黒糸・第3話

 堪えきれずにポロポロと涙を零し、喚く湊がこれまでのことを壱樹に説明していた。パニックを起こしているので「自分が悪い」の繰り返しに要領を得なかったが、膝立ちしながら、辛抱強く壱樹がうんうんと頷く。話が終わり、しばらく唸ってから立ち上がった。パキパキと膝の関節のなる音がする。

「話を纏めると、14時くらいに湊をアンタが釣り上げた。湊は15時くらいまで寝てた。起きた時にアンタが知りたい事を知ってるような口ぶりをしてたから、話すまで20時まで待ってた。とうとう話したと思ったら、禁句を言ったから争いになったっつーことか。」

「そういうことですね。」

「禁句ってなんだよ。気が長いのか、短いのかわかんねー奴。」

 体重を掛けられた穂先が開いていく。鼻先に絆創膏を貼った霧凍が恨みがましくじろりと2人を見る。絆創膏は滲む血に見かねた壱樹が差し出したものだ。

「昔はねぇ、本名も顔知るのも御法度だったんですよぉ?まったく今時の若いのは………」

「時代は変わってくだろ。若年寄。で?結局アンタをなんて呼べばいーんだ?」

「もう霧凍でいいですよ。言い当てられてしまったんですから、もうどうしようもないです。」

 拗ねた言葉はまるで子どもだ。大人びた外見にギャップがあり、壱樹は思わず吹き出した。

「笑ってんじゃないんですよ。アンタには修理代1,200,000円払っていただきますよ。」

「にゃにい!?」

 目玉が飛び出る価格だ。竹箒を放り投げ、霧凍に詰め寄った。

「窓ガラスなんて10,000円くらいだろ!俺、前の工場で窓ガラス割った時にそんぐらいだったぞ!」

 昔、同僚とふざけて野球の真似事をした時があった。勢い余って箒が手からすっぽ抜け、2階の窓ガラスを割ったことがある。その時の10,000円だって壱樹には痛かった。ひゃくにじゅうまんなんてとんでもない!

「と・く・ちゅ・う!」

 霧凍は壱樹の鼻先に突きつける。

「アンタの観察力じゃわからないですかねぇ。対魔、対物理、両方兼ねた一級品ですよぉ?」

 硝子片を拾い上げ、月明かりに照らしてみる。月明かりを集めて青く煌めくが、ただのよく磨かれた硝子だ。壱樹には違いがわからない。

「わっかんねー………湊、わかるか。」

 塵取りで小さいゴミを集めていた湊は硝子片を拾い上げる。湊にも何もわからなかった。

「それに床、壁、配線代等も締めて1,200,000円!きっちりと払ってくださいねぇ?分割も良いですよぉ?」

「それはオメーがやったんだろ!しかし、男壱樹!きちんと窓の弁償はするぜ!もちろん分割でお願いします!」

 壱樹は箒を手を動かす。手際よく埃が、硝子が、何かの燃え滓がみるみるうちに集められていく。それと先ほどから黙々と手を動かしていた湊の地道な作業で掃除はさほど時間が掛からなかった。

「ここまででいいでしょう。後は業者に任せます。気は進みませんが。すごく気はすすみませんが。」

 ぶち抜いた壁からは街の灯りが更に目に鮮やかに映る。

「まるで光の宝石箱だぜ!キレーな眺めだな!いい場所に事務所を立てたじゃん!」

 霧凍が呑気な男の脇腹に水平チョップを喰らわせる。壱樹は潰れた蛙のような声を上げた。

 日本国ーーー首都 東響。

 光溢れれば、闇もまた深度を増していく。知っているはずなのになぜそんなことを言える。

 数年前に起きた首都直下型地震により、東響は半壊状態。復興と同時に再開発の企画が立ち上がり、土木事業はこぞって競争を始めた。

 急速な発展に環境団体が反対。座り込み、工事現場を爆破するテロ等は毎日のように行われている。

 しかし、それだけではない。

 表には公表されない災害がこの世にはあった。

 古来より世界的に不思議な力を秘めた物、人物、場所、呪い、幽霊等が世界に存在し、大きな被害を残してきた………
 

 日本国では社会の混乱を抑えるため、古来より政府は公表せず、古くから秘術を操る一族らに対応を任せていたが、欲に歪み、一族を纏めていた三条家が被害を大きくする。


 政府は密かに進めていた軍事利用のためそれを黙認。


 しかし、それが続くわけがない。


 20XX年---三条家崩壊。


 自衛隊、警察の人物を一部引き抜き、急遽特殊災害対策本部「三十木」を発足。


 三十木は一族の指示、指導に当たることになったが、三条家との争い、三条家の遺した暗号の解読、災害対応等死傷者の増加は深刻であり、一族を含めても人数が足りないため、近現代より異能を扱ってきた民間企業や探偵業に委託することになった。

 しかし、三条以外にも古くから続く流派と独自のやり方でやってきた民間企業がうまくいくわけがない。

 政府と一族と民間。能力者と非能力者。

 これから先どうなっていくのかは誰にもわからなかった。


 特殊災害対策本部三十木に所属する湊、壱樹

 現職を離れた霧凍の関係の果ても天すら知らない。混沌の中だ。


壁が破れた部屋に置き去りにされたパソコンの画面が突如息を吹き返す。画面にはページに一文のみ打たれていた。

ーーー東風八百万事務所報告書。

 霧凍が戻ってくる。

 パソコンを静かに閉じ、小脇に抱えて再度部屋を去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る