言葉の意味を心底から理解した。

 見た目はどこにでも居そうな普通の中年。

 だが見るものが見れば嫌でも分かってしまう。

 広大無辺。そうとしか言いようがない。本当に人間なのか?


「ほれサーナちゃん、肉焼けたべ」

「ありがとうございます」


 茶目っ気のある笑顔と共に差し出された皿を受け取る。

 本当に気の良い人間にしか見えないのに……。


(力も、そうだけど)


 死に対する捉え方。

 父が悪し様に罵っていたので聞いてみたのだが、


『死ってのはさ。双子の兄弟とか自分の半身みたいなものだと思うんだわ』


 それは死を畏れ敬うべきという父の思想とは正反対のもの。

 では何の理もないのか。真面目に向き合っていないのかと言えばそれも否。

 死神ハデスの権能を継いだ私としても納得が出来ないものではなかった。

 そして思い知らされた。死というものをどう思う?

 そう問いを投げた私自身が明確な答えを持っていないということに。

 私の死に対する考え方は父の受け売りで、そういうものなのだと思っていたが……。

 佐藤英雄の真摯な答えをぶつけられたことで途端に薄っぺらく思うようになってしまった。


(それはきっと、自らの裡から湧いて出たものではないから)


 正直な話、佐藤英雄に対する悪感情はかなり薄れていた。

 かと言って父の仇ではあるし、その遺志を捨て去るほど割り切れてもいない。

 今宵、父の同志が大勢……私のために、大義のために命を散らすというのにこんなフワフワした気持ちのままなんて……。


(私は、どうすれば良いのでしょう……)


 私は五歳児なのだ。あまり難しいことを考えさせないで欲しい。

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