死を継ぐ者

 昼休み。俺は外で食うと言って会社を抜け出し裏の人間が営む喫茶店に足を運んだ。

 外食の気分ではなかったのだが呼び出しを受けてしまった以上、仕方ない。


(……相手が相手だからな)


 無視するのもちょいと居心地悪い。

 シカトぶっこいたところで何があるってわけじゃないんだろうが心情的にな。


「ああ佐藤さん。奥の席でお待ちですよ」

「あいよ。ああそうだ、カフェオレ頼むカフェオレ」


 会うと決めた以上、飯食いながらでは流石に失礼だろうと飲み物だけを注文し席へ向かう。


「はじめまして、で良いのかしら?」

「っすね。いや俺もあなたのことは知ってますがね」


 紫髪の妖艶な女が薄く笑みを浮かべながら俺を迎える。

 片目が前髪で隠れてるのが地味にポイント高い。色気があるよね。

 “人妻”相手なので口説くつもりは毛頭ないが……いや、事によっちゃ“未亡人”かな?


「んで今日は俺に何の御用で? 旦那の仇を討ちに来たのかい――――女王“ペルセポネ”」

「ふふ」


 ペルセポネ。またはペルセポネー、ペルセフォネ。

 ゼウスとデメテルの娘にしてハデスの伴侶である女神の名だ。


「何がおかしい?」

「そりゃあ笑うわよ。わざわざド直球で聞く? そんなこと」

「気ぃ遣うべき相手にゃ俺も言葉を選ぶさ」


 俺は日本人だからな。ギリシャの神々には別に世話になってないもん。

 むしろ迷惑をかけられた割合の方が大きい……んでその厄介さん筆頭がコイツの旦那だし。


「傲岸ね」

「自慢じゃないが俺は高校の頃、DQNと呼ばれていた男だ」


 いやホント自慢じゃねえな。ただの恥だわ。ってか今もか。

 大人になって取り繕うことを覚えたけど根っこのとこは変わってない気がする。

 まあでも今も昔も敵ぐらいにしかアレな行動はしてねえ……よな?


「どきゅ……?」


 神様に日本の俗語は通じんか。そりゃそうだ。


「まあそれはさておき、まずは誤解を解いておきましょうか」

「誤解?」

「あなたへの恨みからここに呼び出したわけではないわ。むしろハデスの企てを阻止してくれたことに感謝しているぐらいよ」

「……あんたもアレと同じ考えじゃないのか?」

「彼の企てが成っていたら人間社会に深刻な混乱が巻き起こっていたわ」

「あんたはそれを望んではいない、と?」

「人間を好ましく思っていないならこんな格好しないでしょ」


 言われて気づく。ペルセポネの装いは上から下までバッチリ、ブランドで固められていることに。

 あまりにも自然な着こなし。それは一朝一夕で身に着くもんじゃない。

 当人のセンスもあるが、ここまで堂に入ったレベルはセンスだけじゃ無理だ。

 長年、そのブランドの服やら小物やらを愛用してないとな。


「……理解はした。確かにアレの計画通りに事が進めばブランドどころの話じゃねえからな」


 今日食う物を気にしないといけないレベルになっちまう。

 薄れてしまった死への敬意、権威を取り戻す……死神としちゃ当然のことかもしれんが……。


「とは言えハデスに対する愛情がないかと言われればそんなこともないのだけれど」

「……マジで?」


 ハデスの敵討ちに来たんじゃねえのか?

 そう問いはしたが俺はそれが伴侶への愛情に起因するものだとは思っていなかった。

 冥府の女王としての面子を守るためだと……神様ってのは往々にしてプライドがたけえからな。


「あんた、ハデスを愛してたのか?」


 夫婦なんだから当然じゃね? と思うがこの夫婦の馴れ初めを聞けばそう思うのは難しい。

 分かり易く説明するとこんな感じだ。


 ハデスくん「兄貴の娘に惚れたやで。嫁にくれへんか?」

 ゼウスくん「ええで」

 ハデスくん「よっしゃ! ほなら二度と実家に帰れんよう拉致ったろ!」

 ゼウスくん「ええで」

 デメテルママ「ざけんな殺すぞ」


 ふざけてるわけじゃない。マジで大体こんな感じなのだ。

 おめー、現代でこんなんやってみろ。社会問題になるわ。連日ニュースで取り上げられるわ。

 いや昔でもかなりアレだろ。こんな馴れ初めで結ばれた夫婦に愛があるとか誰が思うよ。


「人の尺度で神を測るのは傲慢ではなくって?」

「そう言われてもな……あんたが不満たらたらな逸話も残ってるし」

「まあ長いこと夫婦をやっていれば色々あるのよ色々」

「しかし愛があるってんなら尚更……いやまだ奴が完全に消滅したと確定したわけじゃないけど」


 俺の言葉にペルセポネは、


「いいえ。彼は本当の意味で消滅したわ。分かるのよ、夫婦だもの」


 冥府の女王の言だ。理屈は知らんが一定の信憑性があると見て良いだろう。


「……それでも、俺に恨みはないのか」

「夫婦だからこそ譲れない一線もあって、それを先に越えようとしたのはハデスの方よ」


 そして人間の俺がハデスを排除した理由にも納得が出来るからとペルセポネは言う。


「……ギリシャ神話の女らしからぬ物分かりの良さだな」

「失礼な人間ね。ああそうそう、ついでに言っておくと下っ端はともかくゼウスたちもあなたに含むところはないわよ」

「そうなのか?」

「ハデスが半ば暴走気味だったのは周知の事実だったし、仕方ないってのが大体の見方よ」

「そうか」

「アテナなんかはむしろ、あなたを好ましく思ってるみたいだけど」

「強いから?」

「強いから」


 嬉しくねえなぁ……モロ地雷女じゃんアテナ。

 いやギリシャ神話の神々なんて殆ど地雷ばっかだけどさ。

 だからこそヘスティア神みてえなぐう聖が際立つんだが。

 泣いてる甥っ子に十二神の座を譲ったり炉の女神として人々の生活に寄り添い続けるとかイイ女じゃないの……。


「アテナは置いといて……結局、何のために俺に会いに来たんだよ」

「警告よ」

「警告?」

「……ハデスは消滅した。それは事実。でも彼が死んだからとて冥府が消えるわけじゃない」

「だろうな」


 冥府はあくまでハデスの領土ってだけで連鎖して消えるようなもんじゃない。

 もしそういう仕組みなら俺に依頼した連中もハデスを消せとは言うまいよ。


「だから冥府の女王たる私がハデスの後を継ぎ冥府を治めていかないといけないのだけれど」

「けれど?」

「……彼の権能が私に譲渡されてないのよ」

「うん?」

「木っ端ならともかく最上位の死神であるハデスが完全な死を迎えるなんて前代未聞のことだからそのせいかもしれないけど」


 ハデスは生真面目な男だ。

 万が一には伴侶である自分に権能が渡るよう準備をしていてもおかしくはない。

 にも関わらずそれがないのだとペルセポネは言う。

 冥府の運営に支障は出ていないらしいが……。


「つまるところあんたはアイツが別の誰かに権能を渡した可能性があるって言いたいわけだ」

「ええ。そしてその誰かは……」

「ハデスの掲げる大義も継承している可能性がある、と」

「そういうこと」


 め、めんどくせえ……。


「しかし、わざわざ俺に警告する義理がそっちにあるのかね?」

「オリュンポスとしてはあなたと事を構えるつもりはないの」

「……あぁ、そういう輩が出た場合、自分たちとは無関係だって言いたいわけね」

「そ。だからゼウスの名代として私がやって来たの」


 ハデスの妻であるペルセポネに直接、隔意はないと明言させようってか。


「ハデスを始めとしてオリュンポスの神々の幾らかが散々あなたに迷惑をかけてるからこっちもピリピリしてるのよ。

ただでさえ馬鹿みたいに強いのに死神に真の死を与えるなんて出鱈目な真似までされたから黙っているわけにもいかないでしょ」


 ふぅと溜息を吐くペルセポネ。


「さて。話はこれで終わり。用事があるからそろそろ行くわ。ああ、ここの勘定は私が持つから」

「ああ。ちなみに用事って?」

「ナンパと観光。晴れてフリーになったし楽しもうかなって」

「……」

「じゃ、そういうことで」


 ペルセポネは颯爽とこの場を去って行った。


(は、ハデスくん……)


 俺はちょっと泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る