黒糸・第7話

 慌ててベランダから下を覗けば、朝日を受けて煌めく銀髪が玄関先にいた。

 出ていったのではなかった。

 黒猫を撫でている。

 かわいらしいとこあるじゃん。

 青みがかった黒い猫の毛並みは艶やかで品がある。何処かの飼い猫だろうか。首輪に赤いリボンを付けていた。

 壱樹が猫に手を伸ばす。壱樹の手から飛ぶように距離を取った猫は毛を逆立て、威嚇しながら、ぴょんと去っていった。逃げられた主は唇を尖らす。

「ちぇ」

「いきなり手を差し出すからですよぉ。」

 部屋に戻る。霧凍の手には角2の茶封筒が握られており、2人の目の前でピリピリと封を切った。

「それは?」

「ソラアミについての捜査記録です。彼が喋るのを待つ間、私が何もしないとお思いですか。調査依頼をしときましたよ。」

「いつの間に。」

「パワードスーツって一体なんだ?ソラアミはパワードスーツの会社なんだろ。」

 ずっと聞きたかったが、聞きそびれていた。壱樹がいまさらの疑問を口にし、大袈裟に

「貴方にわかりやすく説明しますとねぇ、筋肉などを用いた衣服形の装置ですよ。着るだけで身体能力が強化されます。銃弾も刃物もなんのその。瓦礫だって持ち上げられます。」

 霧凍がちらりと湊を見やる。彼は超回復に能力を全部費やしている。何らかの物で体を強化しているはずだ。おそらくーーー

「どうした?早く読め。」

 壱樹に促され、霧凍は紙を開いた。捜査結果は3枚に渡る。

 1枚目は昔の新聞記事の切り抜きだ。

 どれも20年ほど前の記事だった。

【株式会社網空の社長、不倫発覚!?】

【株式会社網空、初の実用的パワードスーツテスト!25日に実演!娘を助けた技術が今度は世の力を増幅する!】

「俺たちが生まれる前にはパワードスーツが実現されそうだったんだな。この頃に出来てたなら、俺たちももっと楽にだったのに。」

 20年もあれば一般に浸透して、自分がまだいた頃の工場でも使っていたかもしれない。壱樹のいた鍵工場は職業上金属を多く扱うので、老いも若きも腰を必ず痛めた。壱樹が思わず腰を摩る。

「次にいきましょう。」

 2枚目はパワードスーツテストの後の話

だ。

【パワードスーツの不備が原因 東京で死亡事故】

「事故………にしちゃ、この一文だけで、記事が小さすぎねぇか。」

「政府でも支援をしていました。」

「そうか。」

 隠蔽したのだ。人の命が失われた事件を。壱樹の声が一段と低くなる。

「事故が起こった後にすぐ辞めた従業員から話を聞くとパワードスーツの制御が効かなくなり、工場はめちゃくちゃに、スーツを着ていた人は原型がなくなるほど………捜査もできなくなっていたそうですよ。」

「強化率に、耐えきれなかったんだ。」

「不審な点も多くあり、政府も同席するはずの他企業もいきなり欠席をしたようです。足の引っ張り合いですかねぇ。変な噂も流されたようですよ。材料に人間を使った、とか。」

「そこまでして金が欲しいか?」

「生活の基盤は金ですよ。金以外にも当時政府が対一族向けに開発していたと考えらていました。もう当時を知る者は誰もいませんがねぇ。」

 1枚、ページを捲る。

【心中か?神隠しか?網空従業員10名死亡。工場長ら3名行方不明。従業員には鋭利な刃物による傷が複数あり、出血死とみられる。】

 絶望した社長が次々に従業員を刺殺、工場は血に塗れ、工場長の妻、当時8歳の娘だけ見つからなかったと記載されていた。帰りが遅い旦那を心配して野家族の通報から事件が発覚。当時は多くの人の興味や関心を強く惹くように報道されたと一文が添えられていた。

 酷い事件だ。自分が刺されたかのように、壱樹は全身をさする。工場で働いていた身としては、他人事ではない。

「工場長が一家心中してから、欠席した関係者や当時会社に関わっていた人が次々と消えるということがあったんです。噂によると、デモンストレーションを邪魔した人間を攫ってパワードスーツの材料にしたとか………」

 霧凍の話を聞いて、湊が譫言のように呟いた。

「思い出した。幽霊が出ると評判なので、今度友達と行こうって言っていたんです。」

「今の子も肝試しが好きなんだ。いつの時代も廃れることがない文化だな。俺も昔、山の中に行ったもんだ。」

「貴方、友達いるんですね。」

「もう、いません。」

「悪い。」

 謝る壱樹にいいえ、と湊は小さく首を振った。

「いてもいなくても、もう肝試しは無理ですねぇ。昨日不審火があり、大規模な火災になったそうです。消防車が遅れた原因はそれです。妨害か証拠隠滅か。」

 それでなくても東響は火事が多い。おそらく後者だろう。廃墟に隠れ住む人間は多く不審火も日常茶飯事。ろくに調べられないまま終わるだろう。

「湊くん、噂の内容は?」

「人影を見たとか、苦しむ声が聞こえるとか、迷い込んだ人間は工場長の霊に攫われて、黒い糸に変えられるとか。現場に、ありましたよね、黒い糸。」

 助手席にも運転席にも黒い糸が散らばっていた。漆黒に染められた糸は長い女の髪の毛にも見え、薄気味悪かったし、触れる瞬間に心臓が騒いだ。

「よくある怪談だな。中古車を買って運転していると、後部座席に知らない女の人が乗ってて、停車すると女の人がいた場所に長い髪の毛が絡みつき………」

 怖い話を信じてしまう姉が口酸っぱくして、『車を買うときは新車にしなさい』とよく言ったものだ。湊が小さく悲鳴を上げた。

 そんな2人を尻目に霧凍は思考を回す。

「運転手が逃げられないように固定していた?いや、強化………肉体操作。操って突っ込ませた。糸には触れない方には良さそうですね。」

「その情報といい、随分と手慣れてるよな。」

「閉業予定の民間企業です。人数もいません。使える者は使う。投げられる所は投げなければ回らないんですよぉ。それも信頼できるところにね。湊くん、貴方捜査とか初めてでしょ。貴方のその性格でうまく行くわけがない。」

「壱樹さんと僕は部門が違います。潜入、初めてだったんだけど、その、偉い人に、押し切られて、断れなくて。」

「前の災害で随分人数も減っちまったからな。俺も捜査やれって言われる日が来るんだろうか。」

 2人の事情など知ったこっちゃない。霧凍は晴れやかな笑みを浮かべた。

「私には関係ない話ですよねぇ!貴方たちは工場跡に行きましょう。」

「待て待て待て!犯人は?肝心な犯人がわかんねぇ。娘か?」

「そんな都合よくいきませんよ。」

 そもそも情報屋もなかなか捕まらず、腕のいい情報屋に無理やり頼んだのだ。割り増し代金とこれからに頭が痛い。霧凍は額を押さえた。

「でも、可能性が高いのは娘さんでしょうね。」

 ピー!と耳の痛い甲高い音がする。部屋の奥に霧凍が向かう。

「簡単な機材も持ってきました。糸の解析も完了。」

「どうだ。」

 壱樹の目の前にジップロックに入った黒い糸が突き出された。

「糸は綿糸、染料は腐汁。油粕や骨粉などを腐らせた物ですね。魔術の痕跡も見られます。本来なら肥料に使われるはずのものですが、油や骨粉が人だとしたら、どうですか?」

「そんなもん顔に近づかせんな!」

 壱樹が壁まで離れる。湊がうわごとのように呟いた。

「ソラアミの行方不明者が使われていた?行く前に調べたら、行く場所のないホームレスを、雇う活動をしていたんです。」

「ええ、今も。ホームレスも独自のコミュニティがあれど、行方不明者は絶えませんから、いなくなっても探されないでしょう。向こうにとっては都合のいい話です。そっちの方に私が行きましょうか。」

 2人にスマートフォンが投げ渡された。

「会社の携帯です。何かあったら連絡しましょう。」

「死ぬなよ。」

「そっちこそ。まだ借金があるんですからねぇ。いいですかぁ?壊したら弁償!覚えておきなさぁい。」

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