番外編 怪物と死神
十五年ほど前のことだ。
ギリシャ神話における冥府の王、ハデスが日本への侵略を始めた。
彼が率いる死神の軍勢に政府直轄退魔機関、互助会、その他多くの組織が一時的に同盟を組んで対抗。
軍勢相手には良い勝負をしていたものの、本丸であるハデスをどうにかしない限り戦いは終わらない。
本丸へ攻め込むことになったのが当時はまだ駆け出し社会人の佐藤英雄であった。
「たった一人? 私も随分と舐められたものだな。つくづく平和ボケした国だな」
まだスーツに着られている若き佐藤に嘲笑を浴びせかけるハデス。
彼を責めることは出来ない。確かにこの時の英雄も人類の上位層ではあったが最強ではない。
この時点での彼我の戦力差は7:3といったところか。
油断すれば負けかねないが逆に言えば順当に行けば普通に勝てる相手なのだから。
「っせえ。他の戦場が片付いたらこっちに援軍回ってくんだよ」
「ふむ? 逐次投入とは愚かな……いや、私に仕掛けることで他の戦線の混乱を狙ったか」
愚かな、と再度ハデスは嗤った。
自らの部下がその程度で揺らぐことはないという自信ゆえだ。
「……一つ、聞くぜ」
「良かろう。その蛮勇に免じ答えてやろうではないか」
「テメェらの目的は分かった。理解は出来ないがな。だが何故、日本を戦場に選んだ?」
他の死神からハデスのやろうとしていることは既に聞いていた。
世界に死を溢れさせることで死への敬意、権威を取り戻す。人間からすればはた迷惑極まることだ。
理解は出来ないが、まあ目的は分かる。しかし何故、その先駆けとして日本が選ばれたのか。佐藤はどうしてもそこが分からなかった。
「知れたこと。この国が最も平和ボケしているからだ」
戦火とは無縁の豊かで平和に溺れた国。
もしそこで死の嵐が吹き荒れたのならば世界は冷や水をぶっかけられるだろう。
日本の平穏は日本だけの平穏ではない。
外国の人間からすれば日本人は平和ボケしているなどと小馬鹿にされるが、だからこそである。
そう罵る彼らにとっても日本という国とそこに住まう人はある種、平和のシンボルの一つなのだ。
「……何て、はた迷惑な」
「で、聞きたいことはそれだけか? であればかかって来い。私も些か身体が鈍っているのでな」
「調子ぶっこきやがって……悪いが今日の俺は最高に機嫌が悪い。ただじゃ済まさねえぞ」
佐藤は今日、会社でミスをした。
叱られはしたものの上司や先輩も気にするな。これぐらいは誰だって経験するものだと慰めてくれた。
しかし、他ならぬ佐藤自身が己を許せなかった。
些細な……本当に些細なことで防げたミス。あまりにも情けない。
ピッカピカの新社会人は必要以上に自分を責めがち。
後に人を導く立場になった佐藤が見出した法則は本人にも適用されていた。
しかし、佐藤は並の新人とは違う。押し付けて良い相手を見つけたのなら遠慮なくそこに全部押し付けてしまえる。
仕事でミスをしたのも経済が低迷しているのもゴミ捨て場がカラスに荒らされるのも弁当買ったのに箸がついていなかったのも、
「――――全部お前のせいだ」
佐藤は世のありとあらゆる不都合の理由をハデスへ押し付け理不尽な義憤を燃やした。
「くたばれ骸骨爺!!」
そして八つ当たりという名の戦いが始まった。
ハデスの見立て通り、戦況はハデス有利に進んだ。
しぶとく粘ってはいるものの付け入る隙を見いだせず佐藤はじりじりと追い詰められていった。
三十分ほど経った頃だろうか? ハデスは一度、大きく頷いた。
「今を生きる堕落した人間ながら見事な強さよ。であればこそ、私も敬意を払おう」
死神の力。死の権能を以って葬る。
ハデスは権能を発動し死の棺に佐藤を閉じ込めた。
「……驚いたな。抗ってみせるとは」
死の権能は問答無用で死という結果を与える力だ。
それに抗ってみせたことにハデスは驚きを覚えていた。
――――が、こんなものはまだ序の口でしかない。
「しかし無駄だ。少しばかり先延ばしにしたところで貴様が人である以上は逃れ得……」
バキン、と気の抜けた音と共に棺が砕け散った。
そして中からは多少ボロボロだが未だ生命力に満ち満ちた佐藤が現れる。
乱れた髪をかき上げながら佐藤は言う。
「ボスが即死技使うなよ。萎えるだろ。俺はゆとり世代のヌルゲーマーなんだよ」
「…………ありえぬ」
驚愕に震えるハデスを無視し佐藤は一本のアンプルを取り出し、
「~~~き、効くぜぇ……ッッ!!」
首筋に押し付け中身を一気に注入。
錬金術で作られた強化薬だ。絵ヅラはアレだが用法用量を守れば無害なので問題はない。
「――――さあ、仕切り直しだ」
得物を構え、仕切り直しを宣言。再度、戦いが始まった。
死の権能が通じない。その動揺でハデスは当初、動きに精細を欠いていた。
しかしそこは神。直ぐに持ち直しそれならば地力で押し切るまでと攻勢を強める。
(どういう、ことだ……!?)
しかし攻め切れない。佐藤が強くなっているのだ。出力だけではなく技術も含めて。
ドーピング? いや違う。ドーピング自体は棺に閉じ込める前も使っていたのだから。
当初の見立ては7:3。しかし今は6:4。戦いを再開してまだ十分と少しだぞ?
(潜在能力が花開いた? 違う!!)
十五分。戦力差は5:5。
五分……ここまでならまだ土壇場で覚醒したと言えなくもない。
(こ、これはそんな……そんな生易しいものではない!!)
十七分。4:6。遂に天秤が逆に傾いた。
十八分。3:7。
十九分。2:8。
十九分と五秒。1:9。
(進化!? 違う……違う違う違う!!!!)
神たるハデスは知っている。あらゆる命には先へと進むリソースが備わっていることを。
中でも人間という種族が進化のために使えるリソースは中々のもの。
個体によって多少増減はするが……では佐藤はそのリソースを使って力を得た? 違う。
個人どころか種族全体のリソースを注ぎ込んだとてここまで急激に力は得られない。
何より進化していたのであれば現行人類の型から外れるはずだ。
佐藤英雄は本当に、ただただ強くなっているだけ。
何の理由もなしに。余人が同じことをすれば払って然るべき代金を払わず何もかもを踏み倒して強くなっている。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
二十分。0:10。可能性は完全に潰えた。
「こんなもんか」
ハデスの渾身の一撃は佐藤の肌に掠り傷の一つさえつけることも出来なくなっていた。
「き、貴様は……貴様は何なのだ!?」
ハデスの目には最早、人は消えていた。
目の前に居るそれを何と呼ぶ? 得体の知れぬナニカ。神をしてそう表現するしかないのだ。
ハデスに自覚はないだろう。しかし、その心は恐怖に蝕まれていた。
敗れることにではない。一時的に殺されることではない。理解の及ばぬ存在が只管に不気味だからだ。
「佐藤英雄十九歳。若葉マークの営業マンだ」
見上げていた瞳は今や、完全にハデスを見下していた。
それがこの状況を何よりも雄弁に語っていると言えよう。
「さて、このままトドメを刺しても良いが……その前に!!」
「がっ!?」
突然、佐藤は倒れ伏すハデスから骨を毟り取った。
「な、何を……!?」
「お前らは本当の意味で死なないんだろ? じゃあ別の形で落とし前をつけないとな~?」
親友二人との訣別を経て佐藤のDQN度は急激な低下を見せていた。
しかし、まだ未成年。完全に消えたわけではない。
「狩りゲーって知ってる? 倒したモンスターから素材を剥ぎ取ってそれで武器や防具を作るゲームがあんのよ」
「き、貴様! 私の身体を……!?」
「冥府の王から剥ぎ取った素材だ。そりゃ~良い武器が作れるんだろうなぁ! キャハハハハ!!」
これが佐藤英雄とハデス。二人の因縁の始まりだった。
ちなみに剥ぎ取った素材だが日々の忙しさで放置され十五年後も異空間の片隅で眠っていたりする。
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