番外編/腐りやすい部屋

「で、初の取材はどうだったの、夜深センセー?」


 四月も終わる、肌寒い夜。

 有楽町のオシャレ居酒屋で、私は友人の歌織かおり(仮名)と水輝みずき(仮名)と飲んでいた。

 ハイボールを吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。

 初の取材というと、あの『授かる部屋』の件か。歌織が気になるのも仕方がない。取材相手の竹中聖子さんは、歌織のツテだからだ。


「……まあ、うん、ぼちぼち」


 まさか話を聞いたあと逃げ帰ったとは言えず、私は曖昧にごまかした。

 ふうん、と歌織は鼻を鳴らして一気にハイボールを呷る。マイペースキャラの水輝は黙々と枝豆を剥いていた――が、


「突然退職して、『怪談ライターになる!』とか言い出した時は色々心配したけど」

 水輝がチラリと私を見て、

「元気そうでよかった」

 と言った。その隣で歌織も頷く。

 一瞬だけ面食らったが、すぐに気持ちがあたたかくなった。思いもしないところで友情を感じたからだ。


「まあでも、まだまだ怪談は集めるつもり。何か他に心当たりない? できれば、『家』に関するやつがいいんだけど」

「家? 事故物件ってやつ? ああ、数年前に芸人が書いた本が大ヒットしたよねぇ。やっぱり需要あるんだ」

「うん、まあね」

 私がそう言うと、歌織がふと思い出したように、


「あたしの遠い親戚のおばさんの話なんだけど……」


 キタキタ。私はズイッと食いつきそうになるを堪えて、収集ノートを開いた――が、

「あ、幽霊が出るとかじゃないんだけどね」

 前置きでガックリした。前回といい、おかしいな。幽霊が出る家の話の方がメジャーなはずなんだけど。


 怖くはなさそうだけれど、耳を傾けることにした。


 二杯目のハイボールを用意して、閑話休題。

 怪談を、おたずねします。


「母方の伯父の叔母くらいの親戚なんだけど、独身で大阪在住だったんだよね。

 十年くらい前、市外にある公営住宅で一人暮らしを始めたの。

 で、その部屋が事故物件だったんだって」


 おばさんはそれを承知していたそうだ。

 抽選の倍率が低いので狙い目だったらしい。


「おばさん、がめつっ」

「モロ大阪のおばちゃんだったみたいよ。話してくれた伯父さん、渋い顔で言ってた」

「……事故の内容って、何なの?」

 枝豆を剥き終わった水輝が尋ねた。

「過去に住人が室内で死んでた系。死因は……ごめん聞いてないや」

「謝んなくていいよ。で、何が起こったの?」

 続きをねだると、香織は答えた。


 入居してから一ヶ月後に、おばさんはとあることに気づいた。


 食べ物が腐るのが、異様に早い。



「最初はお米だったんだって。季節は冬で、室内は寒いくらいだったのに」


 未開封の米が、買って数日で茶色く変色した。

 封を開けると、プウン……と嫌な臭いを放ったそうだ。


「それどころか、冷蔵庫の中のものも被害に遭ったそーよ」


 ナスビやきゅうりが一週間くらいでドロドロの液体になり、

 ゴボウやニンジンも二週間保たなかった。


「でもそれ以外、たとえば家具や家電、衣類は何も起こらなかったんだって」

「食べ物だけが腐りやすい部屋……ってわけかぁ」


 しみじみつぶやくと、店員が納豆オムレツを運んできた。

 枝豆を食べ終わった水輝がそれを受け取り、適当に分ける。

 そういや枝豆も納豆も元は同じ大豆だっけ(今は枝豆用の品種があるらしいけど)。


 確かに不思議だけど、怖くはない。

 不便なだけで怪談としては弱いかな、と思った――ら。


「でも、ここからがやばいのよ。何がっておばさんがやばい」

「へ?」

「腐りやすい=発酵が早いってことに気づいて、その部屋で味噌や納豆や糠漬けを作ったら儲かるんじゃないかって計画を立てたの」

「ぶふっ!」


 危うく納豆を吹き出しそうになった。

 いやいや発想が前向き! がめつすぎて逆に好き!


「手作り納豆か。素人に可能なのかしら」

 いや水輝よ、ツッコむトコそこじゃないぞ。

 平和なオチだ。怪談ではなく飲みの席のネタにさせてもらおう――


「でもね」


 呑気に考えていたら、歌織が遮った。


「味噌づくりを始めてしばらく経った頃、おばさんの指先が変色したんだって」

「変色?」

「じっくり、ゆっくり、少しずつ……紫に変色したんだって」

「え、それって」


 おばさんは病院に駆け込んだ。

 医師は、首を傾げなから診断を下したと言う。


。……おばさんの指先」


 店内のざわめきがおさまった、そんな気がした。

 思いもよらない続きに思考が止まる。

 店員がまた注文の品を運んできた。

 チーズの盛り合わせ。白いカマンベール、もっちりとしたモッツァレラ、茶色いスモーク、そして青カビに彩られたブルーチーズ。


 水輝がブルーチーズにフォークを刺して、こう言った。


「そのおばさんも、『食べ物』のくくりに入っていたのね」


 私も歌織も絶句した。

 いやあんたの発想こそが怖い――と、心の中で水輝にツッコむ。


 ちなみにおばさんはその部屋から早々に退去したけれど、腐った指は元通りにならず、切断手術を受けたらしい。

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怪談ライター・夜深のおたずね奇譚 鳥谷綾斗(とやあやと) @wordworld

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