裸の心で

 賑わいから離れた土手の上。奴と俺はあぐらをかき遠巻きに宴の様子を眺めていた。

 ……流石にパンツは穿いた。


(……何だこの状況)


 皆も何かを察したのだろう。それでも触れずに居てくれた。

 その温かな心遣いのお陰で俺の中で燃えかけていた怒りとかそういう感情は鎮火している。

 が、なまじフラットな状態に戻ってしまうとどう接すれば良いか分からねえ。


「……見違えたね。あの頃とは比べものにならないほど君は強くなっているようだ」

「……その口ぶり、あんた裏から足を洗ったのか?」


 裏に居れば俺の話は嫌でも耳に入るはずだ。

 にも関わらずこの態度。千佳さんと同じく裏から距離を取っていたとしか思えない。


「ああ、君に敗れてそのままな」

「お前ほどの男だ。生きてたんなら再起も狙えただろうに」


 コイツの名は 柳 誠一やなぎ せいいち。かつて混沌の軍勢の首魁を務めていた男だ。

 実力もさることながら求心力もあり、真なる混沌なんて思想を掲げてる組織のくせに団結力はピカイチだった。

 逆に真世界の方は星の落とし子たちによる絶対の秩序を敷くとか言ってたわりに首魁は実に荒々しい男で内ゲバも多かった。

 ……ともかくだ。俺に敗れたとはいえ生きていたのだ。柳の才覚ならば十分、再起は出来たはずだ。

 現に当時の下っ端どもは水面下で再起を図っていたしな。


「…………その意思がなかったと言えば嘘になるな」

「なら何故?」


 俺が問うと柳は小さく笑い、語り始めた。


「大願を目前にしての敗北。それだけでも堪えるのに、だ。

阻んだのはよりにもよって主義も主張も何もない、ただ強いだけの少年。

真世界の連中に負けた方がまだマシだった。心底から打ちひしがれたよ」


 ひでえ言い草だ。でも本当に酷いのは何かって反論出来ないのが酷い。

 ただ強いだけ。俺を表現する上でこれほど的確な言葉はあるまいよ。


「だが凹んでいる暇はなかった。君は私を見逃したが、他の有象無象は違うだろう?」

「ああ。むしろそれが狙いだったしな」

「やっぱりか」


 あの頃の俺は尖っていた。

 まがりなりにも自分を倒した相手ではなく、その他大勢に寄って集って殺されれば良いと思ったのだ。

 その方が屈辱的だろうと。だから命を取らずに見逃した。

 その後死んだという話は聞かなかったがその影がちらつくこともなかったので俺含めて大概の人間は死んだものだと思っていた。

 まあ生きているので俺の目論見は外れたわけだが。


「メンタルだけではなく肉体面でも大きく傷ついていた。長引くよう調整したんだろう?」

「そうだな」

「死骸にたかるハイエナのような連中に殺されたくはないから逃げたよ。ボロボロの心でな」


 裏の世界には居られなかったと言う。

 そりゃそうだろう。個人でやってく分にはそこまで厳しくもないが徒党を組めば話は変わる。

 息を潜め機を窺っていた連中は池に落ちた犬は叩いて殺せと言わんばかりの勢いで落ち目になった柳を狙ったはずだ。

 何せ一度は日本における裏の二大勢力にまで組織を押し上げた男だからな。

 再起する前に何が何でも殺してやろうとなったはずだ。


「国外に逃げることも考えたが、それは読み易い。裏をかいて国内に留まることにした。

と言っても裏にも居られないが表でも普通の場所には居られない。結局、流れ着いたのはこういう場所だった」


「……なるほど」


 確かにそうだ。あの柳がまさかホームレスに紛れているとは夢にも思うまいよ。

 それで追手の目を逃れられたんだからコイツの判断は正解だったわけだ。

 つくづく有能な男だよ。反吐が出るぜ。


「屈辱だった」

「だろうな」

「だが逆境こそが人を強くする。お陰で私はひと月ほどで野心を取り戻すことが出来たよ」


 メンタルつええ……。


「とは言っても直ぐにどうこうは出来ない。力は戻ってないし回復しても十年は裏には戻れんだろうことは分かっていた」


 そして冷静。

 ああ、そりゃガキの浅知恵程度では殺れんはずだと俺はかつての浅慮を自覚した。


「私は何時かの再起のため全国の浮浪者のコミュニティを渡り歩き逃げ続けた。

良いことなんて数えるぐらい。悪いことの方が圧倒的だった。まあそのお陰で野心を絶やさずに済んだのだが」


 ?


「……同時にある感情も芽生え始めていた。いやもう言葉を飾らず言おう。人の優しさに絆された」

「それは、また」

「悪いことの方が多かった。しかし、だからこそ良いこと――人の優しさが身に染みた」


 同じ最底辺の暮らしにも関わらず見ず知らずの流れ者にすら優しくしてくれる。

 全員がそうだったわけではない。そんな奇特な輩は少数だ。

 しかし、どこに行ってもしばらく留まっていればそういう輩に出くわすのだと柳は笑った。


「つまるところ余計なお節介だったんだよ、私のやっていたことは。

このままでは人は堕落し、目もあてられぬ状態になる。ゆえに私は混沌を望んだ。

混沌の泥の中でも折れず曲がらず足掻き続ければやがて花咲くこともあろう。

そして咲いた花は他者にも影響を与えていくはずだと……ふふふ、我ながら何と浅い見識か」


 自嘲するように、しかしどこか楽し気に。

 柳の横顔を俺は間抜け面を晒して見つめることしか出来なかった。


「酷く突き放さずとも、強く縛らずとも人はやっていけるのだと私は悟った」


 そしてその時、あれだけ強く燃えていた野心が嘘のように消え失せたのだと言う。


「その結果が今のあんたってわけか」

「ああ」


 少しの無言の後、俺はこう切り出した。


「……あんたの才覚なら支援団体の一つでも立ち上げられるんじゃねえか?」


 流石に国の中枢にまで手を伸ばして大幅変化を、ってのは難しいだろう。

 だが国家規模でなくてもそれなりの金の流れを作り上げられるはずだ。


「最低限の土壌があればな。今の私には戸籍すら存在しない。敗北した際に抹消されたからな」


 裏に戻れば戸籍の一つぐらいは手に入れられるだろうがそれも難しい。

 最初はバレずともどこかで正体が露見すれば手を差し伸べたい人々に害が及ぶ。

 それだけの恨みは買ってきたと柳は苦笑する。


「……なら、あんたの立場を保証すれば問題はないわけだ」

「何?」

「あんたは知らんだろうが俺ぁ、これでも今じゃ裏の最強なのよ。何度も世界の危機を救って来た」


 借りは幾らでもある。

 加えて因縁のある俺が柳のバックにつくとなれば表立って文句を言える奴はいねえ。

 裏で何かしようとする奴は出て来るだろうが、環境さえ整えば柳が何とかするだろう。

 仮に何とかならんでも俺に被害が出ることはない。

 千佳さんや梨華ちゃん、光くん、会社の皆……今、俺が守りたいと思ってる人ら。

 そこに手を出して不興を買うような奴はそうそう居ない。

 まあ中には居るかもしれんが柳ほどの男を自由に使えるメリットの方が大きい。


「……解せないな。何を考えている?」

「あんたらのせいで俺はダチを失う羽目になったんだからな。そのことを許すつもりはねえ」


 でもそれはそれ。俺だって何時までもガキのままじゃねえんだ。

 過去は許せずとも、現在と未来で譲歩することぐらいは出来らぁね。

 少なくとも今の柳とならば俺も割り切って付き合うことは出来る。


「何のために?」

「勿論単なる善意じゃねえよ? ギブアンドテイクさ。フリーの知恵者の力が欲しいと思ってたとこなんだ」

「……」

「で、どうする?」

「……私に損はない。しかし、君はそれで良いのか?」

「良くなきゃこんな話、持ちかけねえよ。ちゃんと考えた上での結論だ」

「……根っこのふらついた部分は変わっていないようだが……あの子供が、ここまで大人になるとは……感慨深いな」


 うるせえよ。


「分かった。その取引に応じようじゃないか」

「契約成立だ。んじゃまあ、手打ちってことで形だけでも整えておこうぜ」


 俺はその場でパンツを脱ぎ捨てた。


「……なるほど、良いだろう」


 奴も察したようで服を脱ぎ捨てた。


「行くぞ」

「ああ」


 和解の裸踊りだ。

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