黒糸・第6話

 火が舐めるようにアパートが存在したという痕跡を焼いていく。時間と共に鋼鉄すらも溶かしゆくだろう炎は運悪く、吹き付ける海風により更に燃え行き、天すら焦がしていく。呼吸をするだけでも熱せられた空気にじわじわと肺が焼かれた。

 意気揚々と出てきたものの、どうしたらいいんだよ!

 能力的な相性も悪い。自分の能力じゃきっと燃えてしまうだろう。

「壱樹!その炎じゃ危ない!退避しろ!お前まで燃えちまうぞ!」

「そうだ、そんな燃えやすそうな雑草頭、すぐだ!」

 同じアパートの住民が壱樹の肩を引く。手にはバケツを持っていた。

「消防車は来ねえのかよ!」

 壱樹の問いかけに一斉に怒号が返ってくる。

「繋がらねー!俺たちはいつも後回しだ!」

「それにここは埋め立て地。地盤が怪しくて、入れねーんだよ!」

「水を使える奴もいない!今、全員出払っている!」

「前の災害の瓦礫も残ってるしな!」

「こんなとこに俺たちを押し込めやがって!」

「仕事手伝ってやってんのによ!壱樹も手伝え!そこの廃墟の水道が使えるんだ。ホースは今買ってきてもらってる!ぼさっとすんな!」

「お、おう!」

 同僚からバケツを受け取り、たっぷりと水の入ったバケツを回す。こんな状況ではトラックも調べられず、誰からも話も聞けない。

 三十木に対する怒りは全員が全員持ち、猛火により更に燃え上がり空気を焼いていた。

「いつきさん。」

 背後から声が掛かる。つい1時間ほど前に聞いた声だ。背後の廃墟に潜んでいるのだろう。

「湊。来てたのか。」

「ええ、トランクにいました。出にくいからそのまま聞いてください。僕はあの中に突入します。」

「正気か!?」

「ああ!消火だ!必ず消火だ!隣に燃え移ったらやばいぞ!」

 壱樹の声に呼応して、隣の人間も叫んだ。

「いや、ちが。」

「能力的にも、小型ボンベや耐火効果のあるスーツあるから、大丈夫、です。」

 合流地点を一方的に伝えると、壱樹が止める間もなく激しく燃える火の口の中に飛び込んだ。

 焼け落ちていく足場は地獄だ。これではスーツを着ていても、長くはもたないだろう。地下は深く、底は見えない。地下、空洞があったんだ。飛んだ欠陥住宅じゃないか。いや、三十木にもまともな人はいる。だから、僕も壱樹さんもまだいるのだ。何か狙いが……

 溶けかけた鉄骨や焼け落ちた屋根や目の前で崩れる壁を避けながら、溶けた硝子を踏み躙り、寮の中央部分を目指す。

 大黒柱を根本から降り、煤けるトラックは誰かの狙い通り【我々の世界に不相応な者に死を!!!】と二行に分かれて書かれていた。誰に当てたのかわからないが、霧凍の言う通り争いの元だ。いや、書かれたのではない。湊が表面を撫でる。錆が浮いていた。削り取るしかない。

「召喚。双刀の一」

 青い光が散る。湊の片手にいつか投擲した青い刀身の短剣が握られていた。一振り、二振りして、錆の浮いた表面を削り取る。運転席を覗く。運転手がハンドルにもたれていた。湊は目を閉じ、手を合わせる。頭を強く打ったことが原因の即死だろう。フロントガラスは粉々に砕け、溶けてへばりついているというのに、火傷があまりにも少ない。更に奇妙な点としては、車内全体に黒い糸が散らばっている。

 守っていた?それとも、操っていた?

 地下の爆発と共に衝撃に耐えきれず床がぴしぴしと崩壊の予兆を見せたので、湊は離脱を決断。置き去りにする運転手に申し訳なさを抱きながら湊は役目を果たさない窓から外へと飛び出した。

後は争いの火種がないように祈るしかない。


 業火は地上部分を舐め取っていき、4時間どころか早朝までアパートを燃やし尽くす。今までの思い出もこれからの生活に必要なものも全部全部燃やし尽くし、何人かは涙を浮かべ、何人かは怒りに震えた。ある者は近くの廃墟に当たり散らし、またある者は膝から崩れ落ちた。寮に住む三十木所属の警察が現場検証が始まる。残る鉄骨は少し歪むどころか、熱でぐにゃぐにゃに曲がっていた。トラックの落ちた穴蔵は底の見えない奈落であり、加害者もまだ救助できていない。まだ穴の中に残火があるのも難航する原因であった。苦楽を共にしたアパートの喪失がとうとう現実として壱樹に突きつけられる。しかし、いつまでも立ち尽くしてはいられない。懐から種を取り出し、握り込んだ。

 彼の手から緑色の光が漏れる。白いカンパニュラが手の内から伸びた。手品と言っても信じてしまうだろう。かがみ込むと、瓦礫に添えた。花は風で転がり、残火でじわじわと焼けていく。

 湊と合流しねぇと。

 今まで住んでいた寮に背を向けた。

 さよなら。


 寮近くの廃マンションの501号室が合流地点と知らされていた。ところどころタイルの剥がれた玄関にビニールが浮いた階段を力無く踏み締め、錆びついたドアノブに手を掛けた。

 合流先には不機嫌な男も座っていた。

 湊は先に着いており、壱樹が席につくとジップロックに入れた運転手の免許証と黒い糸を差し出した。

「トラックには【我々の世界に不相応な者に死を!!!】と書かれていました。」

「でかしましたねぇ。それに比べて貴方は勢いだけで何も役に立たない。」

「はは、返す言葉もねぇな。」

 流石に壱樹が力無く笑った。

「霧凍さん!なんて事言うんですか!」

「おお!?」

 壱樹が仰け反る。珍しく湊が声を荒げ、勢いよく立ち上がった。

「壱樹さんはね、住む場所もお金も失ったんですよ!知ってる人も怪我しましたし、壱樹さんだって寮に居たら死ぬとこだった!貴方だって失ったことがあるのに、なんでそんなことを言えるんですか!心がないんだ!霧凍さんの馬鹿っ!」

 涙声で湊がベランダへの硝子戸を思いっきり開けて締める。割れなくてよかった。

あいつ、あんな風に怒れるんだな。

 壱樹の記憶にはロッカー室や廊下で存在が煩い、目障りだと言い掛かりをつけられて、小さくなっていた印象しかなかった。自分が殺されかけても相手を庇った少年が俺のために怒ってくれたのか。しかし、霧凍が失ったのはなんだろうか。家族、家、財産?

「私が?失う?何を失ったっていうんです。

 言われた本人は何やらぶつぶつと口中で呟いていた。

「私には心も何もないのに。わからないのに。何も………」

「心がない訳ねぇだろ。」

 微かに聞こえたその声に反射的に壱樹は否定した。

「少なくとも俺はお前の熱い魂を感じたぜ。」

「いつ、どこで。適当なことを言うナ。」

 霧凍の目から生気が消える。元々誰も彼も睨みつける視線だったが、切れ味を増して壱樹に向けられた。

 周りの空気が冷え、喉元に鋭利なる刃を当てられているような感覚を感じる。それでも負けるわけにはいかない。壱樹は霧凍の胸を裏拳でドンと叩き、大胆不敵に笑って見せた。

「お前の心はそこにある。お前との戦いは熱いもんだった。」

「そんなこと感じたのアンタだけですよ。少なくとも私は貴方を殺そうとしました。」

「殺意だって心の一つだ。おめぇがよく使う無駄という言葉もそのうちの一つ。雑炊は?どう感じたよ。」

「わからない。」

 霧凍の返答に壱樹は勝ち誇り、ふふんと鼻を鳴らした。

「気づいてねーか。眉間の皺伸びてたぞ。わからなくてもなんか感じることがあったんじゃねーか。」

 生まれた時からずっと皺が刻み込まれてきた。なのに信じられない。雑炊を食べるだけで伸びた?そんなことあってたまるか。自分の眉間に手を当てる。

 強引に壱樹は霧凍の手首を取って、両手で包み込んだ。

「お前自身が心がないと言っても、1日一緒に居ただけでも俺は信じてる。」

 平均より体温が高い壱樹の手から作り物のような霧凍の冷たい手に熱が伝染する。

 どのくらいそうしていただろうか。

 霧凍の顔が心底嫌な顔になる。

「暑苦しい。離れてください。」

「おう、それでこそおめーだ。安心した。」

 いつもの調子に戻った霧凍に壱樹はばしりと背中を叩く。

「いいから、湊くん連れてきてください。」

 ベランダに向かった壱樹を横目で見送った。


 子どもが手すりにもたれ、啜り泣いている。朝日は完全に上り、真夏の強い光が遠くの海を反射する。チカチカとした海面は徹夜した目に優しくない。壱樹は目を細めた。一歩踏み出せば沈む床に壱樹は慎重に足を進める。体重ギリギリセーフというところか。床板の軋みにベランダに来た壱樹を気づき、首だけ振り向いた。

 髪の毛が揺れ、両耳に石の内側から光が漏れるような鮮やかな青が目に映る。ピアスをしていたのか。

 ポケットから出したハンカチで目元を拭く。

「すみません、感情的になりました。これはいけないことです。」

「俺のために怒ってくれたんだろ。ありがとな。」

「勝手に怒ったのです。お礼はいいです。」

「それでも嬉しかった!素直に受け取っておけ。」

 湊の頭にポンと手を置いた。湊は素早く離れる。自分を重ねて怒ったのだ。優しくされる資格はない。

「だけどな、心がないってのはいい過ぎだ。わかりづらいけれど、あいつにも心はある。ちゃんと謝れ。」

「はい。」

 元来た硝子戸に手を掛けた。扉を開ける前に湊が止まる。

「壱樹さん、僕ら最初に会ったのどこでしたっけ?」

「どこってロッカー室じゃなかったか?」

 小さい湊を気にかけて、仕事は一緒にならないこそ食事は見かければ誘っていくらいだ。

「そう、ですよね。」

 答える湊の声には落胆が含まれており、壱樹は引っかかりを覚える。言われてみれば、最初に会った時、奇妙な既視感を感じた。

「俺たちって何処かであったこと、あっーーー」

「壱樹さん!壱樹さん!霧凍さんがいません!」

 湊の言葉に壱樹の言葉は掻き消された。

「なんだって!」

 湊の頭の上に手を伸ばし、硝子戸を全開にする。部屋はもぬけの空であった。

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