第24話 小さな違和感と、小倉決戦

 その年の「流れ」は速かった。


 その年のクラシックは、正直あまり盛り上がらず、「これ」と言った馬が出ないまま、淡々と進んでおり、古馬戦もいつもの年より世間の注目度が低い気がしていたが、私が唯一気になったのは、5月に京都競馬場で行われた古馬のGⅠ、天皇賞(春)だった。


 そこにシンドウが出走していたからだ。鞍上は武政修一騎手。私はそのレースを、新潟競馬場のジョッキールームからテレビ観戦していた。


 古馬の最高峰を競う、3200メートルの長丁場のレース、天皇賞(春)。そこで2番人気だったシンドウは、1番人気のブライトストリーム(牡・5歳)と競い合うかと思いきや。


 レースの最初から不穏で、シンドウはゲート入りを嫌がり、目隠しされた状態でようやくゲート入り。出走後も、最後方からの競馬となり、しかも1番人気のブライトストリームまでもがシンドウと並ぶような後ろからの競馬となった為、場内は大きなどよめきに包まれていた。


 2周目の向こう正面で、武政騎手がゴーサインを出して、馬群の外に持ち出すと、そのまま前方へまくって上がって行き、最終的には、追ってきたブライトストリームをクビ差で抑えて勝利。


 そう。それは結果から見れば、何のことはない。ただの勝利。

 だが、私の目には、小さな違和感が写っていた。


(何だか無理してるみたい。大丈夫かな)

 シンドウが、無理をしているように見えていた。


 それはただの私の錯覚だったのか、それとも何か別の要因があるのか。すでにシンドウの騎乗依頼からは完全に外されていた私は、結局その原因がわからないまま。


 季節が流れていた。


 8月。いわゆる夏競馬全盛の時期。


 私は久しぶりに小倉競馬場にやって来ていた。

 今回は、シャイニングデイズ(牡・4歳)という馬を任されていた。彼は、昨年のクラシックでシンドウやフリーズムーンに敗れており、皐月賞では5着、日本ダービーでは4着、菊花賞では10着と負けていた。


 だが、地力はあると判断され、4歳のこの時、遠征として九州は小倉にやって来ていた。そして、私に騎乗依頼が来たのだが。


 まあ、調子としては悪くなかった。2番人気だったし、馬体重もマイナス4キロ程度。


 だが、ここには「彼ら」がいた。

 1番人気のポップマスター(牝・4歳)には大林凱騎手が、3番人気のヒーローカミング(牡・5歳)には山ノ内昇太騎手が、4番人気のチェックマイソウル(牝・6歳)には川本海騎手が、それぞれ騎乗。


 つまり、私の「同期」3人との対決であり、しかも1~4番人気という、まるで「絵に描いたような」同期対決となった。


 出走前、ほんの少しだけ4人で話をする機会が出来た。

「お前にだけは負けへん」

 すでに闘志むき出しの様相を呈していた山ノ内昇太が睨んでいたのは、大林凱だった。彼にとって、私は眼中にないのかもしれない。


「僕も負けるつもりはないよ」

 凱くんはそれに応えていたが、緊張感がなく、へらへらと笑っていた。


「優さん。お互いにがんばりましょう」

 相変わらず海ちゃんだけは、私を慕ってくれる。


 そして、我々、競馬学校の同期による、「対決」の火花が切って落とされることになる。


 2037年8月16日(日)、小倉競馬場、11Rレース、芝2000メートル、小倉記念(GⅢ)。


 天候は曇り、馬場状態は前日からの雨の影響で「重」だった。


 小倉競馬場、芝2000メートルのスタート地点は、正面スタンド前直線の4コーナーのポケット付近。 


 右回りで、典型的な小回り・平坦コースで、内枠が有利とされる。3~4コーナーはスパイラルカーブで下り坂になっている。最後の直線は293メートルと短く、高低差が全く無い。


 1コーナーが上り坂になっており、ここでペースが落ちやすい。ひと息入る事で、前を行く馬がバテにくい為、先行馬が非常に有利なコースと言える。


 夏場は、スピードの出やすい野芝100%になるので、その傾向もより顕著になると言われている。


 ここで私が乗る馬、シャイニングデイズは1枠2番という、絶好の枠を手に入れたことが幸いした。

 一方、1番人気のポップマスターは2枠4番、3番人気のヒーローカミングは7枠14番、4番人気のチェックマイソウルは4枠7番。

 全12頭の中で、3分の1が同期4人という対決になった。


 スタートしてから、最初に抜け出したのは、予想通りにヒーローカミング。これは逃げの脚質を持っていたからだ。

 それに続いて、私は先行グループの4番手くらいにつける。


 すぐ後ろには、まるで獲物を狙う鷹のように、不気味に潜むポップマスターがいて、チェックマイソウルは後方集団からのスタートになった。


 そのまま、1~2コーナーの上り坂を登って行くが、順位はそれほど変わらず。そのまま「持ったまま」、つまり馬の走る気に任せて進み、3コーナーから4コーナーのスパイラルカーブに差し掛かる。


 4コーナーを回った辺りで、逃げるヒーローカミングの勢いにかげりが見えてきて、スピードが落ちてきた。


 その時だ。


 凄まじい勢いで、後ろから内埒沿いに抜け出した馬がいた。ポップマスターだった。


(やっぱり来たか)

 私にはある意味、予想通りだった。

 このレースで一番怖いのが、彼、大林凱だということは認識していた。


 そして不気味に後方に控えていた川本海ちゃんのチェックマイソウルがぐんぐん追い上げて3番手にまで上がって来ていた。


 私は、このシャイニングデイズの脚質を「先行」と見ていた。

 彼は馬群にもまれても、臆さないだけの「強さ」を持っているように見えていた。


 鞭を打って、一気に内埒から真ん中沿いに進路を取り、先頭を追う。

 先頭は、あっという間にポップマスターに変わっていた。


 ここの直線は短い。残り200メートルから100メートルになって、ようやく私は先頭に並びかける。


 だが、これは届くか、届かないか、微妙な位置でもあった。


 残り100メートルを切って、壮絶な「叩き合い」になっていた。

 もつれるように2頭が並んでゴールイン。


 写真判定となった。


 結果的には、わずかクビ差で、シャイニングデイズが1着、ポップマスターが2着になっていた。チェックマイソウルが5着、ヒーローカミングは7着となる。


 私にとって、地方以外の「中央」の重賞の初勝利だった。ようやく重賞を勝つことが出来てホッと安堵するのだった。


 後検量後に、4人がジョッキールームに集まった。


 まずは、苦々しい表情を浮かべている山ノ内昇太からだった。

「お前に負けるとは思わへんかったわ。まあ、少しは強くなったんやないか」


「何か悪い物でも食べたの?」

「褒めとるんや! 素直に受け取れや!」


「冗談だよ」

 自然と笑みが出ていたが、そもそも山ノ内くんが私を褒めるとは予想外だった。


「昇太くんはツンデレだね。僕は最初からわかってたよ。優ちゃんは、きっと強くなるって」

 今度は凱くんが、それらしく、私の関心を買うような一言を投げかけるものの。


「嘘つけ。お前、競馬学校の時から、石屋なんてザコや言うてたやないか」

 山ノ内くんに突っ込まれて、盛大にボロを出していた。


「いやいや、あれは違うよ」

「ふーん、そう。ザコね。言ってくれるね、凱くん。次の勝負で、さらにヘコましてあげる」


「そんな~。冗談だって、優ちゃん」

 そんな私たちを眺めて、一番笑顔を見せていたのは、海ちゃんだった。


「海ちゃん。楽しそうだね」

「はい。優さんが楽しそうで、良かったです」


「何、可愛いこと言ってるの、海ちゃん。あなたももっと勝てるはずよ」

「はい……」

 彼女の表情が心なしか曇っているように見えていたが、実はこれには理由があった。


 1年目は私より勝っていた海ちゃんは、3年目のこの年、あまり勝てていなかった。それどころか、最近は騎乗機会も減っていた。

 そのことを彼女は危惧していたのだろうし、私も心配していた。


「大丈夫? 何か心配事があるなら、相談に乗るよ」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 とは言っていたが、やはり彼女は少しナーバスになっているようにも見えた。元々、あまり感情表現を表に出さない子だ。

 その分、自分の内側にストレスを抱えてしまうことがあるように思えて、少し心配になっていた。


 だが、お構いなしにレースは続くのだ。

 小倉記念で、同期対決を制した私にの目に、その年の秋の出来事が襲いかかるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る