黒糸・第9話

 三十木が大規模の災害を察知。溢れる前に対処をしようという作戦の前であった。失敗すれば大きく世界は変貌することになる。急激な変化の濁流は全てを押し流してしまう。ここで失敗すれば、あの島のように………緊張のあまり武器の手入れをする手が止まらない。

『はぁ!?なんでお前がここにいるんだ!?』

 赤字で不可解な模様を書いた札を顔に貼り付ける男が湊に襟首を掴み、ガクガクと首を揺らす。

『刃物!刃物持ってるから!』

 自分でもびっくりした。歳上にすると、溺れたように声が出ないのにその男には声を張り上げることができた。

 揺れた紙切れの下に金に光る髪と鋭い青い目が合う。

 正体が分かった。

『そっちこそ!なんでここにや………』

 シッ!と目の前の男が指を立てる。

『りっくん。』

 湊が呼べば、男は『ん!』と頷いた。札の下は満足気な顔を浮かべているだろう。  

 わがままを言えば、久しぶりに親友の顔を紙越しではなく直接見たかった。

『民間で駆り出されてんの。夢島から来る怪物共をぶっ倒すのになぁ!お前は………色々あったんだろうな。』

 うん、と湊が静かに頷いた。色々という言葉で吹き飛ばせないほど、重く湊の底に沈んでいる。目の前の男も生まれ故郷を探しに行き、飛び出したきり帰ってこなかった。最後に残した手紙の内容は思い出したくもない。

『そうだ!紹介したい奴がいる!』

『え、結婚?』

『ちがわい!』と飛び跳ねる。相変わらず体で感情を表現する男だ。ぴらぴらと捲れる札に片結びになっていた作戦前の緊張が解けた。さぞかし怒りで顔が真っ赤になっているだろう。

『結婚なんてごめんだごめん!なんつーか年下で世間知らず?な奴だから、心配でな。湊は俺と違ってしっかりしてるだろ。』

『しっかりというか、君がせっかちで僕が遅いだけ。』

『待て、この話はここまでだ。』

 親友が手を突き出す。掌に写真が挟まれ、瞬間的に文字が浮かんだ。湊が頷くと、写真は燃え上がる。

『こうなりたくなきゃ黙ってな。』

『ハイハイ、焼き魚はごめんだよ。』

 言って、お互い笑い合う。

『俺、左翼。』

『僕、右翼。反対だね。』

『一緒だったら俺たち最強だったのにな。』

 それきりだった。

 今はアイツの胸ぐらを掴んでやりたい。

 歳上じゃないか。

 それに1番心配していたお前が戻ってやらなくてどうするの。

 湊?と声を掛けられて、ハッと湊は顔を上げた。心配そうな楊梅色の目が揺れている。

「すみません。考え事をしていました。」

「寝てても良かったんだぜ?強行軍だもんな。」

「そういう、訳には………」

 目の前にある焼けた工場はどんよりと落ちてきそうな曇りも相待って重々しい雰囲気だ。そして、先日の火事の焦げ付いた臭いにどう聞いても血の臭いのする噂話が胸を重くする。

「本当に幽霊が出そう。」

「気のせいだろ。噂を聞いたからそう見えるわけだ。さっきまで晴れていたから、余計そう見えるだけだ。」

 ソラアミ工場跡地。

昨日、大火事が起こったという現場にたどり着いた。直近は食品加工工場で不況の煽りと噂を受けて倒産。

 不審火で工場内に残された小麦粉から粉塵爆発が起き、火災が発生したとの事だ。今は工場の骨組みが残り、ぽっかりと大口を開けている。工場の駐車場に転がり出てきた燃えかかった財布だけが持ち主を示し、犯人の特定はできたが、遺体はまだ見つかっていない。焦げ臭い臭いが未だ現場に漂い、鼻の中に煤が張り付き、壱樹がどでかいくしゃみをした。

「本当に調べるところなんて残っているのかよ。」

「現場100回、です。」

 湊がしゃがみこみ、煤けた床をなぞった。立ち上がると、ズボンを叩いた。

「昔に潰れた会社が小麦粉残しておくでしょうか。」

「土地の管理者はすべて機械を売りに出して、次の企業を募集していたらしい。」

 壱樹が書類を照らしながら読む。これは霧凍から渡された追加の書類で工場周りの情報が詳しく書かれていた。

「そんなにきちんとした人が小麦粉だけ放置しておくか?」

「次に入る人が持ち込んだ?」

「工場が不潔なままでか?」

 怪しい。

「管理人は?」

「行方不明。」

 工場の入り口付近は15メートルに渡り、陥没している。

 昼間であるはずなのに炭や煤、灰、燃えカスなどにより真っ暗になっており、底に光は届かない。焼け落ちた入り口からエントランス部分に入る。受付はかろうじて残っていた。しかし、書類も何もない。煤だらけの階段を慎重に降りる。しっかりとした作りだったのか形は残っており、降りるのには問題ない。中2階部分は上から降ってきたのか、燃え尽きた資材が敷き詰められ、上部は爆発により鉄骨のみになっている。

「今にも崩れ落ちそうだ。慎重に降りろ。」

 先行する壱樹が声を掛けた。

「中側から空が見えるなんて、不思議な感じがしますね。」

 湊がそんなことを口にした。壱樹も空を見上げる。

「地の底から空を見上げたら、こんな気分だろうな。」

 最下層へ降り立つ。もはや何も原型は留めていない。溶けたガラス片が床面をガラス質に変え、足元がつるつるする。

 辺りに突き刺さる煤けた金属片に躓かないよう慎重に歩いた。

 湊が写真を撮って回る。

「写真?」

「後で何か気づくかなって。僕らが気づかなくても、霧凍さんも。」

 怖がっているくせに霧凍を庇うし、信頼しているような節がある。あんなことを言ったのも霧凍がいい奴だと信じていたからではないのか?

「湊、霧凍のこと、信じてるんだな。」

「え。あ、はい。」

 懐中電灯で辺りを照らしながら、壱樹の掛けた言葉に焼け焦げた机を調べていた湊はびくりとして頷いた。

「あんな酷い目に遭わされたってのによ。」

「前にも言いましたが、あれは全面的に僕が悪いです。」

「それだけじゃねぇ。」

「………僕は霧凍さんのことを知りません。でも、霧凍さんのことを、気に掛けていた奴は、知っています。霧凍さんのことを紹介してやるって。力になってやれって。でも、僕、大人の人が怖くなって、遠くから、見るだけだった。何もできなかった。謝ることも。」

「湊………」

 僅かな懐中電灯の灯りの中で滲むのは深い後悔だった。

「友達いなさそうだけど、あいつを気にかける奴なんていたんだな。」

 憎まれ口、湊への仕打ち等壱樹の霧凍への印象は良くない。

「壱樹さん………」

「放って置けないよなぁ。あいつ、自分のこと、何もないって言ってたんだぜ。そんなわけねーだろ?今回だってお姉さんのことがあったから。」

「そう言えば、あいつ、霧凍さんのこと、歳下って………」

「湊、今いくつだ?」

「11です。」

「11か。………え、11歳!?それより下?間違いじゃねーの?」

 対し、霧凍は自分と同い年くらいに見える。

「あいつ、歳上を歳下扱いこともあるし、たまにてきとーだから………」

 撮影をする湊の手が止まっている。話しながら、ずいぶん長くロッカーの倒れた跡を見つめていた。

「どうした?」

「いや、気のせいかもしれないし………」

「言え!気のせいでも言ってくれ!俺、こう言った仕事はじめてなんだ!」

 湊の肩をがしりと掴む。びくりと跳ねる体を押さえつけた。しどろもどろに湊が答える。

「と、言っても、僕もはじめてですよ?いつもは変わってしまった土地の調査ですし………」

「俺はそこから溢れる怪物退治!人のためにはなってるんだが、世の中には変な道具も出回ってるから回収の方に回りたいんだけど仕事が来ねーのよ。で?この壁がどうしたって?」

「なんか、言いようがない、変な感じがするんです。」

 壱樹は壁に向き合った。コツコツと壁を叩いてみるが、中の詰まった音をする。蹴り飛ばした。足がジンジンする。

 隠し部屋があったのなら、もっと空洞のような音がするのではないか?

「隠し部屋があんのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだな。」

「いえ……」

 ゆらりと湊が壁の前に立つ。拳を振り上げると迷いなく壁に叩きつけた。瞬間、粉砕する。奥の通路が現れた。

「えぇ………」

「前に似た壁にちょっと似てるなって思って。」

もしかしたらここも………破片を手にし、湊は考え込む。

「能力での肉体強化か?それにしちゃ、強すぎる。」

「あ、僕。武器で体の強化をしているんです。いわば、持つパワードスーツ?」

「へぇ、俺にも扱えねぇかな?」

「うーん、難しいかと。」

 現れたのは大人1人くらいがギリギリ通れるくらいの通路だ。埃が少なく、放置されていたにしては床の状態も良い。

 数分歩いた。その先には市民ホールほど空間が広がり、ダンボールがそこら中に置かれている。みかん箱から手のひらサイズまで大きさは様々である。湊が一つ開けてみたが、空だった。

「倉庫……いや。」

 壱樹がダンボール一つを開ける。中身は同じく入っていないが、生々しい香りが鼻をつく。薄暗い中でもわかる。血痕だ。

 呟いてから、湊はダンボールを片っ端から開けていくが、ホールに置かれるダンボールはざっと見ても100個以上ある。

「お客さんには帰ってもらわないとね。こんないいバイト先、滅多にないんだから。」

 一際大きなダンボールの後ろ、2人から死角になる位置から誰かが現れる。指揮者のように真ん前に立った男は20代くらいの若者だった。

「バイト?」

「そうだよ。いいバイトを紹介されたのさ。ここに人を近づけるなとの命令だ。」

 指が掛かり、引き金が引かれた。滑り出すように湊が飛び出し、何かを振るった。パキン、という軽い音と共に床に何かが転がった。

 真っ二つに割れた銃弾である。

 湊の手にはナイフが握られている。

 鈍く輝く刃は約10センチほどあり、柄は17センチほどである。柄と刃の間には乳白色の石が埋まっており、キラリと不思議な輝きを見せた。

 足元に転げた弾丸を拾い上げ、壱樹は冷や汗を掻く。交互に何度も弾丸と男を見比べる。

「本物の銃じゃねーか!何がエアガンだ!銃を降ろせ!」

「し、知らないよ!」

「んな、馬鹿な!」

 湊が走り出した。今度は壱樹も並走し、標準が迷った隙にあっという間に銃の砲身が斬られ、先端が床に落ちる。壱樹は男を取り押さえるが、壱樹でも押さえられないほどの力で抜け出そうとする。男の骨がみしみしと音を立てた。

「おい!これ以上動かすとやばいぞ!」

「か、体が勝手に………」

 このままでは骨を折ってしまう!壱樹は男の腕を離した。

「う、うわぁあああああ!」

 男の体が走り出す。足も手も見えない何かに引かれ、ばらばらと動き出し、何が起こったかわからないという様子だ。奥の部屋に走り出していった。

「追いかけよう!」

 壱樹の言葉に湊は頷いた。




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