黒糸・第5話
部屋の気温が1、2度上がる。ちゃぶ台に置かれたサラダボウルと2つの鍋が原因だ。持ってきた2人も汗だくだ。他人の放つ熱気はまた昼の熱気と違った不快さである。
「暑いのに雑炊ですか。」
信じられない。霧凍は2つの鍋を睨んだ。一気に汗が噴き出す。
「贅沢かもしんねぇけど、この部屋冷房効きすぎねぇ?体の冷やしすぎも良くねぇって。窓とか開けるとかさ。」
「ここの冷房旧式の旧式、骨董品ですから、オンかオフしかできないんですよ。でも、寒ければ毛布でもなんでも被ればいいでしょ?」
目の前に茶碗が置かれる。霧凍は置いた主を睨みつけた。
「携帯食料があるんですが。」
「後に取っとけよ。それこそ勿体ねぇだろ。」
「いただきます。」と壱樹と湊が揃って、手を合わせる。2人がじっと見る。視線に負け、少し遅れて霧凍も手を合わせた。卵と鳥出汁の効いた優しい味の雑炊は疲れた体に染み渡る。霧凍の眉間の皺が薄くなったのに満足気に頷いた。
「他に人いんの?」
夕飯に携帯食料を差し出す男が料理などする訳がない。
「いません。出張ついでに顔を見せに来た人がいたんです。」
「無駄にならなくてよかった。おかわりいるか?」
無言で霧凍は茶碗を差し出した。雑炊をよそった茶碗を霧凍に返す。
「時間が勿体無い。このまま話します。」
「こういう時こそゆっくりと………」
「僕も、話したい、です。」
湊が恐る恐る自分の意見を口にする。湊の意見を無碍にできない。渋々壱樹が鍋に蓋をした。
「俺の名前は杉並 壱樹。所属は三十木で能力は植物を操る能力!と言っても、自分で出せるわけじゃなく、周りに植物や種とかが必要だけどな。」
「名前だけじゃなく能力まで。三十木の研修はどうなってるんですかねぇ。」
研修?と壱樹はピンと来ていない。湊も壱樹と共にパチクリと瞬きをした。
「私の名前は霧凍。以上です。」
「湊、です。僕の苗字、今、どうなってるんだろう………」
胸に手をやり不安げな顔をして湊が俯いた。こちらとしても聞かれてもわからないし、どうしようもない。奇妙な沈黙の後、霧凍が咳払いをする。仕切り直しだ。
「私の姉は科学者です。三十木に無能力者のためにパワードスーツの開発に間接的に関わっていました。最近、誤作動を起こすんですよね。姉の主張は競合相手だったソラアミのせいだということでした。調べないと、また癇癪を起されます。」
また人の話を聞かない電話が来たら堪ったものじゃない。霧凍にとって、とっとと片づけたい問題だった。
「電話掛かってきましたよね。確か、私の子を、穢されたとか。お姉さんなんですか?」
「お前。」
「違います。」
子どもの前でなんてことを。という意味が込められた視線を受け、霧凍が憮然と返した。
「そんな品のないこと言いません。ハンズフリーで姉が話していただけです。」
「でも、電話の人は我が子って。」
まだ喋る。右隣の湊の額の中央を思いっきり人差し指で突いた。「あう」と湊が小さい悲鳴を上げる。
「まったくぜんっぜん喋らなかったくせに今はよく喋るじゃないですか。その口数の多さを先程発揮すれば無駄な戦いは避けられたんですけどねぇ。私のことはいいんです。貴方は何ですか。」
しゅんとした湊が意を決し、口を開いた。声は弱弱しく、たどたどしい。
「三十木の依頼に、行方不明者の捜索がありました。僕は、それを、引き受けて、その方が、最後にソラアミに行ったことを、知ったんです。親類を装って、話を聞きに行って………」
「口下手で潜入失敗。海に捨てられたというわけですか。あの災害以来、東響湾の環境も大きく変わりましたからねぇ。」
地震で環境が変わったからかそれとも産業廃棄物が流れたためか、生物がより獰猛に進化し、最近では血吸い貝も現れたとTVで大々的にニュースとなった。砂の中に潜み、足に食らいつく貝は漁師たちの長靴のみならずその先まで切り裂き、漁業や土木業に甚大な被害を出しているという。喜ぶのは環境保護団体のみである。
「君を喰ったのは、傷口からして鮫でしょう。いまや東響湾はどこぞの山よりは死体を捨てるには最適な環境。手首一つ上がっても、それが頭蓋骨でも海に落ちたのだろうで済んでしまいます。むしろ発見されるだけでもいい方では?」
「深刻な環境問題!は置いといてさ。おめぇはどう思う。ソラアミとパワードスーツ、関係すると思うのか。」
「姉は………」
「違ぇよ。おめぇ自身の意見だ。」
言いかける霧凍の言葉をばっさりと壱樹は切り捨てた。一瞬虚を突かれた表情を見せるが、すぐに壱樹を馬鹿にする。
「関係していると考えているから協力を申し出たんじゃないですか。今までの話聞いていましたかねぇ。」
なにを!の「な」まで口にした壱樹におずおずと湊は呼びかける。
「壱樹さんは、何でここに?」
「お前を探してたんだ。」
「え?」
間抜けな声が湊から上がった。探されるようなことはあっただろうか、と頭の中を探るが、思い当たらない。
「13時くらいにな、三十木の寮に重油積んだタンクローリーが突っ込んだ上に大爆発を起こして、今も炎上中だ。」
「他の人は?壱樹さんは?」
「アパートにいたやつらは幸い軽い火傷だけで済んだ。俺は姉貴と会ってて、無事だった。」
壱樹の言葉を聞いて、湊は肩を撫で下ろした。よかった。死人、重体者、重傷者も出なかった。
「後はおめーだけだったんだ。」
「あ、僕は寮住まいじゃない、です。」
へ?と壱樹が素っ頓狂な声を上げた。
「骨折り損の草臥儲けってわけですねぇ。貴方にはお似合いですよぉ。」
「それでもお前が湊を殺すのを止められたから無駄じゃなかった。」
「霧凍さんに僕を殺す気はなかったかと………」
「庇わなくていーの!TVはねぇか。スマホもさっきの時に壊れちまったな。」
壱樹がポケットからスマートフォンを出す。中央にぐっさりと硝子片が刺さっており、画面は沈黙している。
「あ、僕も。」
湊のスマートフォンも暗いままだ。雷が直撃したようなものだ。当たり前だろう。カタカタとパソコンを打つ霧凍に目が向かう。
「嫌ですよ。貸しませんよ。使うなら使用料取ります。」
「まだ何も言ってない!誰が使うか!」
物欲しげな壱樹をばっさりと霧凍は切り捨てた。それでも「でも、ちょっとくらい」と名残惜しくパソコンを横から眺める。目にもとまらぬ速さでページは流れていく。ページの内容を追いきれない。
「周りに工場も何もない災害後の掘っ立て小屋みたいなボロアパートじゃないですか。何も考えずに立てた場所でしょ。タンクローリーが通る場所じゃないですよ。」
「う、まあそうだけど。住んでるところをそんなに言われるとなぁ、へこむつーか。この事務所も同じレベルだぞ。」
一番近くの店まで車で30分掛かる。寮も事務所も同じ条件だった。
「寮使っている多くの人間は主に血筋も後ろ盾もない民間からの出向の方々ですよね。偶然ですか?これ。」
瞬間怒りが壱樹の脳の天辺から足先まで焼いた。
忙しくて帰れなかった人間がほとんど。たまたま事故や火災から逃れられたが、疲れて寝ている人間がいたらどうだ?湊のように負傷した人間が自室で体を休めていたら?確実に死人は出ていただろう。
目の前のものを叩き壊してやりたかったが、そっと湊が腕に触れていた。
自分も同じ気持ちだと目で訴えている。
「俺たちを狙った、だと?許せねぇ………!絶対に犯人を捕まえてやる!」
立ち上がり、壱樹は拳を握った。
「まぁ、それはカモフラージュかもですが。」
「ハァ!?」
「タイミングが良すぎます。今日湊くんは調査をした。所属は三十木。後ろ盾のない寮にタンクローリーが突っ込んだ。随分とタイミングが良すぎます。」
しばらく沈黙が続く。湊の声こそは落ち着いているが、焦りを隠せていない。
「僕がそこに住んでいなかったことを、知らないか、住んでる人が出払っている時を狙ったか。僕が孤立してることを知らなければ、もっと早く大変なことになるんじゃ。」
目をぐるぐるとさせている壱樹はまだ理解するには時間が掛かるだろう。湊はこれから起こる不安に目を揺るがせていた。更に霧凍は口を動かす。
「タンクローリーに証拠が残っていれば、2つの勢力の対立を深めて争いを起こすことができる。」
「要するに?」
「1.三十木に消えて欲しい者が利害の一致する者に手を回し、寮住まいの人に依頼を受けさせる。
2.相手先に情報を流す。依頼を受けた人間は殺される。
3.トラックを突っ込ませ、あの依頼を流したのは一族派の人間だ。血を引かぬ者は全員死ぬ殺す等メッセージを残す。」
霧凍が手を突き出し、壱樹の目の前で指折る。夏の暑さのせいではない背中の汗で壱樹のTシャツが張り付き、冷えた。関係に罅が入りつつある民間と一族は割れ、激突は免れない。
「一族はそんなことまで?」
「さぁ?逆かもしれません。
1.民間でも鬱憤が溜まっているのでは?
2.ソラアミからの単純に報復かもしれません。
3.それ以外。
例えば争いが起きれば儲かるのは武器屋です。もちろん他の企業も。可能性は無限大ですよ。雑なのが引っかかる所ですが、証拠が足りません。起立、回れ右。」
言われるがままに壱樹は起立する。右回れをする前に困惑の目を霧凍に向けようとして、飛来するものを片手でキャッチ。
車の鍵だ。
「車があります。タンクローリー、調べてきなさい。あの調子じゃ後4時間くらいは燃えているでしょう。発見されても言い訳くらいはしてあげます。証拠が燃える前に、誰かに見つかる前に回収して私に見せてください!さあ!急いで!」
急かす霧凍に大きく頷く。車で行って片道1時間。着いて3時間くらいか。
「おう!」
駆け出す。自分が足掻いた先に争いのない未来があると信じて。湊も追いかけて、部屋を出る前に足を止めた。
「ひとつだけ、言っていないことがありますよね。霧凍さんの、ご家族に恨みを持つ人間の仕業、とか。そうすると、三十木全体の、怒りの、矛先がご家族に向かう。」
「へぇ、そうですか。思いつきませんでしたぁ。すごいですねぇ。」
おどけて答える霧凍に何を言ったらわからず、その場を立ち去った。
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