わたしの宝物
途中自販機で飲み物を購入し近所のロクに遊具もない小さな公園へ向かった。
人気のないところなので気兼ねなく話が出来るとのことだ。
人払いはこっちでも何とか出来るし、何なら家でも話せるのだが……百合さんの側が気まずいだろうと好きにさせた。
幾ら話聞いてないつっても子供らが居るとこでしんどい話はしたくないわな。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
お茶を渡したが百合さんは開けようともせず握りしめたままだ。
俺は構わず缶を開けコーヒーで舌を潤す。
(……俺から何か切り出すべきか? いやでも話があるのは百合さんなわけだしな)
どうしたものかと悩んでいると百合さんがぽつりと切り出した。
「……何となく察しがつくかもしれませんが」
「はい」
「私、若い頃は結構やんちゃ――いやもう言葉を飾らず言うと馬鹿やってました」
おっといきなりドストレートが飛んで来たぞ?
何となく話の運び方が予想出来たけどちょっとあの、反応に困るですぅ。
「客観的に言えば恵まれてて不満なんて贅沢だなって立場なのに何もかもが気に入らなくてグレてたんです。
家には殆ど帰らなかったし補導も何回もされて、両親にも何度も頭を下げさせちゃいました。
それでもロクに反省もせず遊び歩いて……十六の頃、光を産んだんです」
百合さんのご両親はおろせと言ったらしい。
それは我が子の苦労が目に見えているからだろう。しかし若い彼女はそれを受け入れなかったのだとか。
「宿った命を粗末にしたくない、なんて立派な理由じゃありません。親への反発です。馬鹿でしょう?」
「……そうですね。俺も人のことを言えるほど立派じゃありませんが昔の百合さんほど馬鹿たれではなかったつもりです」
厳しいなぁ、と百合さんは笑った。
ここで下手にフォロー入れるのも違うだろうと思ったが正解だったらしい。
「男と逃げて二人暮らしを始めたんですが……これがまあ、ロクでもない男でして。
学生を孕ませるような大人なんてそりゃロクデナシだろうって話ですが馬鹿な私はそんなことにさえ気づかなかった。
酒に酔って暴力は振るうし、金遣いも荒い。光を産んで半年ほどで限界になって親元に帰ろうとしたんですが……拒否されました」
見限られた、か。
いやここで痛い目を見なければ本当にダメになると敢えて突き放した線もあるか。
「実家に拒絶されたら行くところもないと結局、男の下に帰りました。
自分しか頼る人間が居ないというのを見抜いてたんでしょうね。もっと扱いが酷くなりましたよ。
今でこそ行政に助けを求めるとか抜け出す方法は色々思いつきますけど……」
「ロクに勉強もしてなかった社会を舐めた小娘には分かろうはずもない、と」
「仰る通りです」
……さっきもそうだが百合さんは責められたいんだな。若さゆえの過ちを。誰かに叱ってほしいんだ。
それは子供たちへの罪悪感から来るものだろう。
その方が気が楽になるならそうさせてもらうが……言う側としては結構、しんどいものがある。
「そんな地獄を抜け出す切っ掛けとなったのが藍と翠を妊娠した時です。
元旦那が妊娠中の私に暴力を振るおうとしてまだ小さかった光が身を挺して私を庇ってくれたんです。
おかあさんはぼくがまもる……その言葉を聞いた時、私何やってるんだろうって心底自分が情けなくなりました」
それから光くんを連れ再度実家に逃げ、せめて子供だけでもと言って一時の許しを得たそうだ。
そこで必死に勉強して学校に通い看護師の資格を取得して自立したのだと言う。
「今も決して余裕がある生活ではありません。子供たちにも苦労をかけて申し訳ないと思っています」
それでも、と百合さんは真っ直ぐな瞳で告げる。
「――――私は幸せです」
それは何故って? 決まってる。
「子供たちが居てくれるから。あの子は私にとって命よりも大切な宝物なんです」
だから、と声を震わせる。
そこからは言葉が続かなかった。こりゃ互助会から説明に来た奴が相当厳しい奴だったっぽいな。
頭では納得してるけど、剥き出しのリアルをぶつけられたせいで恐ろしくて恐ろしくてしょうがないのだろう。
「……百合さん。光くんは俺のこと何て説明しました?」
「え? えっと、危ないところを助けてもらってそれからも色々お世話に……あ、ごめんなさい!」
「ああ、お礼とかは良いんですよ。しかしそうか。やっぱそういう風に誤魔化してたわけね。あの子らしい」
「あ、あの……誤魔化すって……」
「確かに俺は危ないところを助けた。それは嘘じゃない。でも光くんは一つ隠し事をしてる」
ただでさえ悪かった顔色が更にひどいものに。
申し訳なく思うが、すまん許してくれ。
「怪物に襲われた時ね。光くんは同じ場所に居た見ず知らずの女の子を身を挺して守ろうとしてたんですよ」
「ッ……」
「他人のために命を懸けられる。美しい話だ。でも、他人にとっては美談でも親からすりゃ複雑でしょう」
生き残れたなら良い。しかし、死んでしまったら?
息子を誇りに思いますなんて割り切れるか?
我が子が命を懸けて守った誰かを憎まずにいられるか?
人間は弱い。頭じゃ分かっていても感情が納得出来ないことは幾らでもある。
「光くんを絶対に守る。なんて口が裂けても言えません。俺は神様でも何でもないし俺には俺の都合もある」
「……」
「自分から死に近付く馬鹿を守れって言われても無茶を仰るとしか言えねえ」
唇を噛み締め俯く百合さんにすっげえ胸が痛むけど……まあ最後まで聞いてくれ。
「でも一つだけ、約束します」
それは百合さんを気遣ってでもなければ光くんのためってわけでもねえ。
俺がそうしたいと思ったからそうするんだ。
「そんな馬鹿な生き方を貫きながらも、ちゃんと家族の下へ帰って来れるように全力で光くんを鍛えます」
「佐藤、さん……」
顔を上げた百合さんに笑いかける。
「俺がそう思ったのは百合さんの身の上話に同情したわけでも、大人としてそうすべきだと思ったからでもない。
暁光って一人の男の在り方を好ましいと思ったから。彼が男を貫けるよう手助けをしてやろうって決めたんです」
色々負い目はあるんだろう。でもこれだけは確かだ。
「それはあなたがあの子をここまで立派に育て上げたからでもあるんですよ」
「わたし、が?」
「ああ。百合さん、過去を反省するのは結構だがね。必要以上に負い目を抱くのは違うよ」
間違いを犯したら一生、ダメなままか? 違うだろ。
中にゃ取返しのつかねえこともあるかもしれねえがよ。全部が全部そうってわけじゃねえんだ。
「――――胸を張んな、あんたの宝物はピッカピカに輝いてる」
堪え切れず、泣き出す百合さん。でもそれはネガティブなもんじゃないと思う。
俺は彼女が泣き止むまでじっと傍に寄り添い続けた。
「……すいません、お見苦しいところを」
「女の涙を見苦しいなんて言う奴ぁ、男失格ですよ」
まだ不安はあるのだろう。それでも幾分晴れやかになった顔で百合さんは言った。
「息子を、よろしくお願いします」
「ええ」
そこで真面目な話は終わったがこのまま解散とはならなかった。
こんな顔で戻れねえってことで少しばかり雑談をすることになったからだ。
「ほう、やっぱ看護師さんってのは大変なんですねえ」
「ええ。身体が資本だからそこが崩れるともう、地獄です」
ふと、思った。
(夜。人気のない公園にシンママ連れ込むとか傍から見れば結構……いや深く考えるのはよそう)
俺は都合の悪い事実からそっと目を逸らした。
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