授かる部屋④

 *

 

(……そりゃそうだ)

 話し終えた聖子さんを見つめて、私は同意していた。

 話のあまりの急展開と突拍子のなさ、何より非現実っぷりに、怪談としての恐ろしさ云々よりも、そんな正直な感想が先立ってしまう。


 気持ちの悪い話だ。

 確かに「人が死んだ部屋」とは真逆だけれども……そっちの方がまだ理解しやすい。

 怖さの質が違う。死者の魂を拾って赤子を授かる?


 それで生まれた子どもは、一体『何』なんだ?


 その部屋に住んだら死ぬ的な話は、ライトで瞬間的な恐怖だ。『人の死』は一瞬で終わる。

 けれど、この話は違う。『人が生まれる』というものは未来に向かって長——く続くものなわけで。

 なんとなく、実家の両親や、ここ数年でヒトの親になったきょうだいたちを思い出しながら……妙な寒気を感じた。

 怖さの質が、違う。


(ていうか……どうしよう)


 この怪談を信じるべきか否か。

 初っ端からすごいものを引いてしまった。怪談における「ホントウにありそう」のラインを軽く超えてしまうやつが。

 怪談ライターとしては信じて受け入れるのが正しい姿なのか?


 うーむ、と唸りながらひとまず甘い香りの紅茶を飲む。

 すると、ローチェストの上に飾ったふたつの写真立てが目についた。

 聖子さんと三歳くらいの男の子……息子さんのツーショット写真に、優しそうな男性の写真が寄り添うように立てられていた。


 亡くなったという旦那さんか。

 さぞや無念だったろう。


(家族を残して逝くなんて……)


 無念で、苦しかったろう。


 居た堪れなくなってキッズスペースに目を移すと、「ん?」と引っかかった。

 あのクマのぬいぐるみ、さっきはうつ伏せじゃなかったっけ……?


「夜深さん。新しいお茶をどうぞ」

 聖子さんがさわやかな香りの紅茶に替えてくれた。お礼を述べる。

「いかがだったかしら。怪談ライターさんのお眼鏡にかなうお話だったかしら」

「はい。とても興味深いお話でした。人が死ぬ部屋というのはよく聞きますけれど、その逆はあまり……というか、初めて耳にしました」

 紅茶をひとくち飲む。

「実は私の姉も、長いこと不妊で悩んでいて……あ、無事に双子を授かりましたけどね。でもひどく悩んだ時期は、それこそ神頼みというか、いかがわしいおまじないみたいなものに手を出そうと」

「イカガワシイオマジナイ?」


 カチャン、と聖子さんが持つカップとソーサーが軽くぶつかった。

 聖子さんは電子音声めいた発音で、私が発した言葉を反芻する。


「あ、いえ……だって、結果的にその部屋を利用しなくても、聖子さんはお子さんを」

 やばい、ミスったかもしれない。

 泡を食って言葉を重ねると、聖子さんの口元が三日月型に釣り上がった。

 空気が、変わった。


「……授けてくれたのよ」

「え?」

「授けてくれたの。あの部屋は、あの人を」


 ——あのひと?

 その時だ。階段を駆け降りる音がした。足音が近づき、今いるここ、リビングに入ってきた。視界の端で小さな背丈の人影がすばやく通り過ぎた。

 聖子さんの息子さんだろう、と思ったけど、私そちらを向けなかった。聖子さんの能面めいた無表情に、釘付けになってしまっている。


 ガシャン

 コロコロ


 背後にあるキッズスペースで、おもちゃ箱がひっくり返り、中のものが散らばる音がした。

 子どもが遊んでいる。


「……五年前、貴彦さんが亡くなって、火葬が終わった夜」

 聖子さんが再び口を開くと同時に、頭の上から複数の足音が聞こえた。数人の子どもが走り回る、耳に馴染んだ音だった。

 子どもが遊んでいる。


「わたくしは、姑に頼んで、あの部屋を使わせてもらったの。

 一人だったわ。いえ、独りじゃなかったわ。

 わたくしは、貴彦さんのご遺骨と一緒に、あの部屋で一夜を過ごしたの」


 喪服のままで、ベッドに横たわり、夫の遺骨を抱いて眠る片恋妻かたこいづま

 両の瞳から、首元につけた真珠のネックレスさながらの白い涙をこぼして。


「以前と同じように、午前零時を回った頃、部屋のドアが開きましたの。

 月が大きな、星の囁きが聞こえそうな夜でした。

 檸檬色の月明かりに照らされて、ベッドの横に——貴彦さんがいました。

 姑が言ったことを覚えてらっしゃる?

 もっとも近くにいる霊魂が姿を現す。

 そのために遺骨を抱いていたのですよ、わたくしは」


 淡く輝く月の夢に浮かされたような聖子さんを凝視しながら、

 私の耳は、背後のカチャカチャというおそらくレゴブロックを組み立てている音を拾い続けた。


「貴彦さんがわたくしのおなかに手を当てました。死しても変わらない、あたたかくて優しい手で。

 その数日後、わたくしの妊娠が判明しましたの。

 貴彦さんの忘れ形見だと、わたくしたちの両親は喜びました。特に姑は何度も何度も『ありがとう』と涙ながらに言ってくださいましてね。

 ねえどうか、いかがわしいだなんておっしゃらないで。

 すべてあの部屋のおかげなのです。

 わたくしは、あの子を授かることができた。

 わたくしは、のです」


 ……聖子さんの熱をはらんだ目線は、私を通過して、背後にいる人物に注がれていた。

 空気が動き、後ろの人物が立ち上がった気配がした。


 バタバタ……


 依然、複数の子どもの足音もやまない。


「上にいる子たちは、みんなあの部屋から連れて帰ってきた子たちですの。走り回ることしかできず、朝な夕な騒がしいけれど、おかげでずっと夢だったにぎやかな家庭を作れました」


 ……ねえ、貴彦さん……


 聖子さんが、私の後ろにいる人物に微笑みかける。幸せそうで甘やかな、あの微笑だ。

 私は、どうしても振り返れなかった。

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